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1巻
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しおりを挟む「『私の奥さん』ですって! 世界一綺麗で、愛しているですって! はあ~~。ヴォルヘルム様のお手紙って、なんて尊いの!」
『私の奥さん』という呼びかけだけでも破壊力抜群なのに、最後に愛のお言葉まであるなんて……
そういえば、愛していると言われたのは初めてだ。先ほどから、胸のドキドキが鳴りやまない。
「わたくし、天に昇ってしまうわ」
その言葉を聞いたフロレンが、ぎょっとする。
「あの、天に昇るというのは……?」
彼女が恐る恐るといった感じで聞いてくるので、わたくしは笑いをこらえながら答えた。
「比喩よ、比喩」
「そう、ですよね。申し訳ございません」
「気にしないで」
それにしても、素敵なお手紙をもらってしまった。さっそく、お返事を書かなければ。
「エミリア、便箋とペンを持ってきてくれる?」
「かしこまりました」
お返事を書き終えると、ちょうど閲兵式に向かう時間だ。
わたくしはフロレンと共に部屋を出て、式が開かれるという中庭に向かう。
「ねえ、フロレン。わたくしの護衛って、何名いるの?」
「ザッと、百五十名ほどです」
「そ、そんなにいるの?」
「はい」
門番から離宮内見張り、身辺警護など、任務は多岐にわたるようだ。わたくし一人ではなく、離宮単位で守ってくれるという。
中庭に到着すると、騎士達がずらりと整列していた。騎士達の纏うマントの裏地は赤い。赤髪であるわたくしをイメージしてデザインしてくれたらしい。
わたくしが皆の前に立つと、先頭に立つ者の号令で、騎士達がいっせいに敬礼する。
その迫力に圧倒され、笑みが引きつってしまう。
すると、号令を出した騎士と目が合った。
栗色の髪に琥珀色の目を持つ、少々地味な青年だ。顔立ちは精悍でそこそこ整っている。背はフロレンより少し高いくらいで、筋肉質すぎないけれど引き締まった体つきだ。ぎゅっと唇を結び、真面目そうな雰囲気を醸し出している。
なんとなく佇まいに品があって、ただの貴族男性とは一線を画しているように見えた。
フロレンがわたくしに耳打ちする。
「ベルティーユ妃殿下、前に出ている男が、護衛部隊の副隊長です。名を、ローベルト・フォン・ハイデルダッハと申します」
「ふうん」
ハイデルダッハ家は確か、シトリンデール帝国で三本の指に入るほどの名家だったような。
広大な土地を有していて、畜産、林業、農業など、さまざまな事業を手がけているはずだ。
実家の事業を継がずに騎士をして身を立てているとは、何かわけがあるのか。
フロレンに屈むように命じ、彼女の耳元で低い声で質問してみた。
「もしかして、ローベルト・フォン・ハイデルダッハが、ヴォルヘルム様?」
これは、完全なるカマかけだ。ヴォルヘルム様は若くて地位のある男に変装している可能性がある。当てずっぽうで言っていけば、当たるかもしれない。
そう思って、ちらりとフロレンの顔を見てみる。聞かれた彼女はきょとんとした顔をしていた。
……どうやら、彼はヴォルヘルム様ではないようだ。
やはり、わたくしの目は節穴なのだろう。しかし、なんだか気になる存在である。
「フロレン、お願いがあるのだけれど」
「なんなりと」
「あの、ローベルト・フォン・ハイデルダッハと話がしたいわ。場を設けてくれる?」
スケジュールにはまだ余裕がある。お茶一杯くらいであれば、可能だろう。
「よろしくって?」
「ええ。では、今から準備いたします」
「ありがとう」
フロレンが側近に指示を出し、わたくしの後ろにいた従者達が散っていく。
そして護衛騎士が一人、ローベルトに駆け寄った。
護衛騎士に二言三言告げられて、ローベルトはわたくしの方を見る。軽く手を振ると、彼は九十度の角度でお辞儀をした。なんて大袈裟な。
これも、皇太子妃のご威光なのかもしれない。
五分とかからずに、接見の準備が整えられた。
ローベルトは応接間に入るなり、ソファに座るわたくしの目の前で片膝をつく。
するとフロレンが、改めて紹介してくれる。
「ベルティーユ妃殿下、先ほど紹介しましたが、彼はハイデルダッハ侯爵家のローベルトという者です。今年で二十五歳だったかと」
ローベルトはわたくしが声をかけるのを、じっと待っている。
「ベルティーユ様の護衛部隊に配属される前は、帝国の辺境スレインテオル地方で、療養中の皇太后様の身辺警護をしておりました。私の実家とも懇意にしているため、ヴォルヘルム殿下も信頼を置けるとご判断されたそうです」
ヴォルヘルム様が皇太后様にかけあい、わたくしの護衛をさせるためにわざわざ彼を呼び寄せてくれたらしい。
