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稀代の悪女の娘 ②
しおりを挟む家へ連れ込む男たちへの母の接し方をこっそり見ながら、時には自分でも実践してみながら、わたしは虎視眈々とこんな家から脱出する機会を窺っていた。
──そんな折、思ってもみなかったことが起こった。
母親が、夜会の帰りの馬車の事故で死んだのだ。
わたしの人生において、ある意味で絶対的だった母は、あっさりとこの世から退場した。
そしてそれを喜ぶ者たちが屋敷の中には溢れ返っていた。
「あの女にしては普通な最期だね。てっきり間男かその奥方にでも刺されるかと思ってたよ」
「でも事故にしても怪しいだろ?あの御者が馬車を用水に落とすとは考えられない」
「まぁまぁ、その辺はいいじゃないか。これで給金も増えれば最高なんだけどねぇ」
「あの女、やっとくたばってくれたか。王命による婚姻だからと、離縁ができずに今まで散々だった。これであの女が散財していた分も彼女に使ってやることができる。⋯⋯なぁ、再婚はいつからできるんだ?」
「旦那様、それは⋯⋯せめて喪が明けませんと」
「半年でいいか?なに、一年?あの女にそこまでしてやる価値はないだろう!」
どいつもこいつも、好き勝手なことばかり言いたい放題だ。
屋敷内でさえこれなのだ。他所でも好き勝手に振る舞っていた母はどれだけ悪し様に言われているのかと思う。
別にそれは構わないのだが、この先自分がこの家を出たときに障害になってほしくないと、それだけを願った。
わたしの生活を監視する目障りな女がいなくなったから、わたしは今までの我慢を少しだけ発散することにした。
「わたし、お母さまの部屋に移るわ。ドレスや宝飾品はそのままにしておきなさい。それと、週に一回の商人や仕立て屋の訪問は続けさせて。今度はわたしのものを買うの」
使用人に言いつければ、彼ら彼女らはぽかんとしていた。
「お、お嬢様。そんな勝手を旦那様はお許しになりませんよ?」
「お母さまがしていたことをわたしが引き継ぐのよ。何も問題はないわ」
「ですが⋯⋯」
目にはっきりと不満を浮かべる使用人に、わたしはにっこりと笑ってやった。
「何よ。いずれわたしがこの男爵家を継ぐのよ?命令に従えないだなんて、もっと給金を減らしてほしいの?それともクビがお望み?」
「いえそんな、滅相もありません!」
両親の横暴を受けながらも、この家で働き続けた使用人たちだ。普段の口ぶりや仕事ぶりを見ていても、有能だとは言い難い。ここを追い出されたらもう他で働くアテもないのだろう。
だから、軽く脅してやればおもしろいくらいに言うことを聞いた。それは一種の快感を覚えるほどだった。
クローゼットいっぱいの美しいドレスに、目に痛いほどに光り輝く宝飾品の数々。
最初の何日かはずっと部屋にこもってあれやこれやとドレスを試着しまくって過ごした。
笑いが止まらなくて、お母さまありがとう!と生まれて初めてあんな母親に対してでも感謝してやった。
そうやって、わたしが思い切り羽を伸ばし始めたある日のことだった。
わたしが初めて仕立てたドレスが次々と届いてきた頃に、その日はやって来た。
──父が突然姿を消したのだ。
最初は愛人のもとに行っているのだろうと思われたが、1ヶ月が経っても父は帰ってこなかった。
ここまで長期間不在にするのは珍しいと、わたしを含めて使用人たちも何事かと思い始めたときだった。
「恥ずかしながら、兄は逃げたようだ。後の始末は弟である僕がつけることになった。商人も商会の従業員も、申し訳ないが全員解雇となる」
突然現れてそんなことを言ったのは、父の弟──わたしの叔父だった。
彼は自ら国に申し出て父の始末をつけにやってきたらしい。
逃げ出した父のその後のことは知らない。
再婚を考えていた女のところに行ったのかもしれないが、父に貢がせていた女が金のなくなった父を受け入れたとも思えない。
それでも、これはわたしにとって僥倖だった。
何せ、目の上のたんこぶだった両親が、短い間に二人ともわたしの人生から退場してくれたのだ。
──今までの我慢がやっと報われる。これですべてはわたしのものになるのだ!
