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幽韻之志
9/其の男、百毒の長。
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雑巾を絞りながら、ふぅ…
ひとつ息をついて膝に手を当て立ち上がれば背中が曲がる。
かなりの疲労感だな。早いとこ終わらせるとするか。
瑠鶯の通報により丙を誘拐した犯人に仕立てられ、噂は野火の如く広まり外出禁止。事務所の掃除と雑用をひとりで引き受け、擁護する桃吾の出る幕は無い。
「丙とデートするなんて、やるわね」
話を聞きつけた麗子が椅子に掛けるとドレスの裾が床に着く前に、四つん這いになる男の背に彫刻のような美しい脚が伸びる。女王様は人間椅子がお好き(虐げているのではなく男は家具)だ。
「お父様が心配しているわ。このままどこか遠くへ逝ってしまわないか…まさか本気で隷属を辞めたりしないわよね?もっと心を開いて…笑って」
麗子の手を離して、笑う。
何度も居なくなりたいと思った。
消えたい
死にたい
嫌だ…嫌だ…嫌だ…叫ぶほど呪縛に苛まれる。狂って何も感じない精神状態に「なれたらいいのに」小さく呟いてもう一度、笑う。
「足抜けはダメよ」
そんなつもりは無いのが、病。
「どうして何度も繰り返すの?」
「身を挺してご案内した結果が…俺、バカですよね」
「悪心に効く薬は無いわ」
麗子は額を合わせて願いを呟く。
「瑠鶯はきっとお前を許さない。いつかお前の大切なものを奪いに来るわ」
次の瞬間、男の怒号と共に物音…
呻き声に静まり返り、また荒々しい騒動が起きる映画のワンシーンを思わせる展開に、はっと顔を上げる麗子が背中に俺を隠す。
「とめき、いるかい?」
懐かしい声に顔を覗かせると、大理石を踏みしめる草履の先がこちらに向く。
踵を返す麗子が震える相手は科戸忠興。
この人が単独で乗り込んで来るのは初めてのことだ。ああ、もう…折角掃除したのに壁まで血まみれ。ドアも額も外れて落ちるシャンデリアに目を覆うことなく倒れる人の上を歩く姿は禍々しい。
科戸忠興とは、そういう男だ。
歯を食いしばる麗子を平手打ちで払い、床に倒して俺の前に出る。
「ご用件をどうぞ」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
何しに来たんだって聞いてるのに、日本語…通じねぇーのかな…
「足抜けをするのは恐怖で支配ができないから。私が躾けてやろう」
「嫌です。お引き取り下さい」
「では、お前が良い返事を聞かせてくれるまでここで待つとしよう」
近くのスツールを引いて腰掛ける。
俺は一歩も動かんぞ!スタイルにイラッとして眉を八の字に曲げる俺と科戸さんの睨み合い。
要は俺をここから連れ出して科戸さん直々の折檻、死亡確定。
たった独りであれだけの警備を簡単に粉骨するのだから、これまでの物理攻撃とはわけが違う。いよいよ年貢の納め時ということか。
「あっちゃー派手に殺っちゃって…」
「忠興が歩いた跡は、いつも血塗られているじゃないか」
「父さんが張り切るとロクなことない。昌、生きてる?」
笑いながらこちらに向かってくるのは晃汰と青嵐。今日は親しそうにして…???
