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【最終話】 夏の空
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怪訝な表情を浮かべた暖雪に、大海は少し申し訳なさそうな声色で言った。
「だってほら、雪ちゃん、ああいうの使ってるわけでしょ?普段からそういう風にしてる人が、……俺とじゃあ満足できないんじゃないかって」
「あー……」
(やっぱそういうことで気に病ませるかあ)
気まずい気持ちはもちろんある。
何と言えば一番波風が立たないのか、一瞬心の中で立ち止まってしまう。
(……でも)
もう、決めたのだ。暖雪は軽く息を吐く。こんな風に相手の気持ちを伺いすぎてずっと悩むのをやめていきたい。少しずつだけど、変わっていこうと決めたのである。余計なことを考えずに己の胸を覗いて見てみれば、彼の問いに対する答えははっきりしているではないか。
暖雪は真っすぐ正面を向いた。
「大丈夫。ちゃんと気持ちよかった」
「本当?」
「うん。本当。全然動きとか温度とか違うから。それに……」
一度息を吐いて、「一回しか言わないからよく聞けよ」と前置き、暖雪は続ける。
「……ヤッてる最中、お前が何度も名前読んでくれたり手繋いでくれたり、すごいよかった。……あと抱き合った時、……理屈とか抜きにして単純にそれだけですげえ興奮した」
ぽつぽつとだが、昨夜感じたことを暖雪は全部包み隠さず大海に伝える。自分の気持ちを言葉にするのは、険しい階段を一歩一歩足元を確かめながら登っていくみたいで、とても怖い。
「っ、だから……。全然っ、自信持っていいから……」
手が震える。怖くて先が見えないから。けれど今そこに座っている彼は、大海は、暖雪がうずくまって動けなくなっていたとしてもきっと腕を伸ばして引っ張り上げてくれる。今の大海は、心を預けられる存在なのだ。だから自分はこんなにも勇敢な行動に出ることができる。
「そんくらい、触れるだけでのぼせそうになるくらい、俺はお前のこと好きってことだから……」
大海は表情の抜けたような顔でこちらを見ている。時おり瞬きをしながら。
「って、何言わせてんだお前俺に!どこのエロ漫画の台詞だよ!」
ついに恥ずかしさの限界が来てしまい、暖雪はテーブルを叩かんばかりの勢いで告白を締めた。まだまだこういうことをするのには練習が必要そうだ。
「え、あっ、ご、ごめんごめん……!」
大海ははっと我に返るように椅子の上で居住まいを正し、それからニヤリと笑って頭を掻いた。
「へへ……」
抱えきれないほどの嬉しさがこみ上げている、と言わんばかりの表情だった。手に余るほど大きく、でも柔らかくて繊細なその感情が伝わってしまい、こっちまでそわそわしてくる。まともに顔を見ていられず、何とか誤魔化そうと暖雪はもう一度グラスを片手で取った。
「まあお前が気にすることは何もねえよ。これからはあれ使わないようにするから」
「へ?そうなの?なんで?」
「はっ?」
口元にグラスを運ぶ手の動きが止まった。ぽかんと口を開けたまま、暖雪は目を見開く。
「なんでって……。いや、付き合ってるのにああいうのずっと使ってたら嫌かな、って……」
暖雪にとっては至極当然に思えることを告げても、大海はきょとんとするばかりだ。
「そんなことないけど」
「マジ……?」
「だってほらそのー……」
思わず大海を凝視せずにはいられない。そんな暖雪の姿がおかしかったのか、大海は小さく噴き出して言葉を続けた。
「なんか……、束縛してるみたいじゃん。雪ちゃんのこと管理してるみたいなさあ」
「いや、でも……」
考えてみれば滑稽だ。こんなことで狼狽えているなんて。自身が今相当間抜けな格好をしていることは自覚しつつも、暖雪は大海に向かって上げた手のやり場にひたすら困っていた。
「うんとねえ、そのー。前みたいにさ、雪ちゃんが知らない人みたいになるのは嫌だよ。あんな風に喋ったりもできないほど遠く感じるのは嫌だけど。でも何て言うんだろ。俺の知らない雪ちゃんは全然いていいよ、みたいな……。う~ん、上手く言えないけどそんな感じ」