わたしは歌でも口ずさみたい気分で、叔父のもとに向かった。
「おじさま、ありがとうございます。実はわたし、父と母にはとても虐げられていたのです⋯⋯」
涙を浮かべながら叔父に言えば、彼は眉尻を下げた。
「あんな両親のもとで大変だったね。もっと早くに何とかしてやれればよかった」
そうやって、ひとしきりわたしの境遇に同情してくれた後、叔父は思いもしないことを言い出した。
「⋯⋯それで、どうしようか、メリル。知り合いの商家に行儀見習いを募集している家があるから、そこに紹介しようと考えていたんだが」
どうだろう?と、さも当然のように提案してくる叔父に、自由自在に出せるようになった涙もさすがに引っ込んだ。
「は⋯⋯?それは、わたしに出て行けってこと?何を言ってるのよ、ここはわたしの家よ」
「そうだね。だけど、借金の担保になっていたから、今はもうベルク家のものではないんだ。すべて売り払えば、何とか家の借金は返せるだろう。爵位も返上することになりそうだ。
あとは商会の方だけど、そっちは借金も含めて僕が引き継ぐことにした」
「い⋯⋯いやよ、だってわたしは、この家の──」
「もちろん、どうしても他所の家に奉公に出たくないと言うのなら、僕のところに来てくれてもいい。だが、僕はなんとか父の商会を残したいから、家族でもない者をただ飯食いとして置くような余裕はないんだ。だから、僕のところに来ると言うのなら、使用人としてということになるのだが」
この男が何を言っているのかわからなかった。
だって、やっと自分の好きに生きられると思った矢先なのだ。
「さっきから何を言ってるの?この家はわたしのものよ!この家の金も土地も邸も、宝石もドレスも!すべてわたしのものなの‼︎」
「メリル⋯⋯兄は多額の借金をしていたんだ。そして、それを払い切らずに姿をくらました。⋯⋯申し訳ないけれど、君には何も渡してあげられない。この邸も土地も、宝飾品やドレスも、全部売り払ってすべて返済に充てるつもりだ。だから⋯⋯」
「何よ!何なのよ!なんでアンタが全部決めるの⁉︎ すべて売り払うのよ!認められるわけがないわ!この泥棒‼︎」
ぐちゃぐちゃした心のままに叔父に罵詈雑言を浴びせかけた。
だが彼は何一つ言い返さず、声を荒げることもなく、ひたすらわたしに何事かを言い聞かせようとしていた。
それらすべてに罵声を返していると、にわかに玄関の方が騒がしくなった。
「メリル!」
現れたのは、フィングレイ侯爵だった。
母が死んでからも、侯爵はわたしのことを気にかけていた。父がいなくなったことも手紙で相談していたから、様子を見にでも来てくれたのだろう。
彼はわたしの声を聞きつけたようで、使用人の静止を振り切ってわたしのもとまで駆けつけた。
「あぁ、どうしたんだ?可哀想に、こんなに取り乱して」
「この男が⋯⋯!この男が、わたしのものをすべて奪おうとするの!」
侯爵の胸にすがりながら叔父を指差せば、叔父が慌てた。
「メリル!何度も言っているだろう。すべて借金の返済のためにすることなんだ」
「何を言う。この家の正当な継承者はメリルだろう。それを貴様が勝手にあれこれやるなどと、簒奪と変わりない!」
侯爵もわたしに加勢してくれる。
叔父は疲れたように首を振った。
「それでしたら侯爵様、代わりに借金を何とかしてください。家の方だけで構いませんから」
「なに⋯⋯」
「そこまでおっしゃるのですから、構いませんでしょう?メリルと共に家の方をお願いします。商会の方は僕が何とかしますので」
借金の肩代わりを言われては、侯爵もそれ以上は食い下がれなかったのだろう。
卑怯者めという捨て台詞を残して、侯爵はわたしを連れてその場を後にした。
「可哀想に⋯⋯だが大丈夫だ、メリル。私の可愛い娘。我がフィングレイ侯爵家の養子としてやろう。今まで辛い思いをした分、お前には幸せになる権利がある」
涙を流しながら、叔父が行った行為をでっち上げつつ話していると、侯爵はそう言って慰めてくれた。
そうして──わたしには、新しい母と弟、そして姉ができた。
男爵家のものとは比べものにならないほど豪奢な邸に、豪華なドレス、一流の使用人に囲まれた生活の始まりだった。
最初に感じたのは、喜びではなく怒りだった。
──わたしがあれだけ辛い生活をしているときに、この女はこんなに恵まれた生活を送っていたなんて。
フィングレイ侯爵の娘である、セシリアという同い年の少女を憎たらしく思った。
しかもこの女とその母親は、あれだけ辛い生活をしていたわたしの好きにさせてくれたのは、本当に最初のわずかな間だけで、あとはひたすら小言を言ってくるのだ。
挙げ句の果てには、わたしが侯爵家の養子になるのを認めないと言う。
──何よ。恵まれたお貴族様のご令嬢とやらが、何も苦労せずにこんな生活を送っているくせに。それでもわたしを目の敵にするなんて、どれだけ心の狭い女たちなの。
表向きは健気ないい子を装いながら、その実、心のうちはむしゃくしゃとした怒りに満ちていた。
その度に義父となった侯爵に泣きつけば、思うがままに何でも買い与えてくれた。
──馬鹿な女たちね。アンタの父親も弟も、わたしのことを心底可愛がっているのよ。
いつもそう思って、侯爵家の女二人を見下していた。
今に見ているがいい。
義弟が結んでくれた縁により、わたしは公爵になるのだ。
死んだ母も、どこかに消えた父も、あの家にいた使用人たちも、侯爵家の者たちも、みんな見返してやる。
そんなことを考えながら、男を虜にする笑顔の下に、荒れ狂う心を押し込めた。
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