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魔王アリスフィリアと愛憎の勇者<後編>
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*
勇者は宣言通り、隙を見てはアリスフィリアの命を狙った。
しかし、隙をついても魔王は手ごわく、あっけなく退けられてしまう。
一方、毎日命を狙われているのにもかかわらず、アリスフィリアの態度は変わらなかった。
少女のような屈託のない笑顔を常に彼へと向け、今日はこれがしたい、今日はあそこに一緒に行きたい、と本当の恋人のように付きまとってくる。
例え一刻前、彼に腹を貫かれ、血まみれになっていたとしても、愛おしそうに彼の髪を撫で、頬に触れ、彼から憎しみのこもった視線を向けられると頬を赤くして俯くのだ。
(あれほどの力なら、俺など簡単に殺せるはず。それなのに、初めに交わした約束を律儀に守っているなんて……本気なのか?)
花畑の中でサンドイッチを頬張るアリスフィリアの横顔を盗み見ながら思う。
頬にパンの欠片をつけながら食べる姿は、ただの無害な女性にしか見えない。彼の視線に気づいたのか、アリスフィリアの瞳が向けられた。
自分に常に命を狙われている者とは思えない、幸せそうに緩んだ目元。
この表情を向けられると、何故か心の奥が落ち着かなくなる。
どこかで同じ顔を、同じ想いをした気がする。
記憶にはないはずなのに。
(俺は魔王を殺し……世界に平和をもたらす存在のはず……なのに……)
頬に上がってくる熱量に戸惑いながら、手に握っていたサンドイッチを握りつぶした。
*
「ねえ、何で最近私を殺そうとしないの?」
乱れたシーツの上で、アリスフィリアが尋ねた。
勇者である彼がアリスフィリアとともに過ごすようになってから、どれだけ時間が過ぎただろう。
自分の気持ちも、
彼女への気持ちも、
全てが分からなくなっていた。
首筋に赤い痕をつけた彼女が、彼を覗き込む。
アリスフィリアの問いに、罪悪感が心一杯に広がった。喉の奥が詰まって言葉が出ない。
勇者は身体を起こすと脱ぎ捨てていた服を引っ掴み、ベッドから下りて着替えだした。
「どうしたの? ねえ?」
服を着ながら、アリスフィリアが再び問う。
心に留めておけなくなった罪悪感が、言葉となって勇者の口から零れだした。
「……お前を愛してしまった……かもしれない」
「え?」
息を飲む音と短く漏れた驚きの声。
勇者が振り返ると、大きく瞳を見開くアリスフィリアの姿があった。
(驚くのも無理はない……)
自分は、彼女を決して愛さないと公言していたのだから。
今まで秘めていた想いが、言葉の洪水となって吐き出される。
「俺だって理解できないっ! 何故日に日に、お前を愛おしく思う気持ちが強くなっていくのか……失いたくないと思ってしまうのかっ‼ この世界を崩壊させ、人々を殺し、俺の大切なものを奪ったお前を、何故殺したくないと思うのかがっ‼」
膝から崩れ落ちると、勇者は両手で顔を覆った。
その時、
「私を……愛してくれたの?」
すぐ傍に聞こえた声に、勇者はハッと顔をあげた。
視線の先には、床に膝をつき、彼と視線を同じにしたアリスフィリアの姿があった。彼の両肩に、小さな手が乗る。
その温もりに導かれるように、勇者は小さく頷いた。
「……ああ、そうだ」
「そっか……ありがとう、私を愛してくれて。とっても……嬉しい……」
虹色の瞳が細められ、何度も口づけた柔らかな唇が優しい微笑みを作った。
世界を裏切った罪悪感が、魔王の美しい微笑みによって溶かされていく。つられて笑おうと勇者が口元を緩めた瞬間、
視界がぐらりと歪んだ。
アリスフィリアの顔が上下逆さまになったかと思うと、自分の意思とは関係なく視界が彼女の胸、腰、足、足先に移動する。
何が起こったのか分からなかった。
ただ、座っている体勢では決してあり得ない方向から見える、アリスフィリアの足先を見つめながら、薄れゆく意識の中で彼女の最後の言葉を聞いた。
「でもごめんなさい。私を愛したあなたに……もう興味がないの」
*
アリスフィリアは、床に転がる勇者の頭を見つめていた。少し遅れて、頭部を失った身体が崩れ落ちるように床に倒れる。
彼女が彼の首を刎ねたのだ。
しかし不思議なことに、切り離された頭部からも身体からも一滴も血が出ていない。
アリスフィリアは鼻歌を歌いながら、転がっている頭を手に取り、うなじ部分を見た。
