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第四章 朝闇の深林
律令の息衝
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斉明天皇元年十月、修繕が済んだばかりの飛鳥板蓋宮だったが、斉明天皇は新たに王宮を建てることを決めた。場所は皇極天皇として在位していた時に使っていた飛鳥小墾田宮を指定したが、萱葺の建て物をすべて瓦葺に変えるようにと命じた。
これまで瓦葺は寺院の屋根に用いられてきたのみで、倭の王宮の建築には使われていなかった。萱葺や杮葺の屋根を置くことを前提として建てられていた小墾田宮の宮殿は、屋根に乗せられた瓦の重さに耐えられず、柱はまるで朽木のように崩れ折れた。
瓦葺の建物を建てることができず新たな宮の造営の進捗がまったく見えないまま、その年の内に板葺宮は火災に遭い、斉明天皇は飛鳥川原宮へと遷った。
「大王が飛鳥にお戻りになられて大変喜ばしいことです」
川原宮の手狭な謁見の間で斉明天皇の玉座の前に傅き遷都の祝いの言葉を述べたのは蘇我赤兄《そが あかえ》だった。
蘇我赤兄は先に死亡した石川麻呂の次弟である。石川麻呂には他に二人の弟がいたが、末弟である日向は孝徳天皇に石川麻呂の謀叛を讒言し、今は筑紫の国に役人として赴任していた。
葛城王と鎌子によって宗家を討たれた蘇我氏には少しでも往時の権勢を取り戻そうという必死さがあり、赤兄もそうだった。
「ここ川原宮はあくまで行宮、ご不便なことが多くおありでしょう。是非我らに新たな宮の造営をお任せください」
赤兄は斉明天皇に向けて深く叩頭し、また斉明天皇の王座の脇に立つ葛城王に向けても改めて叩頭した。
「蘇我赤兄」
斉明天皇がその名を呼んだ。すでに六十一歳という高齢でありながら、斉明天皇の声音は明瞭な威厳を保っていた。
「そなたら蘇我は古くからこの地に詳しい。材木となる木を集め、新たな宮を造ることを命じる」
「ご命令、ありがとうございます。速やかに大王の宮殿をご用意いたしましょう」
王宮の造営を蘇我に任せたものの葛城王と鎌子には新たな課題が生じていた。
瓦葺の技術を自在に用いて建物を立てる能力が倭国にはまだ根付いていない。この事実は、先年から蝦夷攻略に携わっている阿倍比羅夫からの要求にも関わるものだった。
「鎌子、阿倍比羅夫はどこまで軍を進めたと報告してきたのか」
川原宮の一画にある葛城王の執務室には書籍木簡が整理されないまま、運び込まれた状態で所狭しと置かれていた。葛城王は床に直接敷物を敷いて座り込み、越の国から海岸沿いを北へとつづく地名の連なりを眺めていた。この時代、まだ倭国の全体を描いた地図はない。特に東国の北方の土地がどこまで続いているのかすら把握できていなかった。
「齶田にある蝦夷の拠点を攻めるための湊を確保したとのことです」
「湊か。まだ丘には柵を置けない状態だな」
東国の北部はいまだ倭に従わない者達が支配しており、それらの勢力は総じて蝦夷という呼称で呼ばれていた。大化二年に越国に渟足柵を、翌年に道奥国に磐舟柵を置いて蝦夷の攻略拠点としていたが、北への攻略が本格的に動き出したのはもう少し後の国造を廃してからのことだった。
律令の制度の下、朝廷直属の将軍を蝦夷攻略のために現地に派遣することで軍事行動を組織的に行えるようになったのである。
蝦夷攻略の将軍に任命されたのは、阿倍比羅夫と上毛野稚子だった。阿倍比羅夫は水軍を用いて日本海側から、上毛野稚子は騎馬兵を強化して太平洋側の陸地から北上し、各地で蝦夷と交戦していた。
「以前から比羅夫は既存の柵では防御が不十分だと訴えてきています。一度その地を攻略しても蝦夷は間を置いて何度も反撃を繰り返すため、より強固な城柵が必要だと。稚子も同様のことを訴えています」
葛城王は眉を寄せて鎌子を見た。
「だが吾らにはその強固な城柵を作る技術が無い。瓦葺の王宮さえまともに立てることができないのだ。瓦葺といい、柵の構築と云い、この国にはまだ足りない技術がある。鎌子、これをどうするべきだろうか」
