焔星高校の密室 鏡影の殺人 ～天才少年・神藤葉羽と幼馴染の事件簿～【本格推理×ホラー×どんでん返し】

2章

日常と天才

朝靄が街を包み込む。
　淡い光が、高層ビルの窓ガラスに反射し、万華鏡のような輝きを放っている。
　神藤葉羽は、いつものように、電子書籍リーダーを片手に、自宅のバルコニーに出ていた。
　彼の住む豪邸は、高台に位置し、街を一望できる絶景を誇っていた。バルコニーからは、眼下に広がる街並みが、まるでミニチュア模型のように見えた。
　朝の静寂の中、葉羽は電子書籍リーダーに表示された文字を追っていた。画面には、シャーロック・ホームズの物語が映し出されている。
　ホームズの鮮やかな推理、ワトソンの感嘆の声。それらが、葉羽の心を満たしていく。
　推理小説は、葉羽にとって、単なる娯楽ではなかった。それは、彼の人生そのものだった。
　幼い頃から、葉羽は並外れた知性と論理的思考力を持っていた。彼は、あらゆる物事に対して、論理的な説明を求めた。なぜ空は青いのか、なぜ鳥は飛べるのか、なぜ人間は生きるのか。
　彼の探究心は、尽きることがなかった。
　そして、彼は推理小説に出会った。
　推理小説の世界は、彼の知的好奇心を満たす、格好の舞台となった。複雑なトリック、巧妙に隠された真実、そして犯人との知恵比べ。それらが、彼の心を捉えて離さなかった。
　葉羽は、推理小説を読み漁り、推理のテクニックを学んだ。観察力、洞察力、論理的思考力。それらを磨き上げ、彼は自らを「現代のシャーロック・ホームズ」と称するようになった。
　もちろん、それは冗談半分だったが、彼の推理力は本物だった。
　学校では、彼は「天才」と呼ばれ、一目置かれていた。教師からの質問にも難なく答え、テストでは常に満点近くを取る。同級生たちは、彼の頭脳を羨望の眼差しで見ていた。
　しかし、葉羽は、自分の能力をひけらかすことはなかった。彼は、物腰が柔らかく、誰に対しても優しく接した。
　彼の唯一の親友は、幼馴染の望月彩由美だった。
　彩由美は、葉羽とは正反対の性格だった。明るく、元気で、誰からも愛されるムードメーカー。天然な一面もあり、時折、とんでもない発言をして、周囲を笑わせることもあった。
　二人は、まるで凸凹コンビのようだった。
　彩由美は、葉羽の推理小説好きを理解し、応援していた。彼女は、葉羽が推理に没頭している時、静かに傍で見守っていた。
　彩由美は、葉羽に密かに想いを寄せていた。
　彼の優しさ、知性、そして少し変わったところに惹かれていた。
　しかし、葉羽は恋愛には全く疎く、彩由美の気持ちに気づいていないようだった。
　葉羽は、電子書籍リーダーを閉じ、バルコニーの手すりに寄りかかった。
　眼下に広がる街並みを眺めながら、彼は深呼吸をした。
　新鮮な朝の空気が、肺いっぱいに広がる。
　今日は、いい一日になりそうだ。
　そう思った矢先、葉羽のスマートフォンが鳴った。
　彩由美からの着信だった。
　「もしもし、葉羽くん？」
　彩由美の声は、いつもより少し高揚しているように聞こえた。
　「どうしたんだ、彩由美？朝から元気だな」
　葉羽は、少し微笑みながら言った。
　「大変なの！ニュース見た？」
　彩由美の言葉に、葉羽は眉をひそめた。
　「ニュース？何かあったのか？」
　「うん、殺人事件だって！しかも、密室殺人！」
　彩由美の声は、興奮と同時に、かすかな恐怖も含まれていた。
　「密室殺人？」
　葉羽は、興味をそそられた。
　密室殺人。それは、推理小説の世界では定番のトリックだ。現実世界で起こるとは、なかなか珍しい。
　「どこで起きたんだ？」
　「えっとね、確か…旧佐伯邸だって」
　彩由美の言葉に、葉羽は息を呑んだ。
　「旧佐伯邸？」
　旧佐伯邸。それは、葉羽の自宅からそう遠くない場所にある、古い洋館だった。
　その洋館は、曰く付きの場所として知られていた。過去の不幸な事件、奇妙な噂。そして、人々は、その洋館を「呪われた館」と呼んでいた。
　「まさか、あの場所で…」
　葉羽は、胸騒ぎを覚えた。
　この事件は、ただの殺人事件ではなさそうだ。
　何か、もっと深い闇が隠されているような気がした。

