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第三章 クロエは振り子を二度揺らす
84 パリステラ家の消滅
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パリステラ家の処刑が終わった。
呆気なく首が飛ぶ様子は、料理人が朝食のハムを切っているみたいになんの感情も乗っていなくて、クロエは笑いさえ込み上げてきた。
クロエは王族の近くの席で、隣にはユリウスが座って、二人並んで断頭台を眺めていた。
処刑の様子に彼女は特に感想は持たなかった。ただ、目の前で流れる景色を見ているだけだ。
しかし、父親の首が落ちた瞬間、なぜだか急激に視界がぼやけてしまった。意味が分からなくて不思議に思っていると、隣からすっと影が伸びて来て、再び視界が晴れた。
見ると、ユリウスが湿ったハンカチを持っていた。
刹那、彼女の胸の奥から、長いあいだ閉じ込めていた感情が溢れて来る。
普通の家族でいたかった。
父に、自分のことを……そして、母のことを愛して欲しかった。
普通に育って、普通に成長して、自分も普通に婚約者と結婚をして、また普通の家庭を築く。
それは、地味でも派手でもない……そんな普通の人生が良かった。
でも、彼女の望むものは、もう二度と手に入らない。
◆◆◆
パリステラ家は静寂に包まれていた。
あんなに大勢いた使用人たちは一人もいなくなって、今では時おり王家の使いの者が出入りするくらいだった。
家門は消滅したので、これまでパリステラ家が所有してい財産の全てが王家のものとなる。
ただし、クロエの私物は今も彼女の所有物で構わないと国王が慈悲を与えてくれた。
彼女は今、引っ越しの準備に取り掛かっていた。……といっても、帝国へ持ってくものをただ選別しているだけだが。
国王は約束通り王命を出して、クロエとユリウスの婚約が正式に決定した。
彼女は、王弟であるウェスト公爵家に養子に入り、クロエ・ウェスト公爵令嬢として皇室に輿入れすることとなった。
聖女が無事に呪われたパリステラ家から切り離され、更には帝国の皇子と婚約したことは、貴族からも平民からも祝福された。
特に平民たちの喜びようは凄まじいものがあった。
王都では、婚約を記念したパンや絵皿などが販売されて、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
パリステラ家は歴史上最悪の家門になってしまったが、聖女・クロエだけは奇跡的に救われたのだ。
それは、彼女だけは信仰にあつく、そして我欲を捨てて善行を積んだからだと、平民たちの間で寓話のように語られていた。
一方で、貴族たちも、パリステラ家が窮地に陥ったときはあれほどクロエを冷遇していたのに、公爵令嬢となった彼女に対して、大いに持て囃していたのだった。
そんな様子をクロエは他人事のように見ていた。
彼女は、粛々と帝国へ向かう準備を進める。
これは王命だ……仕方ない。
名に背くのは、即ち反逆罪。だから、差し当たりは唯々諾々と従う素振りを見せるしかないだろう。
あと少し待てば、再び時間は動き始めるのだから。
「クロエ、母君の持ち物は全て持って行くだろう?」
「……えぇ」
処刑の日以来、ユリウスは常にクロエの側にいた。
彼は今度こそ彼女を逃しまいと、しつこいくらいに四六時中くっついていた。
今は諸々の手続きや引越しの準備、パリステラ家の屋敷や領地の処理で大忙しだ。
彼は、肉親が一人もいなくなってしまった彼女を守るように、交渉や執務を請け負っていたのだった。
彼女も特に不満を言うこともなく、彼と一緒にいたが、その大人しい様子が却って不気味に思えた。なにか企みがあって、自分を油断させて失踪するのではないかと、彼は一抹の不安を覚えたのだ。
だが、彼女の様子を注意深く観察していると、それは取り越し苦労のようで、彼は安堵した。
もう少しだ。
もう少しで、今度こそクロエと結ばれる。
そう思うと、妙に気分が高揚してきた。
あとちょっとで、逆行前に過ごした時間を越える。
あの、クロエの心の叫びのような大きな嵐が過ぎたら……次は快晴が待っているはずだ。
それからの二人は、平穏な日々を送っていた。
領地の諸々の手続きや引き継ぎは少しばかり骨が折れたが、雇っていた使用人たちも無事に他の職場を見つけることができて、残すは帝国へ向かうだけとなった。
クロエは、最後にパリステラ家の本邸の中を歩く。
正直言うと、悪い思い出ばかりだった。暗い景色は、己の胸の奥をじくじくと刺して来る。
でも、もう薄れかけた過去の記憶の中に、大好きな母と過ごした思い出も微かに残っていた。
それだけが、彼女の宝物だった。
「……帝国には、嵐が過ぎ去ってから行こう」
「……分かったわ」
クロエの返事に、ユリウスはほっと胸を撫で下ろす。
あの嵐の日は、忘れようがなかった。
馬車の中でクロエを見つけて、思わず彼女を追って、鐘塔に着いて――……。
そのときだった。
出し抜けに、ガシャリ――と、窓ガラスが割れる音が聞こえた。
慌てて現場であるバルコニーまで向かうと、窓の向こう側には信じられない光景が広がっていた。
「聖女――いや、偽聖女を出せーっ!!」
「あの女は魔女よ! この人殺し!」
