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第1章 転生令嬢たちは決意する。

03. 姉は戦慄する。

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闇の中を、意識がたゆたっていた。

ゆらゆら、ゆらゆら、と。心地よい揺れにぼんやりと意識を預ける。

──いくら気に入らないからって魔法をぶつけるなんて⋯⋯下手したら死んでたよ。さすがにやり過ぎだって。

そんな中、頭の中に私であって私でない声が響いた。

──しかも相手はあんな、いかにも可愛らしい女の子なのに。これじゃまるで悪役令嬢じゃない。

(──悪役令嬢?)

頭の中に響いた聞き覚えのない言葉を反芻する。
いや、聞いたことはあった。
確か学校の仲の良い友だちが、そう呼ばれる令嬢たちが出てくるファンタジー小説にはまっていて⋯⋯。

(ファンタジー?学校?⋯⋯何を言っているの。学院にはまだ通っていないわ。あそこは16歳のデビュタントを迎えてから通うところですもの)

何かがおかしいことはわかっているのに、認めたくなくて否定した。
知っているようで知らない声は続ける。

──学校は7歳から通うよ。義務教育っていうの。16歳だったら高校かな。

(何よ、それ。知らないわ!私、知らない!)

頭の中に響く声に叫ぶ。

(貴女誰なの?この私を馬鹿にして。ただでは置きませんわよ!)

──あ、その台詞、なんだか悪役令嬢っぽい。

(ッ、だから!悪役令嬢というのは⋯⋯!)



そこで、ぱちり、と目が開いた。

しばらく視界はぼやけていたが、やがて像が結ばれて、見慣れた豪奢な天井とベッドの天蓋が目に入った。
そう思う反面、うわぁ天井の彫刻すごいし天蓋付きベッドなんて何それ初めて、と思う自分もいる。

「──アーテル様、お目覚めになりましたか」

ベッドの傍らに控えていたらしい侍女が、きょろきょろ見回していることに気づき、声をかけてきた。

「お医者様は大事ないということでしたが、お身体はいかがですか?」

わぁすごいメイド服だ!なんて感動する自分を押し込め、呑気な様子の侍女を睨む。

「気分は最悪よ。どうして私はここにいるのかしら?」

頭の中の声もうるさいし、とは言わなかったが。
鋭い眼光を受けた侍女は首をすくめると、細い声で説明した。

「⋯⋯どうやら魔法の練習中に事故があったようで、アーテル様とルチア様、お二人ともが魔法の影響を受けて倒れられたようなんです」

それは事故などではない。アーテルはルチアを狙ったのだ。自分も倒れたのはなぜかはわからないが。
それでも、事故で処理されたのは僥倖だった。

(僥倖⋯⋯そう言い切れるなんて、我ながら恐ろしいわ。私、本当にみたいね)

そう、反射的に思った。


──その瞬間、一気に溢れた情報の奔流が目覚めたばかりの意識をかっさらっていってしまった。



結局、アーテルは再び意識を失い、慌てた侍女が再び医者を呼びに行った。

駆けつけた医者に診てもらっている最中に彼女は再び意識を取り戻したが、しばらくは声も発せられなかった。
しばらくして少し回復してから、大丈夫だから一人で休ませてほしい旨をなんとか伝え、医者と侍女を部屋から追い出した。

そうして──上手く動かせない体でなんとか立ち上がり、全身鏡の前に立ってみたのだが。

「⋯⋯⋯⋯わぁ。黒髪だけど、明らかに日本人の顔じゃないや。それに紅い瞳って、なんてファンタジックなんだろう」

完全に独り言になるとは自覚しながらも、そんな言葉が出てきた。棒読みで。
頭の中は依然混乱を極めていたが、それでも少しずつ落ち着いてきていた。

これは、生まれ変わりとか、転生とか、そういう類のやつなのだろう。
日本で生まれ育った生粋の日本人だったはずなのに、今は魔法が存在する異世界の貴族令嬢となっていた。

「まさか、物語の中の世界みたいな出来事が我が身に起こるなんて⋯⋯」

今の私アーテルにしてみれば前世となる日本人のことは、個人の記憶と言えるような形で頭の中に存在しているわけではなく、知識という形で残っているような感じだ。
それでも今はアーテルの自我にその日本人の意識の残滓が紛れ込んでぐちゃぐちゃになってしまっている。
しばらくしたら落ち着いてくれるだろうか。

自分はアーテル。そのことに変わりはない。
──だが、もちろん問題はあった。

「⋯⋯今の私の立ち位置って、完全に悪役令嬢ってやつじゃない?」

悪役令嬢──これも前世の知識からだ。
ヒロインの恋路を邪魔したり、いじめたりする悪役。

(ルチアの外見がザ・ヒロインって感じだもの。それに対して私はなんだか悪そうな顔をしているし)

鏡の中の少女は、つり気味の真紅の瞳をじっと向けてくる。ただ見てるだけなのに、その眼光は鋭い。
いかにも悪役令嬢という顔つきだ。

(え。でも待って。悪役令嬢の末路ってたいてい悲惨だよね?国外追放されたり、奴隷にされたり、処刑されたり⋯⋯)

もちろんそれは、それ相応の悪事を働いているが故の断罪なのだが。
ヒロインの悪口を言ったり、物を隠したり、恋路を邪魔したり、危害を加えようとしたり。

(⋯⋯⋯⋯ん??)

──頭によぎったのは、憎しみのままにヒロインルチアに向かって魔法を放った自分の姿だった。

さぁっと顔から血の気が引くのを感じる。

「てことは、私──断罪されちゃう⁉︎」

意識を取り戻したはずなのに、ふらりと、また意識を失いそうになった。
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