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さらに、一年が過ぎた春の日。
ヴァレンシュタイン城の庭園には、幸せそうな家族の笑い声が響いていた。
「アルフレッド! 走ると危ないですよ!」
私の声に、よちよちと駆け回っていた、黒髪の小さな男の子が、振り返ってにっこりと笑う。
私とアッシュの間に生まれた、最愛の息子だ。
「きゃっきゃっ」
そのアルフレッドを、アッシュがひょいと高い高いで抱き上げる。
息子の楽しそうな笑い声が、青空に吸い込まれていった。
私は、腕の中にいる、もう一人の宝物……生まれたばかりの娘の頬を、優しく撫でた。
亜麻色の髪をした、私によく似た女の子。
この子たちが、私とアッシュの未来であり、希望だった。
穏やかで、満ち足りた、完璧な午後。
しかし、その光景を、遠く離れた丘の上から、一人、寂しげに見つめている男がいた。
ジークフリート。
彼は、一連の事件の責任を取る形で、王太子の位を、聡明な弟に譲った。
今は、一公爵として、王都の片隅で、静かに暮らしている。
彼は、時折こうして、辺境の近くまで足を運び、ただ、遠くから、彼女の幸せな姿を見つめることだけを、自らに許していた。
幸せそうで、よかった。
心から、そう思う。
自分が手放してしまったものが、どれほどかけがえのない宝物だったか、今なら分かる。
彼女の隣にいるべきだったのは、自分だったのかもしれない。
そんな、詮無い感傷が、彼の胸を締め付ける。
その時、彼の脳裏に、かつて、彼女が自分に言い放った、最後の言葉が蘇った。
『私を捨てて満足ですか?』
満足、できるはずがない。
その問いの答えを、自分は、これから先、一生をかけて、探し続けていくのだろう。
ジークフリートは、幸せそうに笑うイシュタルたちの姿に、そっと背を向けた。
その背中は、ひどく小さく、そして、孤独に見えた。
彼の後悔とは裏腹に、辺境の空は、どこまでも、どこまでも、青く澄み渡っていた。
― 完 ―
ヴァレンシュタイン城の庭園には、幸せそうな家族の笑い声が響いていた。
「アルフレッド! 走ると危ないですよ!」
私の声に、よちよちと駆け回っていた、黒髪の小さな男の子が、振り返ってにっこりと笑う。
私とアッシュの間に生まれた、最愛の息子だ。
「きゃっきゃっ」
そのアルフレッドを、アッシュがひょいと高い高いで抱き上げる。
息子の楽しそうな笑い声が、青空に吸い込まれていった。
私は、腕の中にいる、もう一人の宝物……生まれたばかりの娘の頬を、優しく撫でた。
亜麻色の髪をした、私によく似た女の子。
この子たちが、私とアッシュの未来であり、希望だった。
穏やかで、満ち足りた、完璧な午後。
しかし、その光景を、遠く離れた丘の上から、一人、寂しげに見つめている男がいた。
ジークフリート。
彼は、一連の事件の責任を取る形で、王太子の位を、聡明な弟に譲った。
今は、一公爵として、王都の片隅で、静かに暮らしている。
彼は、時折こうして、辺境の近くまで足を運び、ただ、遠くから、彼女の幸せな姿を見つめることだけを、自らに許していた。
幸せそうで、よかった。
心から、そう思う。
自分が手放してしまったものが、どれほどかけがえのない宝物だったか、今なら分かる。
彼女の隣にいるべきだったのは、自分だったのかもしれない。
そんな、詮無い感傷が、彼の胸を締め付ける。
その時、彼の脳裏に、かつて、彼女が自分に言い放った、最後の言葉が蘇った。
『私を捨てて満足ですか?』
満足、できるはずがない。
その問いの答えを、自分は、これから先、一生をかけて、探し続けていくのだろう。
ジークフリートは、幸せそうに笑うイシュタルたちの姿に、そっと背を向けた。
その背中は、ひどく小さく、そして、孤独に見えた。
彼の後悔とは裏腹に、辺境の空は、どこまでも、どこまでも、青く澄み渡っていた。
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