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第96話

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石田三成 卒倒《そっとう》 の報は、すぐさま大坂城の五奉行に伝えられた。

地震の影響は、ここ大坂でも被害をもたらしていた。

その対応をしている中での、急な報せであった。

「なんと!!治部が!!!」

大坂は混乱を極めた。

それほどまでに皆、津久見に頼っていたのであった。

すぐに天下の名医・曲直瀬道三《まなせどうさん》を大坂へ呼ぶ使いが走らされた。

紀伊から大坂…。

あまりにも遠い。

◇◆◇◆
和歌山城の城下町の屋敷で町医者が津久見を診ていた。

「仰る通り、脈が弱く、息も弱い。昨今の働き過ぎがここに出たかもしれませぬな。」

と、町医者は言う。

「では、命に別状は無いと?」

「無いとも言い切れませぬ。今後の容態の変化次第では…。」

「左様か…。」

「町医者の私ではこれ位しか分かりませぬ。面目ございませぬ。」

「いや、助かった。その言葉だけでも希望として持っていれる。」

「では、私は他の者達を見てまいりますので。」

と、町医者は外に出て行ってしまった。

「殿…。」

未だ意識の無い津久見に左近は目をやり呟いた。

外はすっかり暗くなっていた。

秀頼は、信繁と共に非難した民を安全な場所へ誘導し終えると、津久見のいる屋敷に駆け付けて来た。

左近が町医者からの診断を伝える。

安心していいのか、どうなのか。だが最悪な状況は回避できたと、一旦は胸をなで下ろした。

「玄以からの早馬で、曲直瀬道三を大坂へ呼び出していると報告があった。ここは一刻も早くあの名医に診てもらうのがいいかの。」

と、秀頼が言う。

「はい。ですが、紀伊から大阪までの道中をこの御容態で駕籠は危険を伴いまする。」

左近が答える。

「では、どうしたら良いか…。」

秀頼は困ったように言う。

その時、一人の兵が、秀頼を見つけて屋敷に入って来た。

「秀頼様!!!御報告にございまする!」

兵は息を切らしながら片膝を付いて言う。

「どうした。」

秀頼が答える。

「は!海上に、ふ、船が何艘もおりまする。」

「何!!!??どこの船ぞ!」

「この暗闇では分かりかねまする!」

と、兵は答えた。

「…。」

左近は目を細め考えた。そして言った。

「信繫殿。殿の御移動の準備を。」

「え?左近殿?」

「ちょっと見て参る。故に準備を。」

と言うと、左近は屋敷を飛び出し海辺へ向かって走って行った。

少し走ると多くの兵が海に浮かぶ船を見つめていた。

「道を開けよ!!!」

と、左近は言うと浜辺へ出た。

「松明を。」

と、近くの兵に左近は命じる。

「は!これに!」

左近は松明を受け取るとゆっくりと左近は左右に松明を照らした。

するとそれに気づいた船がゆっくり近づいて来た。

そして松明を振るのが左近だと分かると言って来た。

「左近殿か!!!!」

「遅くはないですか?」

左近は松明を振るのを止め続けた


「村上殿。」


◇◆◇◆◇◆

村上の大型高速船は何隻もの船に護衛されながら、秀頼や信繁を乗せ大阪湾に着いた。

勿論そこには横になった津久見が乗っていた。

津久見は駕籠に載せられ、大坂城の一室に運ばれた。

皆心配そうに見舞いに来るが、左近がそれを止めた。

未だ油断ならない事を感じていたからである。

津久見が倒れてから三日後、名医と称される曲直瀬道三がやって来て、津久見を診た。

「過労による卒倒、今後弱まって行く事が大いに考えられまする故、政務に就かれるのはもう…。」

曲直瀬は左近や重成に伝えた。

「左様でございますか…。意識は戻られますか???」

「それは分かりませぬ。今にも起き上がるかもしれませぬし、1年後かもしれませぬ。」

「そんな!!」

重成は腰を崩す。

「秀頼様よりよくよく治部様を診るようにと仰せつかっておりまするので、最善は尽くしまする。」

「どうか…。」

左近はそう言うと一旦この場を曲直瀬に託し、幸村を連れ吉継の部屋へ入った。

病状を吉継に伝えると吉継は黙り込んだ。

そこへ吉治と重成が入って来た。

「父上…。」

吉治は吉継の元へ近づく。

「政務は?」

と、吉継に聞く。

「さきの地震での被害状況をまとめ、特に被害の大きかった紀伊・志摩へ救援物資が続々と堺に届いて来ておりまする。」

「そうか…。」

吉継はもう既に目が見えない程に病に侵されていた。

「治部様におかれましては…私はいかに動けば…。」

と吉治は父に聞く。

「馬鹿者!!!」

吉継は吉治の方を見て一喝した。

「大谷家の嫡男であれば、何があっても豊家の事を第一に考えよ。それが治部が望むこととまだ分からぬか!!!」

「は!!申し訳ございません。」

吉治は頭を付いた。

「信繫殿。」

吉継は言う。

「これに。」

幸村が答える。

声の方に吉継は向く。

「負担が増えるやもしれませぬが、豊家の為どうか頼みます。」

「もちろんでございまする。」

幸村はその声色を持って皆を安心させようと、努めて元気に答えた。

「わしより先に逝くなよ、治部…。」

吉継は窓の方を向いて言った。

今日の部屋は、



◇◆◇◆

モヤがかかっている。

良い匂いがする。

(ここはどこだ!?)

