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幽韻之志
8/百反は冥途の飯の一里塚
しおりを挟む「おや、お食事中でしたか」
部屋に入って来た丙にじっと見つめられて、気まずくなり蓋を閉じる。
「失礼、続けて下さい。奴隷と暮らし始めたと聞きまして…」
「奴隷に食事を施されるなどお恥ずかしい限りです」
「桃吾を奴隷だと思っていますか?」
さすがシニア最強クラスのご主人様。
老眼鏡の向こう側から鋭い観察眼で尋ねる。
「ここでは立場上。でも桃吾の家では、俺が飼われてる」
「興味深い内容ですね」
「ひたむきな奴隷に応えてやりたいだけです」
なぜあんなに真っ直ぐでいられるのか。呟きながら銀杏の塩揚げが刺さった串を抜き、短い息を付くと、丙が柔らかな口調で言った。
「我々には永遠に知る必要のない情報です」
優美な冷淡さが魅力と名高い男
だが、だし巻き卵を執拗に狙っているのを察して一口で食べる。
「ああ…」声が漏れる。
そんなやり取りに気が付いた瑠鶯が不機嫌を撒き散らして乗り込んで来るのは想定済み。早々に片付けてお茶を口に運ぶと、丙が顔を覗き込んでくる。
「……何、ですか?」
「桃吾に伝えて下さい。次は私の分も、お願いします」
「自分で言ったらどうですか」
舌打ちが飛んできて椅子が蹴られた弾みで、最後のお楽しみを宙に捉える。
ほのかに生姜を潜ませる唐揚げラストで完食。
お弁当箱を取りに来た桃吾がメンツに慌てて頭をひとつ下げると、間髪入れず立ち上がり桃吾の腰に手を回して部屋に連れ込む華麗なテクニックを見せつける丙のやり方に瑠鶯の表情が一瞬で曇る。大好きなご主人様を取られて拗ねるのは、青輝丸もたまに見せる仕草だ。
――― 親に愛され、子は護られる。―――
だから瑠鶯が羨ましい。
花形に愛されて一日も早く隷属になって、俺を引きずり降ろしてくれ。
「…で、昌宗君とはどこまで進んだの?」
「そ、それは個人情報の観点から、わ、私から……は……ぁ、だめ…んっっ!」
また始まった。
向かい合って顔が近づくと喘ぎだす内容にそれ見た事かと桃吾の腕を掴んで引き寄せる。最強フェロモンを嗅いで頭がヤラれた桃吾は躓きながら俺の背中で目を閉じて息を整えるが、手を求められ繋ぐと握り返して小さく鳴いた。
「お前が取って食われるのを黙って見ている程、俺も寛容じゃない」
「申し訳ありません」
「今度、丙様にも…ひとつ頼む」
「お弁当、ですか?」
「うん。だし巻き卵入れてやってくれ」
俺の言葉にはっとして厳しい表情を向ける丙が前のめりで、五目ご飯を要求。
圧がすげぇーよ…こっち見んな…って!もう!!
「わっぱに五目ごはんとだし巻き卵で!」
「は、はいっ喜んで」
「お稲荷さんも捨てがたい。あまーいのが好きです、あまーいの!」
「関東風で、畏まりました」
人の頭を乗り越える丙と桃吾に挟まれる構図に、ため息をつく瑠鶯から一言。
「薄味でお願いします」俺もそれが言いたかった(丙は高齢者)
「對馬がご迷惑をかけたお詫びに…」
瑠鶯の申し出で食事に誘われた。
それも二人っきりで。今日が命日になるのか?顔面蒼白で立ちすくんでいると、丙の助け舟により桃吾お付きで頭数が増える。まぁいいと俺に対する苦手意識から解放された瑠鶯の吐息に桃吾が見惚れていた。
「お前、昌宗さんと一緒に暮らしているんだって?」
ひとつ返事で笑みが零れる、桃吾は緊張して指を震わせ次の言葉を待つ。
「普通は御所入りするもんだろ」
御所、とは邸宅のこと。
俺は自給を貰って桃吾の家に入っているが一般的には、その逆で…
自身の隷属を持つ青輝丸は奴隷達と生活を共にしている。
入居の条件は男であること、現在空室待ちが3桁いると噂の大御所入り。同じ隷属でも住居を持たない乞食に時給を支払うことで専属奴隷の座を勝ち取った桃吾に興味があるのか、瑠鶯の会話が弾む。
「奴隷に飼われるなんて聞いたこと無い。どう?肉便器の使い心地は」
