天下静謐~光秀奔る~

たい陸

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第三幕 越後と甲斐と暗殺者たちの憂鬱

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 光秀が、長尾景虎のいる越後の国に向かったのは、それからしばらくしての事だった。理由は、長尾景虎に上洛の要請をするためである。

 景虎は、この前にも一度上洛しており、その際に将軍義輝にも拝謁し、二人は昵懇の仲となっていた。景虎が再上洛すれば、それが三好一党に対する牽制になると考えての事だった。

「光秀、頼むぞ」
 義輝と藤孝から呼び出された光秀は、越後行きの件を聞いて承諾した。何をおいても主命であるし、長尾景虎という男に興味があった。

 更に今回は、藤孝は同行しない。代わりに大館晴光という男が一緒に行くことになっていた。大館氏は、代々幕府に仕えてきた名門で、晴光も幕府重臣であった。

「私が正使でお主は副使なのだから、分をわきまえる様に」
 晴光は、出立前にそう光秀に言っていたのだが、新参者の光秀を快く思っていないのは、傍目から見ても明らかだった。

 だが、この男も忠義者であり、晴光の名前も前将軍で義輝の父親にあたる十二代将軍義晴からの偏諱を受けており、その義晴が亡くなると嘆き悲しみ、髷を切って出家し、その死を悼んだと伝えられている。光秀は、愚直ながらも忠義者のこの男を好ましいと思っていた。

 また、光秀と晴光は、別に密命を帯びており、それは、長尾景虎の越後と武田晴信の甲斐と北条氏康の相模を和睦させ、三好一党に対する大包囲網を形成するという、とてつもなく壮大な計略であった。

「成功は、難しゅうござりますぞ」
 この計略の内容を聞いた時に、光秀は難色を示していた。

 この時の状況としては、甲斐の国の武田と相模の国の北条とは、駿河の国の今川を含めた三国同盟を結んでおり、周旋の必要はなかった。

 問題なのは武田と長尾で、世に有名な、川中島の戦いに代表されるような争いを信濃の国で展開しており、信濃の国の掌握を企む武田晴信と、信濃の豪族の復権に力を貸す長尾景虎とで激しく対立しており、和睦は至難の業だと思われた。

 しかも、長尾と北条も関東の主導権を巡って激しく対立しており、この三者が和睦して一致団結するなどとは、途方もない夢物語としか光秀には思えなかったのだ。

 しかし、景虎が後顧の憂いなく上洛するためには、武田と北条が景虎の留守中に進軍しないための、何かしらの外交的な成功が必要不可欠である事は、自明の理だったのだ。

「光秀よ、そなたは、長尾景虎という男をどう見るぞ?」
 光秀は、道中の茶屋で一服していた時に、晴光からそう問われたことがあった。

「わしは、前に景虎殿が上洛された時に、接待役を務めた縁があってな」
 晴光の話しによれば、接待役の時に景虎と昵懇となり、その武者振りに感歎したそうで、今回の件も晴光が是非にと買って出たのが真相らしかった。

 だから、自分であれば景虎を説得し、武田と北条とを和睦させ、三好一党を駆逐する策もうまく行くと晴光は考えているようだった。そして、光秀に出しゃばるな、自分にすべて任せろと言わんばかりに張り切っている。

「一筋縄では、行きますまい」
 晴光の問いに光秀は湾曲そう答えるのみで、あまり多くを語ろうとはしなかった。長尾景虎とは、一体どんな人物なのか?光秀は、期待と不安とが入り混じり、その胸の内は、複雑さを呈していた。

 長尾景虎という男は、この時すでに戦国最強と目された大名の一人であった。越後の国の春日山城にて産まれる。幼名は虎千代と言い、越後の国の守護代であった長尾為景の四男と伝わる。

 最初、寺に預けられていたが、父の死後に、その後を継いだ嫡男晴景が病弱だったことから、還俗して兄の代わりに、越後国内で逆らう国人衆を次々に打ち破る戦功を立てた。

 しかし、その力を恐れた兄と争うようになり、長尾家家臣団の多くは、病弱な当主より、若年でも戦に強い景虎を支持するようになった。景虎は、晴景の養子に入る形で、兄の後を継いで長尾家当主となった。

 その後、瞬く間に越後の国を統一し、毘沙門天の再来とか、越後の龍などと渾名されることになる。光秀達はその男に会いに行こうとしていた。

 光秀達一行が越後に着くと、京の町ではまだ秋の頃だというのに、越後では早や冬の景色が広がっていた。越後の冬はとかく寒い。しかも、日本海側と面しているため、風が強く、雪の結晶も大きい。降ればすぐに何mも積もってしまう程であった。

 春日山城に着くと、さすがに将軍からの使者というだけあって丁重に案内された。

「景虎殿、面をあげられよ」
 上座に座る晴光が下座に控える長尾景虎に声をかけた。幕府の正使ともなれば、一国の領主といえども、下座に座り、礼を尽くすのがしきたりであった。

「晴光殿、一瞥以来、お久しゅうござる。お変わりはござりませなんだか」
 面をあげた景虎は、親しそうに晴光に声をかける。

「上様は、お元気でございますかな?」
「上様は、ことのほか、ご健勝でございまする。景虎殿が上洛されるのを、今か今かとお待ちにございまする」

 景虎の問いに晴光は、間髪入れずに答えた。ここで、上洛の件を持ち出し、景虎に翻意してもらいたいからに違いなかった。

「これなるは、副使の明智光秀にござる」
「明智十兵衛光秀にございまする。以後、ご昵懇に」
 光秀は、景虎に挨拶して、また横に控えた。

「さて、景虎殿。はるばる越後までまかり越したるは、上意にございまする。上様は、景虎殿の上洛をお待ちにございまする。また内々ながら、武田、北条と和睦し、京洛にて跋扈し、将軍義輝公を蔑ろにせし、三好一党を駆逐するために、御助力なされる事を上様はお望みにござりまする。この儀、ご返答頂きたい」

 恭しく、晴光の言葉を聞いていた、景虎は少し考えたのち、ゆっくりとした口調で答えた。

「仰せの儀、上洛の件につきましては、上意なれば、景虎に異存はございませぬ。なれど、今から越後は冬に入りますれば、上洛は雪解けの春が宜しかろうと存じまする」

「また、内々の儀に関しては、我の一存にては承知致しかねず。我らの不倶戴天の敵となる、武田、北条にも聞かねばなりますまい」

 この景虎の言葉以上には、話しの進みようもなく、会見は打ち切られた。要するにまずは、武田、北条からの言質が欲しい。話しはそれからだと言う事であった。

 それから夜になり、将軍正使一行をもてなす酒宴が開かれ、光秀も参加することとなった。酒宴では、狂言や囃子舞や小唄踊りなどが催され、和やかな雰囲気のもとに進んでいった。