津久見はむくっと起き上がった。

川のせせらぎが遠くから聞こえる。

見た感じだと、草原のようだ。

(少し歩いてみよう。)

津久見はモヤの中を進む。

気分は悪くない。むしろ晴れ晴れとしている。

(あれ、というより何で俺こんな所にいるんだ?地震があって、秀頼様の指示を受けて…)

と、考えたが何も思い出せない。

そして思った。

(死んだか。)

と、自分の体を見た。

(石田三成のまま死んだのか?ははは、それはそれで良い)

と、津久見は笑った。

川のせせらぎの音が近くなってきた。

(もう少し歩いてみよう)

津久見はまた歩き始めた。

すると綺麗な川のほとりについた。

そこだけモヤが晴れている。

(綺麗な川だな~)

と、津久見は思っていると、ふと動く人影を感じた。

「誰だ!!」

津久見は人影に向かって言う。

「そう慌てるな。」

モヤの中から声がした。

「誰ですか!!」

と、叫ぶ。

そして、そのモヤからヒトらしきものが現れた。

そして津久見は大きく口を開けて絶句した。

「!!!!!!!ああああ!!!!」

声にならない声を発する。

「まあ驚くな。」

そのヒトは津久見の側に近づいた。

なんとそれは、津久見…いや、石田三成が立っていたのである。

「え!?ちょっと、影武者!?」

「はははは。面白い事を言う。」

「え、じゃあ誰ですか!??石田三成そっくりですよ!」

「その石田三成じゃ。」

「え、いやそれじゃ話がおかしくなるんですよ~」

「正確に言えば、お前であり、お前ではない。」

「????」

「わしの意識は六条河原で首を斬られてから無くなった。最後まで生きようとした怨念がかもしれぬな。」

「良く分からないんですけど、幽霊ってことですか?」

「はははは。まあ、そんな所じゃ。」

「でも不思議と怖くないですね…。」

「ははは。面白いやつじゃ。」

「で、ここはどこなんですか?何をしているんですか?」

「少し歩かないか?」

「え、あ、まあ。」

と、二人は歩き出した。

「わしは首を斬られた刹那、また関ケ原におった。誰に声をかけても通じず。誰もわしに見向きもしない。だからわしは即座に死んだと悟った。」

「え?」

「そうじゃ、わしはずっとお前の近くにいた。」

「えええ?幽霊が!!??」

「ははは。そうじゃな。」

「意味わからないですよ~。」

「ははは。それはこっちもじゃ。のじゃからな。」

「だって…。あの戦は…って、ご存じですよね。斬られちゃったんだから。」

「ははは。ああ。ずっとお前の動きを見ていた。」

「性格悪いですね。」

「そう言うな。どうもできんのじゃから。」

「そう…ですね。」

「合戦以降のお前を見て来た。あの日左近の持って来た首に気絶した時から紀伊での地震…。」

「ほんと全部見てたんですね…。」

「ああ。これは一人の男の、人間の成長を描いた舞台の様であったわ。」

「え?」

歩みが止まる。

そこには一本の橋がかかっていた。橋の先はモヤがかかって何も見えない。

「合戦以降のお前はわしそのものであり、わしをも凌駕していった。」

「ん?」

「大一大万大吉…。わしの掲げた想いをお主は悉くことごと実現してきた。」

「…。」

にはできなかっただろうな。」

「……。」

「お主にしか成しえぬ事をしてのけた。あっぱれじゃ。」

「………。」

「実に愉快。実に清々しい。」

石田三成は川の方を向いて言った。

そこに津久見が

「いや、できたんです。」

「ん?」

三成は振り返る。

「石田さんだからこそ、大義を持って、誠実に生きて行く事ができたんです!」

「ははは。嬉しい事を言ってくれる。」

「だからきれたんです…。」

「ははは。まさにわしでありわしでなく、お主であってお主でない。これも愉快。」

「…。」

「ようやった。もう十分太閤様への恩義は尽くした。少し休もうではないか。」

「!!!」

三成はそう言うと、橋を渡り始めた。

「一緒に参ろうか。」

と、三成は振り向くと言った。

「…。」

「どうした?きっと太閤様もお喜びであられるぞ。」

「いや…。」

「ん?」

「何か渡っちゃダメな気がします。」

「どうした?」

「まだやらないと行けないことが一杯あるんです。」

「十分じゃ。」

「それに…。」

「それに?」

持ってないです!!!!」

「…。ははははははは。」

三成は笑った。

「そうかそうか。を忘れたと申すか。」

「…。」

「良い。先に行っておる。」

と言うと、三成はまた橋を渡り始めた。

三成の姿がどんどん小さくなっていく。

そこへ