「私が昌宗様専用の肉便器になりたいです」
「男に突っ込むとか、地獄だろ…気持ちわりぃ…」
「アナル調教受けてみてはいかがですか?人生変わりますよ」
「俺は肉体的な快楽に疎い。そう簡単には…」
瑠鶯の一言に引っかかりを覚えながら黙って話を聞いていると、隣の丙がスマホの画面に全集中で呼吸を沈めている異様な雰囲気にぞっとする。
「昌宗様。こちらをご覧ください」
声を潜めて画面を見ると、ここから店までの経路案内が示されていた。
このやり方は…
察する俺に合図を送る。やはりそうか…ならばと手を上げてタクシーに今いる位置より後方で停車するよう指さす俺の算段に丙はポーカーフェイスで対応。徐々に歩調を遅らせて追尾するタクシーに丙が乗り込み、左折して大通りを避ける。
まだ瑠鶯は気が付いてない。
「ウラロジデマツ」どこのご主人様も考えることは同じだな。
一方で俺は気配を消して中道を走り抜ける。振り返る瑠鶯と桃吾は、俺達が居ないことにようやく気が付いた頃だろう。スマホはミュートにしていればコールの時間を稼げる。待っていたタクシーに飛び乗る俺は息を弾ませ「百反通りの春金湯まで」あとはこっちでビルの中を通って裏通りに出ればいい。
「さすが足抜けのマサ、お見事」
「お褒めの言葉、痛み入ります。ご主人様」
「それはよしてよ、とめき。これから二人で楽しもう…ね?」
ご主人様は普段はお付き無しで外出をしない。
解放感から子どものようにはしゃぐ丙を連れて大崎の町中華に突撃。暖簾を潜り、憧れの大衆食堂に瞳を輝かせる丙は真っ赤なテーブルに着くと、こぼす勢いで目の前にグラスが置かれる様を斬新なアトラクションだと興奮する。
「ここ、天津飯うまいですよ」
「レバニラ…あった!ひとりでは多いかな…ああ、それから…」
「好きなもの頼んでください。俺、金持ってませんけど」
「とめきに散財をさせるなど不徳の致すところ。お好きな物を、どうぞ」
肘を突いて不敵な笑みを浮かべる俺は手を上げて大きな声で注文をした。
客が切れた所に飛び込んできたせいか待つ事数分で、餃子の皿が届く。
「わぁ…美味しい!辣油ちょっとかけちゃおうかな」
「どうぞ。酢胡椒もイケますよ」
「作って!」
「あまりつけないで、ああ…そのくらいがいい」
おじいちゃんが孫と来たように見えますが、SM調教師の巨頭が揃い組。
瑠鶯にバレたら俺は海の藻屑に消えるであろう危機的状況だが、うまいは正義。
飯の前では誰しも公平でありたい。
「瑠鶯は非の打ち所がない良い子なんだが如何せん生真面目でね。自分のルールが全て、あれは新興宗教で成功するタイプだ。修羅人には…程遠い」
修羅とは人ならざる道を往く者
おそらく俺はルート変更できないその道を歩かされている張本人、だが。
「主従の絆を重んじ、私欲を慎み…卑怯な振舞いは行わない。ですよね?」
「どのような戦にも理性を以て自制心を損なわない、それこそが修羅の道です」
「隷属は皆、修羅人…か」
「とめきは羅刹の魂を、瞳に宿しているね」
ら、せつ……とは?
人を惑わせ、食い、争いと破滅を主尊とする鬼神。
その凶暴さを忍耐と慈悲で塞ごうとも、業火は溢れんばかりに燃え盛る。
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どこまでも、恐ろしい奴だ。
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丙の言葉に同情を寄せられた気になり、ラスイチ餃子を譲ると、有難く口に運んで念願の町中華を堪能する丙は満足気に微笑みこう言った。
「この話は…どうかご内密に。ご馳走様でした」
クラウンの中折れ帽を被る間際まで微笑んでいるが横顔は冷淡で美しい、丙が残した言葉に真実を濁す。
――― 神の申し子に、笑う鬼。―――
人ならざる者か。随分と、まぁ…尊い話だな。
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