「越後には、山海の珍味が豊富にあり、酒はうまい。心往くまでご堪能あられたい」

 景虎はそう光秀達に語り、自分も酒を楽しんでいる風だった。
「景虎殿、まずは一献」

 宴もたけなわとなってきた所で、光秀は、景虎の前に進み出て酒を注いだ。宴が盛り上がる今であれば、景虎に近づいてもよいと考えての事だった。

「我らはこれより、甲斐、相模に行きまする。そこで、景虎殿に武田と北条についての存念を承りたい」

 酒を注いだ後に、光秀は、景虎に面と向かって聞いた。
「武田と北条は果たして、和議に応じましょうや?」

 光秀は、景虎を見ている。景虎も光秀をじっと見ている。そして、注がれた酒を一気に飲み干した。

「土産が必要にございましょうな。武田は、信濃国の支配が望み、北条は関東八州への野心がございまする。そこをご配慮なされよ。なれど、この景虎は、それを見過ごす事は出来ませぬ」

 つまりは、武田と北条を説得するには、両者が欲する利が必要だが、長尾はそれを許すことは出来ない。景虎は暗に武田、北条に譲歩しないように光秀に釘を刺しているのだ。

「我の望みは、上様の御威光の元、天下が定まり、民百姓を苦しめる戦のない世の中を作るために、働く事にございまする」

「また、戦を仕掛け、元の領主を追い出し、自らの権力を増大させようと欲する晴信と氏康は許せませぬ。我がいずれ、成敗仕る所存。上様を助け参らすのに、謀反人の手は借りませぬ」

 景虎は、酔いのせいか、それとも光秀の人柄を好ましく思ったのか、饒舌に自分の胸の内を語ってくれたようだった。また、景虎はこうも言っている。

「戦のない世の中を作り、武士などという血なまぐさい生き方を捨て、仏門に帰依し、仏と語らう生き方を取り戻すのが、我の最後の望みにございまする」
 光秀は、景虎の言葉をじっと聞いていた。その言葉の一つ一つに重みがあり、真実を語っていると光秀は感じた。

(飾りや駆け引きが一切ない。ただただ忠義心と己の信じる正義のために戦っているのだ)

 光秀は、長尾景虎という戦国の世には稀有な、後世の世に義将と称された男の生き様を垣間見た気がしていた。そして、酒宴は、夜半過ぎにてお開きとなった。

「光秀殿、京の都に着きし折りには、京の美酒でも振舞うて下され」

 これが、越後を後にするときに景虎が光秀に語った言葉だった。思惑のすべてが上手くはいかなかったが、とにかく景虎の再上洛の言質は取り付ける事に成功した。光秀達は意気揚々と武田晴信の居る、甲斐の国へと向かうのだった。

「都より、甲斐への国へは程遠し。おいそぎあれや、日は武田殿」

 武田晴信を思うときには、いつもこの言葉を思い出す。これは、当時の俳諧書である犬筑波集にて、信玄と呼ばれた頃の晴信の武田家の状況を現したものだが、端的にある事実を著していると思われる。

 晴信は甲斐の国を愛した。終生、躑躅ヶ崎館を居所として、領土を広げてもその根拠地を替えようとはしなかった。

「人は城、人は石垣」
 有名な晴信の言葉だが、これは有能な家臣団に恵まれていた晴信が、家臣への信頼の証として、自分は堅固な城を建てず、城に比べて脆い館に住み続ける気持ちを現した言葉とも言われている。

 武田家は上杉家と並んで戦国最強と謳われた。上杉謙信(長尾景虎)は、天才的な戦術家であった。この男に川中島で出会い、そしてその後の十年以上を、この男に勝ち、信濃の支配権を獲得するために、晴信は時を費やす事となる。二人の出会いが両家を戦国最強の軍隊に育て上げた事は間違いない事実である。

 しかし、その両家が争いに費やした時間こそが、二人をして天下が取れなかった最大の要因ではないだろうか?武田晴信と長尾景虎、終生のライバルである二人の出会いは、果たして、幸せであっただろうか。それとも・・・

 光秀達一行が甲斐の国に入ったのは、今冬の事であった。越後の国を立ってから間もなくの事である。越後の冬も寒いが、甲斐の冬も同じく寒い。甲斐の国は山国であるので、当然ながら雪が降れば積もる。その積もり方は尋常ではない。

 しかも、今年の冬は、一段と厳しい寒さが続いていた。しかし、光秀達はそれでも積もった雪をかき分けて進まねばならなかった。

 通常であれば、雪の降らない春から秋にかけてが、越後にしろ、甲斐にしろ、旅をするには良いのであろうが、わざわざ厳しい雪の時期に甲斐の国まで来なければいけない程、今の将軍家は危急存亡の秋であった。

(ともかくも、何とか突破口を見つけねば)

 現在、光秀が考えているのは、その事のみと言ってもよいのではないだろうか。今の足利将軍家には、陽炎としか言えない程度の権力基盤しかなく、いや基盤と言えるほど心強いものではなく、今出来る事と言えば、有力な大名にお願いして、助けてもらう他はないといった状況であった。

「武家の棟梁たる、足利将軍家が何と情けなきことか。初代尊氏公が見られたら、どんなに嘆き悲しむであろうか」

 晴光は、今の状態をそう言って嘆いているのだが、考えてみれば、歴代の将軍も何度も有力大名に助けを求めて彷徨っている者が多かった。

 初代の尊氏でさえそうで、室町幕府の成り立ちからして、自力勢力を持たない権力構造となっていたので、時を経て、将軍も第十三代を数えるころになれば、将軍家の力が衰えて、日本全国で力のある者が出てくるのは、歴史的な必然と言えるのかも知れなかった。

 しかし、必然だからと言って、そのまま手をこまねいて、歴史の神とやらが作るシナリオをだまって見ている気は、光秀にはないのであった。

 光秀達が武田氏の本拠地である躑躅ヶ崎館に着いてから、すでに三日経っていた。この間に、当主である武田晴信には、いまだ会えてはいない。

「ごゆるりとお寛ぎ下さいませ」
 使いの者が、そう初日に光秀達の前に現れてからは、豪勢な食事や酒は振舞われるものの、一切なんの連絡もなく、武田家の重臣の一人でも挨拶に来るでもなく、光秀達はまったく無為な日々を過ごしていた。

