「鏡像のイデア」 難解な推理小説

7章

崩壊の序曲

暗闇。深淵を覗き込むような、底知れない闇が葉羽を包み込んだ。次元の狭間にあった異質な扉を開けた瞬間、葉羽は吸い込まれるようにして、その暗闇の中へと落ちていった。

落下する感覚は、現実のそれとは異なっていた。重力というよりも、まるで意思を持った何かに引きずり込まれるような、不快な感覚だった。そして、その暗闇は、ただ黒いだけでなく、何かが蠢いているような、生々しい気配を伴っていた。

どれくらいの時間が経ったのか、葉羽には見当もつかなかった。永遠にも感じるほどの長い時間、暗闇の中を落下し続け、やがて彼の体は硬い地面に叩きつけられた。

衝撃で息が詰まり、葉羽はしばらく身動きが取れなかった。ゆっくりと呼吸を整え、痛みをこらえながら起き上がると、彼は薄暗い空間にいた。

そこは、荒廃した街のようだった。崩れ落ちたビルディング、ひび割れた道路、そして錆びついた車。全てが崩壊し、朽ち果て、まるで終末世界のような光景が広がっていた。

空は、厚い雲に覆われ、不気味な赤黒い光を放っていた。空気は重く、硫黄のような臭いが鼻をついた。そして、辺りには、不穏な静寂が支配していた。まるで、全てが死に絶えた後の世界のような、そんな静けさだった。

「ここは…一体…？」

葉羽は、嗄れた声で呟いた。この荒廃した街は、現実世界とも、鏡像迷宮とも異なる、全く未知の場所だった。

その時、葉羽は遠くの方で、何かが動く気配を感じた。彼は警戒しながら、声のする方向へと目を凝らした。

すると、暗闇の中から、異形の怪物が現れた。それは、これまで葉羽が見てきたどの怪物よりも巨大で、そして醜悪だった。その姿は、まるで人間の負の感情が具現化したかのような、グロテスクなもので、見る者を圧倒的な恐怖に陥れるには十分だった。

怪物はゆっくりと葉羽に近づいてきた。葉羽は、恐怖に慄きながらも、必死に冷静さを保とうとした。彼は、懐中電灯を取り出し、怪物を照らした。

強力な光を浴びた怪物は、一瞬怯んだように見えた。しかし、すぐに咆哮を上げ、葉羽に襲い掛かってきた。

葉羽は、咄嗟に身をかわし、怪物の攻撃を避けた。そして、懐中電灯を武器代わりに、怪物を殴打した。

しかし、懐中電灯は怪物の硬い皮膚に跳ね返され、全く効果がなかった。怪物は、再び葉羽に襲い掛かってきた。

葉羽は、必死に逃げ回った。しかし、怪物は巨大で、力強く、葉羽を逃がそうとはしなかった。

葉羽は、絶体絶命の危機に陥っていた。その時、彼の脳裏に、彩由美の顔が浮かんだ。

「彩由美…」

葉羽は、無意識に彩由美の名前を呼んだ。すると、彼の体から、不思議な光が放たれ始めた。光は、次第に強くなり、やがて葉羽の全身を包み込んだ。

光が収まると、葉羽の姿は消えていた。そして、怪物は、目標を失い、混乱した様子で周囲を見回していた。

葉羽は、次元の狭間へと戻ってきていた。彼は、もう一人の葉羽の目の前に立っていた。

「君は…どうやって…？」

もう一人の葉羽は、驚いた様子で尋ねた。葉羽は、自分が彩由美の名前を呼んだ瞬間に、次元の狭間へと戻ってきたことを説明した。

「彩由美…彼女の名前が…私を…この世界に繋ぎ止めていた…」

葉羽は、呟いた。彼は、彩由美の存在が、自分にとってどれほど大切なものかを改めて実感した。

「君が…現実世界へ戻る扉は…彩由美…彼女の中にある…」

もう一人の葉羽は、意味深な言葉を残した. 葉羽は、彼の言葉の意味を理解した. 彩由美こそが、葉羽が現実世界へ戻るための鍵なのだ。

しかし、彩由美は、現実世界にいる。葉羽は、どうすれば彼女に会うことができるのか？

その時、葉羽は、次元の狭間の空間に浮かぶ無数の扉を思い出した. それぞれの扉は、異なる次元へと繋がっている. もしかしたら、彩由美がいる現実世界へと繋がる扉もあるのではないか？

葉羽は、再び扉を探し始めた。彼は、一つ一つの扉に近づき、その向こう側にある世界を感じ取ろうとした。

そして、ついに、彼は一つの扉に目が留まった。その扉は、他の扉とは異なり、温かい光を放っていた。まるで、彩由美の笑顔のように、優しく、温かい光だった。

葉羽は、この扉が現実世界へと繋がっていることを確信した。彼は、深呼吸をして、扉を開けた。

扉の向こうには、葉羽の自宅の玄関ホールが広がっていた。彼は、現実世界へと戻ってきていた.

しかし、葉羽の安堵は長くは続かなかった。彼が現実世界に戻ってきたのとほぼ同時に、街全体が激しく揺れ始めたのだ。

「地震…？」

葉羽は、咄嗟にそう思った。しかし、すぐにそれは地震ではないことに気づいた。揺れは、地面だけでなく、空間そのものが歪んでいるかのような、異様な揺れだった。

葉羽は、窓の外を見た。すると、街の景色が歪み、まるで絵画のように溶け出しているのが見えた。ビルは崩れ落ち、道路はひび割れ、空は赤黒く染まっていた。まるで、世界の終わりが始まっているかのようだった.

葉羽は、次元断層の影響が、現実世界にまで及んでいることを理解した。鏡像迷宮での出来事が、現実世界を崩壊させようとしていたのだ.

葉羽は、この崩壊を食い止めなければならない。しかし、どうすればいいのか？ 彼には、次元断層を制御する力も、世界を救う力もなかった。

その時、葉羽の耳に、声が聞こえてきた。

「葉羽くん…聞こえる…？」

それは、彩由美の声だった。葉羽は、驚きと喜びで胸がいっぱいになった。

「彩由美…君の声が…聞こえる…」

葉羽は、涙を流しながら答えた. 彩由美の声は、まるで希望の光のように、葉羽の心を照らした。

「葉羽くん…今すぐ…私のところに来て…お願い…」

彩由美の声は、弱々しかった。しかし、その声には、葉羽を信じる強い気持ちが込められていた.

葉羽は、彩由美の声を頼りに、崩壊していく街の中を走り出した。彼は、彩由美を守り、世界を救うため、危険を顧みずに走り続けた。