「ええ……」
衝撃だった。暖雪の中には全くなかった概念だ。
「やっぱ昔から雪ちゃんは謎めいてるところあったし。そこが大きな魅力の一つでもあると思ってたから」
開け放した窓から見える太陽は、白く輝いていた。いっそ大声で笑ってるみたいに燃えているそれは、今日の午後にはきっとこの部屋のフローリングに日差しを降り注がせる。
「色々あって今の雪ちゃんなんだから」
もう我慢せずエアコンをつけてしまおうか。今年もきっと猛暑になるのだろう。
「そりゃ俺と一緒にいる時にそればっか使われたら少し悲しいけど。でも浮気してるわけじゃないんだから別にいいでしょ」
あっけらかんと大海はそう言い放つ。返す言葉を探しあぐねた暖雪は、迷った結果……。
「……大らかだなあ、お前」
やはり、素直に自分の気持ちを表現しようと何とかそう呟く。それは、七月の青い空気に消えていった。
明日からまた出勤だ。
熱い中出歩くのは非常に億劫ではあるが、あと数週間すれば念願の盆休みが待っている。
大海と二人、何をしようか。
また先日のように街の色んな場所を散策してみるのも楽しそうだが、大海の好きなライブハウスや野球観戦に同行させてもらうのもいいかもしれない。暖雪はそういう場所のことはあまり分からないけど、お互い距離を感じていたあの頃の暖雪たちはもういない。きっと教えてと言えば大海は教えてくれる。
そろそろ暖雪も簡単な料理くらいささっとできた方がいいだろう。レシピを探して作って、大海と一緒にあれこれ感想を言い合って味見したい。
暖雪の両親と四人でホームパーティーをしたり、ドライブに行く話があったのを思い出す。近いうちにそれらもきっと実現させたい。
妄想はいつまでも尽きないが、そうは言っても付き合いたての二人は、ただイチャイチャしているだけで時間が過ぎてしまうかもしれない。けど、それも悪くない。悪くないどころか最高の夏休みにも思える。
大海と過ごす、何度目かの。
そして初めての、夏の物語。
「だってほら、雪ちゃん、ああいうの使ってるわけでしょ?普段からそういう風にしてる人が、……俺とじゃあ満足できないんじゃないかって」
「あー……」
(やっぱそういうことで気に病ませるかあ)
気まずい気持ちはもちろんある。
何と言えば一番波風が立たないのか、一瞬心の中で立ち止まってしまう。
(……でも)
もう、決めたのだ。暖雪は軽く息を吐く。こんな風に相手の気持ちを伺いすぎてずっと悩むのをやめていきたい。少しずつだけど、変わっていこうと決めたのである。余計なことを考えずに己の胸を覗いて見てみれば、彼の問いに対する答えははっきりしているではないか。
暖雪は真っすぐ正面を向いた。
「大丈夫。ちゃんと気持ちよかった」
「本当?」
「うん。本当。全然動きとか温度とか違うから。それに……」
一度息を吐いて、「一回しか言わないからよく聞けよ」と前置き、暖雪は続ける。
「……ヤッてる最中、お前が何度も名前読んでくれたり手繋いでくれたり、すごいよかった。……あと抱き合った時、……理屈とか抜きにして単純にそれだけですげえ興奮した」
ぽつぽつとだが、昨夜感じたことを暖雪は全部包み隠さず大海に伝える。自分の気持ちを言葉にするのは、険しい階段を一歩一歩足元を確かめながら登っていくみたいで、とても怖い。
「っ、だから……。全然っ、自信持っていいから……」
手が震える。怖くて先が見えないから。けれど今そこに座っている彼は、大海は、暖雪がうずくまって動けなくなっていたとしてもきっと腕を伸ばして引っ張り上げてくれる。今の大海は、心を預けられる存在なのだ。だから自分はこんなにも勇敢な行動に出ることができる。
「そんくらい、触れるだけでのぼせそうになるくらい、俺はお前のこと好きってことだから……」
大海は表情の抜けたような顔でこちらを見ている。時おり瞬きをしながら。
「って、何言わせてんだお前俺に!どこのエロ漫画の台詞だよ!」