「遅い!越後とは対応が雲泥の差じゃ。晴信殿は何をなされているのか」
 日に何度も晴光が催促の使者を出すも、文字通り無しのつぶての状況であった。

「これは、何かあるな」
 光秀は、早い段階からそう感じてはいたものの、他に手立てもないといった次第であった。

「明智光秀殿宛に、書状が届いております」
 光秀宛に、宛名のない手紙が届いたのは、そんな時の事であった。

「今宵、当屋敷に来られたし」
 手紙には、屋敷の場所と、光秀一人で来るように書いてあったが、差出人の名前は、書かれていなかった。手紙を持ってきた家人に聞いてみたが、何とも要領を得ない次第であった。

「ここで、座していても状況は変わりますまい。ここは、お任せ頂きたい」
 晴光は、相手が不明な事と、正使の自分ではなく、手紙が光秀宛である事に難色を示していたが、結局、他にどうすることも出来ず、光秀が手紙に書かれてあった屋敷へと向かう事となった。

「ここか!」
 光秀は、書状に記してあった屋敷へ、時間より早くに着いていた。
「罠かもしれぬからな。用心にしくはない」

 光秀は、すぐには屋敷には入らず、しばらく辺りで様子を探ることにした。
その屋敷は、お世辞にも立派とは言えず、屋敷と言うのでさえ、憚られるような小屋と言うのに相応しい成り立ちをしていた。さしずめ百姓の家か下級武士の屋敷に思えた。

 中を覗ってみると炊煙が立ち、何やら食事の用意をしている様子だった。一人のうす汚れた男が、必死に焚き木の番を務めているのが見えた。

 その男の顔は、はっきりとは見えなかったが、なれない手つきで炊事に奮闘する姿を遠目で見ていた光秀は、この男が刺客とも思えず、その滑稽な姿に愛着さえ感じて、屋敷の中に入ってみることにした。

「御免!我は、明智十兵衛光秀と申す。書状を頂戴し、罷り越しました」
 光秀が声をかけると、先ほどの男が家の前へ飛び出してきた。

「これは、明智殿。お久しゅうござる」
 その男は、隻眼で眼帯をしており、足は片方を引きずっていた。無精ひげをはやし、身なりも汚く、小男でいかにも浪人の風体をしていた。

「これは、大林勘助殿。お懐かしゅうござる。貴殿でござったか?」
「明智殿、覚えていて下さって忝い。今は、名を改め、山本勘助と申す」
「さあ、小さき、うす小屋でござるが中へ入られよ」

 勘助に促されて、光秀は中へ入った。勘助は、他で見ている者がいないかを確認してから、続いて中へ入っていった。中へ入るとすぐに土間があり、家中にいい匂いが立ち込めていた。

「丁度、猪鍋が煮えた所でござる」
 そう言うと勘助は、光秀に座るように促し、猪鍋を光秀によそって差し出した。

「勘助殿は、今は甲斐に御住まいか?」
 光秀は、猪肉を法張りながら、注がれた酒を口にした。

「ここは、某の家臣の住まいでござってな。光秀殿を呼ぶのに人目を憚るゆえ、借り申した」

「甲斐の武田に、隻眼の軍師ありと聞き及んでおりましたが、勘助殿の事でござったか。驚き申した」
「さすが光秀殿。やはり、気づかれましたか」

 光秀と勘助はその昔、会ったことがあった。

 当時、二人とも今川家への仕官を望んで駿河の国へ来ていたのだが、そこで出会ったのだ。勘助は当時、大林勘助と言い、諸国を巡り、知識が豊富で兵法や築城術に長けていた。その名声は高まり、他国にもその名が聞こえ始めていた。

 しかし、今川家の当主である義元は、一度勘助に会っただけで登用しようとはしなかった。勘助の手腕を見込んだ重臣が、いくら説いても首を縦に振ることはなかった。

 義元が勘助を採用しなかった理由は明快で、ただ勘助の容貌を嫌い、
「あんな隻眼で、片足が不自由な小男が、兵法に明るいわけがない。ただの法螺吹きであろう」

 そう言って勘助を毛嫌いし、仕官を認めなかった。勘助は、鬱屈した時を過ごしたが、武田家当主の晴信が、勘助の噂を聞きつけて、高禄で召し仕えて、今に至るのである。

「光秀殿は、あのまま今川家へ仕官なさるとばかり思うておりましたが、まさか将軍家よりの使者の中におられるとは、夢にも思いませなんだ」

「義元殿は、海道一の弓取りと謳われた名将でござる。駿河の国は富み、兵や人材は豊富で治世はゆき届いておりまする。しかも、太源雪斎という軍師がおり、今やもっとも天下に近い人物だと言われておりまする。しかし、勘助殿に対する対応を見るに、育ちのゆえか、人の中の珠と泥の区別がつかないことがあるやに見受けられ申す。

 しからば、これより大切な時期につまらぬ事で大事を誤るかもしれず、駿河を後にし申した」
 そう言い切ってから、光秀は杯を口にした。勘助は、そんな光秀を見てニヤリとしたまま何も言わなかった。二人は静かに杯を飲み干した。

「勘助殿、それではそろそろ人目を憚り、拙者を呼んだ分けをお聞かせ頂けぬか」
 光秀は、勘助に話しをするよう促した。

「そうであった。懐かしさの余り、余計な事をついしゃべり過ぎ申した。光秀殿をここにお呼び立てしたのは、他でもない。我が主、武田晴信よりの言伝をお伝え致したく呼び申した」

「我がお館様である晴信公は、信濃国の支配を幕府に認めて頂きたく考えておりまする」
 そう言った勘助の鋭い隻眼が、ギラリと光ったように見えた。

「つまり、幕府が晴信殿を信濃守護へ任ぜよと」
「御意!光秀殿の斡旋にて、取り計らい下されたく、この勘助の本意を汲んで下さりませ」

 勘助は、わざと恭しく光秀に頭を下げてみせた。光秀は、またやっかいな難問を抱える事となった。

「ならぬ!それはならぬぞ、光秀よ」
 光秀が勘助の元より帰って、晴光に事の次第を報告した所、案の定、晴光は難色を示した。

 しかし、事は、ただ信濃守護職の話しを断れば済む分けではなく、要するに武田は、長尾と停戦をするのに土産を欲していたのである。

 この時の状況として、武田は信濃国の半分をすでに手中に治めており、さらに北へと進路を拡大させつつあった。越後の国とは、もう境界線を接する所まできており、信濃国すべてを武田に奪われれば、長尾は、万事休すになる所であったのだ。

 その境界線が川中島であり、自己防衛のためにも、長尾景虎は、信濃の豪族達の後ろ盾となっていたのである。武田と長尾を結びつけるには、武田に信濃国の支配を正式に認める信濃守護職が必要だが、長尾景虎は、決してそれを許さないであろう。

