オオカミさんはちょっと愛が重い

青木十

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静穏の一時 5

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 それからどれくらい経っただろうか。

 少しの雑音と人の気配を拾って、三角の耳がピンと立つ。バースィルは、少し身じろぎ顔をしかめながら、ゆっくりと瞳を開いた。
 眼の前には人影がある。しかし、敵意などは感じられず、そうだここはランディアだったなと相手に気づかれないように警戒を解いた。琥珀の瞳からは剣呑な光が消えた。

「おはようっす」

 その相手――ヘンリーが、テーブル上の飲みかけのコーヒーカップを片付けながら、声をかけてくる。視線が合うと、小さく笑んで肩をすくめた。それから、そのまま流れるように新しいコーヒーを二つ並べる。

「まだ練習中なんすけど、飲んでください」

 そう一言添えて立ち去っていく。

 ヘンリーの背を見送りながら、バースィルはいまいち働かない頭で状況を整理した。

 もうすっかり日は傾いていて、草色のカーテンを透かして夕日色が見え隠れしていた。それなりの時間眠っていたようだ。
 隣にはまだ夢の中にいるウィアル。よく見れば、誰かがひざ掛けをかけてくれていた。その下に隠された手は、互いに緩く握ったままだ。
 店内はというと、仕事が終わったのだろうか、客が数人入っていた。その中には顔見知りの魔術師がいて、含みのある笑みでこちらを見ている。その笑みの意味は分からなかったが、バースィルはとびきりのしたり顔で見返してやった。

 ふわわと一つあくびをして、テーブルを見やる。
 ヘンリーが淹れてくれたというコーヒーが二つ。これは起こしてコーヒーを飲ませておけということだなと、彼の意図を理解する。
 名残惜しいと思いながら、バースィルは握っていた手をそっと放した。

「ウィアル、ウィアル……」

 囁くように名を呼びかける。肩がピクリと動いた。

「ん……、う、んん……」

 小さな声とともに、僅かに眉根が寄ったかと思うと、パチパチと数回瞬きながら夕日色の瞳が姿を現した。ゆっくりと頭を動かしてバースィルの視線と交われば、少し驚いたように眉が上がり、口が閉じることを忘れられている。
 バースィルは、起き抜けのあどけなさを堪能しつつ、やや乱れた黒髪を手で優しく梳かした。目にかかる髪は軽く払いのける。それらの残りを指先で耳にかけてやりながら、ウィアルへ声をかけた。

「おはよう。よく眠れたか?」

 バースィルが尋ねれば、ウィアルは慌てたように身を起こした。さっと窓を見、店内の時計を確認し、またバースィルの方へと向き直る。

「すみません、まさか寝てしまうなんて」
「俺も寝てた。それに必要なら誰かに起こされたさ」

 ひざ掛けを指してそう伝える。
 これをかけてくれたということは、昼寝が許容されていたということ。それに客が訪れ始める時間になれば、ヘンリーが声をかけてきたのだ。それまでは、寝ていたことに問題はなかったのだろう。

「ヘンリーがコーヒーを淹れてくれた」
「それはありがたいですね。飲めば頭も冴えると思います」

 ウィアルは、カップを手に取りふーふーとしながら、慌ててコーヒーを飲み始めた。
 それに倣って、バースィルもカップを口へと運ぶ。

「うわ、これは確かに冴えるな」

 想像していたよりも苦い――いやエグい味に、バースィルは顔をしかめた。暫くはあくび一つ出ないだろう。それほど迄に驚く味だった。これはもうコーヒーと呼ぶより、気付け薬と呼んだ方がいい。
 ウィアルの語るところによると、この渋いコーヒーは、一部の常連客に有名な裏メニューというやつで、『どんな連日の徹夜明けでも一杯飲めば目が覚める』と密かに人気なのだそうだ。そこまでして読みたい本があるのかとバースィルが尋ねれば、「次の日の仕事で必要だから、できる限り読まないとって方は一定層いますね」とウィアルは困ったように笑った。

「まあ、そういう方たちのための『貸本屋』のはずなのですが、……皆さん、店でゆっくりしてくださいますから」

 立ち上がりながらそう言うウィアルは、少し嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 確かに店は居心地がいいし、飲み物も食事も頼める。それに、関わらない目的同士の他人がいる空間は案外気持ちが良いもので、読書の効率も上げてくれるのではないだろうか。
 それを与えてくれるランディアだからこそ、皆ここへ来るのだとバースィルには思えた。

 そのことが無性に嬉しくて、我がことのように喜びながら、カウンターへと戻るウィアルを見送った。

 その後は、ひざ掛けを回収しに来たヘンリーが置いていったミルクと砂糖を入れて、何とか裏メニューのコーヒーを飲み切った。バースィルは、コーヒーというものは総じて美味いものだと思っていたが、考えを改める。
 このヘンリー特製コーヒーだけは、当分、いやできるなら永劫、遠慮したいものだとしみじみ思った。
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