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1章
悪夢の序章
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轟音が天地を揺るがす。
吹き荒れる嵐が、古びた洋館を打ち付けている。闇夜に浮かび上がるその姿は、まるで巨大な墓標のようだ。
ここは、東京郊外に佇む、かつて名家と謳われた一族の旧邸。今はもう、朽ち果てるに任せるかのように、ひっそりと闇に溶け込んでいる。
窓ガラスを叩く雨音が、まるで呪詛の囁きのようだ。時折、稲妻が閃き、洋館の輪郭を白く浮かび上がらせる。その度に、壁に刻まれた無数の傷跡が、まるで亡霊たちの苦悶の表情のように見えた。
三日前の晩から降り続いている雨は、止む気配を見せない。鬱陶しい湿気が肌にまとわりつき、不快感を増幅させる。
この悪天候の中、洋館にはただ一人、男の姿があった。
男の名は、佐伯 蔵人(さえき くらんど)。この洋館の現当主であり、かつては名を馳せた実業家であった。だが、今は見る影もない。事業の失敗、相次ぐ不幸、そして病魔。それらが、かつての栄光を蝕み、彼を孤独な老いぼれへと変貌させた。
蔵人は、書斎のロッキングチェアに深く腰掛け、窓の外の嵐を睨みつけていた。濁った瞳には、深い疲労と諦観が宿っている。
書斎は、洋館の中でも最も古い一室だ。壁一面に設えられた巨大な書棚には、古今東西の書物がぎっしりと詰め込まれている。書棚は天井まで届き、窓を覆い隠すほどだ。そのため、昼間でも薄暗く、常に陰鬱な空気が漂っている。
重厚なデスクの上には、書類が山積みになっている。しかし、蔵人はそれらに目もくれず、ただじっと嵐を見つめている。
彼の傍らには、飲みかけのウィスキーグラスが置かれていた。氷は既に溶けきり、琥珀色の液体がわずかに残っているだけだ。
蔵人は、ゆっくりとグラスに手を伸ばし、それを一気に飲み干した。喉を焼くような感覚が、彼の神経をわずかに刺激する。しかし、それも一瞬のことだった。すぐに、虚無感が彼を包み込む。
時計の針が、午前零時を指し示していた。
その時、蔵人の耳に、かすかな音が届いた。
それは、まるで何かが軋むような音だった。
蔵人は、ゆっくりと顔を上げた。
気のせいだろうか。
いや、確かに聞こえた。
書斎のどこかで、何かが動いている。
蔵人は、椅子から立ち上がり、音のする方へと歩き出した。
足音が、重苦しい沈黙の中に響く。
ギシ、ギシ。
床がきしむ音。
カタン、カタン。
何かがぶつかる音。
音は、書棚の方から聞こえてくる。
蔵人は、書棚に近づいた。
書棚は、壁一面に広がっており、その高さは天井まで届いている。無数の書物が整然と並べられており、その背表紙には、金文字で書名が刻まれている。
蔵人は、書棚に手を触れた。
冷たい。
そして、湿っている。
蔵人は、嫌な予感を覚えた。
この書棚の裏には、隠し部屋がある。
それは、この洋館の秘密の一つだった。
蔵人は、子供の頃、この隠し部屋でよく遊んだ。しかし、大人になってからは、一度も足を踏み入れていない。
隠し部屋の入り口は、書棚の一部が回転扉になっている。特定の場所を押すと、扉が開き、隠し部屋へと続く階段が現れる。
蔵人は、その場所を知っていた。
ゆっくりと、書棚の一部を押した。
すると、ギギギ、という音を立てて、書棚が動き始めた。
重い扉が、ゆっくりと開いていく。
暗い穴が、口を開けたように見えた。
中から、冷たい風が吹き出してくる。
それは、まるで地下墓地から吹き出してくるような、陰湿な風だった。
蔵人は、一瞬、躊躇した。
この先に何があるのか。
いや、分かっている。
この先に待っているのは、絶望だ。
それでも、蔵人は進まなければならなかった。
何か、見えない力に突き動かされるように。
蔵人は、隠し部屋の中へと足を踏み入れた。
階段が、地下へと続いている。
足元は暗く、何も見えない。
蔵人は、手探りで階段を下りていった。
ヒュウ、ヒュウ。
風の音が、耳元で囁く。
それは、まるで亡霊の叫び声のようだ。
階段は長く、どこまでも続いているように感じられた。
蔵人は、自分がどこに向かっているのか分からなくなっていた。
ただ、闇の中を、ひたすら下りていく。
その時、足元で何かが動いた。
蔵人は、思わず足を止めた。
心臓が、激しく鼓動している。
息が、苦しい。
蔵人は、目を凝らして暗闇を見つめた。
すると、闇の中から、何かが浮かび上がってきた。
それは、白い影だった。
人の形をしている。
しかし、顔がない。
白い影は、ゆっくりと蔵人に近づいてくる。
蔵人は、恐怖で体が硬直していた。
逃げなければならない。
そう思ったが、足が動かない。
白い影は、蔵人の目の前まで来た。
そして、影は、ゆっくりと口を開いた。
いや、口ではない。
それは、闇だった。
底なしの闇が、蔵人を呑み込もうとしている。
蔵人は、最後の力を振り絞って叫んだ。
だが、声は出なかった。
闇が、蔵人を包み込んだ。
そして、世界は静寂に包まれた。
雨音だけが、虚しく響いている。
書斎の時計が、午前一時を告げた。
カチッ。
何かが閉まる音がした。
