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陰間道中膝栗毛!?
揚屋差紙
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女将と旦那が俺を前にニタニタと笑っている。
「百合、評判は上々だよ。見てごらん、この揚屋差紙。この中から一番の上客をつけてやろうねぇ」
初見世の夜から一週間。多くの客が引手茶屋に押し寄せ、俺を買う為の差紙を置いていくらしい。中には冷やかしもいるけど、ほとんどは大金を支払う意思のある、身元の確かな客のようだった。
これは盛られ過ぎたせいだろうなぁ。勿論、俺だって努力はしてるけど、現代で全く需要のなかった俺が、たった一度舞台に上がっただけでこんなに売れるわけがない。
あの日の俺の出来が良かったこと……ビギナーズラックとも言える……に、女将と旦那の手腕。 なにより最初から湯島花街の話題に上がっている、保科様のお引き立て。
「保科の若様が預け先を華屋に決めて、自ら世話をした」ってだけで十倍は盛れる。
これで本当に大丈夫なのかな……。実際に褥仕事をした途端「はい終了~」とかありそうで。
「実はな、お菊……」
重なった差紙を前にして珍しく黙りこくっていた旦那が、意を決したように、女将に耳打ちを始めた。
「……なんだって? そりゃ本当かい?」
「ああ、先日参拝の際にな。でも増大寺様は牡丹のお得意だろう? 返事は濁して来たんだが……」
増大寺? 牡丹さん? 聞こえにくい。なんの話?
「まあ、ふたつ返事とはいかないね……」
女将は腕組みをして唸った。が、ものの三分も経たないうちに、悪事を企てるような笑みをして俺を見た。
「よし、百合決まったよ。あんたの初旦那」
え? どういうこと?
「最近、牡丹も固定客に胡座をかいてたところだ。ここでいっちょ百合に増大寺の客を回して競わせようじゃないか。互いに切磋琢磨するだろ……いいね、アンタ」
言われた旦那は最初、呆気に取られていたけど、しまいには似たような悪党面で「名案だな、さすがお菊」と口角を上げた。
「それは……もしかしなくても、牡丹さんの馴染みの客……お客さんを俺……私につけるってことですか?」
舞台外ではイマイチ慣れきらない女形言葉で問う。
女将はもう、顔の筋肉全部を使って笑っていた。
「その通りだよ。しっかりやるんだよ。華を目指すなら下克上のつもりでやんな!」
「マジかよ……やばいって……」
目の前がクラクラしてきた。牡丹さんはこの華屋の陰間の中で、唯一俺に優しくしてくれる人だ。そんな人の馴染みから客を取るなんて……「盗る」みたいじゃないか。
頼むよ、これ以上俺の立場を悪くするのは辞めてくれ…………!
***
「聞いたよ、百合。増大寺様からお客さんを取るそうだねぇ」
稽古から華屋に帰ったあと、褥仕事前の休憩時間に牡丹さんの部屋に呼ばれている俺。目の前には美味そうな饅頭が置かれているけど、いつものように手は出せない。
「いえ、あの、私の希望では……」
体ガチガチ、心臓ブルブル。牡丹さんの目を見るのも怖い。
牡丹さんも楓と同じく、現代でも美形と謳われるであろうくっきりとした目鼻立ちをしている。ただ、どちらかと言うと一見冷たい印象を与えるタイプの美形だけあって、時に睨まれてる? と感じることがあるのだ。
実際、優しい人だけど……心のどこかでは、成り上がりみたいな俺に非難の気持ちがあってもおかしくない。どの陰間だってそうなんだから。でも、それを表に出すことはなく、努めて優しくしてくれる唯一の人なんだ。嫌われたくない。
「ふふ。わかってるよ。そんなに怯えなくても良いんだよ。きっと気にしてるだろうと思ったからこうして話をしてるのさ」
「え……」
「そりゃあね、女将さんから聞いた時は流石に驚いたけど、私も華になってからはお寺の皆様のお相手が回らなくて、申しわけが立たなかったんだよ。そう思うと、こうして百合が増大寺様を少しでも手伝ってくれたら、益々お得意様として繋がりが濃くなるんじゃないかと思ってね。同じ得意先を持つというのは、お前とも兄弟の契を交わすようなものだし嬉しいよ。さ、お食べ。」
牡丹さんはいつもの福の神みたいな柔らかな物腰で饅頭を手に乗せてくれた。
優しさと饅頭の甘さが身に染みる~。なんていい人なんだぁ。
「すいません。そう言って頂けると気が楽になりました。俺……私、頑張ります! むぐっ」
「ふふふ。百合は素直で可愛いね。ほらほら。むせてるじゃないか。お茶をお飲み」
「んむっ……すいませ……」
ん?
喉元を叩きながら牡丹さんの顔を見上げると、牡丹さんが至近距離に来ている。そして、顔がさらに近づき……唇が重なった。
ゴクン。
大きい嚥下音と共に、牡丹さんの口内から注がれたお茶と引っかかった饅頭が、俺の喉を通り過ぎる。
「……? あの……?」
俺の肩を掴む手に、ぎゅっ、と力が入った。
「本当に……百合は可愛いね」
そう言うと、牡丹さんは俺の口の端に付いていたらしい餡子をペロリと舐め取り、続けて言う。
「教えてあげるよ。増大寺さんへの御奉仕の手順」
え?