葛城王の問いに鎌子は拱手して答えた。
「半島の石造りの技術を速やかに取り入れるべきかと存じます。以前、蘇我蝦夷は甘樫丘に石垣を持った柵を造っていました。蝦夷に石垣の技術を伝えたと思われる百済の王族に協力を仰ぎましょう」
「百済の王族は蘇我の庇護のもとにある。蘇我に命じるのが筋だ。だが今、蘇我の長である赤兄には王宮の造営を命じている。城柵の建築についても赤兄に任せてしまっては再び蘇我に権力が戻ってしまう」
考え悩む葛城王の側に鎌子は歩み寄り、その前に膝を付いた。
「それに関しては、私に考えがあります」
その翌日に鎌子は従者を連れて蘇我の一族が住む甘樫丘へ向かった。王宮からは馬を使う必要もない距離である。蘇我赤兄が指揮を執って造営中の新たな王宮を横目に見ながら歩き、さほど時間もかからず目的の邸に着いた。かつて蘇我蝦夷が城柵を立てた甘樫丘の麓には蘇我一族がそれぞれ邸を構えている。鎌子が訪れたのは赤兄の弟である蘇我連子の邸だった。
「ほんとうのところ、わたしは出家するはずだったのです」
石川麻呂や赤兄と面影は似通いながらもひどく物静かな様子の連子は溜息を吐きながら鎌子と対面した。物静かと云うより沈鬱とも云っていい雰囲気である。
「亡くなっておりますが長兄であった石川麻呂の他、次兄である赤兄に弟の日向もおります。充分でございましょう。はじめて一族から僧になるのがこのわたしであって何がいけないのか」
簡素な館に並ぶ書物や経文は連子が自ら集めたものだろう。鎌子は感心しながら連子に応えた。
「僧侶を目指してご兄弟の誰よりも学問を修められた連子殿にお願いがあってきました。学問の通じた百済の民、特に建築に秀でた者を紹介してほしいのです」
「百済の民、ですか」
連子の表情がさらに暗くなる。
「何か、彼等に変わったことでもありましたか」
鎌子が尋ねると、
「先の大王が難波に王宮を移してから、蘇我の中ではわたしだけがこの地に残って百済の民の世話をしてきました。けれど彼らは兄弟の中でどうも意見が合わないらしく、わたしに仲裁を頼んでくることもしばしばあったのです」
自分の兄弟だけでも手一杯なのに、百済王族の兄弟げんかに付き合わされてきた連子は、もううんざりなのだと目を瞑った。
連子の話によると、このところ、百済の移住民の勝手な行動が多くみられるようになったのだという。
推古天皇の頃から倭国に住み着いている者達と、最近の激しい戦禍を避けて倭国にやってきた者達との間で争いが起きる。倭国の者と同調する者としない者とで衝突する。母国が危機に瀕している以上落ち着かないのはしょうがないとして、これまで彼らの争いを抑制してきた蘇我氏自体が力を失い仲裁が難しくなりつつあった。
「連子殿、確かいま百済の王族は三人のご兄弟が倭国に来ていますが、誰と誰が主に争っているのでしょうか」
「長兄の豊璋殿は次の百済王と目される方です。母国の状況に心を痛めていますが、今すぐに何かできるわけでもないということを知っています。また末弟の翹岐殿は倭国の民と仲が良く、むしろこのまま倭国の民として暮らしていきたいと考えているそうです」
「となると、次兄の塞上殿ですか」
「そうなのです。以前からいろいろと騒ぎを起こす人物ではあったのですが……」
連子は苦り切った表情だが、力に任せず情報を集めて手を尽くし揉め事を解決しようとする連子に鎌子は政治の手腕があることを確信した。
「百済王族の兄弟もですが、われらの蘇我もここまで宗家が乱れてしまってはどうしようもない。蘇我の一族は仏教への信仰が篤いと言いますが、この頃では御仏の教えをまったく理解せずにただ像に手を合わせ僧侶に合わせて経を読んでいるだけです。惑いも迷いも自覚していない。わたしが僧となれないのなら、いずれ蘇我という名を捨ててしまいたいとも思っているのです」
「そこまで思いつめる必要はないでしょう。連子殿、少々その頭を悩ませている蘇我の家から離れてみてはいかがでしょうか」
「と申しますと」
鎌子を見る連子の目には興味の気配が確かに動いた。
