夢魔

木野恵

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たゆたう想い

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 起きると、お兄ちゃんが外で植物を育てているのが見えた。

 今日こそは山に登ろう。

 そう意気込んでいると、起きたのに気づいたお兄ちゃんが家に入ってきて早速とめてきた。

 ここはやめておくべきだ、帰ろうと言ってきかないので首を傾げていると、違う地図を取り出して別の場所へ行くべきだと提案された。

 なんで?

 理解できないままお兄ちゃんの言葉に納得せず、山に登ろうとしたけれど、選ぶときの気分が問題だったと言われた。

 今はどんな気分か聞かれ、山に登りたくてうずうずしてると答えると、違う地図を差し出された。

 この地図にも山があり、なんだかここのと違ってとげとげしくて陰鬱な印象を受けたからあんまりいきたくなかった。

 どうしてもこの山に登りたいと言っていると、お兄ちゃんが背中で花に化けてそのまま飛んで運ばれてしまった。

 ただの羽っぽい花の飾りなんかじゃなくて本当に飛べたことに驚きながら、あまり高くない場所を飛んでいるのを楽しく感じた。

 本当に高いところが苦手なんだな。

 そういえば、新しい地図にも白い靄があったけど、夢魔の国はいろいろな場所に通じているのかが気になった。

 昔読んだ本に、お布団のトンネルなんてのがあったな。

 あんな風に、あちこちに通じているならきっとすごく楽しくて良いな。

 そんなことを思っていると、あたりに霧が立ち込め、真っ白な空間になった。そうしてしばらくすると、また白い霧が立ち込め、全く違った景色が見え始めた。

 本当に、夢魔の国を通ってあちこちにいけるんだ。

 感心しながらワクワクしていると、あのトゲトゲした山のところまでやってきた。

 山の中腹には洞窟があって、奥から綺麗な音が聞こえてくる不思議な洞窟だった。

 実質お兄ちゃんに抱えられたまま洞窟の奥へ向かうと、氷柱か何かに乗った人たちが空を舞っていた。

 氷柱に見えたものは氷でできた剣や槍などの武器で、音は氷から流れてきているようだった。

 洞窟の中心には杖があった。

 この杖はどこかで見たことがある上に、なんかやたらと背中がうずいた。

 あのときの杖かな?

 気さくなお兄さんに突かれたときの道具かもしれないなんてうっすら気づくと、しかめっつらをしながら見ることしかできなかった。

 空を舞っている住人の誰かが気づく前に、お兄ちゃんは洞窟の外へと私をつれていった。

 山の外側はとげがすごくて登れそうにない。

 この山を見ていると不満しかないだけでなく、結局おろされることはないままお兄ちゃんはそのまま夢魔の国まで私を運んだ。



 みんなのところまで連れ戻され、あっけなく初めての冒険は終わった。

 これからだと思っていたのに台無しだ。あの山はいったいなんだったのか。登らせてもらえるのかと思ったのにそのまま連れ帰られるなんて誰がわかるだろうか?

 羽が生えたのは嬉しいし、空も飛べて楽しかったけれど、腑に落ちない終わり方で不満も文句もたくさん湧いた。

 お兄ちゃんが言うには、もうちょっと楽しい気分の時に出掛けなさいとのことだった。

 にしても、急に強制的に帰らされたな。

 背中の羽になれば連れ帰れるって気づいたからなのか、なにかあったからなのか、ちっともわからなかった。

 それはさておき、リボンみたいで綺麗でお気に入りになれる花だったな。

 一部しか見られないのが残念でならなかった。

 一体どんな花が背中についているのか、全体を見て見たくてたまらなくなるくらい魅力的だった。



 帰ってきてからも相変わらず、優しいお兄さんは片割れのことばっかり見ている。

 気さくなお兄さんの稽古は素振りとか走り込みだけでなく、実際に相手になってうちあってくれるようになったけれど、ちっとも勝負にならないしちっとも攻撃が入らないし、成長が急に止まったように感じられてつまらなかった。