「あら、あなた、わたくしのために、この帝都に来てくれたのね。ありがとう」
「もったいないお言葉でございます」
ローベルトの声はとても大きく、はきはきしていた。ちょっとびっくりしたけれど、ほどよい低さで聞き取りやすい声だ。
しかし、彼は顔を上げようとしない。
たしかシトリンデール帝国の古いしきたりに、貴人と接見する際、目下の者は許されない限り目を伏せるようにというものがある。しかし、近年、行われなくなっているはずだ。
フロレンのほうを見ると、彼女は苦笑している。
「彼は、皇太后様のもとで、徹底的に礼儀を叩き込まれました。だから、こんな感じなのですよ」
「そうだったのね」
皇太后様の教育の末に、現代には珍しい古典的な騎士が完成した、ということか。
ただの貴族男性とは一線を画して見えたのは、これが原因だろう。
ローベルトはいまだ、床に片膝をつき、顔を伏せたままだ。彼をそうさせるのは皇家への忠誠心ゆえなのだろうか。まるで、古い物語の中から飛び出してきた騎士である。
しかし、よくよく見ていたら、耳が真っ赤だ。もしや、緊張しているのだろうか。
ちょっとからかって……じゃなくて、緊張を解してあげようかしら。
何より、近づいてみたら、彼がヴォルヘルム様かどうかはっきりわかるはず。
わたくしはローベルトの前にしゃがみこみ、彼の顔を覗き込んだ。
「ローベルト、これからよろしく」
すると彼は、バッと顔を上げた。その顔は真っ赤で、琥珀色の目を見開いて口をパクパクと動かす。
「ベルティーユ妃殿下!」
フロレンは慌てた様子で、わたくしの腕と腰を引いて立たせた。
「臣下と同じ目線になることはいけません。ヴォルヘルム殿下が見たら、どうお思いになるか」
「あら、ごめんなさいね」
皇太子妃らしくない行動を取ってしまった。
ローベルトは顔を真っ赤にしたまま、石像のように固まっている。
ヴォルヘルム様がわたくしを前にして、ここまで照れるわけがない。これで彼がヴォルヘルム様でないことがわかった。
「ベルティーユ妃殿下、あなたはなぜ、あのようなことを?」
「それは――」
まさかヴォルヘルム様を探しているとは言えない。
しかし、フロレンはわたくしの意図を理解したのだろう。困ったような、けれど悲しそうな、複雑な表情を浮かべる。
「ごめんなさい、フロレン。もう二度と、こんなことはしないわ」
「そうしていただけると、助かります。ベルティーユ妃殿下、そろそろお時間が……」
「あら、そう。では行きましょうか」
部屋から出る前に、ローベルトに一言謝っておく。
「ローベルト、からかうようなことをしてごめんなさいね」
「いえ、とんでもないことでございます」
お詫びに、今度差し入れを用意しよう。バタークッキーしか作れないのだけれど、食べられるかしら?
母国で慈善活動の際に作っていたバタークッキーは、わたくしが唯一得意なお菓子だ。
しばらくは忙しいだろうけれど、余裕ができたらシトリンデール帝国のお菓子も作ってみたい。
そんなことを考えていると、フロレンが声をかけてくる。
「ベルティーユ妃殿下、このまま大聖堂へ向かってもいいですか?」
「ええ、もちろんよ」
早足で離宮の廊下を歩き、玄関に停まっていた馬車に乗り込む。
馬車はサファイア宮を離れ、大聖堂に向かった。
皇族の暮らすここ『エーデルシュタイン城』は広大で、四百棟の建物があるらしい。
それほどたくさん建物があるにもかかわらず土地に余裕があるので、移動は馬車でしなければならない。
窓の外に、白馬に跨るローベルトが見えた。目が合ったが、彼から気まずげに逸らされてしまう。
その時、フロレンがゴッホンと咳払いする。わたくしはすぐさまカーテンを閉め、姿勢を正した。
十分ほどで大聖堂に到着した。ここは昨日、わたくしとヴォルヘルム様の結婚式が執り行われた場でもある。
なんでも、二百五十年かけて建造された国内最大規模の聖堂らしい。
天を穿つように突き出た尖塔の白さが、青空に映えていた。
本日はここで祭儀がある。百年前の戦争で亡くなった騎士達に、祈りを捧げるのだ。
すでに、多くの参列者がおり、席はほとんど埋まっていた。この国の人々の信仰心の深さがうかがえる。
わたくしは皇族席の長椅子に腰かけた。左側にフロレンが着席し、周囲はすべて護衛に囲まれる。
大聖堂の扉は閉ざされ、三十分間の黙禱の時間が始まった。
そのあと、若く整った顔立ちの男性が祭壇に上がる。
黒髪に灰色の目をした、三十歳前後の神官だ。眼鏡をかけており、他人を寄せつけない冷たい目つきをしていた。
詰襟でくるぶし丈の祭服を纏い、白地に黒いラインの入った長い襟巻きを首にかけている。左手には分厚い本、右手には儀式用の権杖を持っていた。
それにしても、こんなに若いのに祭儀を取りまとめる立場にあるなんて、いったい何者なのだろうか?
