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アテルイ一行が王都を去ってから、数日が経過した。
ミラグロ王国の王宮は、かつてないほどの混乱に包まれていた。
「どういうことだ、これは!なぜ国庫がほとんど空なのだ!」
玉座の間で怒鳴り声を上げているのは、国王であり、アルフォンスの父親でもあるルドヴィーク三世だ。
彼の前では、財務大臣代理として急遽任命された役人が、滝のような汗を流しながら震えている。
「そ、それが……ケインズ前大臣が、ほとんど全ての資産を国外に持ち出してしまったようで……」
「馬鹿者!なぜそれを止められなかった!」
「も、申し訳ございません!しかし、ケインズ卿の権限はあまりに大きく、誰も逆らえませんでした……」
財務だけではない。
国防も、行政も、あらゆる機能が麻痺状態に陥っていた。
歴戦の騎士団長グレイフォードが、腹心の騎士たちをごっそりと引き連れて国を去ったため、王都の防衛力は著しく低下した。
宮廷魔術師団の副団長フローラが去ったことで、王宮の結界維持や機密管理にまで支障が出始めている。
その他、アテルイについていった貴族たちは、皆それぞれの分野で要職を担っていた者たちばかり。
彼らがいなくなった穴は、あまりにも大きすぎた。
「アルフォンス!お前は一体、何ということをしてくれたのだ!」
国王の怒りの矛先は、玉座の横で青い顔をして立つ息子、アルフォンスに向けられた。
「も、申し訳ございません、父上……しかし、私はただ、真実の愛を……」
「黙れ!」
ルドヴィーク三世は、玉座から立ち上がると、アルフォンスの頬を力任せに張り飛ばした。
乾いた音が、静まり返った玉座の間に響き渡る。
「真実の愛だと?そのようなもののために、国を傾かせるのが次期国王のすることか!お前は、アークライト公爵家との長年の信頼関係を破壊し、国の重鎮たちを一度に失ったのだぞ!」
「うっ……」
アルフォンスは、打たれた頬を押さえ、ぐうの音も出ない。
彼は、アテルイ一人を追放するだけの、簡単な話だと思っていた。
まさか、婚約破棄という石を投げ込んだ池から、国が沈むほどの大津波が返ってくるとは、想像すらしていなかったのだ。
「それに、あのイゾルテまで手放したそうだな……」
国王は、心底呆れ果てたというように、深いため息をついた。
「イゾルテ・ローレライが、どれほど規格外の能力を持っていたか、お前は知らなかったわけではあるまい。彼女一人がいるだけで、どれほどの抑止力になっていたことか……」
「ですが父上!アテルイがいなければ、アルフォンス様は幸せになれなかったのです!」
その時、アルフォンスの後ろに控えていたリリアーナが、涙ながらに口を挟んだ。
「黙りなさい、子爵令嬢。ここはそなたのような身分の者が口を出す場ではない」
国王の冷たい一瞥に、リリアーナはびくりと体を震わせ、口をつぐんだ。
彼女は、自分が次期王太子妃になれると信じて疑わなかった。しかし、今の王宮の空気は、彼女が思い描いていた甘い生活とはほど遠い。
貴族たちは、アルフォンスとリリアーナを遠巻きにし、冷ややかな視線を送るだけ。
アテルイがいた頃は、どんな夜会でも華やかで、活気に満ちていた。
だが今は、誰もがうつむき、王国の未来を憂いている。
「……アテルイたちは、どこへ向かった」
国王が、低い声で尋ねる。
「はっ、おそらくは東の隣国、エルツ王国かと……」
「追手を差し向けよ。何としても、連れ戻すのだ。特に、ケインズとグレイフォード、そしてアテルイ嬢は絶対にだ。……分かったな、アルフォンス。これは、お前がしでかしたことだ。お前自身が責任を取れ」
「は、はい……!」
アルフォンスは、屈辱に唇を噛み締めながら、頷くことしかできなかった。
彼の心の中には、アテルイへの怒りよりも、自分の浅はかな行動への後悔と、得体の知れない恐怖が渦巻き始めていた。
あの、いつも無表情で、何を考えているか分からなかった女。
彼女がいなくなっただけで、自分の世界が、そしてこの国が、こんなにも簡単に傾いてしまうとは。
アルフォンスは、失って初めて、アテルイという存在の大きさに気づき始めていた。