 本のお姉さんは何を聞いてもはぐらかすし、セラピストのお兄ちゃんが一緒にいてくれるのはみんなが周りにいないときだけだった。



 お兄ちゃんの演奏を聴きながら、風の吹く原っぱで草が揺れるのを見て、空で雲がゆったり流れていくのを観察していた。

 ああ、いやされるな、落ち着くなあ。

 何か歌がついている曲だったら歌いだしたいくらいに心が揺れる音色に心地よさを感じる。

 余計なこと考えてあちこちでかけるのもやめて、こうしてセラピストのお兄ちゃんと二人きりでいる方がいいんじゃないかな。

 どうせ、でかけても連れ帰られてしまうしな。

 唇を尖らせながらそんなことを考えていると、ちょっと理不尽だと思わされた。

 空を飛べるし、花が自分から咲いてすごく楽しいけれど、意地でもやりたいことをやろうとする私を連れ帰る手段として使い勝手が最高に良いものでもあった。

 不可抗力だ。

 その一方で連れ帰られている自分を思い浮かべていると、猫が悪戯してるところを飼い主に見つかって、抱っこされているのが頭に浮かんで思わず吹き出してしまった。

 冒険へ行こうとするとお兄ちゃんに見つかるし、他に何もすることがないから図書館で花を調べることにした。

 お兄ちゃんが背中に咲かせてくれた花。

 花の図鑑があったので手に取って調べてみると、背中にあるのが見えた部分に似ているセンニンソウという花を見つけた。

 私は名前が覚えられないし見分けもつかないので、きっと忘れてしまうし間違っているかもしれないけれど、とても良い花だと思えた。本当にこの花か自信はないけれど。

 花言葉もそうだけれど、花の特徴がどれも好きになれるものだった。この花だったらいいな。

 でも、どうしてお兄ちゃんはこの花を選んだんだろうか。

 そこだけが気がかりだった。



 月日が流れ、羽の人が調べた結果、片割れの炎は生き物に悪影響がないとわかり、もう一度こちら側へ遊びに来れるようになったと聞いた。

 いよいよ居場所がなくなるかな?

 また前のようにひっそり一人であれこれしながら稽古をつけてもらいつつ、今度は片割れに会わないようにしていた。

 お兄ちゃんと楽器を演奏し、たまに空を一緒に飛んで、のんびりゆったり過ごしていた。

 しかし、片割れはみんなにちやほやされるのも構わず、私を探して会いに来た。

 ありのままを見られるのはまずい。自分自身が相手だってばれてしまう。

 私に会いに来るなんて予想外の出来事で、大慌てで夢衣を被って変身し、片割れと顔を合わせた。

 片割れが観てた映画にあったな。こういう、大慌てで顔を隠すシーンのある映画。

 別れた旦那が女装して家族と暮らしに行くやつだったっけ。

 今では主人公が大慌てだった気持ちがよくわかるよ。

 お兄ちゃんは隠れるついでなのか、私の背中にくっつき、花を咲かせてくれた。

 リボンのようにも見える白くて綺麗な花。やっぱりセンニンソウに似ているお気に入りの花。

 片割れは私を見て感嘆の声をあげた。

 とても綺麗だと褒めながらはしゃいで羨ましがっていたので、同じように生やしてやりたかったけれど、どうしたものかと悩まされた。

 だってお兄ちゃんは一人だけだし……。

 褒められ慣れていないから思わず罵詈雑言を言いそうになりつつも抑えることができた。怒ったらまじで自分だってばれるかもしれないし、もし言ってしまったら酷くショックを受けた上に心を閉ざしてしまうのが自分自身だからわかっていた。

 それに、こんなに褒められたらうれしさのあまり、体を返せなんてもっと言えなかった。

 好きでとったわけじゃない。盗られたわけじゃない。私がこっちに連れ込まれただけだ。こいつ自体は何もしてない。

 そうやって自分を納得させていると、片割れがこの世界を冒険したいなんて言うのだった。

 私は複雑な気持ちでそれを聞いた。

 冒険に出たら連れ戻された身だから、もし片割れが同じように冒険に出て、私と違って連れ戻されなかったら? 行かないでくれと引き留められたら? 優しいお兄さんがついていくと言い出したら?

