量子迷宮の探偵譚

葉羽

文字の大きさ
1 / 7
1章

量子の扉

しおりを挟む
東京の閑静な住宅街に佇む豪邸。その2階の一室で、神藤葉羽は窓際の椅子に深く腰掛け、電子書籍リーダーを片手に物思いにふけっていた。夕暮れ時の柔らかな光が部屋に差し込み、17歳の少年の端正な顔立ちを優しく照らしている。

「ふむ...」

葉羽は眉をひそめ、画面をスクロールする。今読んでいるのは、最新のミステリー小説だ。しかし、彼の表情には僅かな失望の色が浮かんでいた。

「やはり、犯人は執事か。少し安易すぎるな」

高校2年生とは思えない鋭い洞察力で、葉羽は物語の展開を先読みしていた。推理小説を読むことが何よりも好きな彼にとって、結末を見抜くことは至福の時間だった。しかし同時に、簡単に謎が解けてしまうことへの物足りなさも感じていた。

葉羽は電子書籍リーダーを脇に置き、立ち上がると窓の外を眺めた。夕焼けに染まる街並みが、彼の瞳に映る。

「もっと...複雑で、予測不可能な謎はないものか」

そう呟いた瞬間、葉羽の携帯電話が鳴り響いた。画面を確認すると、幼馴染の望月彩由美からのメッセージだった。

「葉羽くん、明日の放課後、一緒に本屋さんに行かない?新しい恋愛漫画が出るんだ♪」

葉羽は思わず微笑んだ。彩由美の天然な性格と、恋愛漫画好きな一面は、いつも彼を和ませた。しかし、返信を送ろうとした瞬間、不思議な違和感が彼を襲った。

部屋の空気が、微かに歪んでいるような...そんな錯覚を覚えたのだ。

「何だ...この感覚は...」

葉羽が周囲を見回していると、本棚の隙間から奇妙な光が漏れているのに気がついた。好奇心に駆られ、彼はその光源に近づいていく。

本棚の隙間から、見たこともない古びた本が顔を覗かせていた。葉羽は慎重にその本を取り出す。表紙には「量子の迷宮」という不思議なタイトルが刻まれている。

「こんな本があったかな...」

葉羽は首をかしげながら、本を開いた。その瞬間、眩い光が彼を包み込み、意識が遠のいていく。

「な...何が...」

言葉を発する間もなく、葉羽の体は光の中に吸い込まれていった。

* * *

目を覚ました葉羽を待っていたのは、見知らぬ空間だった。

「ここは...どこだ?」

周囲を見回すと、無限に広がるような白い空間が広がっていた。床も壁も天井も、全てが真っ白で、どこまでが地面でどこからが空間なのか、判別がつかない。

葉羽は混乱しながらも、冷静さを保とうと深呼吸をした。

「落ち着け...ここがどこなのか、どうやってここに来たのか、順を追って考えよう」

彼は記憶を辿り始めた。本を開いた瞬間の光、そして意識を失ったこと。それ以外の記憶はない。

「まさか...本の中に吸い込まれたのか?」

そんな非現実的な推測をしながらも、葉羽は周囲を注意深く観察し始めた。すると、遠くに何かが見えた。

「あれは...ドア?」

白い空間の中に、一つだけ浮かんでいる扉。葉羽は躊躇なくその扉に向かって歩き出した。

扉に近づくにつれ、その不思議な構造が目に入ってきた。透明な素材で作られているようで、中に複雑な機械仕掛けが見える。そして、扉の中心には奇妙な数式が刻まれていた。

「これは...シュレーディンガー方程式?」

量子力学の基本方程式を認識した瞬間、葉羽の頭の中で様々な推論が走り始めた。

「もしかして、この空間は量子の世界を具現化したものなのか?」

そう考えた瞬間、扉が淡く光り始めた。葉羽は躊躇したが、この状況から脱出するには扉を開くしかないと判断し、ゆっくりとノブに手をかけた。

「どんな世界が待っているんだ...」

深呼吸をし、葉羽は扉を開いた。

目の前に広がったのは、まるで万華鏡のような光景だった。無数の泡のような球体が浮かび、それぞれの中に異なる風景が映し出されている。

「並行世界...?」

葉羽は息を呑んだ。理論上は存在するとされる並行世界が、目の前に広がっているのだ。