だが、それはあまりにも遅すぎたのである。
ミラグロ王国の王宮は、かつてないほどの混乱に包まれていた。
「どういうことだ、これは!なぜ国庫がほとんど空なのだ!」
玉座の間で怒鳴り声を上げているのは、国王であり、アルフォンスの父親でもあるルドヴィーク三世だ。
彼の前では、財務大臣代理として急遽任命された役人が、滝のような汗を流しながら震えている。
「そ、それが……ケインズ前大臣が、ほとんど全ての資産を国外に持ち出してしまったようで……」
「馬鹿者!なぜそれを止められなかった!」
「も、申し訳ございません!しかし、ケインズ卿の権限はあまりに大きく、誰も逆らえませんでした……」
財務だけではない。
国防も、行政も、あらゆる機能が麻痺状態に陥っていた。
歴戦の騎士団長グレイフォードが、腹心の騎士たちをごっそりと引き連れて国を去ったため、王都の防衛力は著しく低下した。
宮廷魔術師団の副団長フローラが去ったことで、王宮の結界維持や機密管理にまで支障が出始めている。
その他、アテルイについていった貴族たちは、皆それぞれの分野で要職を担っていた者たちばかり。
彼らがいなくなった穴は、あまりにも大きすぎた。
「アルフォンス!お前は一体、何ということをしてくれたのだ!」
国王の怒りの矛先は、玉座の横で青い顔をして立つ息子、アルフォンスに向けられた。
「も、申し訳ございません、父上……しかし、私はただ、真実の愛を……」
「黙れ!」
ルドヴィーク三世は、玉座から立ち上がると、アルフォンスの頬を力任せに張り飛ばした。
乾いた音が、静まり返った玉座の間に響き渡る。
「真実の愛だと?そのようなもののために、国を傾かせるのが次期国王のすることか!お前は、アークライト公爵家との長年の信頼関係を破壊し、国の重鎮たちを一度に失ったのだぞ!」
「うっ……」
アルフォンスは、打たれた頬を押さえ、ぐうの音も出ない。
彼は、アテルイ一人を追放するだけの、簡単な話だと思っていた。
まさか、婚約破棄という石を投げ込んだ池から、国が沈むほどの大津波が返ってくるとは、想像すらしていなかったのだ。
「それに、あのイゾルテまで手放したそうだな……」
国王は、心底呆れ果てたというように、深いため息をついた。
「イゾルテ・ローレライが、どれほど規格外の能力を持っていたか、お前は知らなかったわけではあるまい。彼女一人がいるだけで、どれほどの抑止力になっていたことか……」
「ですが父上!アテルイがいなければ、アルフォンス様は幸せになれなかったのです!」
その時、アルフォンスの後ろに控えていたリリアーナが、涙ながらに口を挟んだ。
「黙りなさい、子爵令嬢。ここはそなたのような身分の者が口を出す場ではない」
国王の冷たい一瞥に、リリアーナはびくりと体を震わせ、口をつぐんだ。
彼女は、自分が次期王太子妃になれると信じて疑わなかった。しかし、今の王宮の空気は、彼女が思い描いていた甘い生活とはほど遠い。
貴族たちは、アルフォンスとリリアーナを遠巻きにし、冷ややかな視線を送るだけ。
アテルイがいた頃は、どんな夜会でも華やかで、活気に満ちていた。
だが今は、誰もがうつむき、王国の未来を憂いている。
「……アテルイたちは、どこへ向かった」
国王が、低い声で尋ねる。
「はっ、おそらくは東の隣国、エルツ王国かと……」
「追手を差し向けよ。何としても、連れ戻すのだ。特に、ケインズとグレイフォード、そしてアテルイ嬢は絶対にだ。……分かったな、アルフォンス。これは、お前がしでかしたことだ。お前自身が責任を取れ」
「は、はい……!」
アルフォンスは、屈辱に唇を噛み締めながら、頷くことしかできなかった。
彼の心の中には、アテルイへの怒りよりも、自分の浅はかな行動への後悔と、得体の知れない恐怖が渦巻き始めていた。
あの、いつも無表情で、何を考えているか分からなかった女。
彼女がいなくなっただけで、自分の世界が、そしてこの国が、こんなにも簡単に傾いてしまうとは。
アルフォンスは、失って初めて、アテルイという存在の大きさに気づき始めていた。
だが、それはあまりにも遅すぎたのである。
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