 同じことをしないでほしいと思った。

 正直なところ怖かった。みんなが私の時と違う態度をとるかもしれないことが。

 お願いだからやめて。同じことをしないで。

 しかし、そんな願いもむなしく、私はみんなのところへ片割れに引っ張って連れて行かれた。

 私と一緒に冒険に行きたいと片割れが言い始め、私は驚きで口をあんぐりとあけ、優しいお兄さんは大慌てで、気さくなお兄さんは楽しそうに笑っていた。

 なんで私?? え? 優しいお兄さんは?

 首を傾げながら片割れを見ていると、にっこりと笑いかけてきた。

 何か見たことあるなと思ったら、散歩中の犬が飼い主をたびたび見上げて笑っているかのような表情をしているあれだ。

 憎めなかった。ほんとなんでいじめられてるんだろうな。

 もし私が片割れに自分自身だと気づかれなかった上に、ただ同じ見た目で、ドッペルゲンガーみたいに思われでもしたらどうなるだろうな。いや、もしかするとそのまま双子の兄弟だと思い込まれる可能性だってあるぞ。

 気になったけど試さなかった。いくら好奇心旺盛でも、さすがにかなり勇気が必要だった。



 気さくなお兄さんが稽古をつけてくれると言い出したけれど、なんだか不穏な雰囲気だった。

 すんごい殺気というのか、やる気というのか、燃えているような何かを感じ取れる。

 片割れは修行だー! なんていってのんきに大喜びだったけれど、私はいつもの稽古と違う雰囲気でかなり警戒させられた。

 嫌な予感しかしない!

 気さくなお兄さん曰く、鍛えがいのありそうなのが来たとのことだった。

 片割れが部活で一生懸命運動して能力を伸ばしているのを見て、ずっと鍛えたくてうずうずしていたらしい。

 ちょっとヤキモチをやきそうだったけれど、私は私で、二人でなら気さくなお兄さんをぎゃふんと言わせられるんじゃないかという下心があった。

 片割れはあんだけ現実で運動できるんだから、こっちではどんなすごい動きをするのやら。



 気さくなお兄さんからの提案で、準備運動や作戦会議の時間を過ごしていると、本のお姉さんが私に近づき、本の感想を聞いてきた。

 感想を聞かれても、片方は呪文ばっかでもう片方は他人の記憶書だぞ?