書斎のドアが、内側から閉ざされた。
密室が完成した。
悪夢の始まりだった。
吹き荒れる嵐が、古びた洋館を打ち付けている。闇夜に浮かび上がるその姿は、まるで巨大な墓標のようだ。
ここは、東京郊外に佇む、かつて名家と謳われた一族の旧邸。今はもう、朽ち果てるに任せるかのように、ひっそりと闇に溶け込んでいる。
窓ガラスを叩く雨音が、まるで呪詛の囁きのようだ。時折、稲妻が閃き、洋館の輪郭を白く浮かび上がらせる。その度に、壁に刻まれた無数の傷跡が、まるで亡霊たちの苦悶の表情のように見えた。
三日前の晩から降り続いている雨は、止む気配を見せない。鬱陶しい湿気が肌にまとわりつき、不快感を増幅させる。
この悪天候の中、洋館にはただ一人、男の姿があった。
男の名は、佐伯 蔵人(さえき くらんど)。この洋館の現当主であり、かつては名を馳せた実業家であった。だが、今は見る影もない。事業の失敗、相次ぐ不幸、そして病魔。それらが、かつての栄光を蝕み、彼を孤独な老いぼれへと変貌させた。
蔵人は、書斎のロッキングチェアに深く腰掛け、窓の外の嵐を睨みつけていた。濁った瞳には、深い疲労と諦観が宿っている。
書斎は、洋館の中でも最も古い一室だ。壁一面に設えられた巨大な書棚には、古今東西の書物がぎっしりと詰め込まれている。書棚は天井まで届き、窓を覆い隠すほどだ。そのため、昼間でも薄暗く、常に陰鬱な空気が漂っている。
重厚なデスクの上には、書類が山積みになっている。しかし、蔵人はそれらに目もくれず、ただじっと嵐を見つめている。
彼の傍らには、飲みかけのウィスキーグラスが置かれていた。氷は既に溶けきり、琥珀色の液体がわずかに残っているだけだ。
蔵人は、ゆっくりとグラスに手を伸ばし、それを一気に飲み干した。喉を焼くような感覚が、彼の神経をわずかに刺激する。しかし、それも一瞬のことだった。すぐに、虚無感が彼を包み込む。
時計の針が、午前零時を指し示していた。
その時、蔵人の耳に、かすかな音が届いた。
それは、まるで何かが軋むような音だった。
蔵人は、ゆっくりと顔を上げた。
気のせいだろうか。
いや、確かに聞こえた。
書斎のどこかで、何かが動いている。
蔵人は、椅子から立ち上がり、音のする方へと歩き出した。
足音が、重苦しい沈黙の中に響く。
ギシ、ギシ。
床がきしむ音。
カタン、カタン。
何かがぶつかる音。
音は、書棚の方から聞こえてくる。
蔵人は、書棚に近づいた。
書棚は、壁一面に広がっており、その高さは天井まで届いている。無数の書物が整然と並べられており、その背表紙には、金文字で書名が刻まれている。
蔵人は、書棚に手を触れた。
冷たい。
そして、湿っている。
蔵人は、嫌な予感を覚えた。
この書棚の裏には、隠し部屋がある。
それは、この洋館の秘密の一つだった。
蔵人は、子供の頃、この隠し部屋でよく遊んだ。しかし、大人になってからは、一度も足を踏み入れていない。
隠し部屋の入り口は、書棚の一部が回転扉になっている。特定の場所を押すと、扉が開き、隠し部屋へと続く階段が現れる。
蔵人は、その場所を知っていた。
ゆっくりと、書棚の一部を押した。
すると、ギギギ、という音を立てて、書棚が動き始めた。
重い扉が、ゆっくりと開いていく。
暗い穴が、口を開けたように見えた。
中から、冷たい風が吹き出してくる。
それは、まるで地下墓地から吹き出してくるような、陰湿な風だった。
蔵人は、一瞬、躊躇した。
この先に何があるのか。
いや、分かっている。
この先に待っているのは、絶望だ。
それでも、蔵人は進まなければならなかった。
何か、見えない力に突き動かされるように。
蔵人は、隠し部屋の中へと足を踏み入れた。
階段が、地下へと続いている。
足元は暗く、何も見えない。
蔵人は、手探りで階段を下りていった。
ヒュウ、ヒュウ。
風の音が、耳元で囁く。
それは、まるで亡霊の叫び声のようだ。
階段は長く、どこまでも続いているように感じられた。
蔵人は、自分がどこに向かっているのか分からなくなっていた。
ただ、闇の中を、ひたすら下りていく。
その時、足元で何かが動いた。
蔵人は、思わず足を止めた。
心臓が、激しく鼓動している。
息が、苦しい。
蔵人は、目を凝らして暗闇を見つめた。
すると、闇の中から、何かが浮かび上がってきた。
それは、白い影だった。
人の形をしている。
しかし、顔がない。
白い影は、ゆっくりと蔵人に近づいてくる。
蔵人は、恐怖で体が硬直していた。
逃げなければならない。
そう思ったが、足が動かない。
白い影は、蔵人の目の前まで来た。
そして、影は、ゆっくりと口を開いた。
いや、口ではない。
それは、闇だった。
底なしの闇が、蔵人を呑み込もうとしている。
蔵人は、最後の力を振り絞って叫んだ。
だが、声は出なかった。
闇が、蔵人を包み込んだ。
そして、世界は静寂に包まれた。
雨音だけが、虚しく響いている。
書斎の時計が、午前一時を告げた。
カチッ。
何かが閉まる音がした。
書斎のドアが、内側から閉ざされた。
密室が完成した。
悪夢の始まりだった。
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