夢魔

木野恵

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片割れ

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 ひたすら頭が痛かった。

 ずっと頭が痛くて、痺れたような感覚があって、全く覚えがないけれど、親が撮らせてくれたと思しき一人で写っているプリクラに「みんな大好き」なんて書いてあるのが嫌いで大嫌いで憎くてたまらなかった。写っている私は髪が長く、こんな長い時期があったのかと驚かされる代物だった。

 なにが「みんな大好き」だ。

 腹の底から憎しみと怒りが湧き上がってくる。

「みんな大嫌い」だよ!

 言葉には出さなくとも、イラついてたまらないプリクラをみながら怒りをたぎらせ、拳を強く握りしめた。

 見る人見る人すべてが憎い。

 人が憎い、幸せそうに微笑む傍らこちらに視線を向けたかと思えば嘲笑うような、見下すような目を向けてくる同年代の子供全員、痛めつけたくて仕方がなかった。憎たらしくてたまらない。

 憎い、恨めしい、腹立たしい。

 腹の底から憎しみと怒りが湧き上がってくる。とめどなく、歯止めもきかぬくらいの怒りが。

 憎くて、憎くて、苦しくてたまらないくらいに憎たらしい。

 いろいろな人から罵倒を浴びせられ、いろいろな人から後ろ指を指された。

 何様のつもりだ、何をしたっていうんだ! 許さない、許さない、なんでこんな目に遭わなければならないんだ。

 興味を持って好んで読んでいたカエルの図鑑が癒しだったけれど、読んでいると視界にいれないでと文句を言ってくるくそやかましい同級生のメスガキがいた。

 嫌ならこっちを見るな、こっちを向くなというのに、そいつはしつこくギャーギャー騒ぎ立てた。

 誰も味方する人はいないし敵だらけだった。

 腹立たしい、うるさい、鬱陶しい。

 猿のようにギャーギャー喚き、猿のようにすぐに手を出す癖に人が手を出せば喚きたてる。

 人ではなく猿だ。いや、猿と同列にすると猿が可哀想だ。こいつらは私の好きな動物でもなんでもない! 真の化け物どもだ。

 憎い、恨めしい、片っ端から頭に拳を叩きこんでやりたい、黙らせたい。

 うるさい、うるさい、うるさい!

 何をするにしてもまとわりついてケチをつけられ排斥された。

 トイレにいくのも、絵を描くのも、図鑑を読むのも、荷物をとる時も! なんでもかんでもだ!

 ある日、ある女の子に誘われて遊びに行くと、誘ってきた女の子と二人の遊びではなく、近所の一個年上の人の家へと連れていかれて一緒に遊ぶことになった。

 一緒に遊んでくれて優しいという触れ込みだった。

 確かに優しかったけれど、当の私は暴力三昧だったので良い振る舞いはしていなかった。叩いて喚いて悪いことをたくさんしてしまった。

 外で遊ぼうとなったとき、親に買ってもらった電子系のおもちゃに水をかけられてしまって、大泣きをすることになった。

 わざとじゃないとわかっていたし、相手が悪いわけではなかった。

 ただ、そのおもちゃが大事で心配で泣いただけだった。

 恨んでないし怒ってない、水遊びするときに肌身離さず持っていた自分が悪いだけだった。

 父親の迎えがあって自転車の後ろ側に乗せられ泣きながら帰る私に、一生懸命謝りながら走って追いかけてくれたことを覚えている。

 家に帰ってから、自分が悪いのだと、水遊びするのに身に着けていた自分のせいだと父親に説明したけれど、父親は聞く耳を持ってくれなかった。

 ちょっとこらしめてやるなんていっていて、嫌な感じしかしなかった。

 前にも同じことがあったような……。

 弟のことが頭にちらついたけれど私にはさっぱりわからなかった。

 それ以来、優しくて一緒に遊んでくれていた親切なお兄さんから冷たい言葉や乱暴な言葉を掛けられるようになった。

 方眼用紙で工作しようという授業で、四角形の立方体をカエルのおうちとして作ってはしゃいだ。

 他の子は平面で何かを作っていたのに、私が立方体を組み立てていて先生が驚きながら褒めてくれていたけれど、私はカエルをこの中にいれることしか考えてなかった。

 雨の中傘を差しながら、カエル日和だとはしゃぎ、大事におうちを手に持って標的を探していた時のこと。

 カエルが見つからないだけでなく、水たまりにカエルのおうちを落としてしまって泣いていると、あの時遊んだお兄さんがオラオラした感じで話しかけてきて「カエルのおうちって書いてある! 気持ち悪い」なんて酷い言葉を掛けられるようになった。