そこに書かれている数字を読み上げる。
「ふうん『102』か。ってことは、お名前は102号さんね?」
誰に聞かせることなく呟くと、女の細腕で運ぶには大変そうな彼の身体を、ずりずりと引きずっていく。
彼女がやって来たのは、寝室の奥にある大きな扉だった。
アリスフィリアは右手で勇者の頭部を抱えながら、左手で彼の身体を引きずり、扉の向こうにある長い階段を下りていく。
階段の先にあったのは、魔力の水で満たされた大きな水槽。
水面に浮かぶのは、無数の首のない男の身体と頭部。
今、彼女が左手で引きずっている勇者と同じ顔の――
アリスフィリアは彼の肉体を無造作に水槽の中に放り込んだ。
大きな水しぶきがあがり、しばらくすると彼の肉体が水面に浮かび上がった。
一仕事終えたとばかりに大きく息を吐き出すと、右手に残った頭部を自分の前に持ってくる。
目を見開いたまま絶命した勇者の瞳を見つめながら、優しく囁いた。
「あなたは私を愛しちゃ駄目なの『102号』さん。私をずっと憎んでくれなきゃ駄目だったのよ」
*
薄暗い部屋。
水で満たされた水槽に、一人の男が浮かんでいる。
《彼》の足元に一人の女性がいた。
彼女が動くたびに、《彼》の唇から小さなうめき声が上がるが、女性は一瞥すらしない。
慣れた手つきでメスを操り、膝から先のない《彼》の足から肉の一部を削いでいく。
その時、綺麗に並べられていた魔法石の一つが割れた。女性は削いだ肉を銀色のトレイに移しながら興味のない様子で《彼》に告げる。
「……失敗したようですね」
「そのよう……だな」
「また新たな勇者を送り込まなければいけませんね」
女性は、ピンセットで摘まんだ男の肉を、近くにあった縦型の水槽に沈めた。そして、横にならぶ他の水槽を見つめながら笑う。
水で満たされた水槽の中で身体を丸めて眠り続ける勇者たちの姿を――
彼らを映す瞳からは、人間のもつ倫理観や道徳観など微塵も感じられない。
女性は水槽の一つに触れながら、肉を削ぎ落した男に問いかけた。
「さあ、次はどれにしますか? ……勇者様」
彼女を見つめ返す男の顔は、水槽の中で眠る彼らと同じだった。
*
魔法で映しだした映像を、《彼》は見つめていた。
そこには復活した魔物たちが、人々を蹂躙する光景が映し出されている。
勇者が死んだことで、アリスフィリアは再び人間を侵略し始めたのだ。
魔物たちの背後に、美しい女性が映りこんだ。
まるで穢れを知らない少女のような美しい瞳を細めながら、逃げ惑う人間たちを見て笑っている。
「アリス……」
奥歯を噛みしめながら、かつて共に旅をし、愛した聖女の名を呼ぶ。
《彼》は勇者だった。
突如現れた魔王フィリアが世界から平和を奪った時、特別な力を持っていた《彼》は神から力を与えられた勇者として祭り上げられ、《彼》と同じように膨大な魔力を有する聖女――アリスとともに魔王討伐の旅に出たのだ。
やがて二人は惹かれ合い、愛を誓い合う仲となる。
そして迎えた最後の戦い。
魔王フィリアを弱らせることに成功したのだが、消滅させるには至らなかった。
このままだと逃げられてしまうと悟ったアリスは、自身の肉体と魔力、魂までも捧げ、魔王をその身に封印し、《彼》に自身の肉体ごと滅するように願う。
《彼》は彼女の最期の願いを叶えた。
自身の無力感に嘆きながら、愛する人を手にかけた。
しかし数年後、魔王は復活する。
聖女アリスの肉体と魂を奪い、融合し、新たな魔王アリスフィリアとして――
再び勇者として魔王と対峙した《彼》だったが、アリスフィリアの力は増大しており、もはや太刀打ちできるものではなかった。
今度こそ、世界は魔王によって滅ぼされると思ったが、アリスフィリアには魔王フィリアだった頃にはなかった弱点が一つあったのだ。
それが、
『魔王アリスフィリアは彼女を憎む勇者に恋をしている間、決して彼を殺さない』
恐らく聖女アリスが最期の抵抗にかけた、魔王への制約だったのだろう。
最期の最後まで、彼女はこの世界のために力を尽くしたのだ。
アリスフィリアと対峙後、《彼》の身体にも変化が起こっていた。
彼の肉体は老いることなく、さらに切り離された肉体の一部を適切に培養すれば、彼の複製を作ることが出来るようになっていたのだ。
勇者としての力を持つ者は、この世界で《彼》一人。
《彼》を失えば、もはや世界の滅亡が決まったのと同じ。
だから《彼》は、この呪いをアリスからのギフトだと思った。
《彼》の複製を作り、
魔王アリスフィリアに送り込み、殺すためのギフトだと――