 であるからして、両者が納得する方法を思案する必要性があったのである。

「認めねば武田は、景虎殿が京の都へ上った所を狙うでしょうな」

 光秀は、半分意地悪く晴光にそっけなく答えた。晴光は、光秀の言葉を聞いて黙ってしまった。光秀は、考え込む晴光とは別に、勘助が帰り際に話した言葉を思い出していた。

「争う者を仲裁するには、双方の顔を立てなければいけませぬ。顔を立てるには、両者の望むものが何かを見極める事が肝要」

「両者の望むもの…」
 武田は、信濃守護が望み、しかし長尾は?長尾景虎という男は、領土的な野心がなく、晴光にも光秀にも何も要求してはこなかった。

「長尾景虎は利では動かない。ならば!」
 光秀は、何かひらめいた様子で、晴光へ声をかけた。光秀の話しを聞いた晴光は、驚きの余り、声を失ってしまった。

「ここは、この光秀にお任せ頂きたい」
 動揺する晴光をよそに、力強く光秀は、言い放つのであった。

 武田晴信への面会は、光秀が勘助に取成しを頼んで、次の日に実現された。何も音沙汰がなく、長い間待たされたことを考えると嘘のような速さだった。

「武田晴信にございまする」
「晴信殿か、、面手をあげられよ。私が正使の大館晴光でござる」

 晴光は、上座より声を掛けた。その横には、光秀が控えている。
「晴信殿よ、待ちくたびれたぞ。会えて嬉しく思うぞ」
「…」

 晴光は気さくに声が掛けるが、晴信はにこりともせず、ただ軽く頭を下げた。
 それから晴光がいくつか社交辞令のような会話を続けても、晴信は一言も発しなかった。

「おほん!ご使者殿、山本勘助にございまする。我が主に成り代わり、言上仕ります。我が武田家が越後と手打ちをするためには、京におわす上様のお力が必要となりまする」

「上様のお力とは何か?」
「ご推察下されませ」
 晴光は、勘助の言葉を聞いて、光秀の方を見た。光秀は晴光と目が合うと大きく頷いた。

「信濃守護の件ならば、こちらも承知しておる。すでに京の都へ使者を飛ばした所だ。数日中には、色よい返事が、この甲斐にもたらされるであろう」

「信濃を手中に治めるからには、長尾と手打ち致す事、相違ござらぬな。この儀、しかとこの場にて、ご返答頂きたい」

 晴光は、光秀との打ち合わせ通り、口上を述べた。
「信濃守護職推任の件、晴信、謹んでお受け致しまする。また、越後には、あちらから攻めてこぬ以上は、こちらから手出し致しませぬ。ご使者には、遠路はるばるの御骨入り、誠に忝けのうござりました」

 そう言って晴信は深々と頭を下げてみせた。その姿には、甲斐の国主の威厳そのものが詰まっているように光秀には感じられた。


 甲斐での武田家説得の役目が上首尾に終わったので、晴光と光秀の使者御一行は、すぐに次の目的地である相模の国の北条家を目指して、甲斐との国境を進んでいた。

「しかし、武田晴信という男は世情の噂とは違い、案外な愚鈍かもしれぬ。ほとんどしゃべろうとはせず、あの隻眼の家臣が応対していた事を見ても、お飾りの当主に過ぎぬのかもしれぬぞ」

 晴光は、道中にて晴信の評価をネタに会話を楽しんでいたが、光秀は晴光とは全く異なる見解を持っていた。

(武田晴信は、恐ろしい武将だ。まるで底が知れぬ)
 光秀は、晴信を最大限評価していた。

 まず、落ちぶれても足利将軍家の使者が来ているのに臆することなく、自分のペースに引き入れるために、数日足止めをしていた事、そして、ようやく対面した時も、余計な事は一切しゃべらず、勘助に終始対応を任せていた事。

「しかも、あの男は信濃守護職推任と言っておった。あくまで、こちらから推薦したのを受ける恰好を取ったのだ」

 裏では、勘助を使って守護職が欲しいと言いながら、公式に会うときには、あくまで自分が受ける形を取ることで、貸しを作る事を避けたのだ。

(武田晴信は、権謀術数に長けた、優れた武将だ)

 光秀は、晴信の恐ろしさを知り、恐怖感を覚えていた。その恐怖は、後年に違う形となって現れてくるのである。

「さて、もうすぐしたら甲斐の国境を超えるぞ」
 光秀の不安とはよそに、晴光は意気揚々と進んでいった。そして、一行が国境にある峠へ差し掛かった所で、光秀は、皆に止まるよう指示した。

「この峠は、登るにつれて、道が狭くなっております。こういう所では、奇襲の恐れがあるため、念のため、斥候を出すのが宜しいかと存じまする」

 光秀が進言すると、晴光は、お付きの若衆二人に、様子を見てくるよう命じた。

「遅いのう。二人が見に行ってから、もう半刻も経つのではないか?」
 斥候に出した二人が戻ってこないので、晴光は、そわそわして光秀に尋ねる。光秀は、晴光の問いには答えず、じっと峠の頂上付近を凝視していた。このままだと、日が落ちてしまう。そうなれば、慣れない土地で、しかも真冬に野宿することになる。

 この時代の野宿は、盗賊は出るし、餓えた狼も出て大変危険なものだった。それだけは避けたい。さて、どうするか?

「よし!」
 そう言うと光秀は、自分が様子を見に行く事を晴光らに伝えて、峠に向かって歩き始めた。光秀が峠の頂上付近まで登っていくと、斥候に出した二人が仰向けに倒れているのが見えた。

 光秀は、辺りを警戒しながら、二人の生死を確かめたが、すでに二人とも事切れてしまっていた。
「見事な切り口だ」

 二人は、致命傷となる一箇所の刀傷で殺されており、その傷の深さが、相当な手練れによって殺されていたことを物語っていた。

「もう一人居ったか!」
 光秀が二人の死体を確認していると、辺りに潜んでいた五、六人の男達が姿を現した。その中心にいる一人の男が光秀に向かって言った。

「そこに転がっている二人は、わしが切ったのよ。逃げもせずにご立派な事だったぜ」

「貴様らは何者だ。盗賊か?我らを、京の公方様よりの使者と知っての狼藉か」
 光秀は、男たちに向かって大喝した。

「われらは、盗賊の如き卑しい者ではない。さるお方から頼まれたのだ。お主等、目障りな輩を葬ってくれとな」

 光秀は、男達と対峙したが、多勢に無勢を感じていた。しかも相手は、護衛二人を簡単に切り伏せた手練れである。峠の下にいる晴光達に知らせるにも隙がなく、距離がありすぎる。

「さあどうしたものか?」
 光秀は、独語しながら、抜いた刀を相手に向け、ジリジリと後ろに下がっていった。そうして、機会を伺いタイミングを見て、峠の横道とも言えないけもの道に身をかわして、林の中へと姿をくらませた。相手の男たちは、すぐに光秀を追って走った。

