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陰間道中膝栗毛!?
菊華 菖蒲 弐
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朝四つから昼九つまで稽古。
九つ半から八つ半まで一幕見世。
一幕見世は言わば現代のドラマみたいなもので、長い話をいくつかに区切って毎週同じ時間に上演するのだ。
七つ半までは茶屋の給仕。
暮れ六つからは座敷。
宵五つからは褥仕事。
今日の華屋のスケジュールはこんな感じで結構ハードなんだ。俺の場合はまだ褥仕事はないけど、菖蒲さんのサポートで座敷は入っている。
菖蒲さん、幸せそう……。
今しがた、落籍の儀が無事に済んだ菖蒲さんの座敷は祝い膳が用意され、おめでたい空気に包まれていた。
医師である小山内様が菖蒲さんの得意客になってからもう四年らしく、菖蒲さんが若草の頃から通っていたんだと聞いた。
ただ、小山内様は七十歳を超えておられて、菖蒲さんとは一般に言う孫くらい年齢が離れている。そして、そんな二人のあいだに体の関係は無いのだそうで、それを聞いた俺は心底驚いた。
***
「百合ちゃん、牡丹ちゃん達のことありがとうね」
稽古と舞台までの昼食休憩の時に、菖蒲さんがわざわざ俺に礼を伝えに来てくれた。
「いや、俺……私は別に。私も色々気づかせてもらったから」
「百合ちゃん、優しいんだね」
純和風美人、と表現すればいいのだろうか。上等のお雛様みたいな儚げな美しさを持つ菖蒲さんに近くで微笑まれると、中身は男だってわかっていても見とれてしまう。
こんなに綺麗で芸の人気もある人が、引退して一般の中に紛れて行くなんて。
「あの、菖蒲さんはなぜ芸の道へ進まないんですか? 菖蒲さんなら絶対芸能界に需要があるのに」
「アンタ、失礼だね」
後ろから湯豆腐の鍋を持った楓に小突かれる。
楓は俺の隣に腰掛けた。
「いいんだよ、楓ちゃん。……そうだねぇ、私は芸をやりたくて入ったわけじゃないから」
「えっ、そうなんですか?」
「皆が皆、芸を目指して来るわけじゃないからね。私みたいに借金のカタで売られた子も中にはいるんだよ」
あ……。どうしよう。これは楓の言うように立ち入るのは失礼な話だったかも……。
言葉が出なくなった俺にかまわず、菖蒲さんは続けた。
「ふふ。でも、別に私は嫌々ではなかったから。私が華屋で奉公することで家族の暮らしが楽になるのは寧ろ喜びだったよ。褥の仕事はきついのもあったけど、お客さんは必ず喜んでくれたし、舞台で踊れば幸せそうに笑ってくれる。ただ言われたことを真面目にやるだけで誰かの役に立てるなら、こんな嬉しいことはないよ」
言われたことをやるだけ……? 誰かの役、に立つために?
芸能界に入りたいわけでもないのに陰間で自分の身を粉にして?
菖蒲さんは俺の実際の年齢と同じ、まだ十九なのに、なぜそんなふうに思えるんだろう。
「……菖蒲さんて夢とかないんですか?」
「夢?」
「自分がどうしたいとか、やりたいこととか、自分の意志って言うか……」
なに言っちゃってるんだ、俺、偉そうに。菖蒲さんに向かって意志がないのか、みたいな言い方をして。
「あの、すいません、俺……」
「夢、意志……」
菖蒲さんは食べかけの煮豆の椀を持ったまま固まった。でも、不快を示す表情じゃなく、疑問符をいっぱい浮かべたような顔をして首をかしげている。
「いや、あの、だから……菖蒲さん?」
「菖蒲さんはね、昔からこうだから」
代わりに口を出したのは楓だ。
「菖蒲さんはいつも他人を優先して、自分のことは後回しなんだよ。でも後回しなのも無意識でさ。貧乏くじ引いたっていつも笑ってるんだ。無頓着って言うか、よく言って天然だね」
「楓ちゃん、厳しいねぇ」
菖蒲さんがぷっと吹き出して続ける。
「……泣いてる顔より笑った顔の方がいいじゃないか。皆が楽しそうなら私はそれで良いんだよ。そうやってるだけで華にまでしてもらって、大事にされてさ。有難いことさ」
「それは金づるとしてだろ」
楓の容赦ないツッコミ……確かに、一理あるけど、菖蒲さんは「身も蓋もないねぇ」なんて、まるで気にしていない様子だ。
そういえば菖蒲さんときちんと話すのは初めてだけど、他人と馴れ合わない楓が懐いてる様子からしても、見たままの優しい人なんだろう。