「今までよくもオレたちを騙してくれたな!」
パリステラ家の前には、武器を持った大勢の平民たちが、集結していたのだ。
彼は一様に眉を吊り上げて、聖女――クロエをきつく睨め付けていた。
呆気なく首が飛ぶ様子は、料理人が朝食のハムを切っているみたいになんの感情も乗っていなくて、クロエは笑いさえ込み上げてきた。
クロエは王族の近くの席で、隣にはユリウスが座って、二人並んで断頭台を眺めていた。
処刑の様子に彼女は特に感想は持たなかった。ただ、目の前で流れる景色を見ているだけだ。
しかし、父親の首が落ちた瞬間、なぜだか急激に視界がぼやけてしまった。意味が分からなくて不思議に思っていると、隣からすっと影が伸びて来て、再び視界が晴れた。
見ると、ユリウスが湿ったハンカチを持っていた。
刹那、彼女の胸の奥から、長いあいだ閉じ込めていた感情が溢れて来る。
普通の家族でいたかった。
父に、自分のことを……そして、母のことを愛して欲しかった。
普通に育って、普通に成長して、自分も普通に婚約者と結婚をして、また普通の家庭を築く。
それは、地味でも派手でもない……そんな普通の人生が良かった。
でも、彼女の望むものは、もう二度と手に入らない。
◆◆◆
パリステラ家は静寂に包まれていた。
あんなに大勢いた使用人たちは一人もいなくなって、今では時おり王家の使いの者が出入りするくらいだった。
家門は消滅したので、これまでパリステラ家が所有してい財産の全てが王家のものとなる。
ただし、クロエの私物は今も彼女の所有物で構わないと国王が慈悲を与えてくれた。
彼女は今、引っ越しの準備に取り掛かっていた。……といっても、帝国へ持ってくものをただ選別しているだけだが。
国王は約束通り王命を出して、クロエとユリウスの婚約が正式に決定した。
彼女は、王弟であるウェスト公爵家に養子に入り、クロエ・ウェスト公爵令嬢として皇室に輿入れすることとなった。
聖女が無事に呪われたパリステラ家から切り離され、更には帝国の皇子と婚約したことは、貴族からも平民からも祝福された。
特に平民たちの喜びようは凄まじいものがあった。
王都では、婚約を記念したパンや絵皿などが販売されて、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
パリステラ家は歴史上最悪の家門になってしまったが、聖女・クロエだけは奇跡的に救われたのだ。
それは、彼女だけは信仰にあつく、そして我欲を捨てて善行を積んだからだと、平民たちの間で寓話のように語られていた。
一方で、貴族たちも、パリステラ家が窮地に陥ったときはあれほどクロエを冷遇していたのに、公爵令嬢となった彼女に対して、大いに持て囃していたのだった。
そんな様子をクロエは他人事のように見ていた。
彼女は、粛々と帝国へ向かう準備を進める。
これは王命だ……仕方ない。
名に背くのは、即ち反逆罪。だから、差し当たりは唯々諾々と従う素振りを見せるしかないだろう。
あと少し待てば、再び時間は動き始めるのだから。
「クロエ、母君の持ち物は全て持って行くだろう?」
「……えぇ」
処刑の日以来、ユリウスは常にクロエの側にいた。
彼は今度こそ彼女を逃しまいと、しつこいくらいに四六時中くっついていた。
今は諸々の手続きや引越しの準備、パリステラ家の屋敷や領地の処理で大忙しだ。
彼は、肉親が一人もいなくなってしまった彼女を守るように、交渉や執務を請け負っていたのだった。
彼女も特に不満を言うこともなく、彼と一緒にいたが、その大人しい様子が却って不気味に思えた。なにか企みがあって、自分を油断させて失踪するのではないかと、彼は一抹の不安を覚えたのだ。
だが、彼女の様子を注意深く観察していると、それは取り越し苦労のようで、彼は安堵した。
もう少しだ。
もう少しで、今度こそクロエと結ばれる。
そう思うと、妙に気分が高揚してきた。
あとちょっとで、逆行前に過ごした時間を越える。
あの、クロエの心の叫びのような大きな嵐が過ぎたら……次は快晴が待っているはずだ。
それからの二人は、平穏な日々を送っていた。
領地の諸々の手続きや引き継ぎは少しばかり骨が折れたが、雇っていた使用人たちも無事に他の職場を見つけることができて、残すは帝国へ向かうだけとなった。
クロエは、最後にパリステラ家の本邸の中を歩く。
正直言うと、悪い思い出ばかりだった。暗い景色は、己の胸の奥をじくじくと刺して来る。
でも、もう薄れかけた過去の記憶の中に、大好きな母と過ごした思い出も微かに残っていた。
それだけが、彼女の宝物だった。
「……帝国には、嵐が過ぎ去ってから行こう」
「……分かったわ」
クロエの返事に、ユリウスはほっと胸を撫で下ろす。
あの嵐の日は、忘れようがなかった。
馬車の中でクロエを見つけて、思わず彼女を追って、鐘塔に着いて――……。
そのときだった。
出し抜けに、ガシャリ――と、窓ガラスが割れる音が聞こえた。
慌てて現場であるバルコニーまで向かうと、窓の向こう側には信じられない光景が広がっていた。
「聖女――いや、偽聖女を出せーっ!!」
「あの女は魔女よ! この人殺し!」
「今までよくもオレたちを騙してくれたな!」
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