(この者たち、確かに盗賊などではない。追うのに慣れ過ぎている)
 光秀は、逃げながらチラチラと後ろを気にして、追ってくる刺客達を観察していた。

 相手は、光秀を追うのに一人も言葉を発せず、連なって走ることなく、一人は右に、一人は左に、一人は中央にと別々の道を走り、光秀を追い詰めるという目的を、効率よく達成するためにのみ動いているかのように見えた。

「間違いない。忍びだ!」
 林の側にあった切り株に身を隠して、光秀は確信に近い物を感じていた。

(気づかれるかもしれないが、一か八かの賭けだ)

 光秀は、そう思うと背に掛けていた鉄砲を取り出し、発射出来るように準備を始めた。相手が忍びだとすれば、火薬の匂いには敏感なはずだ。気づかれるかもしれないが、そうする事で敵を一人倒し、また、離れた場所にいる晴光達に異変が起こった事が伝わるかもしれない。

「考えている暇はなし。我の命運を切り開くは、この鉄砲と自らの腕のみ」
 そう言うと光秀は、茂みの中からゆっくりと銃口を伸ばし、敵の一人に狙いを定めた。

「ドドーーンッ!」
 少ししてから、けたたましい銃声が鳴り響いた。それと同時に、敵の一人の男がバッタリとその場で仰向けに倒れこんだ。それを見た二人の敵は、銃声が鳴った光秀がいる切り株の場所へ、狙いを定めて、雄叫びを上げながら襲いかかってきた。

 二人が茂みに迫ろうとする瞬間に、光秀が転がり出てきて、態勢を立て直す最中に、目の前にいた一人の男の左足を切り払った。そして、返す刀で右側にいた男の喉元を突いた。二人の男は、光秀に反撃する間もなくその場に倒れた。喉を突かれた男は即死だった。

 左足を切られた男は、尚も抵抗しようと足掻こうとしたが、すぐに光秀によって止めをさされた。相手が向かってくる以上、光秀にも容赦はなかった。光秀は、使用した銃を回収すると、すぐにその場を離れた。

(確認出来た人数は六人。残り三人だが、急がねば…)

 光秀が見た敵の数は六人だったが、本当にそれだけとは限らなかった。別部隊があるかもしれず、特に晴光達は、何も知らずにいるのである。

 先程の光秀が放った銃声で上手く察してくれればいいが、ふいに敵に出くわせば、かえって混乱し、敵に後れをとるかもしれない。

(敵の頭を倒さなければ!)
 光秀は、辺りに警戒しつつ林の中を走った。もう辺りは暗くなり、陽は、いつのまにか落ちてしまっていた。光秀は、運よく敵に会うことなく、林を通り抜け、元の街道へ出る事が出来た。

 身を岩山に潜めながら辺りを見渡していると、下から光が近づいてくるのが見えた。光秀は、素早く走りながら、その光の方へと近づいていった。

「何者か?」
 光の先頭に居た男が、光秀に問いただす。

「晴光殿、ご無事でしたか」
 光は松明で、晴光達一行が銃声を聞きつけて登ってきていたのだった。

「光秀、その姿は…」
 晴光は、敵の返り血を浴びた、光秀の姿を見て問い正した。
「敵に襲われました。心配無用、すべて返り血です。斥候に出した二人は、すでに殺られておりました。敵は残り三人。かなりの手練れで、忍びかと思われまする」

「なに?一体何者が、まさか武田が…」
「詮索は後で。今は何より、生き残る事が肝要です」

 晴光の言う通り、武田には、確かに三つ者と呼ばれる忍び集団が存在しており、また晴信お抱えのくの一が全国に散らばり、武田家の情報収集を担っていたと言われているが、今は光秀が言うように、考えるよりも、行動で自分たちの未来を切り開かねばならない状況であった。

「こんな所で、逃げる算段でもしていたのか?」
 話していると敵の残り三人も終結したようで、こちらへと向かって来た。
「貴様ら、わしを将軍義輝公が正使、大館晴光と知っての狼藉か」

「その正使様を斬るのが、我らの務めなのよ」
 晴光は敵に大喝したが、相手は一向に怯んだ様子を見せなかった。

「果たして、たかだか三人で我ら全員を切れるのか?」
「どうかな?斬るのは、貴様が一人だけで十分そうだがな」

 晴光は、尚も相手を怯まそうと試みたが、相手にこちらの戦力を見透かされているのが分かるばかりだった。

 京の都より、使者一向として出発したのが十名で、その内、正使の晴光と副使の光秀、護衛が五人。その内の二人は、すでに斬られてしまっている。残り三人のうち二人は、食事や雑用をする小者で、もう一人は晴光の馬を引く口取りであった。

 つまり、実際に戦える者は、晴光と光秀を含めても五人しかおらず、しかも護衛の三人は年若く、実は、実戦の経験が無いに等しかった。それを少しの動作を見ただけで、相手は感じ取ってしまったのだ。敵は相当な手練れだと思わなければならなかった。

「話していても始まりますまい」
 光秀はそう言うと、一行の体制を整え直した。まず、晴光は大将として、後方に下がってもらい、護衛の一人をつけた。残りの小者達は、更に後ろへと非難させ、光秀自身は敵の頭らしき人物と対峙する恰好となった。残り二人の護衛は、それぞれ敵の一人ずつと対峙していた。

「各々、抜かりあるな!」
 光秀の言葉が合図となって、一人一人が咆哮とも言うべき奇声をあげ、それぞれの対峙する敵へと向かっていった。
「カキーンッギチャッツ」

 刀と刀が擦れあう音が、あちらこちらで木霊する。光秀は、敵の頭と鍔競合いを繰り広げ、互いに頭を近づけ、睨みあう恰好となっていた。

「お主が他の三人を斬ったのか?」
 光秀に対して睨みをきかせながら、頭の男は聞いてきた。

「そうだ!」
「ならば、このわしが弔いにお主を斬る」

 鍔競合いを解いて、二人は再び対峙する恰好となった。そして、光秀は中段から、少し横斜めに、敵の頭は上段に構え直した。

「そうはいかぬ。私には、まだまだ成すべき事が多すぎる。この国の戦乱を鎮めるために働かねばならぬ。大儀のため、この私に斬られるか!」
「ほざけ!」

 二人の激しい戦いが再び始まった。両者とも一歩も引かず、戦いはこのまま永久に続くのかと思うぐらい激しさを増していった。その打ち合いが十合目を超えて、二十合目へと差し掛かるのが見え始めた時に、ふいに決着の時は訪れた。