その連子の顔に重なるかのように、鎌子の脳裡には蘇我入鹿の面影がよぎった。なんとしても王権に食い込もうとする赤兄よりも物静かな連子の方にかつての実力者だった入鹿の面影が濃いのは皮肉なことだった。
「私は今、右大臣を拝命していますが、それは空席を埋めるためです。内臣として葛城王の補佐をする片手間には務まらない仕事です。そこで連子殿に右大臣の任を譲りたいと思っているのです。蘇我の家のことよりも国のために働いてもらえないでしょうか」
思いがけない提案をうけた連子の顔には動揺が見えた。
「連子殿、今すぐのお返事は結構です。いずれ改めてお話させていただきますのでその時までにお心を決めて下さい」
鎌子は連子の返事を待たずにそう云った後、話を連子の蔵書に変えた。連子は困惑の表情を隠せないまま鎌子からの二、三の質問に答えたが、その受け答えからも仏教の経典や道教に関する深い見識は明らかだった。
――日々の雑務にすり減らされることなく、自分がこれまで涵養してきた知識や能力を活かして国を動かす任務に就くことへの魅力
知に重きを置く連子ならば必ずそこに思い至ると鎌子は確信し、連子の邸を後にした。
「蘇我の長である赤兄ではなく連子を右大臣にするのか。考えたな、鎌子」
鎌子から事前に計画を聞いていた葛城王は、連子が多少の逡巡の末に鎌子の申し出を承諾したと聞いて感心した。
「赤兄殿と連子殿が協調すれば、葛城王が案じられていたように蘇我の権力が戻るかもしれませんが、あの二人に限って協調はしないでしょう。石川麻呂殿の時もそうでしたが、蘇我は身内同士での争いが絶えません」
蘇我の内部の不安定さは、かつての強大な権力と一族を構成する身内の頭数が原因だった。権力を支えていた領地の多くは大化の改新によって王族へ返納されている。蘇我蝦夷の代で増えた直系の子孫は限られた財産を食いつぶすようにして体裁を保っていた。
赤兄に王宮を造営させ、連子を右大臣に任命すれば彼らの財政は多少、息を吹き返すだろう。けれどそれは大王によって掌握された人事であり、間違いなく改新による律令制度の効力だった。
――この飛鳥の土地で、今度こそ律令の制度を完成させることができる
その時、葛城王と鎌子は二人ともに近い未来に改新が成就することを確信していた。
これまで瓦葺は寺院の屋根に用いられてきたのみで、倭の王宮の建築には使われていなかった。萱葺や杮葺の屋根を置くことを前提として建てられていた小墾田宮の宮殿は、屋根に乗せられた瓦の重さに耐えられず、柱はまるで朽木のように崩れ折れた。
瓦葺の建物を建てることができず新たな宮の造営の進捗がまったく見えないまま、その年の内に板葺宮は火災に遭い、斉明天皇は飛鳥川原宮へと遷った。
「大王が飛鳥にお戻りになられて大変喜ばしいことです」
川原宮の手狭な謁見の間で斉明天皇の玉座の前に傅き遷都の祝いの言葉を述べたのは蘇我赤兄《そが あかえ》だった。
蘇我赤兄は先に死亡した石川麻呂の次弟である。石川麻呂には他に二人の弟がいたが、末弟である日向は孝徳天皇に石川麻呂の謀叛を讒言し、今は筑紫の国に役人として赴任していた。
葛城王と鎌子によって宗家を討たれた蘇我氏には少しでも往時の権勢を取り戻そうという必死さがあり、赤兄もそうだった。
「ここ川原宮はあくまで行宮、ご不便なことが多くおありでしょう。是非我らに新たな宮の造営をお任せください」
赤兄は斉明天皇に向けて深く叩頭し、また斉明天皇の王座の脇に立つ葛城王に向けても改めて叩頭した。
「蘇我赤兄」
斉明天皇がその名を呼んだ。すでに六十一歳という高齢でありながら、斉明天皇の声音は明瞭な威厳を保っていた。
「そなたら蘇我は古くからこの地に詳しい。材木となる木を集め、新たな宮を造ることを命じる」
「ご命令、ありがとうございます。速やかに大王の宮殿をご用意いたしましょう」
王宮の造営を蘇我に任せたものの葛城王と鎌子には新たな課題が生じていた。
瓦葺の技術を自在に用いて建物を立てる能力が倭国にはまだ根付いていない。この事実は、先年から蝦夷攻略に携わっている阿倍比羅夫からの要求にも関わるものだった。
