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1 セイレーン
しおりを挟む温かい布団と、鼻腔をくすぐるおいしそうな匂いに包まれて、僕は目を覚ました。
目だけで周囲を見回す。ログハウスのような木組みの明るい部屋で、派手すぎずに落ち着いた調度品が揃っている。
少なくとも僕の部屋ではない。
僕は体を起こそうと——したが体が言う事を聞かなかった。体に力が入らず、この柔らかいベッドに杭で張り付けられているようだ。何だか熱っぽい気がする。風邪でもひいたかな。
窓にかかる薄いラベンダー色のカーテンの隙間から日差しが漏れている。僕の最後の記憶では、ひどい嵐だったはず。
そこまで思い出して——
僕は助かったのかな?この世に生を受けて十六年。人生最大のピンチを乗り越えたんだろうか?
嬉しい——と思う反面、あの天使の姿を思い出すと残念な気もする。あのまま天使に連れて行ってもらったら、さぞ楽しい第二の人生を送れたかもしれない。モテない人生を取り戻すチャンスだったかもしれないのに。いやいや、それはいつか死ぬ時にとっておこう。だから、待ってて下さい天使様。
とまあ、天使に願ったところで。
結局ここはどこだろう。
先程も言った通り僕の部屋ではないし、僕の知っている部屋でもない。部屋の様子から病院の類でもなさそうだ。誰かの部屋に連れ込まれたのか?
女子なら大歓迎だが、男だとちょっと複雑。部屋の様子からはどちらとも言えるし、どちらとも言えない。
様々な予感が過ぎるなか、その部屋の唯一の扉が開く。
そこから現れたのは、あの天使だった。
「あ、目覚めましたか」
風の歌のような軽やかで澄んだ声。後光のような美しい金髪に、憂を帯びた深い青い瞳。そして、タンクトップのような服では収まりきれない程の豊かな胸。確かに、あの時に見た天使そのものだった。
だとすると、やっぱりここは天国なのか?なんだか庶民的な天国だけど、まあ、こうして天使様がいるのならどうでもいいか。
天使様はお盆にスープのような物を乗せて部屋に入ってきた。それをサイドテーブルに置くと、ベッドの横の椅子に腰掛けて俺の顔を覗き込んで来くる。
——天使様、目のやり場に困ります。
はち切れそうな物が目の前で揺れるのをついつい眺めてしまうのは男の性だから仕方ない。天使様は僕の邪な視線に気づかないのか、
「起きられますか?」
優しい声で言ってくる。その声と、思わず懺悔したくなるような微笑みに、僕は軽くうなずく。
ゆっくりと体を起こす。そんな僕に手を差し伸べてくれる天使様。甘い、春に咲く花のような香りが漂ってくる。
天使様は慈悲深い笑顔で僕を見てくる。
「あなたは?」
喉が張り付いてうまく声が出ない。だが、どうにか天使様には伝わったよう。
「私はレネです。あなたの名前も聞いていませんでしたね」
「僕はショウ。カグラ・ショウ」
「ショウさんですね」
レネの笑顔はの心を落ち着かせてくれる。
「ここは?」
僕はもう一度部屋を見回す。こう見るとあまり広くはない。
「ここは私の家です。ショウさんはずっと眠っていたんですよ」
僕はレネの顔を見る。この小さな天使様にお世話になっていたようだ。ここが天国でないなら、これ以上は天使様のお世話になるわけにはいかない。
「あ、ありがとう。僕はもう大丈夫だから——」
「あ、ダメです!」
立ちあがろうとしてふらついた僕をレネが支えて来る。柔らかい場所が肘に当たっているが、わざとじゃない。
「もう少し休んでいなければダメです。ずっと雨にうたれて、体力が消耗しきっています。風邪もひいているようですし」
僕はレネに促されるままベッドに腰掛ける。なぜだろう、彼女には抗えない。
「何か食べた方がいいと思って、スープを作ってきたんですよ」
レネはサイドテーブルに置いたスープを手に取ると、スプーンでひとすくい。
「ふーふー」
むむ。こんな美少女にふーふーしてもらって食べさせてもらえるなんて、なんてご褒美だろう。
「はい、あーん」
やっぱり天国だったんだなと思いつつ、口を大きく開けて、ぱくり。
・・・何だか違和感。
口から出したそれを見ると、スプーンではなくフォーク。それではすくえない。
「あ、あ、ごめんなさい。私、うっかりしてて」
顔を赤くしたレネは慌てて部屋を飛び出し、スプーンをとって帰って来た。
「私・・・ちょっとドジなんで」
いえいえ、それもまたご褒美です。
そうしてスープをひととおり平らげると、僕は再び眠くなってベッドに横になる。
「ごめんね。君のベッドだろう?」
「いいんです。私の——」
レネは少し悲しい顔をした。
「私のせいなんです」
目を閉じた僕の耳に、震えるレネの声が届く。
「私は、セイレーンなんです」
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