「勇者様、準備ができました。今から記憶継承の儀を始めます」
《彼》を呼ぶ声が聞こえたのと同時に、映像を消し去った。
そして、先ほどの女性が差し出したヘルメットを受け取り被る。ヘルメットのてっぺんには、《彼》の記憶を複製に移すために作られた魔法石がつけられていた。
複製は《彼》と同じ能力と容姿を有している。
違うのは、切られても血を流さず、記憶を一切持たない点だろう。
だからこうして、《彼》の記憶を魔法石を通し、勇者として必要なだけの記憶を――アリスフィリアによって世界が蹂躙され、自分の大切なものを奪われた記憶を与えるのだ。
複製であることを悟られないために。
(アリスフィリアを憎む記憶しか与えていないはずなのに、どうして愛してしまう? どうして……)
例え複製に、愛すると殺される、と伝えても、最後にはアリスフィリアを愛し、殺されるのだ。
それが不思議で堪らなかった。
しかし《彼》の思考は、頭の上で魔力を集めて熱くなる魔法石によって中断させられた。
瞳を閉じ、思い出す。
魔王となったアリスが、自分の生まれ育った村を破壊していく姿を。
自分やアリスの家族、友人たちを、まるでおもちゃのように弄び、殺す姿を。
守ったはずの世界に火の手が上がり、人々の悲鳴が響き渡った様を。
それをただ見ているしかなかった、自分の無力さ、愚かさを。
そして――
(……憎め)
魔王アリスフィリアの姿を思い出す。
憎しみの感情をのせていく。
(……憎め……憎め、憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎めっ‼ あの女を……全てを奪ったあの女を……憎めっ‼)
アリスフィリアの姿が揺らぎ、優しく微笑む聖女アリスの姿が浮かび上がった。
もう二度と会うことのできない、愛しい人の姿に、涙が滲み、口の中に広がる血の臭いが鼻を通り抜けていく。
アリスは、誰よりも平和を望んでいた。
その身を犠牲にしてまでも、人々に尽くした。
そんな彼女が魔王となって災厄をもたらしているなど、決して、決して許せなかった。
愛する人を安らかに眠らせたかった。
それがあの日、世界のためだと彼女の命を奪った自分に出来る、最大の贖罪。
(彼女を愛しているなら……憎め。彼女を憎み……)
――殺せ。
目の前の複製が、ゆっくりと目を開けた。
103番目の新たな勇者が誕生した瞬間だった。
*
魔王城の頂上。
闇に包まれる世界の中、アリスフィリアはいた。
屋根に腰を下ろし、ブラブラと両足を揺らしている。
その腕の中には、彼女が『102号』と呼んでいた勇者の頭部が抱きしめられていた。
懐かしくて、切なくて、少しだけ辛い――
そんな気持ちを振り払うように、アリスフィリアは抱きしめていた勇者の頭部を自分の前に掲げた。瞼は閉じられたそれが彼女を見つめ返すことはない。
アリスフィリアは満足そうに笑う。
しかし笑みはすぐに消え、目の前の勇者の亡骸を泣きそうな表情で見つめる
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
呪文のように繰り返される謝罪の言葉。
それが止まったと同時に、彼女の目尻から一筋の涙が零れた。
震える唇がそっと言葉を紡ぐ
「どうか……私を愛さないで……どうか私を……憎んで……どうかわたし……を……」
――殺して。
冷たく硬くなった彼の唇に、彼女の温かい唇が触れた。
次の瞬間、
「あれ? 私、何で泣いているんだろ?」
泣きそうだった表情は消え、不思議そうに涙を拭う魔王がいた。
しかしすぐさま先ほどの笑みに戻ると、残酷な光を瞳に宿しながら世界を見下ろしていた。
魔王の闇深い意識の隙間で、彼女は待ち続ける。
愛した男が自分を本当に憎み、殺してくれるその日をずっと――
《完》
勇者は宣言通り、隙を見てはアリスフィリアの命を狙った。
しかし、隙をついても魔王は手ごわく、あっけなく退けられてしまう。
一方、毎日命を狙われているのにもかかわらず、アリスフィリアの態度は変わらなかった。
少女のような屈託のない笑顔を常に彼へと向け、今日はこれがしたい、今日はあそこに一緒に行きたい、と本当の恋人のように付きまとってくる。
例え一刻前、彼に腹を貫かれ、血まみれになっていたとしても、愛おしそうに彼の髪を撫で、頬に触れ、彼から憎しみのこもった視線を向けられると頬を赤くして俯くのだ。
(あれほどの力なら、俺など簡単に殺せるはず。それなのに、初めに交わした約束を律儀に守っているなんて……本気なのか?)