「フロレン、若い神官が祭儀を担当するのはよくあることなの?」
「いえ、彼は特別です」
若き神官の名は、フォルクマー・フォン・コールというらしい。
「コール家は優秀な聖職者を輩出した一族で、彼は、その……」
「親の七光り?」
わたくしがそう囁いた瞬間、フォルクマーに睨まれたような気がして、びくりとした。しかし距離があるので、わたくしを見たとは確信を持てない。
そうこうしているうちに、パイプオルガンの厳かな演奏が始まった。眠気を誘う曲調だ。眠くなってくるが、背筋をしゃんと伸ばして耐える。
しばらくして、フォルクマーが死した英雄へ祈りを捧げ始めた。
一節詠み終えると権杖で床をタン! と叩き、また次の祈りを詠む。その繰り返しである。
この祈りの時間が一番眠くなる――と思いきや、このフォルクマー、驚くほどの美声だ。
眠気なんて吹っ飛び、真剣に祈りの言葉に耳を傾ける。彼の声には、もしかして魔力があるのかもしれない。いや、聖職者なので魔力ではなく、聖力と表現したほうがいいのか。
周囲を見回すと、他のご婦人方も熱心に聞き入っているようだ。若い女性だけでなく、老齢の女性まで、ぽ~っとなっている。
……なるほど。彼女達が信仰しているのは、神や過去の英霊ではなく、フォルクマーというわけか。
一時間半きっちり祈りを捧げ、祭儀は終了となった。
皆、フォルクマーに熱い視線を向けつつ、大聖堂を出ていく。
わたくしも立ち上がり通路に出たところで、なぜかフォルクマーがこちらへ歩いてきた。
「はじめまして、ベルティーユ妃殿下」
驚いたことに、フォルクマーは唐突にわたくしに話しかけてきた上に、膝を折らずに手を差し出してくる。
目上の者に自分から話しかけるのは、礼儀知らずか馬鹿にしているかのどちらかである。
どちらにしても――フォルクマー・フォン・コール、なんて失礼な男!
しかし、不快感を露わにしてはいけない。奥歯を噛みしめ、ぐっと我慢した。
するとフロレンがフォルクマーを制止する。
「フォルクマー・フォン・コール! この御方を、どなたと心得る!? 無礼ですよ!」
こういう時は、周囲の人が怒ってくれる。無礼を働かれた者は無礼者を徹底的に無視するというのが、社交界のルールだ。
「失礼。可愛らしい御方だったので、我慢できずに」
何が可愛らしい御方だ! きっと、わたくしがフォルクマーを『親の七光り』だと言ったのが、聞こえたのだろう。
祭壇からここまで十メートル以上離れている上、その時はざわついていたのに。なんて地獄耳なのか。
そう思っていると、フォルクマーはわたくしを見てくすくすと笑う。フロレンはさらに彼を糾弾した。
「頭が高いです。今すぐ、膝を折りなさい!」
「……御意」
しぶしぶ、といった感じで、フォルクマーは片膝をついた。この姿勢を取られてしまったら、わたくしも相手をする他ない。
「はじめまして、わたくしはベルティーユ・フォン・ホーエンホルン=シュバリーンよ」
覚えなくても結構! と続けそうになったが、その言葉はごくんと呑み込んだ。
「お会いできて光栄です。私は、フォルクマー・フォン・コールと申します」
手を差し出してきたので、イヤイヤ指先をのせる。ここで、爪に口付けをする振りをするのが、慣例である。だが、ありえないことに、フォルクマーはわたくしの爪先に唇をつけた。
「――なっ!」
堂々とした礼儀違反に、言葉を失う。キスなんて、ヴォルヘルム様からもされたことがないのに。
悔しさがこみ上げ、目に涙が浮かんだ。
この無礼を見ていたフロレンは、騎士達にフォルクマーを拘束するように命じた。
しかし、フォルクマーは騎士をひらりと躱す。
「大聖堂で武力の行使は禁止されていますよ。フロレン・フォン・レプシウス、ご存じでないのですか?」
フロレンはぎゅっと唇を噛む。
「そもそも、キスを許してしまったのは、あなたの落ち度ではありませんか?」
そんなことはない。すべて、フォルクマーが悪いのだ。