 答えに困っていると、お姉さんが呪文書を出すように言ってきた。

 理由がわからずかたまっていると、良いから出して見せるよう言われ、理解できないまま取り出した。

 魔法陣を指さし、使い方を一つずつ丁寧に教えてくれはじめた。

 四回まで復活できるセーブポイントのような魔法で、好きな時を決めるとその時間まで魂の状態を巻き戻すことができるそうだ。

 流れた周りの時間は戻らないけれど、状態を戻すことならできるそうだ。

 本のお姉さんが言うには、殺されるかもしれないから戻れる時間と条件を決めた方がいいとのことだった。

 確かに、気さくなお兄さんから並々ならぬ気配がするけれど、片割れと一緒ならきっと大丈夫だ。

 そう思っていた時期が私にもありました。



 周りの力はなしで、自分にある物で戦え。

 それが気さくなお兄さんに言われた言葉だった。

 私は水を出そうにも出せないことに気がつき、自分にある物だったら血を代わりに使って戦おうとしたけれど、上手にできなかった。

 血と水じゃ使い勝手が違いすぎた。

 血のほとんどが水分だから使えると思ったけれど、水と血はやはり似て非なるものだと思い知らされもした。

 結果的に、お互い死にはしなかったものの、片割れは何度か殺された後復活して頭がおかしくなって泣き叫んでいるし、私は私で生きているのが不思議なくらいぼこぼこだった。

「こんなんじゃ冒険いけない」

 片割れがようやく正気になって言葉を話せるようになったかと思えば、お嫁にいけないみたいな調子で冒険へ行けないなんて泣き叫んでいて思わずツッコミをいれてしまった。

「お嫁にいけない風に言ってんじゃねえ!」

 気さくなお兄さんは化け物のような素早さと動きの良さで私たち二人を完封した。

 慣れた手つきでまな板の上に寝転んでいる魚を手際よくさばいていく職人のような捌き方だったし、キリングマシーンの異名は伊達じゃなかった。

 殺されてないけど、対峙した時のなんともいえない恐怖。全身が粟立つあの感覚。

 蛇に睨まれたカエルという言葉が頭に浮かんだ。

 きっと、私が気さくなお兄さんにやられる前に感じたのとカエルが蛇にやられる前に味わっている感覚は同じ感覚なんだろうな。



 片割れと綺麗な夜空を眺めてくつろいだあとは、あっちでの生活を直接聞いてみた。

 記憶の本を読み漁って知るのではなく、本人の口から直接。

 楽しく元気に頑張っているし、漫画だけじゃなくアニメを観て楽しんでいるとのことだった。

 登校するときの時間を短くする目標をたててセカセカ歩いているのも楽しいし、どんどん自分の能力を伸ばしていきたいとか、目でラケットのガットを切ったと顧問の先生にいわれた話をすごく楽しそうに話していた。その話である作品をブログ仲間におすすめしてもらったこととか。

 でも知ってるよ、本当はしんどくて寂しくて心も体も痛いのを。

 私はお前で、記憶の本を読み漁ってるから。

 ニコニコ楽しそうに笑いながら話す片割れを見ながら、気さくなお兄さんに奇襲かけてやり返そうと提案をしてみたら素直に乗ってくれた。

 二人で悪戯大作戦だ。



 気さくなお兄さんを二人で迎え撃つ準備をしたけれど、またしても華麗に返り討ちにされた。

 元勇者さすが……。

 元勇者じゃなく実は魔王なんじゃないかと思ってしまいそうなくらい、対峙したとき怯みまくってしまったし、目に見えない圧が半端じゃなかった。

 にしても、なんて身のこなしなんだろう。化け物か?

 気さくなお兄さんは少し楽しそうだった。

 何がそんなに楽しいのだろう? 片割れをビシバシ鍛えられるから?

 わからなかった。

 あまりの恐怖に死者も目を覚ますレベルだと気さくなお兄さんに言うと、目を覚ましたらもう一度眠らせてやるなんて言っていたから、このときの出来事を蘇生の条件と時間にしてみた。

 本当に死人が起きたらどんな反応するかな? という悪戯心だった。

 反応をみるのが楽しみだな。



 片割れが目を覚まして消えてから、記憶の本を開いて読み漁ってみた。

 汗が酷くて悩んでいること、体が臭いからお風呂に二回入る日があったこと、夜寝ている間の汗も酷いから朝風呂にして工夫してみたこと、どんなに工夫しても臭いし汗が酷くて辛いし、お腹がなるのが恥ずかしいとか、たくさんの悩みが書かれていた。

 その中で、一枚くしゃくしゃに皺が寄っているページが見つかった。

 なんだろう、これ?

 広げてみてみると、先輩が遊びにきてくれたときのことが書かれたページで、ちぎれている部分もあってほとんど内容が読めなくなっていた。

 なんとか繋げて読んでみると、先輩がきて嬉しかったことが書かれていて、約束したゲームを一緒に遊ぼうとした流れが書かれていた。

 そこまでは良かったけれど、そのあとの出来事を読んで、どうしてページがこんなにしわくちゃで破れているのか理解した。

 この年になってもそんなことして恥ずかしい。

 先輩に言われた言葉ですごくショックを受けたらしかった。

 家の前にある地面に、そのとき観ているアニメのタイトルを真似て書いたあとの出来事だったから、適当にその話と繋げて気づかなかったフリをして、平静を装っていたらしいけれど、本当は約束が飛んでしまうくらいすごくショックだったようだ。

 先輩も私のことを信じてくれないんだ。

 弟が、しらばっくれた片割れの言葉にたいして、先輩はそういうことをいってるんじゃないと言ってきても知らないフリをしたようだ。

 私には誰も味方がいない、誰も悩んでることなんて知らない、誰も友達なんかじゃない、本当にひとりぼっちなんだ。

 親が漫画のセリフを引用して元気づけてくれていたけれど、私はこのままずっとひとりぼっちだよ。どこにも居場所なんてないんだよ。誰からも理解されずひとりぼっちのままなんだ。

 友達だと思える人なんていなければ良かった。最初からいなければ……。

 守ってくれるって言ったじゃん! 嘘つき!!