「鎌子、阿倍比羅夫はどこまで軍を進めたと報告してきたのか」
川原宮の一画にある葛城王の執務室には書籍木簡が整理されないまま、運び込まれた状態で所狭しと置かれていた。葛城王は床に直接敷物を敷いて座り込み、越の国から海岸沿いを北へとつづく地名の連なりを眺めていた。この時代、まだ倭国の全体を描いた地図はない。特に東国の北方の土地がどこまで続いているのかすら把握できていなかった。
「齶田にある蝦夷の拠点を攻めるための湊を確保したとのことです」
「湊か。まだ丘には柵を置けない状態だな」
東国の北部はいまだ倭に従わない者達が支配しており、それらの勢力は総じて蝦夷という呼称で呼ばれていた。大化二年に越国に渟足柵を、翌年に道奥国に磐舟柵を置いて蝦夷の攻略拠点としていたが、北への攻略が本格的に動き出したのはもう少し後の国造を廃してからのことだった。
律令の制度の下、朝廷直属の将軍を蝦夷攻略のために現地に派遣することで軍事行動を組織的に行えるようになったのである。
蝦夷攻略の将軍に任命されたのは、阿倍比羅夫と上毛野稚子だった。阿倍比羅夫は水軍を用いて日本海側から、上毛野稚子は騎馬兵を強化して太平洋側の陸地から北上し、各地で蝦夷と交戦していた。
「以前から比羅夫は既存の柵では防御が不十分だと訴えてきています。一度その地を攻略しても蝦夷は間を置いて何度も反撃を繰り返すため、より強固な城柵が必要だと。稚子も同様のことを訴えています」
葛城王は眉を寄せて鎌子を見た。
「だが吾らにはその強固な城柵を作る技術が無い。瓦葺の王宮さえまともに立てることができないのだ。瓦葺といい、柵の構築と云い、この国にはまだ足りない技術がある。鎌子、これをどうするべきだろうか」
葛城王の問いに鎌子は拱手して答えた。
「半島の石造りの技術を速やかに取り入れるべきかと存じます。以前、蘇我蝦夷は甘樫丘に石垣を持った柵を造っていました。蝦夷に石垣の技術を伝えたと思われる百済の王族に協力を仰ぎましょう」
「百済の王族は蘇我の庇護のもとにある。蘇我に命じるのが筋だ。だが今、蘇我の長である赤兄には王宮の造営を命じている。城柵の建築についても赤兄に任せてしまっては再び蘇我に権力が戻ってしまう」
考え悩む葛城王の側に鎌子は歩み寄り、その前に膝を付いた。
「それに関しては、私に考えがあります」
その翌日に鎌子は従者を連れて蘇我の一族が住む甘樫丘へ向かった。王宮からは馬を使う必要もない距離である。蘇我赤兄が指揮を執って造営中の新たな王宮を横目に見ながら歩き、さほど時間もかからず目的の邸に着いた。かつて蘇我蝦夷が城柵を立てた甘樫丘の麓には蘇我一族がそれぞれ邸を構えている。鎌子が訪れたのは赤兄の弟である蘇我連子の邸だった。
「ほんとうのところ、わたしは出家するはずだったのです」
石川麻呂や赤兄と面影は似通いながらもひどく物静かな様子の連子は溜息を吐きながら鎌子と対面した。物静かと云うより沈鬱とも云っていい雰囲気である。
「亡くなっておりますが長兄であった石川麻呂の他、次兄である赤兄に弟の日向もおります。充分でございましょう。はじめて一族から僧になるのがこのわたしであって何がいけないのか」
簡素な館に並ぶ書物や経文は連子が自ら集めたものだろう。鎌子は感心しながら連子に応えた。
「僧侶を目指してご兄弟の誰よりも学問を修められた連子殿にお願いがあってきました。学問の通じた百済の民、特に建築に秀でた者を紹介してほしいのです」
「百済の民、ですか」
連子の表情がさらに暗くなる。
「何か、彼等に変わったことでもありましたか」
鎌子が尋ねると、
「先の大王が難波に王宮を移してから、蘇我の中ではわたしだけがこの地に残って百済の民の世話をしてきました。けれど彼らは兄弟の中でどうも意見が合わないらしく、わたしに仲裁を頼んでくることもしばしばあったのです」
自分の兄弟だけでも手一杯なのに、百済王族の兄弟げんかに付き合わされてきた連子は、もううんざりなのだと目を瞑った。