それでつい、失礼を重ねるのは承知で突っ込んで聞いてしまったんだ。
「でも、そしたら菖蒲さん、小山内様の所に行くのって、単に喜んでもらえるから? 小山内様と菖蒲さんて凄く歳が離れてるけど、その……菖蒲さんは後悔しないんですか? 本当に小山内様を好きなんですか?」
「おい、百合、いい加減に……」
楓が非難の目を向け、俺をたしなめようとした。
その時、九つ半からの見世の準備を報せる声がかかり、話はここで終わった。
楓には楽屋に入る前にも小突かれた。「人の人生に茶々を入れるんじゃないよ」って。
でもさ、そんなんでいいのかな、って菖蒲さんの人生だけど考えちゃうんだよ。だって俺、権さんにチラッと聞いたんだ。身請けされたからって幸せになれるばっかりじゃないんだって。
男色が成人男子の嗜みとされている江戸でだって、男同士の婚姻は祝われるものじゃない。
────だから「陰間の身請けは賭け」みたいなもんだ。本妻には勿論なれねぇから、男の妾だな。運が良けりゃ、最後まで大事にされるし、悪けりゃ体だけを貪られて飽きたら捨てられる……すぐに飽きられるんだよ。陰間の花が短いのはなぜだかわかるだろ? 体が変わっちまうからだよ。だから、二十代後半になっても体を捧げて生きてる男は大釜って言われて、差別や嘲笑の対象にさえなるんだ。
でも、芸の道を絶って、体を捧げるだけになった元陰間には行く当てなんてない。ありゃあ悲惨だよ。客は道楽で高い金払って陰間を買ってってくれんだから店はなんにも言わないけどさァ。
って。
牡丹も昨日言ってた。
「愛してるならやり捨てたりしない。多くの陰間が年季明けには幸せになれるはずだろう?」
って。
こういうことも含めての言葉だったのかな……。
菖蒲さんなら望めば自由も、それから、本当に好きな人と出会って一緒に生きていく未来もきっと手に入るのに。
───俺には好きな人との未来なんてないからさ……。
九つ半から八つ半まで一幕見世。
一幕見世は言わば現代のドラマみたいなもので、長い話をいくつかに区切って毎週同じ時間に上演するのだ。
七つ半までは茶屋の給仕。
暮れ六つからは座敷。
宵五つからは褥仕事。
今日の華屋のスケジュールはこんな感じで結構ハードなんだ。俺の場合はまだ褥仕事はないけど、菖蒲さんのサポートで座敷は入っている。
菖蒲さん、幸せそう……。
今しがた、落籍の儀が無事に済んだ菖蒲さんの座敷は祝い膳が用意され、おめでたい空気に包まれていた。
医師である小山内様が菖蒲さんの得意客になってからもう四年らしく、菖蒲さんが若草の頃から通っていたんだと聞いた。
ただ、小山内様は七十歳を超えておられて、菖蒲さんとは一般に言う孫くらい年齢が離れている。そして、そんな二人のあいだに体の関係は無いのだそうで、それを聞いた俺は心底驚いた。
***
「百合ちゃん、牡丹ちゃん達のことありがとうね」
稽古と舞台までの昼食休憩の時に、菖蒲さんがわざわざ俺に礼を伝えに来てくれた。
「いや、俺……私は別に。私も色々気づかせてもらったから」
「百合ちゃん、優しいんだね」
純和風美人、と表現すればいいのだろうか。上等のお雛様みたいな儚げな美しさを持つ菖蒲さんに近くで微笑まれると、中身は男だってわかっていても見とれてしまう。
こんなに綺麗で芸の人気もある人が、引退して一般の中に紛れて行くなんて。
「あの、菖蒲さんはなぜ芸の道へ進まないんですか? 菖蒲さんなら絶対芸能界に需要があるのに」
「アンタ、失礼だね」
後ろから湯豆腐の鍋を持った楓に小突かれる。
楓は俺の隣に腰掛けた。
「いいんだよ、楓ちゃん。……そうだねぇ、私は芸をやりたくて入ったわけじゃないから」
「えっ、そうなんですか?」
「皆が皆、芸を目指して来るわけじゃないからね。私みたいに借金のカタで売られた子も中にはいるんだよ」
あ……。どうしよう。これは楓の言うように立ち入るのは失礼な話だったかも……。
言葉が出なくなった俺にかまわず、菖蒲さんは続けた。
「ふふ。でも、別に私は嫌々ではなかったから。私が華屋で奉公することで家族の暮らしが楽になるのは寧ろ喜びだったよ。褥の仕事はきついのもあったけど、お客さんは必ず喜んでくれたし、舞台で踊れば幸せそうに笑ってくれる。ただ言われたことを真面目にやるだけで誰かの役に立てるなら、こんな嬉しいことはないよ」
言われたことをやるだけ……? 誰かの役、に立つために?