 他の誰の言葉よりも片割れの胸に深く突き刺さり、他の誰のどんな態度よりも孤独が増した出来事だった。

 部活で聞こえてきていた、庇ってくれた人ってやっぱり先輩だったんだと確信した出来事でもあった。

 私の話を聞いて確認しようともしないで、先輩たちの話を聞いて攻撃された。

 最後は「先輩はそんなこと言わない」なんて、滲んだ文字で書いてあった。

 読んでいると、私も辛くなった。

 巻き込みたくなくて誰にも相談しないで抱え込んできたはずだったのに、守りたかった相手に背中を刺されたようなものだった。

 もう友達なんて作りたくない。寂しくて辛い。友達なんかいらない。こんな気持ちになるくらいならはじめから一人だったら良かったのに。本当は友達が欲しい。安心して相談できる友達が。いじめられないくらい強くて安心感のある誰かがいてくれたら良いのにな。寂しくて辛い、痛いよ、痛いよ。ありのまま全て見守って、公平に証言してくれる人がいたならどれだけいいだろうか。私を見て。私の本音を、心を見て

 片割れの記憶の本に二重で心情が書かれ始めた出来事でもあった。

 こっちにつれてこられて良かったと思う反面、読んでいて一緒に辛くなった。

 そんなことができるのはカメラや機械くらいなもんだよ。

 やはり、どこにもいたくなんてない。私はどうすれば、どこへ行けば良いんだろう。

 絶望的な気持ちになる内容を読んで吐きそうになっていたときだった。

 セラピストのお兄ちゃんがふらっと現れて、肩をちょいちょいと叩いてきた。

 泣きそうになっていたのを知られたくなくて、片割れがやっている泣いているのを誤魔化したり隠す方法を真似して振り返った。

 片割れの記憶だと、鼻をすすってもばれる、涙をぬぐっても動きでばれる、涙が落ちる音でも泣いているのがばれるらしい。

 泣いているのを誤魔化したり隠す方法の中に、上を向いて、涙がこぼれないように溜め込んだあと、しばらく瞬きをする方法があるらしい。

 うまくいけば涙が止まるのだとか。

 他にも、あくびをしてみせ、あくびで出た涙を装ってみるとか。

 隠せないくらい大泣きしてしまったらトイレや布団に隠れるそうな。

 もし誰かに見られたり声をかけられても怒って不機嫌なふりをしたり、嫌なやつになりきれば話しかけられなかったり、話しかけられても振り切れるらしい。

 そのうちのひとつのあくびを使って、なんとかその場をしのごうとしたけれど、お兄ちゃんはいつものように「みてて」と言って笛を吹き始めた。

 今日は横笛の演奏だ。

 聴いていると、心が強く揺さぶられて誤魔化そうとした涙が溢れて止まらなくなり、最後には心が軽くなっていた。

 心を揺さぶられる曲に身も心も委ねて思いっきり泣くのって、案外気持ちが良いのかもしれない。

 音色がとてつもなく良くて感動したのもあってか、演奏が終わってからもしばらく放心状態でいると、お兄ちゃんは頭をゆっくり優しく撫でてくれた。

 なんだか自分が自分でないかのようなふわふわした心地だった。

 そのうち、なにか聞かれたわけじゃなくとも、何があったか自然と口を開いてしまっていた。

 セラピストのお兄ちゃんは、じっくり私の話に耳を傾けてくれて頷いていただけだった。

 一通り話したあと、私は話が下手だから、これ以上何を話せば良いかわからなくて居心地の悪さを感じた。

 なにか言わないといけないような、この話し終わりじゃ変な感じがするとか、そういった話の着地の心地悪さがそこはかとなくあって、セラピストのお兄ちゃんの顔色をうかがっているときだった。