 なんとなく、なにがあったかわからなかったけれど、私がちゃんと自分のせいだったと説明できなかったせいでこうなったのだと思った。

 理不尽に冷たくて乱暴でショックを受けるようなことを言われて心臓を刺されたようなショックを受けたけれど、自分のせいだと思ったから怒ったりはせず、いや、本当は嫌で腹が立ったりもしたけれど、酷く腹が立つことはなく、ただ落ち込んだ。

 帰り道、偶然近くを歩いていると、こっちくんなと言われたり、とにかく視界に入るとなにか言われるようになった。

 そういう態度をとられるたび、なんとなく弟がちらついて、頭が痛くて苦しくて、ただひたすら落ち込むばかりだった。

 そのうち、悪戯を愛し、暴力を愛し、一人でいることを愛した。

 一人で帰るのが好きなだけだったのに、心配だからと言って付きまとってくる人たちが現れた。付きまとわれたくて一人でいるなんて言いがかりをつけられたことがあったけれど、とんでもない誤解だった。

 誰とも一緒にいたくないだけだった。

 愛想よく振る舞ってすきをみて帰りたかったけれど、追いつかれて捕まってわけのわからない見世物を見せられて、帰りたいと言っても帰してもらえなかった。肩を掴まれて帰れないようにされていた。

 興味のない物を延々と見せられ、茶化され、黙り込んでいれば痺れを切らして解放してもらえると思ったのに、しつこく意味のないことを聞かれて鬱陶しくてたまらなかった。

 そんな様子を見て、女はどうたら囲まれてるのがどうたらねちねち文句を言って帰るやつがいた。

 すごく嫌なやつだった。人の気も知りもしないで思い込みの激しい野次を飛ばしてくるやつだった。

 夕暮れ時、寒いと言ってようやく解放してもらえた時はすごく安心した。

 ゴミクズどもめ。

 憎しみがわきあがって止まらない。どうしてこんな目に遭わされなければならないんだ。どいつもこいつも嫌がらせばかりで。

 全員嫌いだった。友達なんていない。親も同学年のやつらも付きまとってくる年上も、訳の分からない言いがかりをつけられて性悪をたくさんされて、付きまとわれて、早く帰りたいのに帰してくれなくて、全員憎くてたまらなかった。



 そんなある日、ウサギを抱っこする夢をみた。

 幼稚園になっても、小学生になっても抱くことを許されなかったウサギ。

 餌だけはあげても良かったけれど抱っこさせてもらえなかったあのウサギだ。

 ふわふわであたたかくて、愛くるしくて、心まで温かくなってくる夢。

 格好いい黒のお兄さんもそばにいて、優しく頭を撫でてくれて、優しく抱っこしてくれて、なんだかすごく安心できて、大好きな夢。

 大嫌いな物ばかりの中、夢だけは大好きな物だった。

 またある日は蛇に絞め上げられる悪夢を見た。

 それ以来蛇が怖くて、視線を向けると蛇がいたなんて出来事がたくさんあった。

 怖い夢は本当に最悪な寝覚めで、できればもう見たくはなかったけれど、それでも夢が好きでたまらなかった。



 夢以外のすべてが憎くてたまらない。目につく人間すべてが憎い。何もかも大嫌いだ。 

 しかし、そんな私でも泣いている人がいたらほっとけなくて手を差し伸べはしたけれど、そいつに図工のために持ってきていたビーズを盗まれた。

 節分に使う鬼の仮面を作るのに持ってきていたビーズだった。近くの文房具屋さんで親が買ってくれたハートの形をしたカラフルなビーズ。

 授業の間、探すためにボンドをステッキに見立てて倒して探していると、ハートのビーズを使っている人を見つけて聞いてみることにした。

「知らないよ。〇〇ちゃんからもらった。なんか言いがかりつけてくる!」

 騒ぎが大きくなり、誰からもらったかたどっていくと、私のもってきていたビーズのケースを丸ごと持っている子のもとへと行きついた。

 見つかるとその子は「落ちていたのを拾った」なんて嘘をついていた。

 木でできたランドセル入れの棚で、空いている場所に鬼のお面、浅い箱の形をしている入れ物にもなるやつにケースごとビーズをいれていたので落ちるなんてことはなかったし、お面が無事なのにビーズだけないなんておかしな話だった。