花畑の中でサンドイッチを頬張るアリスフィリアの横顔を盗み見ながら思う。
頬にパンの欠片をつけながら食べる姿は、ただの無害な女性にしか見えない。彼の視線に気づいたのか、アリスフィリアの瞳が向けられた。
自分に常に命を狙われている者とは思えない、幸せそうに緩んだ目元。
この表情を向けられると、何故か心の奥が落ち着かなくなる。
どこかで同じ顔を、同じ想いをした気がする。
記憶にはないはずなのに。
(俺は魔王を殺し……世界に平和をもたらす存在のはず……なのに……)
頬に上がってくる熱量に戸惑いながら、手に握っていたサンドイッチを握りつぶした。
*
「ねえ、何で最近私を殺そうとしないの?」
乱れたシーツの上で、アリスフィリアが尋ねた。
勇者である彼がアリスフィリアとともに過ごすようになってから、どれだけ時間が過ぎただろう。
自分の気持ちも、
彼女への気持ちも、
全てが分からなくなっていた。
首筋に赤い痕をつけた彼女が、彼を覗き込む。
アリスフィリアの問いに、罪悪感が心一杯に広がった。喉の奥が詰まって言葉が出ない。
勇者は身体を起こすと脱ぎ捨てていた服を引っ掴み、ベッドから下りて着替えだした。
「どうしたの? ねえ?」
服を着ながら、アリスフィリアが再び問う。
心に留めておけなくなった罪悪感が、言葉となって勇者の口から零れだした。
「……お前を愛してしまった……かもしれない」
「え?」
息を飲む音と短く漏れた驚きの声。
勇者が振り返ると、大きく瞳を見開くアリスフィリアの姿があった。
(驚くのも無理はない……)
自分は、彼女を決して愛さないと公言していたのだから。
今まで秘めていた想いが、言葉の洪水となって吐き出される。
「俺だって理解できないっ! 何故日に日に、お前を愛おしく思う気持ちが強くなっていくのか……失いたくないと思ってしまうのかっ‼ この世界を崩壊させ、人々を殺し、俺の大切なものを奪ったお前を、何故殺したくないと思うのかがっ‼」
膝から崩れ落ちると、勇者は両手で顔を覆った。
その時、
「私を……愛してくれたの?」
すぐ傍に聞こえた声に、勇者はハッと顔をあげた。
視線の先には、床に膝をつき、彼と視線を同じにしたアリスフィリアの姿があった。彼の両肩に、小さな手が乗る。
その温もりに導かれるように、勇者は小さく頷いた。
「……ああ、そうだ」
「そっか……ありがとう、私を愛してくれて。とっても……嬉しい……」
虹色の瞳が細められ、何度も口づけた柔らかな唇が優しい微笑みを作った。
世界を裏切った罪悪感が、魔王の美しい微笑みによって溶かされていく。つられて笑おうと勇者が口元を緩めた瞬間、
視界がぐらりと歪んだ。
アリスフィリアの顔が上下逆さまになったかと思うと、自分の意思とは関係なく視界が彼女の胸、腰、足、足先に移動する。
何が起こったのか分からなかった。
ただ、座っている体勢では決してあり得ない方向から見える、アリスフィリアの足先を見つめながら、薄れゆく意識の中で彼女の最後の言葉を聞いた。
「でもごめんなさい。私を愛したあなたに……もう興味がないの」
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アリスフィリアは、床に転がる勇者の頭を見つめていた。少し遅れて、頭部を失った身体が崩れ落ちるように床に倒れる。
彼女が彼の首を刎ねたのだ。
しかし不思議なことに、切り離された頭部からも身体からも一滴も血が出ていない。
アリスフィリアは鼻歌を歌いながら、転がっている頭を手に取り、うなじ部分を見た。
そこに書かれている数字を読み上げる。
「ふうん『102』か。ってことは、お名前は102号さんね?」
誰に聞かせることなく呟くと、女の細腕で運ぶには大変そうな彼の身体を、ずりずりと引きずっていく。
彼女がやって来たのは、寝室の奥にある大きな扉だった。
アリスフィリアは右手で勇者の頭部を抱えながら、左手で彼の身体を引きずり、扉の向こうにある長い階段を下りていく。