 セラピストのお兄ちゃんが近くに木を生やしたかと思えば、木の枝を握っていきなり引き抜いた。

 引き抜かれた枝が刀になっていてびっくりしていると、ニコッと微笑んでみせてくれた。

 気さくなお兄さんと私たち二人がやりあってるのが楽しそうだったから、元気が出るかもしれないと思って決闘しようと思ったらしい。

 思わず笑っていると、お兄ちゃんは首をかしげていた。

 意外すぎたからだって言うと、意外だって言われるの嫌なのにそんなこと言うのかと言われてぐうの音もでなかった。

 確かに、されて嫌なことはするべきじゃないな。

 そんなことを思いながら、お兄ちゃんに連れていかれたのは綺麗な滝のある水辺で、紅葉が舞って綺麗な場所だった。

 なにも禁止されていないし、わざわざ水辺で戦ってくれるなんてありがたいと思っていたけれど、勝負は一瞬で終わった。

 お兄ちゃんの素早さは一緒に冒険に出ていて知っていたけれど、まさかここまで速いなんて。

 一閃で真っ二つになりながら倒れたけれど、水辺だったお陰ですぐ元通りになれた。

 気さくなお兄さんが勇者なら、セラピストのお兄ちゃんも本のお姉さんも、優しいお兄さんも、うさぽんも、みんな元勇者パーティということだから、並外れて強くて当然だった。

 一瞬でこんなすぱっと決める芸術的な技に魅せられ、感動のあまりたくさん褒めていると、お兄ちゃんは二回目手加減してるのが丸わかりな戦い方でわざと負けた。

 手を抜かれたのが不服で頬を膨らませていると、お兄ちゃんは困ったように笑っていた。

 そうしてふと気づいたことがあった。

 今までみんな、相当手加減して私に合わせてくれていたのだと。

 なんだか悔しくなって、自分が恥ずかしくなった。

 他に気づいたのは、片割れは人を見ていないけれど、私はちゃんと人の表情や動きを見れていることだった。

 やつの記憶の本には人の動きも表情もあまり書かれていない。

 その理由も思い当たってすごく複雑な気持ちにもなった瞬間だった。

 人を見たくない、認識したくない、自分の世界に入れたくないんだ。

 何か言われるのもあるけれど、他人を自分のテリトリーから追い出したいんだろうな。



 セラピストのお兄ちゃんの思惑通り、私は元気になれたけれど、一方で片割れが書いている日記の内容も、記憶の本の内容もどんどん暗くなっていって心が病んでしんどそうなものになっていった。

