I don't like you.

広瀬 晶

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過去

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 体育祭は、やわらかな日射しの下で幕を閉じた。全種目が終了した結果、うちのクラスは学年一位になり、チームとしては準優勝を勝ち取った。
    四谷とは、一緒にチーム対抗リレーに出たときに少し話したはずだが、何を話したか記憶にない。時間が経つにつれ、やはりあれはキスだったのだとしか思えなくなり、四谷と接する上での普通が分からなくなってしまったのだ。
    四谷は、普通にしていたと思う。まともに顔を見られなかったので断言はできないが、特に変わった感じはしなかった。おそらく四谷にとって、キスというのは僕が思うほど大したことではないのだろう。僕は、自分はあれが初めてだっただなんて、四谷には絶対に知られたくないと強く思った。
    キスに過度な期待を抱いていたわけではないが、自分のことを何とも思っていない相手に無断でされる、というのはさすがに違う。
    自室のベッドに倒れ込み、僕は四谷の悪口を二、三個頭の中で呟いた。

 日曜日の日中は、夏を先取りしたかのような暑さだった。太陽が照りつける中、桜の樹の青々とした葉が、視覚的な涼しさを与えてくれる。図書館が入っている建物を出て木陰に入り、僕はほっと息をついた。
    自宅から程近い場所にある図書館には、定期的にお世話になっている。去年まではほぼ読書目的だったが、今年に入ってからは勉強のために訪れることも増えてきていた。
    本当は家でのんびり過ごそうかと思っていたのだが、ぼうっとしていると四谷のことが頭に浮かんでしまって落ち着かない。それで気分転換に家を出たのだった。
 図書館では一時間勉強し、一時間ちょっと小説を読んだ。その小説の下巻を借りて建物を出ると、時刻は三時を回ったところだった。まだ帰る気にはなれなくて、途中にあった公園に立ち寄る。新田君とバスケの練習をしたのとは別の公園で、池を囲むようにしてつくられているため、ドーナツ状の形をしている。池の外周を走るひとの姿を眺めながら、備えつけのベンチに腰を下ろした。
    自分の気持ちというのは、もっと単純なものだと思っていた。好きと嫌いに分類することは、そう難しいことではないと。ただ、四谷琉聖に関することだけはどうしていいのかよく分からない。
    ジャージ姿でランニングしている青年や、仲睦まじく笑い合う老夫婦。母親らしき女性と、彼女に手を引かれて歩く男の子。いろんなひとがいる中で僕は、ここにはいない、タチの悪い男のことを考えている。
「……帰ろ」
    思考を打ち切って、ベンチから立ち上がった瞬間。
「今日は、無理だから」
    今いちばん聞きたくない声が、僕の耳に飛び込んできた。視線を上げた数メートル先に、なぜか四谷琉聖がいた。四谷の横には見知らぬ美女がいる。反射的に僕は目を逸らしてしまった。
    四谷が、どうしてここに。いや、この際それはどうでもいい。まだ、四谷には会いたくない。早く、四谷に見つからないうちにここから離れないと──
「若葉?」
    もたもたしているうちに、時間切れになってしまったらしい。四谷の瞳は僕を完全に捉えていて、逃げ出せるような雰囲気ではなかった。
「若葉」
    もう一度彼は僕の名前を呼んで、こちらへと歩み寄ってくる。四谷にしては爽やかな笑顔が恐ろしい。僕は他人のふりをするのを諦めて、口を開いた。
「……こんにちは」
    あえて他人行儀に挨拶すると、四谷が小さく声を上げて笑った。僕はそれを無視して、後方の女性に目を向ける。すらりとした、スタイルのよい美人だ。元々持っていた、四谷に会いたくないという気持ちを差し引いても、僕はここにはいない方がいいのではないだろうか。
「四谷、僕もう行くから」
    一言断って帰ろうとすると、四谷に腕を掴まれた。
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