階段の先にあったのは、魔力の水で満たされた大きな水槽。
水面に浮かぶのは、無数の首のない男の身体と頭部。
今、彼女が左手で引きずっている勇者と同じ顔の――
アリスフィリアは彼の肉体を無造作に水槽の中に放り込んだ。
大きな水しぶきがあがり、しばらくすると彼の肉体が水面に浮かび上がった。
一仕事終えたとばかりに大きく息を吐き出すと、右手に残った頭部を自分の前に持ってくる。
目を見開いたまま絶命した勇者の瞳を見つめながら、優しく囁いた。
「あなたは私を愛しちゃ駄目なの『102号』さん。私をずっと憎んでくれなきゃ駄目だったのよ」
*
薄暗い部屋。
水で満たされた水槽に、一人の男が浮かんでいる。
《彼》の足元に一人の女性がいた。
彼女が動くたびに、《彼》の唇から小さなうめき声が上がるが、女性は一瞥すらしない。
慣れた手つきでメスを操り、膝から先のない《彼》の足から肉の一部を削いでいく。
その時、綺麗に並べられていた魔法石の一つが割れた。女性は削いだ肉を銀色のトレイに移しながら興味のない様子で《彼》に告げる。
「……失敗したようですね」
「そのよう……だな」
「また新たな勇者を送り込まなければいけませんね」
女性は、ピンセットで摘まんだ男の肉を、近くにあった縦型の水槽に沈めた。そして、横にならぶ他の水槽を見つめながら笑う。
水で満たされた水槽の中で身体を丸めて眠り続ける勇者たちの姿を――
彼らを映す瞳からは、人間のもつ倫理観や道徳観など微塵も感じられない。
女性は水槽の一つに触れながら、肉を削ぎ落した男に問いかけた。
「さあ、次はどれにしますか? ……勇者様」
彼女を見つめ返す男の顔は、水槽の中で眠る彼らと同じだった。
*
魔法で映しだした映像を、《彼》は見つめていた。
そこには復活した魔物たちが、人々を蹂躙する光景が映し出されている。
勇者が死んだことで、アリスフィリアは再び人間を侵略し始めたのだ。
魔物たちの背後に、美しい女性が映りこんだ。
まるで穢れを知らない少女のような美しい瞳を細めながら、逃げ惑う人間たちを見て笑っている。
「アリス……」
奥歯を噛みしめながら、かつて共に旅をし、愛した聖女の名を呼ぶ。
《彼》は勇者だった。
突如現れた魔王フィリアが世界から平和を奪った時、特別な力を持っていた《彼》は神から力を与えられた勇者として祭り上げられ、《彼》と同じように膨大な魔力を有する聖女――アリスとともに魔王討伐の旅に出たのだ。
やがて二人は惹かれ合い、愛を誓い合う仲となる。
そして迎えた最後の戦い。
魔王フィリアを弱らせることに成功したのだが、消滅させるには至らなかった。
このままだと逃げられてしまうと悟ったアリスは、自身の肉体と魔力、魂までも捧げ、魔王をその身に封印し、《彼》に自身の肉体ごと滅するように願う。
《彼》は彼女の最期の願いを叶えた。
自身の無力感に嘆きながら、愛する人を手にかけた。
しかし数年後、魔王は復活する。
聖女アリスの肉体と魂を奪い、融合し、新たな魔王アリスフィリアとして――
再び勇者として魔王と対峙した《彼》だったが、アリスフィリアの力は増大しており、もはや太刀打ちできるものではなかった。
今度こそ、世界は魔王によって滅ぼされると思ったが、アリスフィリアには魔王フィリアだった頃にはなかった弱点が一つあったのだ。
それが、
『魔王アリスフィリアは彼女を憎む勇者に恋をしている間、決して彼を殺さない』
恐らく聖女アリスが最期の抵抗にかけた、魔王への制約だったのだろう。
最期の最後まで、彼女はこの世界のために力を尽くしたのだ。
アリスフィリアと対峙後、《彼》の身体にも変化が起こっていた。
彼の肉体は老いることなく、さらに切り離された肉体の一部を適切に培養すれば、彼の複製を作ることが出来るようになっていたのだ。
勇者としての力を持つ者は、この世界で《彼》一人。
《彼》を失えば、もはや世界の滅亡が決まったのと同じ。
だから《彼》は、この呪いをアリスからのギフトだと思った。
《彼》の複製を作り、