　朝食を終えた葉羽は、彩由美と共に、焔星高校へと向かった。
　焔星高校は、東京でも有数の進学校として知られており、生徒たちは皆、勉学に励んでいた。
　校門をくぐると、既に多くの生徒たちが集まっていた。
　談笑するグループ、参考書を読み返す生徒、部活動の準備をする生徒たち。
　皆、それぞれの日常を送っている。
　しかし、その日常は、既に壊れ始めていた。
　生徒たちの間では、旧佐伯邸の殺人事件の話題で持ちきりだった。
　「聞いた？旧佐伯邸で殺人事件があったんだって！」
　「しかも、密室殺人らしいよ！」
　「怖っ！もしかして、呪いとか？」
　噂は、あっという間に広がり、恐怖と好奇心が入り混じった空気が、学校全体を包み込んでいた。
　葉羽と彩由美は、教室へと向かった。
　教室では、既に数人の生徒たちが集まっていた。
　彼らもまた、殺人事件の話をしていた。
　「ねえ、葉羽くん、彩由美ちゃん、殺人事件のこと聞いた？」
　クラスメイトの篠塚 葵（しのづか あおい）が、二人に話しかけてきた。
　葵は、明るく社交的な性格で、クラスの人気者だった。
　「ああ、聞いたよ」
　葉羽は、静かに答えた。
　「密室殺人だってね。一体どんなトリックが使われたんだろう？」
　葵は、目を輝かせて言った。
　葵もまた、推理小説好きだった。
　「さあな。警察の発表を待つしかないだろう」
　葉羽は、冷静に答えた。
　しかし、彼の心は、既に事件の謎解きに没頭していた。
　密室トリック。
　それは、推理小説の世界では定番のトリックだが、現実世界で起こるとは、非常に珍しい。
　一体、どんな方法が使われたのか。
　葉羽は、推理の糸を紡ぎ始めていた。
　その時、教室のドアが開き、担任教師の江藤先生が入ってきた。
　「皆さん、おはようございます。今日は、緊急のお知らせがあります」
　江藤先生の声は、いつもより少し硬かった。
　「旧佐伯邸の殺人事件についてですが、被害者は、佐伯蔵人氏であることが確認されました」
　江藤先生の言葉に、教室内はざわめいた。
　佐伯蔵人。
　それは、旧佐伯邸の当主であり、かつては地元で有名な実業家だった。
　「警察は、現在、捜査を進めていますが、まだ犯人は捕まっていません。皆さんも、身の安全には十分注意してください」
　江藤先生の言葉に、生徒たちは不安な表情を浮かべた。
　殺人事件は、もはや他人事ではなかった。
　それは、彼らの日常に、暗い影を落とし始めていた.

　放課後、葉羽は、図書室で事件に関する資料を探していた。
　旧佐伯邸の歴史、佐伯家の家系図、過去の事件記録。
　彼は、あらゆる情報を集め、事件の真相に迫ろうとしていた.
　彩由美は、葉羽の隣に座り、心配そうに彼を見つめていた.
　「葉羽くん、無理しないでね」
　彩由美の声に、葉羽は彩由美の声に、葉羽は少し微笑んで答えた。
「大丈夫だ、彩由美。心配するな」
　しかし、葉羽の心は、穏やかではなかった。
　集めた資料の中に、気になる記述があったのだ。
　それは、旧佐伯邸で起きた過去の事件に関する記録だった。
　数十年前、旧佐伯邸では、一家惨殺事件が起きていた。
　一家全員が、密室状態で殺害されたという。
　そして、その事件は、未解決のままだった。
　「まさか、今回の事件も…」
　葉羽は、嫌な予感を覚えた。
　二つの事件には、何か関連性があるのだろうか。
　それとも、ただの偶然だろうか。
　葉羽は、考えを巡らせていた。
　その時、図書室の窓の外で、何かが動いた。
　葉羽は、思わず窓の外を見た。
　しかし、そこには何もなかった。
　気のせいだろうか。
　いや、確かに何かを見たような気がした。
　葉羽は、目を凝らして窓の外を見つめた。
　すると、再び何かが動いた。
　それは、黒い影だった。
　人影のようにも見えた。
　しかし、すぐに消えてしまった。
　「どうしたの、葉羽くん？」
　彩由美が、心配そうに尋ねた。
　「いや、何もない」
　葉羽は、首を横に振った。
　しかし、彼の心には、不穏な影が落ちていた。
　何かが、おかしい。
　この事件は、想像以上に複雑なようだ。