けれど、フロレンは目を伏せ、悲しそうにする。
「騎士というのは、大聖堂の中では実に無力ですね」
確かに、大聖堂では武力を行使できないという決まりがある。けれど、フォルクマーのしたことは絶対に許されない。
ならば――わたくしは立ち上がり、フォルクマーに宣言した。
「では、わたくしが神に代わって、制裁します」
そう言ったあと、フォルクマーの頬を思いっきり叩いた。
パン! と小気味いい音が、大聖堂の中に鳴り響く。
これは武力ではなく、失礼な物言いとキスをした男への制裁だ。断罪ではない。
フォルクマーは驚き、目を見開く。わたくしに叩かれることなど、想像もしていなかったのだろう。
そして彼は、ぽつりと呟いた。
「なるほど、そういうことですか」
「ん?」
何がなるほどなのか、まったくわからない。
「わかっていないようなので、説明させていただきます。私は、神などいないと思っていました」
「え?」
何やら問題発言が聞こえた気がして、思わず聞き返してしまう。
「だって、そう思いませんか? 神は、苦しい時も、辛い時も、助けてはくれない」
それはそうだ。けれど、聖職者であるフォルクマーが言っていい言葉ではない。
「しかし、神はいました」
突然の展開である。フォルクマーに信仰する神が現れたらしい。
「それは、あなた様だ!」
フォルクマーはそう言うと、わたくしの前で跪き、大理石の床に額をくっつけた。
……うわあ、変な人。
全力で引いてしまった。助けを求めてフロレンを見たが、彼女は明後日の方向を向いて目を合わせてくれない。他の騎士達も同様だ。
しかもフォルクマーは顔を上げ、さらにとんでもないことを言う。
「これからは、あなた様だけを信仰し、生きていきたいと思います」
頬を叩いたことで、変なスイッチが入ってしまったのかもしれない。怖すぎる。
これ以上関わりたくなくて、足早にその場から立ち去った。あとを追ってくる様子はないので、深く安堵する。
その後、礼拝堂内にある客間に通された。
わたくしの休憩も兼ねた時間らしい。ソファに腰かけたところで、フロレンが頭を下げる。
「ベルティーユ妃殿下。……その、神官が無礼を働き、申し訳ありませんでした」
「いいえ。わたくしが失礼なことを言ったのだから、悪かったと思っているわ」
親の七光りだなんて、酷いことを言ってしまった。
「わたくしだって、親の七光りでヴォルヘルム様と結婚できたのに」
「いいえ、それは違います。ヴォルヘルム殿下と結婚されるために、ベルティーユ妃殿下が大層なご苦労をされたこと、うかがっております」
「ヴォルヘルム様から、聞いたの?」
「はい。殿下は一時期、この件で悩まれておいでだったので……」
なんでもヴォルヘルム様は、自分と結婚したらわたくしまで命を狙われてしまうのではと、恐れていたようだ。
「私は言いました。ベルティーユ妃殿下は、ヴォルヘルム殿下と結婚するために大変努力されている。それを無下にするつもりなのかと」
「フロレン……あなたはずっと、ヴォルヘルム様を精神的に支えてきたのね」
「ヴォルヘルム殿下を支えていらしたのは、ベルティーユ妃殿下ですよ。お手紙が届くたびにどれだけ元気になっていたか、お見せしたかったです」
「ありがとう」
何はともあれ、このような失敗は、今後しないようにしなければ。皇族の評判を地に落としてしまう可能性だってある。
わたくしは、ヴォルヘルム様を陰から支えたいのだ。そのためには、大きな後ろ盾が欲しい。評価を落としたりしたら、それも難しくなってしまうだろう。
後ろ盾を手に入れたら、ヴォルヘルム様の命を狙う者達を王宮から永久的に追放し、共に表舞台に立てるようにするのだ。さらに、ヴォルヘルム様と直接お会いできるようになりたい。
私は決意を新たにしたのだった。
香り高いお茶を飲んで休憩した後、サファイア宮に戻る。