 先輩からの言葉がよっぽどきつかったらしい。

 片割れは良い子にしていても意味はなかっただとか、人生に絶望して何もかも嫌で投げ出しそうなのを一生懸命抑えたけれど、抑え切れなくて緩やかに壊れていった。

 あるとき、セラピストのお兄ちゃんが私の読んでいるものの内容に気がついて、本を取り上げられてしまった。

 もう読むのはよしなさい。

 お兄ちゃんの言うとおりだと思ったから、本はお兄ちゃんに預けた。

 私も一緒に心を病んでしまいそうだったし、いろいろときつかったからでもある。

 記憶の本を取り上げた後、お兄ちゃんはいつものように楽器を演奏してみせてくれた。

 今日は縦笛だ。

 とてつもなく優しい音色に、目を閉じているといつの間にか眠ってしまうほどの心地よさだった。

 ちょうどそのときだ。

 おへその下から股にかけて、不快じゃない変な感覚があった。

 ぎゅっとなってゆるんで、ぎゅっとなって……。

 なんだろう? これ、なんか気持ちが良いな。

 うっとりしながら寝転んでいると、今のが何か聞きたくてたまらなくなった。

 お兄ちゃんの演奏が終わるのを待ってから、演奏を聴いている間に起きたことを聞いてみると、お兄ちゃんは苦笑いしながら顔を赤くしていた。

「本の虫か月の子に聞いた方がいい」

 そう言ったあと、あんまりそういうことは聞かない方がいい。特に男にはと言われ、頭にはてなばかりが浮かんだ。

 どういう意味か理解しきれず、とにかく心地よかったと話していると、お兄ちゃんはため息をついたあとに、少し悲しげな顔で頭を撫でてくれた。

 頭撫でられるの大好きだなあ。

 目を閉じてうっとりしていると、お兄ちゃんが優しい声で言うのだった。

「小さい頃からずっと安心できなくて辛かったね。君に必要なのは安心感だったんだ」

 どういう意味かわからないまま頭を撫でられていると、片割れがまたこっちに遊びにきたらしい。

 私は大慌てで夢衣を被って変身し、お兄ちゃんは花に化けた。

 片割れは気さくなお兄さんを引っ張りながら手を大きく振ってこっちに走ってきているところだった。

 こけたら大変だぞ。

 たしか、片割れの記憶の本には小4のとき、仲良くしてくれてる子に両手を掴まれながら走って転んで頭を下敷きにのしかかられたなんて書いてあったな。

 周りの人全員は手を掴んでいた方の子ばっかり肩をもって、悪者扱いだったとか。

「走るなら掴んでる手を離して走りな」

 知っていたから、読んでいたからできた声掛けだった。

 片割れは気さくなお兄さんから手を離してこっちに駆けてきた。

 お前は犬かと言いそうだったけれど、グッと我慢して話を待った。

 どうやら、気さくなお兄さんからプレゼントがあるらしい。

 片割れは気さくなお兄さんが道具にたいしてどんな気持ちを抱いているか知らないから目を輝かせながら楽しみにしているけれど、私は気が重くて胃がキリキリしていた。

 壊したらどうしよう、傷をつけたらどうしよう。

 そんな気持ちでいると、気さくなお兄さんが取り出して渡してきたのは長い棒と短い棒だった。

 長い棒は地面に立てると肩まである長さで、短い棒は腕の長さほどのものだった。

 片割れは長い方を持ち、私は余った短い方をもった。

 気さくなお兄さんがいうところによると、これはただの棒じゃなくていろいろな『道具』にすることができる便利な棒なのだそう。

 セラピストのお兄ちゃんに育ててもらった特殊な木を知り合いに加工してもらったものなのだとか。

 こんな道具になってほしいと願うとその願った通りの形になる。ただし、それぞれの棒の長さには限りがあるとかなんとか。

 試しに、私は盾をイメージしてみた。

 棒の上と下を弧を描いて結ぶように水が張られ、盾の形になっていた。

 片割れは鎌をイメージしたらしく、棒の横から黒い影が伸びて大鎌の形をなしていた。

 良いなあ。

 片割れはおおはしゃぎだったけれど、長いということは重いということでもあり、使いづらかったのか物欲しそうにこちらの短い棒を見つめてきた。

 片割れは最近素早く動くのが楽しくて仕方ないらしいからな。

「交換すっか?」

 片割れに聞いてみると、嬉しそうに目を輝かせながらこちらに近寄った後、遠慮がちに見つめてきた。

「いいの?」

 こいつは気づいてないが私はお前だ。遠慮なんか必要ないし、なんか遠慮されると変な感じだな。

 複雑な気持ちになりながら短い棒を盾からただの棒に戻して差し出すと、恐る恐る手を伸ばして受け取り、長い棒をこちらへ渡してくれた。

 思ったよりも重たいな。でもゆったりしてるほうが私に合ってる気がするし、水で支えたら多少軽く振れるだろうか。

 片割れは大鎌が好きだから鎌にしたようだったけれど、私が思い描いたのは釣り竿だった。

 片割れは短い棒で何をするのかと思えば、棒を本の背表紙にして本を作っていた。

 その発想はなかったな!