いつもと様子が違う
なんだろう、でも何が違うのか?解らない。
「青嵐?」名前を読んでも俺を見ないで晃汰と談笑している。
耳に髪をかけるそれを俺は見逃さなかった。
痣が無い…耳の裏から頭皮にかけて青い蒙古斑が広がっているはずなのに、イランイランの香りが今日に限って鼻につかない。人間、体温があるから体臭がするのに男の冷たい手から、生きた匂いはしなかった。
「お前、誰なんだ…」
「さぁ僕は誰なんだろうね?忠興、本当にいいの」
「構わない」それが合図で氷のような冷たい唇が重なり、肺が苦しいと感じる頃には意識を失っていた。
目を覚ますと、そこは見慣れた畳に如かれ…せんべい布団の中で横になっていた。
咳き込むと肺が熱くて、関節が痛む。
風邪をひいたような倦怠感と頭痛、耳まで遠くなっている。
「お帰りなさい。さぁこれを…」
科戸さんから湯飲みを受け取ると、臭い虫をすり潰したような薬湯を飲まされ、底知れぬ不味さに何度か吐き戻しながら飲み干してそのまま布団の上に倒れる。全身が悪臭が行き渡り、し、死んじまう…
「父さん!昌、しっかりして…何かされたの?」
「こ、晃汰…俺もうだめ…かも」
「くっさ!何この腐敗臭。おい、窓開けろ」
「僕とキスして死なないんだから忠興の薬湯くらい…」
「俺が死ぬんだっつーの!」
喚起をすると外の空気と入れ替わりで、湿気に混じる毒素が排出される。
男の匂いの正体は神経毒の一種。
名は劉青、通称・影武者。
六喩会の「幻」その姿は隷属ですら判別ができないほど精巧に出来ている。
時に青嵐と入れ替わり危険な状況を掻い潜り、御毒見役を担う特殊な任務を生まれながら宿命とする実の息子。自然界に存在する毒を少しずつ我が子に与え続けて胎毒を宿し、お食い初めの頃には毒の味が判る英才教育を施され、自らが毒の発生源として現在に至る。
青の一族の男子しか受け継がれない御青印(蒙古斑)は全身に施された刺青の下に隠されている。躍動感のある昇龍に巻かれた全身は健康被害に及ぶであろう広範囲だが墨・煤・朱それぞれに毒素があり皮膚下で吸収することを目的としている為、劉青にとって刺青は栄養源であり、死臭と呼ばれる匂いの基。パラジクロロベンゼンのような化学物質を放つが、本人は至って健康だ。
「本当に青嵐じゃないの?双子とか…」
「忠興は一卵性双生児だけどね」
「へぇ…でも青嵐はこの世の二人も、要らない」
さっきまで死にそうだったのに青嵐の悪口言うと生命力に溢れる、俺を不思議そうに眺める劉青の瞳の色が左右で違う虹彩異色症だと気が付く。
「色素が薄いのではなく瞳の中の血管に色素が無い。忠興も…」
「白内障じゃないんだ。見えにくいのかと思ってた」
「充血して眼が真っ赤になると少し…見えにくい…かな?」
話す時に少し傾く癖
ゆっくりと手を宛がいながら顎を引いて微笑む、寸分狂いない青嵐と瓜二つの劉青は実に穏やかで、例えるなら野に咲く青い桔梗のような凛々しさを感じる。紫の桔梗は薄くて滑らかな花弁をめくると永遠の愛が隠れていると昔、妖精の扉絵が印象的な本に書いていたことを思いだす。
丙が言っていた
「青嵐は愛の尊さに憑りつかれた哀れな男」だと、その真意は…
ここに在るのだろうか。
ひとつ息をついて膝に手を当て立ち上がれば背中が曲がる。
かなりの疲労感だな。早いとこ終わらせるとするか。
瑠鶯の通報により丙を誘拐した犯人に仕立てられ、噂は野火の如く広まり外出禁止。事務所の掃除と雑用をひとりで引き受け、擁護する桃吾の出る幕は無い。
「丙とデートするなんて、やるわね」
話を聞きつけた麗子が椅子に掛けるとドレスの裾が床に着く前に、四つん這いになる男の背に彫刻のような美しい脚が伸びる。女王様は人間椅子がお好き(虐げているのではなく男は家具)だ。
「お父様が心配しているわ。このままどこか遠くへ逝ってしまわないか…まさか本気で隷属を辞めたりしないわよね?もっと心を開いて…笑って」
麗子の手を離して、笑う。
何度も居なくなりたいと思った。
消えたい
死にたい
嫌だ…嫌だ…嫌だ…叫ぶほど呪縛に苛まれる。狂って何も感じない精神状態に「なれたらいいのに」小さく呟いてもう一度、笑う。
「足抜けはダメよ」
そんなつもりは無いのが、病。
「どうして何度も繰り返すの?」
「身を挺してご案内した結果が…俺、バカですよね」
「悪心に効く薬は無いわ」
麗子は額を合わせて願いを呟く。
「瑠鶯はきっとお前を許さない。いつかお前の大切なものを奪いに来るわ」
次の瞬間、男の怒号と共に物音…
呻き声に静まり返り、また荒々しい騒動が起きる映画のワンシーンを思わせる展開に、はっと顔を上げる麗子が背中に俺を隠す。
「とめき、いるかい?」
懐かしい声に顔を覗かせると、大理石を踏みしめる草履の先がこちらに向く。
踵を返す麗子が震える相手は科戸忠興。
この人が単独で乗り込んで来るのは初めてのことだ。ああ、もう…折角掃除したのに壁まで血まみれ。ドアも額も外れて落ちるシャンデリアに目を覆うことなく倒れる人の上を歩く姿は禍々しい。
科戸忠興とは、そういう男だ。
歯を食いしばる麗子を平手打ちで払い、床に倒して俺の前に出る。
「ご用件をどうぞ」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
何しに来たんだって聞いてるのに、日本語…通じねぇーのかな…
「足抜けをするのは恐怖で支配ができないから。私が躾けてやろう」
「嫌です。お引き取り下さい」
「では、お前が良い返事を聞かせてくれるまでここで待つとしよう」
近くのスツールを引いて腰掛ける。
俺は一歩も動かんぞ!スタイルにイラッとして眉を八の字に曲げる俺と科戸さんの睨み合い。
要は俺をここから連れ出して科戸さん直々の折檻、死亡確定。
たった独りであれだけの警備を簡単に粉骨するのだから、これまでの物理攻撃とはわけが違う。いよいよ年貢の納め時ということか。
「あっちゃー派手に殺っちゃって…」
「忠興が歩いた跡は、いつも血塗られているじゃないか」
「父さんが張り切るとロクなことない。昌、生きてる?」
笑いながらこちらに向かってくるのは晃汰と青嵐。今日は親しそうにして…???
