命導の鴉

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第二章 遠き日の約束

三幕 「翡翠の角」 二

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 しばらくすると次第にアスの視界から暗闇が晴れていき、ゆるやかな丘陵地帯の景色が広がった。

 目の前には高貴な装いの男が立っている。

 記憶の再生が始まったようだ。

「ジョフレ様、この辺りなら比較的広くて動きやすいと思いますがいかがでしょう?」

「ああ、よい場所だ。ここでいいだろう」

 目の前で立つ高貴な装いの男が、声に応じるようにこちらに振り向き満足気に頷いた。

 多分最初の低い声の男がこの記憶の主、パウラなのであろう。

「かしこまりました。それではここで誘引香を焚きます」

 パウラはジョフレに対して丁寧に頭を下げてから、木のチップが大量に入った袋と直径十センチ程度の金属の器を鞄から取り出した。

 地面に今程取り出した金属の器を設置し、木のチップを入れて熱火系の魔操で静かに火をつける。

 着火の際は強めに燃焼していた木のチップであったが、しばらくするとくすぶるような火に代わり、金属の器からほのかに香の煙が上った。

「よい香りだ。これから始まる狩りに興を添えるかのようだ」

「はい、左様でございますね」

「パウラ、念の為に確認するが他の者の準備も滞りないな?」

「エド、アグアイ、グリプの3名がここを囲うように周辺で待機しております。コモラが逃走を図ろうとしてもすぐにこの場に追い返す手筈となっております」

「よろしい。それでは獲物が来ることを祈ってしばし待とう」




 場面転換が起こったようで、不意に目の前が屋内の景色に変わる。

 高級そうな調度品が並ぶ部屋の中で絵画を眺める男が背中を向けたまま話しかけてきた。

 その男はジョフレで間違いなかった。

「パウラ、ロムトアへ行くぞ」

「ロムトア?あのような辺鄙な場所に何の用でございますか?」

 ジョフレはこちらを振り向いてニヤリと微笑む。

「いつだったか父上が『翡翠の角』を所望していたと話したことを覚えているか?」

「はい。確かご友人のマヌエル卿の邸宅に招かれた際にご覧になって、いたくお気に召されたとのことでしたよね。ただ、翡翠の角はコモラの突然変異種が持つもので、数十年に一度現れるかどうか、さらにコモラは禁足地ロムトアにしか生息していないため、新たに入手することは困難だったかと。・・・まさか?」

「ああ、父上が所望していることを知ってから、それとなく自然保護局の局長や職員に近づき探りをいれていたんだ。あの者達は国の許可を得てロムトアの調査活動を行っているからな。それで先ほど、ついに求めていた情報が得られた」

「見つかったのですね」

「そうだ。極秘情報とのことだったが通い詰めた甲斐もあって、密かに教えてくれたよ。そういうことだからパウラ、速やかに狩りの準備を整えてくれ」

「しかし、コモラは特定保護種、密猟は大罪ですぞ。よろしいので?」

「構わん。手に入れてさえしまえば既成事実は如何様にでもなる。時期後継者争いで他の兄弟から一歩抜きん出るためにも、必ず翡翠の角を手に入れて父上に献上するぞ!」

「かしこまりしました。直ちに準備を整えます」

 パウラが静かに頭を下げると、ジョフレの下卑た笑い声が部屋に響いた。




「はぁはぁ、まさかコモラ如きに遅れをとるとは!」

 木にもたれるように座るジョフレが息を切らしながら肩口の傷を手で押さえる。

 激しい出血によって衣服は真っ赤に染まり、もはや立ち上がる気力もないようだった。

「パウラ、他の者はどうなった?」

「笛の合図を受けて、エドとアグアイが足止めに入ったところまでは確認しました。時期にグリプも合流するでしょうから多分大丈夫だと思います。とりあえず怪我の手当をいたしましょう」

 パウラは鞄から救護用のキットを取り出し、手慣れた手付きでジョフレの怪我を処置する。

「・・・傷はどうだ?」

「急所は外れています。しかし、ちゃんとした処置をする必要がありますので、すぐにでも下山しましょう。私が背負います」

「そうか、やむを得ないな。できれば自分の手で翡翠の角を手に入れたかったが」

「ええ、まさか翡翠の角を持つコモラがあそこまで強力な力を有しているとは想定外でした。・・・さぁ、ジョフレ様、どうぞ」

 しゃがんで背を向けるパウラにジョフレがゆっくりともたれかかる。

 パウラは片方の手で背に乗ったジョフレをしっかり支えると、もう片方の手に荷物を持って立ち上がった。

 体勢を安定させて下山を開始しようと一歩踏み出したところで、パウラの呼吸が激しく乱れた。

「・・・ジョフレ様、申し訳ありませんが、下山のお付き添いは出来なさそうです」

「急に何を言っているんだパウラ?」

 ゆっくりとパウラが後方を振り返ると、そこにはコモラと思われる一頭の獣が立っていた。

 その目には明らかな憎悪を宿しており、体全体からは怒りに満ち溢れた禍々しい魔力が放たれている。

 そして馬のような体躯の頭頂部にある角は人の血で真っ赤に染まっていた。

 パウラはジョフレを静かにその場に下ろす。

 訳がわからないと言った様子のジョフレであったが、パウラが見つめる先のコモラを見て、この危機的な状況を理解した。

「パ、パウラ、なんとかしろ!」

「・・・エド達はそれなりの手練れ。それでも足止めすら出来なかったのであれば残念ですが私に対処することはできません」

 パウラはそう言いながらゆっくりと後ずさる。

「な!?パウラ、どこへ行く!」

「私には妻子があります。どうかお許しください」

 コモラに背を向けたパウラはジョフレを置き去りにして一目散に山路を駆け出した。

「待て!裏切るのか!なんとかしないか!!」

 後方から聞こえる罵声を振り払うように逃げるパウラであったが、コモラは凄まじい速さですぐにパウラの前方に回り込んだ。

「くそ!」

 パウラは持っていた荷物をコモラに投げつけると、山路を外れて森の中に飛び込んだ。しかし足元が悪く、すぐに足を取られて大きく転倒してしまう。

 地面を転がりながら、それでも体勢を立て直そうともがくパウラをコモラが蹴りつける。

「死にたくない、助けてくれ!」

 蹴られた箇所を押さえながら喚き抵抗するパウラをコモラが執拗に蹴りつける。

 しばらくして、満身創痍となって動きが緩慢となったパウラをコモラは背中から角で突き上げた。

 肉を引き裂くような耳障りな音と共にパウラの体が宙に持ち上がる。

「くそっ、こんなもののために・・・」

 大量の血を吐き意識が薄れゆく中、パウラは自分の胸元を貫く真っ赤な角を手で握りしめた。

 その手が力を失って角からずり落ちると、握っていた部分の血が拭われて角本来の色が露出した。

 こときれる間際、パウラの目に映ったものはコモラの角が持つ鮮やかな翡翠の色であった。
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