 思わず感心して見つめていると、照れくさそうにしながらただの棒に戻してしまった。

 本が心から好きなんだな。

 様子を見ていたから無理もないと思った。

 先輩にすら心を閉ざした相棒に残されたのは夢と本だけだから仕方がない。

 なんだか気まずく思いつつ、一緒に釣りとかどう? なんて聞いてみると、片割れはすごく嬉しそうな顔をしながら短い棒を短い釣り竿に変化させた。



 気さくなお兄さんも一緒になって釣りをしにきてくれて、それはもう楽しい思い出だった。

 ただの釣りで終わらず、気さくなお兄さんは隙あらば片割れに稽古をつけようとして、片割れは笑いながら口では嫌がっていた。

 本音を知りたかったけれど、セラピストのお兄ちゃんに取り上げられちゃったしな。

 片割れは、嫌だったらそのうち不機嫌になるから様子見てればわかるだろう。ただ、こいつの厄介なところは素直じゃないところだから区別つけづらいんだよな。

 嫌がって相手が傷ついててもしょんぼりするし、なんかもうわかりづらい。

 でも、嫌なやつの手を引っ張りながら走ってくるなんてことないし、多分嫌じゃないんだろうな。

 ぼーっと観察しながら片割れを見ていると、片割れがこっちに向かって走ってきて私を盾にして気さくなお兄さんからのしつこい修行から逃げようとしていた。

 おいおいおい。

 体から離れてから味わうことのなかった、もう二度と経験しないと諦めた、学生時代誰しも経験しているような扱いにちょっとだけ心が躍った。

 片割れの目と記憶を通してみた他人の楽しそうなやりとり。こいつ自身も憧れていた……。

 せっかくだから楽しもうと思った。

 片割れと気さくなお兄さんのノリに合わせて間に入り続けて盾の役割を全うしていると、二人とももっとはしゃぎ始めて楽しかった。

 ああ、なんて楽しいんだろうか。

 なんだかんだ、こっちへ引き入れてもらえてよかったと心から思えた思い出だった。

 セラピストのお兄ちゃんも、本のお姉さんも、気さくなお兄さんも、楽しく遊んでくれてるんだ。私は一人じゃない。

 それに、どういうわけか自分が自分に懐いている。何を言ってるかわからないかもしれないけれど、言い方をわかりやすくいつも通りの呼び名で表現すると、片割れは私に懐いているんだ。

 多分、結局のところ自分の欲しがっていること、されて嬉しいことを一番よく知っているのは自分自身だということだな。

 気さくなお兄さんでも、あの優しいお兄さんでも誰でもなく私を選んでいるのはそういうことだ。

 ま、私のことだから、正体が自分だと分かった瞬間否定しだすしショック受けて首つって死ぬかもしれないな。

 だって、自分への嫌悪感が人一倍強いのだから。

 三人でわいわい楽しく遊んでいると、優しいお兄さんがこっちを見ていることに気がついた。

 え? なんで?

 ちょっとだけ怖い雰囲気を纏っている上に、遊びの輪に加わろうとせず、遠くからじっと見ていて思ったことだった。

 怖い……。

 気さくなお兄さんも優しいお兄さんに気づいたらしく、いつもの調子で手を挙げて呼びかけていた。

 すると、優しいお兄さんはいつものような優しい表情を浮かべてこっちへ歩いてきたけれど、それに気づいた片割れは私の陰にサッと隠れた。

 なにかあったのかな?

 なんとなく、片割れが隠れやすいように優しいお兄さんをじっと見て手を広げて立っていると、気さくなお兄さんと優しいお兄さんは普通に会話し始めた。

 気のせいかな?

 状況が読めなくて、なにがどうしてこうなってるのかさっぱりわからなかった。

 片割れがちょいちょいと袖を引っ張るので振り向くと、シーッと人差し指を立てているので二人でこっそり抜け出した。

 どこへいくあてもなく、気さくなお兄さんにもらった棒を魔法の箒にして空を飛ぶと、片割れは短い棒を扇子にして風を起こして飛んでいた。いや、どちらかといえば、起こした風でどこかへ飛んでいきそうな扇子を掴んで離さなかったら、引きずられるような感じになって空を飛んでいた。

 この棒、すごく便利で楽しいな。

 二人で風に乗って飛びながらはしゃいでいると、片割れは消えて見えなくなった。

 目が覚めたんだな。

 もしもあいつが完璧に夢の内容を覚えていたなら、どれだけ幸せな気分になれるだろうか。

 こちらの記憶を全部持っていけたら、こんなに悲しくて寂しくて胸にぽっかり穴が開いたような気持ちにならずにすむだろうにな。

 お前はこっちからみんなが見守ってるんだよ。一人じゃないよ。

 どうせ届かないし覚えてもらえない言葉を、さっきまで片割れが一緒に飛んでいた空に呟いた。
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