連子の話によると、このところ、百済の移住民の勝手な行動が多くみられるようになったのだという。
推古天皇の頃から倭国に住み着いている者達と、最近の激しい戦禍を避けて倭国にやってきた者達との間で争いが起きる。倭国の者と同調する者としない者とで衝突する。母国が危機に瀕している以上落ち着かないのはしょうがないとして、これまで彼らの争いを抑制してきた蘇我氏自体が力を失い仲裁が難しくなりつつあった。
「連子殿、確かいま百済の王族は三人のご兄弟が倭国に来ていますが、誰と誰が主に争っているのでしょうか」
「長兄の豊璋殿は次の百済王と目される方です。母国の状況に心を痛めていますが、今すぐに何かできるわけでもないということを知っています。また末弟の翹岐殿は倭国の民と仲が良く、むしろこのまま倭国の民として暮らしていきたいと考えているそうです」
「となると、次兄の塞上殿ですか」
「そうなのです。以前からいろいろと騒ぎを起こす人物ではあったのですが……」
連子は苦り切った表情だが、力に任せず情報を集めて手を尽くし揉め事を解決しようとする連子に鎌子は政治の手腕があることを確信した。
「百済王族の兄弟もですが、われらの蘇我もここまで宗家が乱れてしまってはどうしようもない。蘇我の一族は仏教への信仰が篤いと言いますが、この頃では御仏の教えをまったく理解せずにただ像に手を合わせ僧侶に合わせて経を読んでいるだけです。惑いも迷いも自覚していない。わたしが僧となれないのなら、いずれ蘇我という名を捨ててしまいたいとも思っているのです」
「そこまで思いつめる必要はないでしょう。連子殿、少々その頭を悩ませている蘇我の家から離れてみてはいかがでしょうか」
「と申しますと」
鎌子を見る連子の目には興味の気配が確かに動いた。
その連子の顔に重なるかのように、鎌子の脳裡には蘇我入鹿の面影がよぎった。なんとしても王権に食い込もうとする赤兄よりも物静かな連子の方にかつての実力者だった入鹿の面影が濃いのは皮肉なことだった。
「私は今、右大臣を拝命していますが、それは空席を埋めるためです。内臣として葛城王の補佐をする片手間には務まらない仕事です。そこで連子殿に右大臣の任を譲りたいと思っているのです。蘇我の家のことよりも国のために働いてもらえないでしょうか」
思いがけない提案をうけた連子の顔には動揺が見えた。
「連子殿、今すぐのお返事は結構です。いずれ改めてお話させていただきますのでその時までにお心を決めて下さい」
鎌子は連子の返事を待たずにそう云った後、話を連子の蔵書に変えた。連子は困惑の表情を隠せないまま鎌子からの二、三の質問に答えたが、その受け答えからも仏教の経典や道教に関する深い見識は明らかだった。
――日々の雑務にすり減らされることなく、自分がこれまで涵養してきた知識や能力を活かして国を動かす任務に就くことへの魅力
知に重きを置く連子ならば必ずそこに思い至ると鎌子は確信し、連子の邸を後にした。
「蘇我の長である赤兄ではなく連子を右大臣にするのか。考えたな、鎌子」
鎌子から事前に計画を聞いていた葛城王は、連子が多少の逡巡の末に鎌子の申し出を承諾したと聞いて感心した。
「赤兄殿と連子殿が協調すれば、葛城王が案じられていたように蘇我の権力が戻るかもしれませんが、あの二人に限って協調はしないでしょう。石川麻呂殿の時もそうでしたが、蘇我は身内同士での争いが絶えません」
蘇我の内部の不安定さは、かつての強大な権力と一族を構成する身内の頭数が原因だった。権力を支えていた領地の多くは大化の改新によって王族へ返納されている。蘇我蝦夷の代で増えた直系の子孫は限られた財産を食いつぶすようにして体裁を保っていた。
赤兄に王宮を造営させ、連子を右大臣に任命すれば彼らの財政は多少、息を吹き返すだろう。けれどそれは大王によって掌握された人事であり、間違いなく改新による律令制度の効力だった。
――この飛鳥の土地で、今度こそ律令の制度を完成させることができる
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