いつもと様子が違う
なんだろう、でも何が違うのか?解らない。
「青嵐?」名前を読んでも俺を見ないで晃汰と談笑している。
耳に髪をかけるそれを俺は見逃さなかった。
痣が無い…耳の裏から頭皮にかけて青い蒙古斑が広がっているはずなのに、イランイランの香りが今日に限って鼻につかない。人間、体温があるから体臭がするのに男の冷たい手から、生きた匂いはしなかった。
「お前、誰なんだ…」
「さぁ僕は誰なんだろうね?忠興、本当にいいの」
「構わない」それが合図で氷のような冷たい唇が重なり、肺が苦しいと感じる頃には意識を失っていた。
目を覚ますと、そこは見慣れた畳に如かれ…せんべい布団の中で横になっていた。
咳き込むと肺が熱くて、関節が痛む。
風邪をひいたような倦怠感と頭痛、耳まで遠くなっている。
「お帰りなさい。さぁこれを…」
科戸さんから湯飲みを受け取ると、臭い虫をすり潰したような薬湯を飲まされ、底知れぬ不味さに何度か吐き戻しながら飲み干してそのまま布団の上に倒れる。全身が悪臭が行き渡り、し、死んじまう…
「父さん!昌、しっかりして…何かされたの?」
「こ、晃汰…俺もうだめ…かも」
「くっさ!何この腐敗臭。おい、窓開けろ」
「僕とキスして死なないんだから忠興の薬湯くらい…」
「俺が死ぬんだっつーの!」
喚起をすると外の空気と入れ替わりで、湿気に混じる毒素が排出される。
男の匂いの正体は神経毒の一種。
名は劉青、通称・影武者。
六喩会の「幻」その姿は隷属ですら判別ができないほど精巧に出来ている。
時に青嵐と入れ替わり危険な状況を掻い潜り、御毒見役を担う特殊な任務を生まれながら宿命とする実の息子。自然界に存在する毒を少しずつ我が子に与え続けて胎毒を宿し、お食い初めの頃には毒の味が判る英才教育を施され、自らが毒の発生源として現在に至る。
青の一族の男子しか受け継がれない御青印(蒙古斑)は全身に施された刺青の下に隠されている。躍動感のある昇龍に巻かれた全身は健康被害に及ぶであろう広範囲だが墨・煤・朱それぞれに毒素があり皮膚下で吸収することを目的としている為、劉青にとって刺青は栄養源であり、死臭と呼ばれる匂いの基。パラジクロロベンゼンのような化学物質を放つが、本人は至って健康だ。
「本当に青嵐じゃないの?双子とか…」
「忠興は一卵性双生児だけどね」
「へぇ…でも青嵐はこの世の二人も、要らない」
さっきまで死にそうだったのに青嵐の悪口言うと生命力に溢れる、俺を不思議そうに眺める劉青の瞳の色が左右で違う虹彩異色症だと気が付く。
「色素が薄いのではなく瞳の中の血管に色素が無い。忠興も…」
「白内障じゃないんだ。見えにくいのかと思ってた」
「充血して眼が真っ赤になると少し…見えにくい…かな?」
話す時に少し傾く癖
ゆっくりと手を宛がいながら顎を引いて微笑む、寸分狂いない青嵐と瓜二つの劉青は実に穏やかで、例えるなら野に咲く青い桔梗のような凛々しさを感じる。紫の桔梗は薄くて滑らかな花弁をめくると永遠の愛が隠れていると昔、妖精の扉絵が印象的な本に書いていたことを思いだす。
丙が言っていた
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