「三成さん!!!」

津久見が叫ぶ。三成の歩みが止まる。

「石田三成として最期までその名に恥じないよう生きて行きます!!だから安心してください!!!!」

それを聞くと三成は振り返らずただ、右手を挙げて橋を渡って行ってしまった。

津久見はまた生きる選択をした。そう思った。

その時だった。

目の前に天井が見えた。

一目で分かる。

大坂城だ。


ガバっと起き上がる。

それに気づいた曲直瀬が

「治部様!!!???」

「ん?どちら様で!!??」

曲直瀬は慌てて廊下に出ると大声で叫んだ。

「治部様お目覚め!!!!!」

曲直瀬の目は涙で一杯であった。

「何だよ大袈裟な…。」

こうして津久見は目を覚ました。

倒れたあの日から実に一週間が経っていた。


________________________________

時は流れ1610年 秋。

津久見の姿が大坂城の庭園にあった。

縁側に足を放り出し、日向ぼっこをしている。

そこに、左近がやってきた。

「お加減はいかがでございますか?」

「中々に良いですよ。」

津久見はニコッと笑って続けた。

「てか老けたね~左近ちゃん。」

「お互い様でござる。」

「ふっ。」

津久見は笑った。

津久見こと、石田三成50歳の秋であった。

病のせいか、体はやせ細り、顔は頬がこけていた。

あの日、目が覚めてから色々な事が起こった。

1カ月の静養の後、政務につこうとした津久見。

しかし、秀頼を始め多くの者に止められた。

秀頼は今18歳となり名実ともに豊家の主として国政を担っていた。

津久見が描いた、中長期の成長戦略を忠実に守り実行していき、国は栄えた。

有馬晴信を筆頭とし、欧米使節団の留学も成功し、その技術は多くの国で存分に活かされていた。

郡は隠居の身となり、その代わりに真田幸村がその跡を継いだ。

もう誰も真田の間者等と思う者はいなかった。

津久見は五奉行の任を解かれ、

「生き抜く事が、お主の仕事。」
と、秀頼に言われ、大谷吉継と同じく特別相談役となっていた。

二人の息子は共に家督を継ぎ、共に『三成・吉継の再来』と、称えられる程に成長した。

また、豊臣家の小姓として仕えるようになった、幸村の子・大助は8歳にしながら、恵まれた環境の中、その才覚を伸ばしていた。

『大坂に行くと人材が育つ』

と、諸国ではそんな風に言われ、大坂奉仕願いが後を絶たない程であった。

大坂では、何か困りごとがある時に、口にされる言葉が流行っていた。

それは

『治部なら如何に・刑部なら如何に』

と、言うものであった。


しかし嬉しい事ばかりではなかった。

一番津久見を悲しめたのは、大谷吉継の死であった。

今から3年前の1607年とうとう、吉継は逝った。

津久見によって生かされた命。その命を最後まで豊家の為に使った。

使命を全うしたのであった。

それからであろうか、津久見はよく体調を崩すようになり、寝込む日々が続く時もあった。

だが今日は何だか体調も気分も良く庭園で陽を浴びていた。

津久見と左近は二人で足をブラブラさせながらお茶をすすっていた。

「左近ちゃん。」

「なんですか?」

「あの日、首を持って来てから、全てが始まったんだね。」

「????」

「怒涛の日々だった…。」

「まるで死に行く人みたいでござるな。」

「はははは。」

「あ~そんなに笑えるならまだ5年は生きますな。」

「5年だけ~?もっと生きて皆の笑顔を見たいですよ~。」

「相変わらずな事を。」

「あのね~いつも言うけど、わたしは貴方の主君なの。言葉に気を付けて。」

「左様でございまするか?」

と言うと左近は庭に立ち上がった。

「ん?」

不思議そうに左近を見る。

左近は庭の先にある柿の木を見ながら言う。

「恐れながらも私は良き友といつしか思っておりましたぞ。」

「え?」

「いつしか殿の憂いは、私の憂い。殿の悦びは、私の悦びに。」

左近の体が少し震えていた。

「左近ちゃん…。」

津久見も目に涙を浮かべていた。

「殿!あの柿はもう熟しておりまするな。取って食べましょうぞ。」

と、左近は涙を悟られぬように、庭を歩く。

津久見からの返事は無い。

柿の木の下に着くと

「よいっしょっと。」

と、柿を一つもぎる。

そして振り返り言う。

「殿なかなか美味しそう…。」

左近の手から柿が転げ落ちた。


石田三成こと津久見裕太 享年50歳の秋であった。



※最終話まであと4話☆☆☆
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