 敵の頭の男は、光秀へ向けて勇猛に撃ちかかろうとしたその時に、片足が小石に躓いてしまい態勢を崩した。光秀は、その瞬間を見逃さなかった。袈裟懸けに一刀を全身の力を込めて振り下ろした。瞬間の判断が勝敗を分ける事となった。

「不覚なり!」
 頭の男は、そう言いながら倒れた。言葉を発した後、すでに事切れていた。

他の二人の護衛は、劣勢に立たされていたが、何とか持ちこたえていた。頭の男が倒されるのを見ると、残りの刺客の二人は逃げ去っていった。光秀たちは、その後を追おうとはしなかった。否、追撃する余裕など、誰にも残されてはいなかったのである。

「何とか片付きましたな」
 光秀は、後方にいた晴光に近寄り、声をかけた。

「しかし、この者たちは一体何者だったのだ?」

 残された遺体の持ち物を確認したが、正体を示すような証拠は、何一つ見つからなかった。光秀達は、殺された二人と、倒した敵を懇ろに弔ってやることにした。

 若衆の二人は、申し訳ないがここに埋めていくしかない。せめて遺髪を後日、家族の元に届けるのが精いっぱいの事だった。死んでしまえば敵も味方もない。それぞれが生きる目的のために戦ったのだ。そこに恨みなどあるはずもなかった。

(これが、武士の習いなのだ)
 光秀は、せめてもの事として、死者達の墓標へ、手持ちの酒をくべてやるのだった。

 夜もすっかり更けてしまい、これからどうしたものかと光秀達は思案していた。とりあえず、焚火をして手持ちの物で腹ごしらえをしようと準備をしていた。いかなる時でも、食べられる時に食するのが、この時代に生きる者たちに必要な、資質の一つかもしれなかった。

「おーい!おーい!」
 光秀達の焚火を目指して、人が近づいてくるのが見えた。あんなことがあった直後なので、皆が警戒していると、声の主は無造作に近づいてきた。山本勘助だった。勘助は一人で来ていた。

「重大な事が発覚し申したので、後を追いかけてきた次第です」
 勘助は、光秀が差し出した水を一気に飲み干すと、話し始めた。

「実は、光秀殿達が躑躅ヶ崎館を後にして間もなく、拙者の元に情報が入り申した。大館殿が都の公方様に立てた使者が、街道で死体となって発見されたのです」

 勘助の話しによると、晴光が将軍義輝へ、信濃守護などの甲斐での件を書いた書状を持たせた使者が、何者かに襲われたらしい。書状も持ち物は何もかも持ち去られたらしく、事は重大であった。

「勘助殿、我々も先ほど襲われた所です」
 光秀は、先程あった事を勘助に話して聞かせた。

「それは、何者が仕業でしょうか?」
 勘助は、光秀達を労わる言葉をかけたが、対する光秀からは、意外な言葉が発せられた。

「勘助殿、聞けば甲斐には忍びを多数率いておるとか?敵国の間者が紛れているのに防げませんでしたかな?」
「これは心外な。何をお疑いでしょうや?」
「いや別意はござらぬ」

 光秀の嫌味に、勘助は少しムッとしたが、光秀には、この勘助登場のタイミングの良さが心の中で少し引っ掛ってしまっていたのだ。

「とにかく、善後策としても、二手に分かれなければなりますまい」
 光秀は、自分で言いながらも暗い気持ちになっていた。先程襲われて、人数を減らした所なのに、更に自分たちで、人数を減らさなければならなかったからだ。

 京の都への報告は、迅速でなければならず、また相模の北条家へも遅れることなく、行かねばならなかった。先程の刺客を送ってきた敵の恐ろしさは、まさに敵に襲われると分かっていながらも、味方を分けざるをえないように仕向けているからに他ならず、光秀もその点に気付いていながらも、他に策がないはがゆさを感じていた。

「使者の護衛は、甲斐より出しましょう」
 悩んでいる光秀達を見かねて、勘助が救いの手を出してくれた。結論として京の都への使者は、光秀が一人で経ち、相模の北条へは、晴光達残りの者が、甲斐からの護衛に守られながら行くこととなった。

「かえって一人の方が刺客に気取られずにすむ。それに護衛がいれば、その分が遅れる」
 光秀は、そう言って勘助からの護衛を断ることにした。そうすることにより、少しでも多く、晴光達正使一行へ、人数を割く狙いもあったのだ。

「晴光殿、それでは道中お気を付けて。北条家への説得は、宜しくお頼み申しまする」
「光秀も道中気をつけよ。お主の事だから大丈夫であろうが、無茶はするな」
「勘助殿、先ほどはご無礼仕った。護衛の件、しかとお頼み申しまする」

 光秀達は別れの言葉を交わして、それぞれの目的地へと向かって歩を進ませていった。光秀は一人京の都へ、晴光達は、このまま相模の北条家へと、そして勘助は甲斐の国へと帰っていった。

 勘助は、甲斐の国へと戻ると、自宅に寄ることなく、すぐに別の場所へ向かっていた。
「お館様、夜更けに申し訳ございませぬ。勘助、只今戻りましてござりまする」

 勘助は、躑躅ヶ崎館へと戻ると、夜中にも関わらず、主である晴信に会いにいっていたのだ。
「勘助戻ったか。して首尾は?」

 晴信は、寝所にいたのだが、別段不快な様子も見せずに起きだして、別室にいる勘助に声をかけた。勘助が訪ねて来るのを、承知していたのである。

「上々にござりまする。一人、例の明智光秀が気づいているやも知れませぬが、こちらの思惑までは計りきれますまい」

「勘助の悪知恵よな。京にいるあの男へ使者を送り、あの男が忍びを使って、正使一行を襲わすように仕組む」

「いやいや、お館様こそお人が悪い。その後、護衛をつけて足利将軍家に恩を売り、なおかつ北条家へも将軍家の思惑を曝して、あくまで越後と相模を争わせる」

「北条と長尾が和睦すれば、越後はこちらに刃を向ける。長尾と北条は争わすに限る。足利将軍家の思惑なぞ、この甲斐には通じぬ」

「そして、時期が到来すれば一気に京へと進み、この武田の旗を立てるのじゃ」
 晴信と勘助は互いに見合ってニヤリと笑った。その姿は、主従を超えた同志のようであった。


 光秀は、無事に京の都へ帰って来ていた。
「よくぞ無事に帰ってきた」
 二条御所へ報告に行くと、義輝と藤孝の二人が出迎えてくれた。

「中先道をひた走りに、駆けまわってございまする」
 光秀は、敵の刺客をかわす為に、わざわざ難所と言われる、雪道の中先道を通って帰って来たのだ。そのおかげか、道中では敵に襲われる事はなかった。大変だったのは、むしろ晴光達の方であったろう。