　葉羽は、自宅に戻ると、すぐに自室へと向かった。
　彼の自室は、書斎を兼ねており、壁一面に本棚が設置されていた。
　本棚には、推理小説だけでなく、歴史書、科学書、哲学書など、様々なジャンルの書籍が並べられていた。
　葉羽は、椅子に座り、深く考え込んだ。
　旧佐伯邸の殺人事件。
　過去の未解決事件。
　そして、図書室の窓の外で見た黒い影。
　これらの点と点を繋ぐ線は何なのか。
　葉羽は、推理の糸を紡ぎ始めた。
　まず、旧佐伯邸の構造について考えてみよう。
　旧佐伯邸は、築百年以上の古い洋館で、複雑な構造をしていた。
　複数の出入り口、隠し部屋、そして地下室。
　犯人は、これらの構造を巧みに利用して、密室トリックを作り出したのだろうか。
　次に、被害者について考えてみよう。
　被害者の佐伯蔵人は、かつては地元で有名な実業家だったが、近年は事業の失敗が続き、多額の借金を抱えていたという噂があった。
　恨みを持つ人物は、少なくないだろう。
　そして、過去の未解決事件との関連性。
　数十年前の一家惨殺事件は、一体何だったのか。
　犯人は、同一人物なのだろうか。
　それとも、模倣犯なのだろうか。
　葉羽は、様々な可能性を検討していた。
　その時、彼のスマートフォンが鳴った。
　見知らぬ番号からの着信だった。
　「もしもし」
　葉羽が出ると、電話の向こう側から、低い声が聞こえてきた。
　「神藤葉羽君、君には才能がある。この事件を解決できるのは、君だけだ」
　声の主は、葉羽の名前を知っていた。
　「あなたは誰ですか？」
　葉羽が尋ねると、相手は答えずに電話を切った。
　葉羽は、スマートフォンを握りしめ、考え込んだ。
　一体、誰が電話をかけてきたのか。
　そして、なぜ自分の名前を知っていたのか。
　謎は深まるばかりだった。
　葉羽は、窓の外を見た。
　空は、既に暗くなっていた。
　街の灯りが、まるで星のように輝いている。
　その美しい夜景とは裏腹に、葉羽の心には、暗い影が落ちていた。
　この事件は、ただの殺人事件ではなさそうだ。
　何か、もっと大きな闇が潜んでいるような気がした。

　翌日、葉羽は、再び旧佐伯邸を訪れた。
　警察の捜査は、難航していた。
　密室トリックの解明、犯人の特定、そして動機の解明。
　どれも、容易なことではなかった。
　葉羽は、洋館の中をくまなく調べた。
　書斎、寝室、客間、食堂、そして地下室。
　彼は、あらゆる場所に目を光らせ、手がかりを探した。
　書斎は、事件現場となった場所であり、最も重要な場所だった。
　壁一面の本棚、重厚な机、そしてロッキングチェア。
　葉羽は、書棚に近づき、注意深く観察した。
　書棚には、無数の書籍が並べられており、その背表紙には、金文字でタイトルが刻まれていた。
　葉羽は、一つ一つの書籍を手に取り、調べていった.
　その時、彼の目に、ある異変が映った.
　それは、書棚の一部が、わずかにずれているように見えたのだ.
　葉羽は、その部分に手を触れた。
　すると、ギギギ、という音を立てて、書棚が動き始めた。
　隠し扉だった。
　葉羽は、隠し扉を開け、中へと入っていった.
　隠し扉の向こうには、狭い通路があった。
　通路は、薄暗く、埃っぽい。
　葉羽は、通路を奥へと進んでいった。
　通路の奥には、小さな部屋があった。
　部屋の中央には、机が置かれており、その上には、一冊の本が置かれていた。
　葉羽は、本を手に取った。
　それは、日記だった。
　日記の表紙には、「佐伯家秘史」と書かれていた。
　葉羽は、日記を開き、読み始めた。
　日記には、佐伯家の歴史、そして過去の事件に関する記述があった。
　数十年前の一家惨殺事件の真相、隠された秘密、そして呪いの正体.
　葉羽は、日記を読み進めるうちに、事件の真相に近づいていることを確信した.
　しかし、同時に、新たな謎も生まれてきた.
　日記の最後のページには、こう書かれていた。
　「鏡に映るものは、真実ではない」
　葉羽は、その言葉の意味を考え込んだ.
　鏡に映るものは、真実ではない.
　それは、一体どういう意味なのだろうか.
　葉羽は、再び書斎に戻り、壁一面の鏡を見つめた.
　鏡に映る自分の姿。
　それは、本当に自分なのだろうか。
　それとも、偽物なのだろうか。
　葉羽は、鏡に手を伸ばした。
　その時、鏡の表面が波打ち、彼の姿が歪んだ。
　そして、鏡の中から、何かが飛び出してきた。