ついに恥ずかしさの限界が来てしまい、暖雪はテーブルを叩かんばかりの勢いで告白を締めた。まだまだこういうことをするのには練習が必要そうだ。
「え、あっ、ご、ごめんごめん……!」
大海ははっと我に返るように椅子の上で居住まいを正し、それからニヤリと笑って頭を掻いた。
「へへ……」
抱えきれないほどの嬉しさがこみ上げている、と言わんばかりの表情だった。手に余るほど大きく、でも柔らかくて繊細なその感情が伝わってしまい、こっちまでそわそわしてくる。まともに顔を見ていられず、何とか誤魔化そうと暖雪はもう一度グラスを片手で取った。
「まあお前が気にすることは何もねえよ。これからはあれ使わないようにするから」
「へ?そうなの?なんで?」
「はっ?」
口元にグラスを運ぶ手の動きが止まった。ぽかんと口を開けたまま、暖雪は目を見開く。
「なんでって……。いや、付き合ってるのにああいうのずっと使ってたら嫌かな、って……」
暖雪にとっては至極当然に思えることを告げても、大海はきょとんとするばかりだ。
「そんなことないけど」
「マジ……?」
「だってほらそのー……」
思わず大海を凝視せずにはいられない。そんな暖雪の姿がおかしかったのか、大海は小さく噴き出して言葉を続けた。
「なんか……、束縛してるみたいじゃん。雪ちゃんのこと管理してるみたいなさあ」
「いや、でも……」
考えてみれば滑稽だ。こんなことで狼狽えているなんて。自身が今相当間抜けな格好をしていることは自覚しつつも、暖雪は大海に向かって上げた手のやり場にひたすら困っていた。
「うんとねえ、そのー。前みたいにさ、雪ちゃんが知らない人みたいになるのは嫌だよ。あんな風に喋ったりもできないほど遠く感じるのは嫌だけど。でも何て言うんだろ。俺の知らない雪ちゃんは全然いていいよ、みたいな……。う~ん、上手く言えないけどそんな感じ」
「ええ……」
衝撃だった。暖雪の中には全くなかった概念だ。
「やっぱ昔から雪ちゃんは謎めいてるところあったし。そこが大きな魅力の一つでもあると思ってたから」
開け放した窓から見える太陽は、白く輝いていた。いっそ大声で笑ってるみたいに燃えているそれは、今日の午後にはきっとこの部屋のフローリングに日差しを降り注がせる。
「色々あって今の雪ちゃんなんだから」
もう我慢せずエアコンをつけてしまおうか。今年もきっと猛暑になるのだろう。
「そりゃ俺と一緒にいる時にそればっか使われたら少し悲しいけど。でも浮気してるわけじゃないんだから別にいいでしょ」
あっけらかんと大海はそう言い放つ。返す言葉を探しあぐねた暖雪は、迷った結果……。
「……大らかだなあ、お前」
やはり、素直に自分の気持ちを表現しようと何とかそう呟く。それは、七月の青い空気に消えていった。
明日からまた出勤だ。
熱い中出歩くのは非常に億劫ではあるが、あと数週間すれば念願の盆休みが待っている。
大海と二人、何をしようか。
また先日のように街の色んな場所を散策してみるのも楽しそうだが、大海の好きなライブハウスや野球観戦に同行させてもらうのもいいかもしれない。暖雪はそういう場所のことはあまり分からないけど、お互い距離を感じていたあの頃の暖雪たちはもういない。きっと教えてと言えば大海は教えてくれる。
そろそろ暖雪も簡単な料理くらいささっとできた方がいいだろう。レシピを探して作って、大海と一緒にあれこれ感想を言い合って味見したい。
暖雪の両親と四人でホームパーティーをしたり、ドライブに行く話があったのを思い出す。近いうちにそれらもきっと実現させたい。
妄想はいつまでも尽きないが、そうは言っても付き合いたての二人は、ただイチャイチャしているだけで時間が過ぎてしまうかもしれない。けど、それも悪くない。悪くないどころか最高の夏休みにも思える。
大海と過ごす、何度目かの。
そして初めての、夏の物語。
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