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稀代の悪女と呼ばれた女
しおりを挟む後に『ヴァリシュの断罪劇』と呼ばれる出来事が起きたあの日。
王太子殿下含む貴公子たちに護られるように、彼女は立っていた。
──今にも倒れそうなほど、真っ青な顔色で。
それはそうだろうと思いながら、王太子殿下に名前を呼ばれて前に進み出る。
彼女は殿下たちの弱味を握るために送り込まれたのだ。自らが弱味になるためではない。
少なくとも、断罪劇の首謀者になど、なりたくはなかっただろうに。
それもこれも、彼女を護る貴公子たちのせいだ。
彼らの気を引くために同情を買おうと、貴族令嬢方に冷たくされると悲しめば、彼らは相手が誰で何をされたのかとしつこく問い質したのだろう。
しまいには、あることないことを、シンシア含む自身の婚約者たちのせいにしたようだ。──嫉妬に狂った愚かな女たちの所業として。
平民でありながら、ここまでの大ごとの当事者になっておいて、彼女は無事にこの先の人生を全うできるのだろうか、彼女の後見人はどう始末をつけるのだろうかと、他人事ながらシンシアが心配したほどだ。
とはいえ、正直自業自得であるとしか思えないので、そこまで同情はしていないのだけれど。
その後、断罪劇は貴公子たち側に全面的に非があるということで決着した。
関係者は高位貴族の子女ばかりという中、マリアナは表向きは何の後ろ盾もない平民であるために、どうしてもその命が軽んじられそうだった。
しかし、国王陛下はその辺りをしっかりと考えてくれたのだろう、彼女は王命でベルク男爵家に嫁すこととなった。
男爵夫人となれば、少なくともその辺の道端で襲われ殺され、誰にも顧みられないということはない。
そしてこれは、正妃の子というだけで愚昧な息子を王太子の座に就けざるを得なかったことと、それを追い落とそうとする勢力の存在にあえて目を瞑っていたこと。
その結果生まれたあの断罪劇に、平民を巻き込んでしまったことへの、詫びでもあったのだろう。
これはもちろん、破格の温情措置であったのだが──愚かなことに、マリアナはそれに納得できなかったのだろうか。
物議を醸すほどの温情も、彼女にとってはたかだか男爵夫人だったのだろうか。
だから彼女は──自分をこのような境遇に落とした、同じく断罪劇の役者であった令嬢たちを恨んだのだろうか。
断罪劇の後も、シンシアのもとにはマリアナの情報が引き続き入ってきていた。
彼女がそれを望んだと言うよりも、彼女と仲の良かった令嬢から次々に情報が寄せられたのだ。
『夫がとある夜会で、マリアナに誘惑されたようですが、幸い夫は突っぱねてくれました。ベルク男爵家には厳重に抗議いたしましたが、あの女はまったく懲りていないようです。シンシアさまもお気を付けになって』
『マリアナがさまざまな夜会で、あの断罪劇に関わった方々にちょっかいをかけているようです。お気を付けください』
『マリアナがとある夜会で、シンシア様を含む方々の悪口を声高に話しておりました。何やら不穏なことを企んでいるようです。身辺には充分に気を配ってくださいませ』
彼女の悪意にさらされたらしい、今は夫人となったかつての友人たちから届く手紙からは、マリアナの暴走の様子が見て取れた。
あれからもう10年近くが経とうとしている。
自分はちょっと─正直に言えばだいぶ─抜けているところのある侯爵子息とそのまま結婚して、子宝にも恵まれた。
マリアナも、眉を顰めるような豪遊生活の噂と共に、自分と同時期くらいに子供が産まれたらしいことも聞いている。
それなのに、彼女はまだあの出来事に縛られているのか──それが不可解で、哀れだった。
義両親の死後、ベルク男爵家にせっせと支援金を送るようになった夫の行動に、心の底が冷え込みながらも一先ずは目を瞑る。
そうして、家格の差によって茶会や夜会でも見かけることのない彼女を苦く思った。
そして──確か、長女であるセシリアが16歳を迎えた年だっただろうか。
紙に垂れたインクがじわりと滲むように、ひっそりと人伝に、マリアナの訃報を聞いた。
ある日の朝、用水路にひっくり返っている馬車が発見されたらしい。
その前夜が大規模な夜会であったから、帰り道に夜道を走っていて道を踏み外し、脇の用水路に転落したのではないかと。
それで、御者と侍女と──ベルク男爵夫人が亡くなったと。
学院を卒業してからは─夫が隠れて何かしているのは当然勘定に入れぬとして─まったく交流をしていなかったのだ。
弔問に訪ねることもなかった。
しかし、夜道とは言え、都内の通い慣れた整備された道で、御者が手綱を操り損ねるだろうか。
そんな風に、その死が不可解であったために、様々な噂や憶測が流れた。
曰く、あちこちで浮き名を流す彼女を、どこぞの夫人が恨んだのではないか、と。
曰く、様々な男性に近づくうちに、裏社会の人間とも交流をもち、何らかの事件に巻き込まれたのではないか、と。
曰く、浪費家で厄介者な彼女を、男爵家が疎んじたのではないか、と。
いずれも、彼女の死は事故ではなく仕組まれたものだとされるものばかりだった。
それでも事故として処理された事実が覆ることはなく、真相は藪の中となった。
だから正直──驚いたのだ。
マリアナの生き写しのような娘、メリルが侯爵家にやってきたときは。──もちろん、すぐに彼女がマリアナの子供だと気づいた。元夫は気づいていないだろうなどと、愚かにも思っていたようだが。
マリアナの死後、男爵家が営む商会は完全に経営破綻してしまったらしく、経営していた男爵─マリアナの夫─は事が明るみに出る前に姿をくらましたと聞いた。
その後、爵位は国に返上され、商会は弟だかが引き継いで、かなり規模を縮小して商売を再開したらしいが⋯⋯。
──そういえばその噂話の中に、男爵夫妻の子供の話は聞かなかった。
メリルは家で虐げられていたという夫の話をすべて信じた訳ではなかったが、そんな家の中であんな夫妻の子供がいい扱いを受ける訳がないとは思っていた。
だから、本当に最初は、この子もあの断罪劇の被害者なのだと思って、出来うる限りのことをしてやるつもりだったのだ。
しかし、それも──メリルが外見のように、中身までマリアナそっくりであると気づくまでだった。
彼女は与えられることを当然と思い、感謝することを知らなかった。
むしろ、どれだけ得ても満たされないと言うように、あらゆるものを羨ましがり、妬み、欲しがった。
当然、同情していた気持ちなど、すぐに失せていった。
それどころか、学院時代の当初はさすがに分を弁えていたマリアナとは違い、この少女はそれすらも分からないのだと、救いようのない愚かさにも気づいた。
だから、貴族に対する捜査等を行う第一騎士隊の隊長であるアルフから、夫とメリルの容疑を聞いたときも、庇おうなどと言う気はまったく起きず、むしろ報いを受けるべきだと差し出そうとしたほどだ。
可哀想な子だとは思う。
違う親のもとに産まれていれば、もっと真っ直ぐ育ったのだろうと思わぬこともない。
それでも、それはすべて仮定の話だ。
だからこそ、私は彼女に訊きたいのだ。──ひとりの母親として。
貴女にとって、この子供はどんな存在で、どんな風に接し、どんな気持ちを向け、どんな風に育ててきたのかと。
彼女は──笑うばかりで何も答えてくれないが。
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