「! ……んンッ……!」
再び牡丹さんの唇が重なり、強く押しつけられる。そして、舌が俺の歯列を割った。
「百合、評判は上々だよ。見てごらん、この揚屋差紙。この中から一番の上客をつけてやろうねぇ」
初見世の夜から一週間。多くの客が引手茶屋に押し寄せ、俺を買う為の差紙を置いていくらしい。中には冷やかしもいるけど、ほとんどは大金を支払う意思のある、身元の確かな客のようだった。
これは盛られ過ぎたせいだろうなぁ。勿論、俺だって努力はしてるけど、現代で全く需要のなかった俺が、たった一度舞台に上がっただけでこんなに売れるわけがない。
あの日の俺の出来が良かったこと……ビギナーズラックとも言える……に、女将と旦那の手腕。 なにより最初から湯島花街の話題に上がっている、保科様のお引き立て。
「保科の若様が預け先を華屋に決めて、自ら世話をした」ってだけで十倍は盛れる。
これで本当に大丈夫なのかな……。実際に褥仕事をした途端「はい終了~」とかありそうで。
「実はな、お菊……」
重なった差紙を前にして珍しく黙りこくっていた旦那が、意を決したように、女将に耳打ちを始めた。
「……なんだって? そりゃ本当かい?」
「ああ、先日参拝の際にな。でも増大寺様は牡丹のお得意だろう? 返事は濁して来たんだが……」
増大寺? 牡丹さん? 聞こえにくい。なんの話?
「まあ、ふたつ返事とはいかないね……」
女将は腕組みをして唸った。が、ものの三分も経たないうちに、悪事を企てるような笑みをして俺を見た。
「よし、百合決まったよ。あんたの初旦那」
え? どういうこと?
「最近、牡丹も固定客に胡座をかいてたところだ。ここでいっちょ百合に増大寺の客を回して競わせようじゃないか。互いに切磋琢磨するだろ……いいね、アンタ」
言われた旦那は最初、呆気に取られていたけど、しまいには似たような悪党面で「名案だな、さすがお菊」と口角を上げた。
「それは……もしかしなくても、牡丹さんの馴染みの客……お客さんを俺……私につけるってことですか?」
舞台外ではイマイチ慣れきらない女形言葉で問う。
女将はもう、顔の筋肉全部を使って笑っていた。
「その通りだよ。しっかりやるんだよ。華を目指すなら下克上のつもりでやんな!」
「マジかよ……やばいって……」
目の前がクラクラしてきた。牡丹さんはこの華屋の陰間の中で、唯一俺に優しくしてくれる人だ。そんな人の馴染みから客を取るなんて……「盗る」みたいじゃないか。
頼むよ、これ以上俺の立場を悪くするのは辞めてくれ…………!
***
「聞いたよ、百合。増大寺様からお客さんを取るそうだねぇ」
稽古から華屋に帰ったあと、褥仕事前の休憩時間に牡丹さんの部屋に呼ばれている俺。目の前には美味そうな饅頭が置かれているけど、いつものように手は出せない。
「いえ、あの、私の希望では……」
体ガチガチ、心臓ブルブル。牡丹さんの目を見るのも怖い。
牡丹さんも楓と同じく、現代でも美形と謳われるであろうくっきりとした目鼻立ちをしている。ただ、どちらかと言うと一見冷たい印象を与えるタイプの美形だけあって、時に睨まれてる? と感じることがあるのだ。
実際、優しい人だけど……心のどこかでは、成り上がりみたいな俺に非難の気持ちがあってもおかしくない。どの陰間だってそうなんだから。でも、それを表に出すことはなく、努めて優しくしてくれる唯一の人なんだ。嫌われたくない。
「ふふ。わかってるよ。そんなに怯えなくても良いんだよ。きっと気にしてるだろうと思ったからこうして話をしてるのさ」
「え……」
「そりゃあね、女将さんから聞いた時は流石に驚いたけど、私も華になってからはお寺の皆様のお相手が回らなくて、申しわけが立たなかったんだよ。そう思うと、こうして百合が増大寺様を少しでも手伝ってくれたら、益々お得意様として繋がりが濃くなるんじゃないかと思ってね。同じ得意先を持つというのは、お前とも兄弟の契を交わすようなものだし嬉しいよ。さ、お食べ。」
牡丹さんはいつもの福の神みたいな柔らかな物腰で饅頭を手に乗せてくれた。
優しさと饅頭の甘さが身に染みる~。なんていい人なんだぁ。
「すいません。そう言って頂けると気が楽になりました。俺……私、頑張ります! むぐっ」
「ふふふ。百合は素直で可愛いね。ほらほら。むせてるじゃないか。お茶をお飲み」
「んむっ……すいませ……」
ん?
喉元を叩きながら牡丹さんの顔を見上げると、牡丹さんが至近距離に来ている。そして、顔がさらに近づき……唇が重なった。
ゴクン。
大きい嚥下音と共に、牡丹さんの口内から注がれたお茶と引っかかった饅頭が、俺の喉を通り過ぎる。
「……? あの……?」
俺の肩を掴む手に、ぎゅっ、と力が入った。
「本当に……百合は可愛いね」
そう言うと、牡丹さんは俺の口の端に付いていたらしい餡子をペロリと舐め取り、続けて言う。
「教えてあげるよ。増大寺さんへの御奉仕の手順」
え?
「! ……んンッ……!」
再び牡丹さんの唇が重なり、強く押しつけられる。そして、舌が俺の歯列を割った。
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