魔王アリスフィリアに送り込み、殺すためのギフトだと――
「勇者様、準備ができました。今から記憶継承の儀を始めます」
《彼》を呼ぶ声が聞こえたのと同時に、映像を消し去った。
そして、先ほどの女性が差し出したヘルメットを受け取り被る。ヘルメットのてっぺんには、《彼》の記憶を複製に移すために作られた魔法石がつけられていた。
複製は《彼》と同じ能力と容姿を有している。
違うのは、切られても血を流さず、記憶を一切持たない点だろう。
だからこうして、《彼》の記憶を魔法石を通し、勇者として必要なだけの記憶を――アリスフィリアによって世界が蹂躙され、自分の大切なものを奪われた記憶を与えるのだ。
複製であることを悟られないために。
(アリスフィリアを憎む記憶しか与えていないはずなのに、どうして愛してしまう? どうして……)
例え複製に、愛すると殺される、と伝えても、最後にはアリスフィリアを愛し、殺されるのだ。
それが不思議で堪らなかった。
しかし《彼》の思考は、頭の上で魔力を集めて熱くなる魔法石によって中断させられた。
瞳を閉じ、思い出す。
魔王となったアリスが、自分の生まれ育った村を破壊していく姿を。
自分やアリスの家族、友人たちを、まるでおもちゃのように弄び、殺す姿を。
守ったはずの世界に火の手が上がり、人々の悲鳴が響き渡った様を。
それをただ見ているしかなかった、自分の無力さ、愚かさを。
そして――
(……憎め)
魔王アリスフィリアの姿を思い出す。
憎しみの感情をのせていく。
(……憎め……憎め、憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎めっ‼ あの女を……全てを奪ったあの女を……憎めっ‼)
アリスフィリアの姿が揺らぎ、優しく微笑む聖女アリスの姿が浮かび上がった。
もう二度と会うことのできない、愛しい人の姿に、涙が滲み、口の中に広がる血の臭いが鼻を通り抜けていく。
アリスは、誰よりも平和を望んでいた。
その身を犠牲にしてまでも、人々に尽くした。
そんな彼女が魔王となって災厄をもたらしているなど、決して、決して許せなかった。
愛する人を安らかに眠らせたかった。
それがあの日、世界のためだと彼女の命を奪った自分に出来る、最大の贖罪。
(彼女を愛しているなら……憎め。彼女を憎み……)
――殺せ。
目の前の複製が、ゆっくりと目を開けた。
103番目の新たな勇者が誕生した瞬間だった。
*
魔王城の頂上。
闇に包まれる世界の中、アリスフィリアはいた。
屋根に腰を下ろし、ブラブラと両足を揺らしている。
その腕の中には、彼女が『102号』と呼んでいた勇者の頭部が抱きしめられていた。
懐かしくて、切なくて、少しだけ辛い――
そんな気持ちを振り払うように、アリスフィリアは抱きしめていた勇者の頭部を自分の前に掲げた。瞼は閉じられたそれが彼女を見つめ返すことはない。
アリスフィリアは満足そうに笑う。
しかし笑みはすぐに消え、目の前の勇者の亡骸を泣きそうな表情で見つめる
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
呪文のように繰り返される謝罪の言葉。
それが止まったと同時に、彼女の目尻から一筋の涙が零れた。
震える唇がそっと言葉を紡ぐ
「どうか……私を愛さないで……どうか私を……憎んで……どうかわたし……を……」
――殺して。
冷たく硬くなった彼の唇に、彼女の温かい唇が触れた。
次の瞬間、
「あれ? 私、何で泣いているんだろ?」
泣きそうだった表情は消え、不思議そうに涙を拭う魔王がいた。
しかしすぐさま先ほどの笑みに戻ると、残酷な光を瞳に宿しながら世界を見下ろしていた。
魔王の闇深い意識の隙間で、彼女は待ち続ける。
愛した男が自分を本当に憎み、殺してくれるその日をずっと――
《完》
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ありがとうございました!