 この時の光秀が晴光の状況など知る由もなかったが、晴光達は、小田原へ向かう途中でまたもや刺客に襲われ、護衛が一人犠牲となっていた。そして、やっとの事で着いた小田原では、当主の北条氏康より、長尾との和睦は、にべもなく断られていた。この後、晴光達は落胆しながら帰京することとなる。

「相分かった。しかし、その光秀たちを襲った刺客の首謀者を突き止める事が先決だな」
 光秀よりの報告を聞いた義輝は、そう言った。

「武田へは、信濃守護職を任ずるとして、問題は長尾がそれを聞いてどう出るかですな。それに刺客の黒幕を突き止めると言っても…」

 義輝の話を聞いた藤孝は、顎に手をかけ、考えながら言った。
「武田は利によって動きまする。すなわち信濃守護職は、武田を釣る餌にございます。一方、長尾景虎という男は、利ではなく義によって動きまする。義を重んずる人物には、名誉をもってこれに応えるが上策。私の提案をまずは、お聞き下さいませ」

 光秀がそう言って提案した事で、義輝も藤孝も納得し、協議は決まった。また、刺客の件についても話された。
「証拠はありませぬが、恐らくは、伊賀か甲賀の者で間違いなかろうかと」

「伊賀か甲賀となると大和国であったな。では、あの男の仕業か?」
「御意にございまする。上様には、心当たりがおありですかな?」
 光秀の問いに義輝は「うむ」と言ったきり、何も答えようとはしない。

「実は、光秀殿らが居らぬ間に、長慶を亡き者にしようと刺客を差し向けたのだが、失敗に終わったのだ」
 横にいた藤孝から、衝撃的な内容の言葉が発せられた。

「このままでは、足利将軍家が危ないと思う一心からの所業じゃ。そちや晴光達には相すまぬ事と思っておる」

 ようやく義輝が重い口を開いた。その顔には、この青年将軍にしては珍しく罰の悪そうな表情が見て取れた。それで、光秀はすべてを察した。つまりは、三好長慶が義輝らに襲われた意趣返しに、光秀たちに刺客を送らせたのだった。

「上様、この儀はこの光秀にお任せ頂きたい」
「どうするのだ?光秀よ」

「無論、長慶殿と話し合い仕る。それが通らぬ時には、この手で討ちまする」
「馬鹿な事を光秀殿、飛んで火にいる何とやら、殺されまするぞ」

 藤孝は、無謀にも敵の、そう幕府にとって獅子身中の敵とも言える親玉に直談判しようとしている光秀を止めた。

「元より覚悟の上。私は、三好長慶という男がこの国に害を及ぼす者か、それとも幕府にとって必要な男かを見極めたいのです。私の考えが正しいか、どうかは、行ってみれば分かること。間違っていれば、新参者の足軽大将が一人居なくなるだけの事だ」

 こういう時の光秀は、いつも何か勝算があって動いているのを藤孝は知っている。義輝も藤孝もしぶしぶながら、光秀の提案を認める事となった。


 この頃の三好家と言えば、その所領は、四国と畿内を中心に勢力を伸ばしており、山城、摂津、阿波、讃岐、播磨、伊予、丹波、和泉、淡路、大和、若狭の一部に及ぶ、約十一ヶ国を所有する、この時期最大の大大名であった。

 元々、三好氏と言えば、源氏の名門である小笠原家の庶流と言われており、その家祖である三好義長が、阿波国の三好郡に土着した事を始めとする。更にその前を辿れば、足利尊氏の功臣であった小笠原貞宗へ行きつく事が出来る。

 それが、時代を経て、主筋である管領細川家を傀儡とし、今や将軍家を牛耳るまで勢力を拡大しており、その現当主が三好長慶である事は、何度か述べた通りである。

 この状況をもって、三好長慶を事実上の天下人と考える歴史家もいる。この三好家の成長には、応仁の乱を始めとする戦国時代へ突入した時代背景と、それを抑える力を失ってしまった足利将軍家の衰えが考えられる。

 その三好家の主城が摂津国にある芥川山城であった。
 芥川山城は、山頂に主郭を置く、壮大な山城で、主郭背後には段状廓があり、土塁等も整備された城であった。その城に光秀は来ている。

(さて、どうしたものか…)
 本当の所、上手く行くかどうかは、光秀にも分からなかったが、光秀は三好長慶と言う男を、単なる悪党の親玉だとは思っていない。

 後世では、彼の評価は、梟雄としてのイメージが強いように思われる。主家の細川家を傀儡にし、将軍家をも、その手中に収める強欲な戦国大名と見られがちだが、その実、主筋にあたる細川晴元には、父である三好元長が晴元の策謀により見捨てられて、戦死したという事実があり、ただ己の欲を満たすためというよりかは、殺すか殺されるかの勢力争いによる結果と見た方がいいのではないだろうか。

 そして、長慶は単なる武人ではなく、茶の湯や和歌にも精通しており、優れた文化人でもあった。

 さらに言えば、その三好家の隆盛は、長慶の個人的な手腕による所が大きかったが、弟達も優秀な者が多かった。

 長男の三好長慶は、京都と幾内とを総べ、幕府相伴衆として実権を掌握していた。次男の三好義賢は、阿波国の三好家の本拠地を統括し、三男の安宅冬康は、淡路の安宅家へ養子に入り、淡路水軍を統率していた。

 四男の十河一存は、讃岐国の十河家へ養子入りして家督を継いでおり、この四兄弟がそれぞれの役割を全うし、一致団結している事に三好氏の強さの秘訣があった。

(門前払いという事も十分考えられるな)
 城の門番に名乗り、取次を頼んだ光秀は考えていた。

 何せこの時の光秀と長慶では立場が違いすぎる。長慶は、今で言えば、超一流企業の専務であり、実質的なオーナーの立場であり、光秀はその会社に中途入社した主任と言った所だった。門前払いされても文句は言えないのである。

「どうぞ、お入り下さい」
 半刻程待たされた後に意外にも通してくれた。そして、客室に通されると、酒と料理が出され、まるで上客のようなもてなしで光秀を迎えてくれた。

(これは、何とした事だろう?)
 光秀が訝しがっていると奥より長慶が現れた。

「光秀よ、心ばかりのもてなし、楽しんでおるかな」
 長慶は、笑顔で光秀に語りかけた。
「御意、思いがけないもてなしを賜り、いささか戸惑ってございまする」

 光秀は、恭しく頭を下げた。
「そう畏まらなくとも良い。今日は、せっかくそちが訪ねて来たのだ。そなたとは、折り有らば、一度ゆっくりと話をして見たかったのだ」

「勿体無きお言葉を賜り、恐悦至極に存じ入り奉りまする」
 対峙する両者、少しの沈黙が訪れた後に長慶から切り出した。

「光秀よ。お主は、儂を斬りにきたのであろう?」
 長慶の言葉に光秀は固まってしまった。余りにも、何の緊張感もなく、長慶が確信を突いたので、返答に窮した。しかも、これで光秀が長慶を討てる可能性が無くなったとみて間違いなかった。