芸能界に入りたいわけでもないのに陰間で自分の身を粉にして?
菖蒲さんは俺の実際の年齢と同じ、まだ十九なのに、なぜそんなふうに思えるんだろう。
「……菖蒲さんて夢とかないんですか?」
「夢?」
「自分がどうしたいとか、やりたいこととか、自分の意志って言うか……」
なに言っちゃってるんだ、俺、偉そうに。菖蒲さんに向かって意志がないのか、みたいな言い方をして。
「あの、すいません、俺……」
「夢、意志……」
菖蒲さんは食べかけの煮豆の椀を持ったまま固まった。でも、不快を示す表情じゃなく、疑問符をいっぱい浮かべたような顔をして首をかしげている。
「いや、あの、だから……菖蒲さん?」
「菖蒲さんはね、昔からこうだから」
代わりに口を出したのは楓だ。
「菖蒲さんはいつも他人を優先して、自分のことは後回しなんだよ。でも後回しなのも無意識でさ。貧乏くじ引いたっていつも笑ってるんだ。無頓着って言うか、よく言って天然だね」
「楓ちゃん、厳しいねぇ」
菖蒲さんがぷっと吹き出して続ける。
「……泣いてる顔より笑った顔の方がいいじゃないか。皆が楽しそうなら私はそれで良いんだよ。そうやってるだけで華にまでしてもらって、大事にされてさ。有難いことさ」
「それは金づるとしてだろ」
楓の容赦ないツッコミ……確かに、一理あるけど、菖蒲さんは「身も蓋もないねぇ」なんて、まるで気にしていない様子だ。
そういえば菖蒲さんときちんと話すのは初めてだけど、他人と馴れ合わない楓が懐いてる様子からしても、見たままの優しい人なんだろう。
それでつい、失礼を重ねるのは承知で突っ込んで聞いてしまったんだ。
「でも、そしたら菖蒲さん、小山内様の所に行くのって、単に喜んでもらえるから? 小山内様と菖蒲さんて凄く歳が離れてるけど、その……菖蒲さんは後悔しないんですか? 本当に小山内様を好きなんですか?」
「おい、百合、いい加減に……」
楓が非難の目を向け、俺をたしなめようとした。
その時、九つ半からの見世の準備を報せる声がかかり、話はここで終わった。
楓には楽屋に入る前にも小突かれた。「人の人生に茶々を入れるんじゃないよ」って。
でもさ、そんなんでいいのかな、って菖蒲さんの人生だけど考えちゃうんだよ。だって俺、権さんにチラッと聞いたんだ。身請けされたからって幸せになれるばっかりじゃないんだって。
男色が成人男子の嗜みとされている江戸でだって、男同士の婚姻は祝われるものじゃない。
────だから「陰間の身請けは賭け」みたいなもんだ。本妻には勿論なれねぇから、男の妾だな。運が良けりゃ、最後まで大事にされるし、悪けりゃ体だけを貪られて飽きたら捨てられる……すぐに飽きられるんだよ。陰間の花が短いのはなぜだかわかるだろ? 体が変わっちまうからだよ。だから、二十代後半になっても体を捧げて生きてる男は大釜って言われて、差別や嘲笑の対象にさえなるんだ。
でも、芸の道を絶って、体を捧げるだけになった元陰間には行く当てなんてない。ありゃあ悲惨だよ。客は道楽で高い金払って陰間を買ってってくれんだから店はなんにも言わないけどさァ。
って。
牡丹も昨日言ってた。
「愛してるならやり捨てたりしない。多くの陰間が年季明けには幸せになれるはずだろう?」
って。
こういうことも含めての言葉だったのかな……。
菖蒲さんなら望めば自由も、それから、本当に好きな人と出会って一緒に生きていく未来もきっと手に入るのに。
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