彼は慎重に一歩を踏み出した。すると、足元の地面が突如として消え、葉羽は落下し始めた。

「うわっ!」

驚きの声を上げる間もなく、彼は一つの泡の中に吸い込まれていった。

* * *

「痛っ...」

葉羽は目を開けた。周囲を見回すと、そこは見覚えのある教室だった。

「学校...?夢だったのか?」

しかし、すぐにそれが現実ではないことに気づいた。教室には生徒がいるのに、誰も彼に気づいていない。まるで、葉羽が透明人間になったかのようだ。

「やはり、これも量子の世界の一部なのか...」

葉羽が状況を把握しようとしていると、教室のドアが開き、見覚えのある少女が入ってきた。

「彩由美...?」

しかし、彼女も葉羽の存在に気づかない。彩由美は自分の席に向かい、何かを探しているようだった。

「あれ?私の恋愛漫画がない...」

彩由美の呟きを聞いて、葉羽は思わず笑みを浮かべた。どんな世界線でも、彼女の恋愛漫画好きは変わらないようだ。

突然、教室全体が揺れ始めた。生徒たちは何事もなかったかのように授業を続けているが、葉羽には明らかに異変が感じられた。

「この世界が不安定になっているのか...」

葉羽が次の行動を考えていると、教室の黒板が歪み始めた。そこから、先ほどの白い空間が覗いている。

「脱出口か!」

躊躇なく、葉羽はその歪みに向かって走り出した。黒板にぶつかる瞬間、彼の体は再び光に包まれた。

* * *

「はぁ...はぁ...」

葉羽は再び白い空間に戻ってきた。しかし、今度は一人ではなかった。

「葉羽くん...?」

聞き覚えのある声に振り返ると、そこには彩由美が立っていた。

「彩由美!どうしてここに...?」

「わからないの...本屋で新しい恋愛漫画を探していたら、突然ここに...」

二人が状況を把握しようとしていると、再び扉が現れた。今度は二つの扉が並んでいる。

「これは...選択を迫られているのか?」

葉羽は眉をひそめた。二つの扉のうち、どちらを選ぶべきか。そして、なぜ彩由美もここにいるのか。謎は深まるばかりだ。

「葉羽くん、怖いよ...」

彩由美の声に、葉羽は我に返った。

「大丈夫だ、彩由美。必ず、ここから脱出する方法を見つけるよ」

葉羽は彩由美の手を取り、強く握った。

「一緒に、この謎を解いていこう」

二人は互いを見つめ、頷き合った。そして、ゆっくりと扉に向かって歩き始めた。

量子の迷宮は、彼らにどんな試練を用意しているのか。そして、この不思議な世界の真の目的とは...

葉羽の頭の中で、無数の推論が走り始めた。これまで読んできた推理小説の知識と、彼の天才的な頭脳が、未知の謎に挑もうとしている。

しかし、彼はまだ知らない。この冒険が、単なる謎解きを超えた、自分自身との闘いになることを。そして、彩由美との関係も、思わぬ方向に進展していくことを...

扉の前で立ち止まった二人。葉羽は深呼吸をし、ゆっくりとノブに手をかけた。

「行くぞ、彩由美」

「うん、一緒に行こう、葉羽くん」

扉が開かれる音とともに、第1章は幕を閉じた。彼らの量子迷宮での冒険は、まだ始まったばかりだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

笑う令嬢は毒の杯を傾ける

無色
恋愛
 その笑顔は、甘い毒の味がした。  父親に虐げられ、義妹によって婚約者を奪われた令嬢は復讐のために毒を喰む。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

幼馴染

ざっく
恋愛
私にはすごくよくできた幼馴染がいる。格好良くて優しくて。だけど、彼らはもう一人の幼馴染の女の子に夢中なのだ。私だって、もう彼らの世話をさせられるのはうんざりした。

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

処理中です...