昼食も一人寂しく食べるのかと思いながら食堂に行くと、食卓に赤い花が活けてあった。――いや、本物の花ではなく、ガラス細工だろうか? ベゴニアの花を模したもののようだ。
「ベルティーユ妃殿下。あちらはヴォルヘルム殿下からの贈り物で、飴細工だそうです」
「そうなの?」
その赤い花に顔を寄せると、ふわりと甘い香りがした。しかもガラス細工のように透明度が高く、美しい。これが食べ物だなんて、とても信じられない。
「ベルティーユ妃殿下、ベゴニアの花言葉はご存じですか?」
「『幸福な日々』だったかしら?」
「はい。それから、『愛の告白』という意味もあるそうです。ヴォルヘルム殿下の今のお気持ち、とのことでした」
「まあ!」
さまざまな問題があって会えない中、ヴォルヘルム様はどんなお気持ちなのかと、不安だった。けれど、幸せだと教えてもらい、胸がじんわりと温かくなる。
その上、このベゴニアはヴォルヘルム様からの愛でもあるのだ。
「あとで、大切にいただきますわ」
「ええ。きっと、ヴォルヘルム殿下もお喜びになられるかと」
寂しい昼食になると思っていたが、ヴォルヘルム様のおかげで心のモヤモヤは綺麗に晴れた。午後からの公務も頑張ろう。
「そういえばフロレン、午後の離宮案内ってどこに行くの?」
ここエーデルシュタイン城には、四百もの建物がある。どこを回るのだろうか?
「本日ご案内するのは、ヴォルヘルム様のルビー宮です」
「まあ!」
ルビー宮はヴォルヘルム様の生活の拠点で、主な仕事場だという。そこを見学できるなんて、嬉しい。ヴォルヘルム様からのお手紙で、ルビー宮は素敵な離宮だとお聞きしていた。
「あの、ベルティーユ妃殿下。ヴォルヘルム殿下ご自身と面会することはできないのですが……」
「もちろん、わかっているわ」
わたくしがあまりにも喜んだからか、フロレンは申し訳なさそうになった。
まだヴォルヘルム様に会えないことは、重々承知している。
「ルビー宮で働く方に、ヴォルヘルム様のお話を聞こうかしら」
「ええ……そうですね」
一時間の休憩を終えたあと、わたくし達はルビー宮に移動した。
サファイア宮の隣といえども、馬車で十分かかる。城内はどれだけ広いのかと、呆れてしまった。
馬車を走らせること、きっちり十分。ルビー宮に到着した。
「――まあ!」
白い煉瓦の壁に赤い屋根を持つ離宮は、青空に美しく映えていた。
「青い屋根のサファイア宮も美しかったけれど、ルビー宮も素敵ね。もしかして、屋根の色以外の外観は一緒?」
「はい。サファイア宮とルビー宮は、対となるデザインで、三年前から造られたのです。エーデルシュタイン城初めての、夫婦離宮なのですよ」
「夫婦離宮……ロマンチックな響きね。それにしても、三年前ということは、わたくしとの婚約が成立してすぐに建築が始まったのかしら?」
「そうですね」
なるほど。花嫁を迎える準備として三年待ってほしいと言われたのは、離宮を建てるためだったらしい。
半年前にルビー宮が完成し、サファイア宮はつい先月出来上がったという。
「実を言うと、結婚式までに完成するか、周囲はハラハラしていたのです」
建築家は最後まで手抜きすることなく、丁寧に造ってくれたそうだ。
「では、中へ」
ルビー宮の内装は、白を基調とした落ち着いた雰囲気で揃えられていた。
「こちらが、執務室になります」
最初に案内されたそこは、執務机に椅子、本棚があるだけのシンプルな部屋だった。
「ここが、ヴォルヘルム様が執務されている――」
部屋は無人かと思いきや、壁際に男性が立っている。わたくしは危うく、悲鳴をあげそうになった。
それに気がついて、フロレンは慌てる。
「ベルティーユ妃殿下、申し訳ありません。彼はヴォルヘルム殿下の副官で、殿下のいとこでもある――」
「バルトルト・フォン・ノイラート」
その男性は、両手を背中に回したまま、目線も合わせずにそう挨拶した。
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