 長慶と対面するのに、光秀が長刀を帯びるのはもちろん許されず、光秀の武器と言えば懐に忍ばせた短刀があるだけだった。長慶が光秀の真意を見抜いた上で、二人きりで会っているとなると、すべてお見通しの可能性の方が高く、光秀は万事休すな状況と言えた。

「修理大夫様の言葉をお聞きしてから、決しようと思っており申した」
 光秀は観念したかのように、ややふてくされた顔をし、長慶を睨み据えて答えた。

「わしの話しを聞いてから討つかどうか決めるとは、さすがは明智光秀よ」

 長慶は、そう言うと大声で笑った。しばらく笑い続けて、つられて光秀まで笑ってしまっていた。光秀は、すっかり長慶を斬る気勢を削がれてしまっていた。

「光秀よ、茶を進ぜよう」
 緊張がほぐれた所で、長慶は光秀に茶を進めた。その作法は、光秀から見ても見事としか言いようのないほど、優れたものだった。

「けっこうなお点前で、お見事です」
 光秀は、茶を飲んで深々と頭を下げた。長慶の所作の一つ一つが素晴らしく、感服するより他なかったのかもしれない。それは、後世に当代一の文化人と謳われた、細川藤孝をして、

「あの頃の京の都人は、皆、三好長慶の茶の湯や連歌に憧れた。私も彼より学びました」
 と言わしめた、稀代の風流人としての姿があった。

「光秀よ、そなたの作法もなかなかのものであったぞ。さすがに土岐の一族よ」
「もったいなきお言葉、忝のう存じまする」

 光秀と長慶の間には、互いに好ましい空気が流れていた。二人は、それからしばしの間、語り合う事となった。

「ドタッダンッダンッダン」
 二人が共有出来た時間を楽しんでいる時に、廊下をけたたましく鳴り響く足音がした。

「御免!」
 男の声と共に障子を豪快に開け放つ音がした。そこには、松永久秀と若党が数名立っていた。

「明智!貴様、殿に何用ぞ?さては、殿を害しに現れたか!」
 そう言うなり、久秀は憤怒の表情で抜刀し、光秀に白刃を突きつけた。それを見た久秀の家来たちも主人に続いて抜刀し、構えた。

「久秀よ。儂は、光秀と茶を楽しんでいたのだ。見て分からぬか?」
 久秀の今にも光秀に切りかかりそうな状況を見て、長慶はやんわりと制した。

「しかし、この明智は意趣返しに、殿を害しに来たことは明白ですぞ」
 長慶の言葉に尚も久秀は止まる様子を見せず、光秀を睨みつけた。

「久秀よ。意趣返しとは何ぞ?そなたは何かわしに隠し立てがあるのか」
「それは、私はただ、襲われた仕返しに来たと…」

 久秀は、そう言ったまま押し黙ってしまった。しかし、なおも抜刀の状態を解こうとはしていない。光秀も、いつ切りかかって来られても良いよう態勢をとっていた。この長慶と久秀のやり取りで、光秀には、おおよその見当がついた。

 どうやら、長慶を暗殺するために刺客が送り込まれたのを聞いた久秀が、そのお返しに、独断で光秀や大館晴光らを襲わせたのだ。それを知って、光秀が長慶を殺しにきたと久秀は考えたのだ。

「光秀よ、久秀はわしへの忠義心のためにやった事なのだ。どうか許してやって欲しい。この通りだ」

「修理大夫様…」
「殿…」

 長慶はそう言うと、光秀に対して深々と頭を下げた。

「光秀よ。我が三好家と将軍家の間に遺恨があった事は事実。なれど、わしはそれを打開したいと思うておる。わしはそなたに約束しよう。この長慶が存命のうちは、三好家は将軍家を盛り立てて、再びこの国を安らげるよう公方様に忠節を尽くすと」

 長慶は、頭をあげると光秀の近くにより、膝を付け合わせるようにしながら、光秀を真っ直ぐ見据えて語った。その眼には、嘘偽りはないように光秀には感じられた。

「修理大夫様、お言葉この光秀、胸に刻みましてござりまする。そして、この光秀も貴方様に誓いまする。立ち返って公方様に、命を賭して今の言葉をご報告申し上げ、両家の間のシコリを取ってご覧に入れまする」

 そう言うと、光秀は深々と長慶に頭を下げた。光秀の眼には薄らと涙が滲んでいた。光秀は嬉しかったのだ。長慶と心が通じ合えた事、そして、何よりも不毛な争いが減る事が。だがしかし、この様子をだまって、しかし、苦々しく見つめる男がいた。久秀である。久秀は、終始だまってこの様子を見ていた。

(とんだ茶番だ!)
 二人の様子をそう見ていた。

「久秀よ、各の如しだ。良いな、金輪際この長慶がいる限り、将軍家にもこの光秀にも手出しは無用と心得よ。それが分かれば、そなたには大和攻略を命じておるゆえ、そうそうに大和に立ち戻るように」

「承知仕りました…」
 久秀は、何も言わずに黙って主に一礼した後に部屋を出て行った。光秀も長慶に謝辞し、城を後にする事とした。長慶は、もう少し寛いで帰るように言っていたのだが、それよりも、少しでも早く戻って義輝と藤孝にこの事を伝えたかったのだ。

 それから、光秀が城から出て少し行った所で、久秀たちが待ち構えていた。しかし、何も言ってはこず、光秀に襲いかかるでもない。ただ、じっと光秀が通り過ぎるにを見ていた。しかし、その眼光には、確かに殺気が宿っているように見えた。

 光秀は、いつでも戦えるように刀の柄に手を伸ばした状態で、馬の歩を進めた。しかし、ゆっくりと、いつも通りの歩幅で、久秀たちの前を悠々と横切って通り抜けた。その姿を、久秀はただじっと光秀の姿が見えなくなるまで、見続けていた。その顔には物を言わずともはっきりと、

(このままではすまさぬぞ!)
 と書いてあった。光秀が去ってから、久秀は大和国の攻略に戻るべく帰路についた。

(殿は、将軍家に懐柔された。殿は申された。この長慶が生きている限りと。ならば、亡き後の事は、この久秀の存念次第と言う事だ)

 久秀は、一人騎乗で思いを馳せ、考えていた。松永久秀が後世に悪名を轟かせるのは、むしろこれより始まると言っても過言ではなかった。光秀も長慶もそんな久秀の存念を計り知れはしなかったのである。
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佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

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