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17. 20年越しの断罪劇 〜父の思い上がり
しおりを挟む「最後の紙をご覧くださいませ」
父の肩がびくりと揺れる。
それでも負けじとしばらく母を睨み返していたが、やがて机上に残った紙に目を向け、それを荒々しく手に取った。
視線を落とし──しばらくすると、その手がまたしても震えだした。
「その紙には、貴方と私の婚姻の際に取り決めた条件が書かれています。──当然、覚えていらっしゃいますよね?」
当時、どうにかして母との婚約を継続して婚姻に漕ぎつけようと、フィングレイ侯爵家は必死だった。
あの断罪劇を受け、父が信じられなくなったという母のために、婚姻に際して、いくつかの約束事がなされたのだ。
「そこに書かれた約束事を、貴方が一つでも破った場合は、事前に取り決めた賠償金等の条件のもと、私一人の意志により離縁できると──当然、覚えておいでですね?」
そして、その約束事というのが──
「約束の一つに、マリアナさんと、彼女が嫁したベルク男爵家に、金輪際関わらないこととございますが⋯⋯。
──貴方は、破りましたよね?」
「いや、違う⋯⋯ちがう、私は⋯⋯!」
なんとか言い訳を絞り出そうとする父に対し、母はむしろ美しく笑んで見せた。
やがてその目が、縮こまるように成り行きを見守っていた少女に向く。
「──メリルさん、」
名を呼ばれ、少女が肩を揺らした。こちらも顔色が悪い。
「貴女のお母様のお名前は?」
「⋯⋯わ、わたしは⋯⋯!」
「答えなさい」
「止めろシンシア!」
母の絶対零度の眼差しに射竦められたメリルを庇うように、父が叫んだ。
「⋯⋯そうだ。メリルの母親は、あのマリアナだ」
言ってから、力尽きたようにその場にへなへなと座り込んだ。
母は、深くふかく、どこまでも長いため息をついた。
そんな母に縋るように、父は見上げる。
「⋯⋯何故だ、シンシア。お前は、確かに私のことを好いてくれていたのに⋯⋯。⋯⋯それなのに、こんな⋯⋯今さら、何故こんな仕打ちを⋯⋯!」
その瞳にこみ上げるものがあり、父は慌てて俯いた。
目の辺りを荒々しく拭い、くそっと悪態をつく。
そのいかにも芝居がかった仕草を見下ろし、母はひどく不快そうな顔をした。
「それ以上気味の悪いことをおっしゃらないでください。⋯⋯私が貴方を好いていた?お止めください、寒気がいたします」
母はにべもなく吐き捨てる。
「私と貴方は政略結婚以外の何物でもなかったでしょう」
「それでもお前は、あの出来事のせいで他の家が次々と婚約を破棄していく中、私と結婚したではないか!そこに私への想いがなかったとしたならば、一体なんなのだ⁉︎」
父のその言葉を聞いて、やっと合点がいったように思えた。
『ヴァリシュの断罪劇』のために、他の貴公子たちは軒並み婚約破棄された。
そんな中、そんな自分と母がそれでも結婚したのは、母には父への恋愛感情があったからではないのかと言いたいのだろう。
母も父の言わんとすることに察しがついたのだろう、これでもかと顔をしかめてみせた。
「そのような勝手な想像をなさらないでください。⋯⋯私が何故貴方と結婚したか、ですって?
──そんなもの、プライセル公爵家にも汚点があったために、相手を選べなかったからというだけです」
母の言う汚点──それは、『ヴァリシュの断罪劇』の貴公子側の一人が、母の実家であるプライセル公爵家にもいたということだ。
今は嫡廃されたその人物。名をサイラスといって──母の実の兄であり、私の伯父にあたる。
「我が兄も愚かなことに加担いたしましたから。その一件のせいで、父も騎士団長の座を退くこととなりましたし。⋯⋯いかな公爵家といえど、そのような痴れ者を出し、父の威光も翳ってしまっていては、貴方との婚約を破棄したところで、まともな縁談は望めないと思われました。
──それならば、少しでもこちらの随意にできる相手との婚約を継続した方が何かとよいだろうと判断したまでのことです」
「そんな⋯⋯!」
父はがっくりと肩を落とした。
本当に今の今まで、母が父と結婚したのは、母が父に惚れていたからだと信じきっていたのだろう。
だから、もしかしたら──何をしようと、母は父を捨てられないと思い上がっていたのかもしれない。
「⋯⋯それでも、結婚当初はよかったのです。お義父様もお義母様も、貴方も、このような私にたいそう気を遣ってくださいましたし。
ですが──」
すべてが狂っていったのは、私が産まれ、弟が産まれ、祖父母が亡くなってから。
実の両親という箍が無くなり、父はどんどん増長し、傲慢になっていったと、母は言っていた。
「──貴方は、何度も裏切りましたよね?メリルさんのことはもちろんとして、それ以前からも。⋯⋯ベルク男爵家への資金援助のこともありましたし」
母の言葉に、父が弾かれたように顔を上げた。
その顔は白い。
「何故それを──っ!」
「知っているのか、ですか?私を馬鹿にしないでくださいと何度も言っているでしょう」
ベルク男爵家への資金援助。
父が母に隠れてこっそり行っていた─つもりらしい─それによって、フィングレイ侯爵家の財政はいつまで経っても余裕が生まれなかった。
そもそも、家令とともに侯爵家の財政を含む政務を実質上行なっていたのは母であるのに、理由もなく金が消える事態を誤魔化せると、父は本当に思っていたのだろうか。
「とは言え、ベルク男爵家はもともと豪商から成り上がったお家で、当時も商売をされていました。それ自体は将来性もありそうでしたし、投資ということでとりあえずは不問にしていたのですが」
それでは何故そんな家が資金援助を必要としたかと言うと、母曰く、ベルク男爵家に嫁いだマリアナのせいらしい。
彼女は結婚後、途方もない豪遊生活を送った上に、あらゆる場所で引き続き異性関係のトラブルを起こしており、その慰謝料等もかさんだのだろうということだった。──本当に呆れるばかりである。
「そうした私の甘さが、災厄でしかなかった彼女の娘を養女にしようなどという、貴方のふざけた行動に繋がってしまったのでしょうね」
言って、自嘲するように母は笑った。
そうして、改めて父を見下ろす。
「婚姻時の約束は破られました。先代のフィングレイ侯爵様と我が父であるプライセル公爵が交わした取り決め通り、私は貴方と離縁いたします。⋯⋯もう異論はございませんね?」
父は、項垂れたまま顔を上げなかった。
その様子に異論なしと受け取ったのだろう、母は一つ頷いた。
「それではフィングレイ侯爵様、離縁に関するお話は以上です」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯は?」
その不穏な含みをもたせた言葉に、父が思わず顔を上げた。
その先、母はにやりとしか形容しようのない、黒い笑みを浮かべていた。
「次のお話のために──フィリップ、例の方々をお通ししなさい」
「かしこまりました」
呆然とする父に構わず、母は有能な家令に指示を飛ばす。
その言葉を受けて、私もやっと来たかとばかりに立ち上がった。
展開についていけず、目を白黒させる父──やがてフィリップが連れてきた方たちに、父は目を剥くこととなる。
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