 そのことを先生に言うと、手を差し伸べた時のように大泣きした。

 ビーズを使ってしまった子たちから泥棒の片棒を担がされるのが嫌だったのか、謝られはしたけれど、もうボンドでくっつけられてしまっているし、返しようがない状態だった。

 それはもう仕方がないから怒ったところでどうしようもない。それに、知らなかったことだから。

 だから許すことにした。

 本当は日頃の仕返しをしたいところだったけれど、そこまで分別がないわけではなかった。

 そんなある日、落とし物を拾った。同学年の隣のクラスを含めて誰も落とし主が見つからなかったから、一つ上の学年のクラスへと落とし物を運んだできごとがあった。

 運が悪く、あの優しかったお兄さんのいるクラスへ運んだらしく、教室に顔をだしてすぐ目が合ってしまった上に、睨まれてしまって気まずかった。

 その落とし物届けの帰りのことだった。

 間違って隣のクラスに入ってしまっただけだったのに「あー! 悪ーい!」と後ろ指を指されて追いかけまわされた。

 自分のクラス以外の部屋に入る時は「失礼します」を言わねば叱られるというルールがあったからだ。

 うっかり間違っただけだったのに犯罪者のような扱いを受けた。

 最初は隣のクラスの子がなぜかほうきで掃除をしてくれてると思っていたけれど、悪いと言われてようやく間違えて入ってしまったことに気がつき「ごめんなさい」と叫ぶように言いながら飛び出して自分のクラスに戻った。

 教室のすみっこ、本棚の前で息をつまらせしゃくりあげながら泣いていると、教室の外で追いかけてきた子たちがこちらの様子を見て「泣いてる?」「ないてんの?」やらなにやら騒いだ後に元の教室へともどっていった。

 大泣きしている私にクラスメイトが気づいて何人か声を掛けてくれたけれど、そのうち放っておかれた。その中にはカエルの図鑑を読んでいるときに理不尽なケチをつけてきていたくそビッチもいて、心配したかと思わせておいて、うるさく文句を垂れ流し喚きたててどさくさに紛れて叩いてきたりもした。絶対に許さない。

 そのうち担任の先生が話を聞いてくれたけれど、間違っちゃったら笑いながらてへっといえば良いと言ってくれたけれど、そんなんじゃすまされないという感覚がどこかにあった。

 ひっとらえられて、暴言を吐かれて、叩かれて殴られる。そんな予感だった。

 しかし、泣いていたからか、謝ったからか、そんな目に遭わされはしなかった。

 先生が言ったような対応をしていたなら暴力を振るわれていただろうという予感しかなかった。



 その日の夜は悪夢に苛まれた。

 間違えて隣のクラスに入ってしまった時、ほうきを持っていた子の驚く顔が頭にフラッシュバックし、心臓が暴れて苦しい感覚に見舞われながら息を詰まらせ飛び起きた。

 そんな夜を何度も過ごしたし、これから先数年の間、ことあるごとに思い出して心臓をドクドクと言わせながら飛び起きて過ごすことになる。

 まだ小学生での出来事を書いているけれど、この先小学5年生になるまで突拍子もなくこんな夢を何度も見ては飛び起きて、夜中に一人、暴れる心臓を落ち着かせるのを頑張りながら眠った。

 飛び起きた時はなかなか寝付けなくて、思い出したら怖くて震えていたけれど、いつの間にかあたたかく眠り込んでいた。

 誰かがそっと抱きしめながら頭を撫でて落ち着かせてくれたかのような安心感の中眠れたけれど、フラッシュバックはなかなかおさまってくれなかった。

 自分でもどうしてこんなにフラッシュバックを起こして、どうしてあんなに怖かったかなんてわからなかった。

 しかし、時が流れたからか、何度も見てきたからか、そばで誰かが支えてくれていたからか、フラッシュバックは少しずつ軽くなっていってくれた。

 頭を撫でてもらうのが好き、抱きしめてもらえるのが好き、夢を見るのが大好き。

 ウサギの夢で見たお兄さんのおかげだったのだろうと思う。ほかに撫でてくれて抱きしめてくれる人なんて思い浮かばなかったから。

 フラッシュバックとは別の、泣ける余裕がある悪い夢、怖い夢を見て起きれば、泣き声を聞いて母親がかけつけ、アニメをみせて気を紛らわせてくれたりしていた。

 フラッシュバックの時は泣くことすらなかった。一人で心の奥底に孤独に抱えた心の傷でトラウマだった。涙すら出ないくらい怖くてショックだった出来事だった。

 そんなフラッシュバックの悪夢を見て起きた時にはあたたかく包み込んでもらえる感覚が布団とは別にあって、目の前でビデオデッキの時計が、録画中のときには眩しく明るく光っているのが見えて、ひたすら暗算しながら、あたたかい何かに身をゆだねながら夜を過ごし、いつの間にか眠りにつくことができていた。

 辛くて苦しくて憎くてたまらなかった小学一年生の思い出の中に、あたたかく支えてくれた存在がいてくれて、凍り付いた心の中に温かい炎が宿っているような、辛いのに手放せない大事な思い出。
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