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第2話⑥ 入れ違う思惑

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 ――勝った!

 丁子は勝ちを確信した。ゴッ太郎はわたしの魅力に屈して、その手を止められなくなったのだ。だけれど、これほどまでに筋肉に、肉体の美しさに入れあげる彼だ。ただ引き寄せられるがままの女など、きっとすぐに飽きてしまうに違いない。
 であれば、必要なのは彼の想像を超えるほどの一手。そう、今の自信に溢れた丁子には、次の一手が打てた。

「ゴッ太郎……くん! わたしを抱きしめてー!」

 文字通り、濡羽色に艶めく翼のような髪を大きく広げて、ブラック・スワンは飛び立った。地面の制約を離れ空の自由を全身で表現し、錐揉み回転を加えながら、これまで以上のキレと速度でゴッ太郎へ進んでいく。躍動と閃き、生命力を表すような閃光が赤光の中で踊っている。

「そんなっ嘘だろォッ!?」

 先んじたつもりが先んじられ、ゴッ太郎は既に掴みの動作に入ってしまっていた。振り上げた両手が降りていくが、その先の地面には既に丁子は居ない。丁子が居るのは、目の前の中空だった。彼女は恍惚とした表情で、まっすぐと筋肉へ突撃してくる。その動作には、見覚えがあった。

 これは――昨日の朝トラックを破壊した一撃と同じ動作だ。

 ゴッ太郎の脳裏には、目の前で爆散していくトラックが思い浮かぶ。更に、今の丁子は昨日の朝と比較するまでもなく強力で、美しい。こんなものにぶつかられたら――

「う、おおおおおおおおッッッ!!!!!」

 久しくぶりに感じる生命の恐怖がゴッ太郎の背筋を駆け上がる。しかも今のゴッ太郎は、ただ立っているわけではない。仕掛けた技を空振りしている途中なのだ。衝撃を受け止めるための防御の姿勢も取れず、逃げることもできない。モロに食らうしかない。

 実時間にして一秒にも満たないその瞬間を、ゴッ太郎はゆっくりと味わっていた。澄んだ瞳で、期待した眼差しで、丁子の体がぶつかってくる――というよりも感覚的には突き刺さってくる、と言ったほうが正しいだろう。

 丁子の体がぶつかった部分は、まるでその空間から接触部分が追い出されるように真後ろに吹き飛んで、残存した熱量がそのまま跳ね返る。ゴッ太郎の発達した全身の筋肉はまるでゴムボールのようにはじき出され、何度も何度も錐揉みの衝撃が豪雨のように降り注いだ。

「ぐあああああーーーーーッッッ!!!」

 最後の一段が当たった直後、ゴッ太郎の体は遂に後方に向かって射出されんがごとく吹き飛んだ。壁面に並んでいた古びたマットの中に突っ込んだゴッ太郎の周りには、爆煙のような埃が舞い散った。

 埃が徐々に風に流され、ゴッ太郎がはっきりと見えるようになった頃には、ゴッ太郎の筋肉は既に萎んで、普通の高校生とさして変わらぬ大きさに戻っていた。

「ゴッ太郎くん……! ごめんなさい……! つい……」

 丁子は服を拾い上げる間もなく、なりふり構わずゴッ太郎に走り寄った。

「……お、あぁ。俺の――負けだ」

 ゴッ太郎は気絶こそしていなかったが満身創痍で、白目を剥きながら敗北を認めた。

「こ、こんなつもりじゃなかったのに……」

 丁子にとって、これは本当にただの誤算だった。丁子はただ、ゴッ太郎に飛び込みたかっただけなのに、気が付いたら必殺の突進が出てしまっていたのだ。普段ならこんなことはありえない。丁子は普段からあの力に怯えて、抑えながら暮らしているのだ。

「いや、見事だった。俺が誘われて焦って手を出したところに、的確な一撃だった――。やろうって言ったのは俺なのに、かっこわり~~~」

 自虐気味にゴッ太郎はにやつき、丁子の顔を眺めた。

「ご、ごめんね。楽しいデートにしたかったのに……普段は出ないのに、どうしてか出ちゃって。痛かったよね、本当にごめん!」

 痛い――そんな言葉では済まない程にボロボロではあるのだが、ゴッ太郎にとってはむしろ丁子が傷つけてしまったことを謝ってきていることが不思議だった。それに、聞き慣れない言葉もあった。

「で、デート? 何言ってんだ?」
「え? え? ゴッ太郎くんがわたしを誘ったのって、わたしとデートしたかったからじゃないの?」

「……それは違う。俺は丁子の力が確認したかっただけだ」
「ええーーーっ!?!?!?!」
「っていうか、お前の力は体がデカくなったりするものじゃないだろ、なんで服脱いだんだ? 服が汚れるのがいやだったのか?」
「あ、あ、ああ。その、これ、は――そのぉ……」

 丁子の顔はどんどん青くなっていった。今までの微妙に噛み合わない問答の全てが脳内で噛み合っていくと、自分が理由もなく同級生に肌を晒していることの羞恥心が加速度的に膨らんでいく。気が付けば丁子は、へなへなと足が笑って座り込んでしまっていた。

「でも、たしかに綺麗な体だった。柔らかくて強え。自信満々に見せられたのも納得だった」
「え、えへへ。そっか、綺麗かあ……あ、ありがとう」

 褒められて嬉しいやら恥ずかしいやら、丁子の情緒はもうぐちゃぐちゃになってしまっていた。真っ赤になった顔を手のひらで覆う。眼前に広がる暗闇の中では、早くも一人反省会が始まっていた。

 なぜわたしは、勝手にデートだと思いこんでいたのだろう――なぜわたしは、勝手にボディ・ランゲージで会話しようとしてしまったんだろう――なぜわたしは、ゴッ太郎くんをふっとばしてしまったのだろう――気が付けば丁子の脳内は後悔まみれになって、塞ぎ込んでしまった。

 ゴッ太郎は丁子の上着を拾うと、座り込んだ丁子の背中に掛けた。丁子の視線が少しあがる。

「これはなんでもない感想だから、聞き流してくれて良いんだけどさ」
「……なに?」
「俺、丁子のことスゲー尊敬するよ」
「へ?」

 突拍子もない表明に、丁子は思わずゴッ太郎の方を見た。ゴッ太郎といえば、『何を当たり前のことを』と言わんばかりに丁子の視線を受け止める。

「だってよ、丁子ってスゲーつえー上に、自信満々じゃん。俺さ、思ったんだ。俺が女だったらこんなにおおっぴらにできる自信ねえよ。俺の筋肉に張り合って美しさを表現できる――一歩も引かないつええ女……そんなヤツ、男でもみたことねえ。だからやっぱすげえよ、丁子は」
「うえ、うえええ!?」

 敗北の悔しさの中、ゴッ太郎の胸に去来した感情は、爽やかな尊敬だった。控えめで少々挙動不審な普段の丁子とは違い、戦いでは凛々しく狡猾ながら見事に立ち回り、心の隙に差す的確な一撃――しかもそれが全く想像だにしない領域から飛んできたのだ。
 こんな仕掛けは、未だに見たことはない。これがアドリブで組み立てられたものだとするならば――彼女には未知数のバトルセンスが備わっていると言っても差し支えない。

「いやー、負けた負けた。久しぶりに負けちまった! まあ、なんとなくわかってたけど、このままじゃ勝てねぇや。でも、楽しかったぜ。勉強になった、手合わせサンキューな」
「う、うん。こちらこそ、ありがとう……?」
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