I don't like you.

広瀬 晶

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現在

26※

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    部屋の中央に置かれたベッドの上に座り、僕は彼が戻るのを待っていた。
 店を出た後、僕らは近くのホテルに入った。部屋の中に入ると、彼は僕に浴室を使うかどうか訊いてきた。入ると答え、先にシャワーを使うことにした。先輩との交際時に学んだ知識で、最低限の準備を済ませる。備えつけのローブを着て出ると、入れ替わりに彼が浴室へと消えた。
    自分にこんなことができるとは思ってもみなかった。恋人でもない男性と、ホテルに入るだなんて。
    あの店に行ったのは元々そういう目的があってのことだったが、こうして実行に移せていることが不思議でならない。
    自分から誘っておいて言えたことではないが、四谷が誘いに乗ったことが内心ショックでもあった。会ったばかりの男と一夜を共にする、そうした一面を目にして、やはり慣れているのだと思った。恋人ではない、誰かを抱くことに。
    それでもいいと、僕は割り切ることができるのだろうか。自分のことを覚えていない、好きでもない、四谷に抱かれて。それで本当に、僕は彼を忘れることができるんだろうか。
    考えごとをしていたせいで、扉の開閉する音に気づくことができなくて。はっと顔を上げると、すぐ手の届きそうな距離に四谷がいた。濡れた髪を無造作にタオルで拭く彼を見て、僕はふいに、彼がうちに泊まった夜のことを思い出した。
「どうかした?」
「いえ、何でもありません」
    僕は彼ににこりと笑いかけた。
    本当のところは分からなくとも、彼は「四谷」だ。少なくとも、今の僕にとっては。ずっと忘れることができなかった相手に、言えなかったことを言って、できなかったことをする。それでいい。
「何て、呼べばいい?」
    彼が僕に問いかける。
    名前を告げたら、彼は気づくだろうか。目の前にいるのが僕だと。気づいて、声をかけたことを後悔するのだろうか。
「雪……」
    名字の一部で、僕の声は止まってしまう。言えない。言えるはずがない。言ったら、その瞬間にすべてが終わってしまう。
「ユキ、か」
    どうやら、彼はそれを名前として受け取ってくれたらしい。不完全な名前。きっと、この関係にふさわしい。
 卑屈な思いに俯くと、急に身体がふわりと浮いた。
    抱き上げられ、ベッドの真ん中にそっと下ろされる。スプリングが軋んだかと思うと、四谷が僕の身体を跨ぐようにして膝をついていた。ユキ、と彼はささやくように僕の名前の欠片を口にした。
「して、いい?」
    黙って頷くと、彼は身を倒して僕の首筋に口づけた。触れるだけのキスが優しくて、くすぐったくて、泣きそうになる。キスと吐息だけで。ぞくっと、背筋に震えが走る。
「首、弱い?」
「弱く、ない……」
    どうして、こんなときでさえ僕は意地を張ってしまうのか。自分が、嫌になる。
    身につけていたものを取り払われ、素肌を晒して。触れられれば触れられるほど、下肢に熱が集まっていく。直接的な刺激が欲しくて、腰がかくんと震えた。
「早く、して」
    涙目で懇願すると、ようやく望んだ場所に指が回される。潤滑剤で濡らされた指が一本、入口を広げるようにして入ってくる。濡れた音が立つのが恥ずかしくて、僕はぎゅっと目を閉じた。
「目、開けてて」
    四谷の声が、また僕を煽る。
「開けて」
    そうっと目を開くと、四谷が小さく微笑んだ。「今自分が誰に抱かれてるのか、見て」
「え……? あっ」
    言葉の意味を考える暇はなかった。感じる箇所ばかり攻め立てられ、勃ち上がったものから雫が零れていく。
    限界を感じた瞬間、彼は僕から手を離した。熱が、全身にわだかまって苦しい。息を切らしつつ見上げると、少し余裕をなくした彼と目が合った。強く、求められているような気がして、胸が疼く。
    互いの隙間を埋めるようなキスの後、大した抵抗もなく指が奥へと入る。自分の中に彼が在るということに、激しい羞恥と興奮とを感じた。
    途切れ途切れに喘ぐ僕に、彼が言う。
「名前、呼んで」
「な、まえ……?」
「琉聖」
    高校のときの僕は、一度も彼のことをそう呼んだことがなかった。
「りゅう、せい……」
「そう」
    誉めるように、彼が笑った。
    先輩としたときも、指までは問題なく受け入れられた。だがそれ以上は経験がない。僕が、上手くできなかったせいだ。
「ユキ」
    鼓膜を伝う低い声。何度も想像してきた、四谷の声。
「俺が怖い?」
    僕は首を横に振る。僕が怖いのは、臆病な自分自身だ。
    脚を持ち上げられ、覚悟を決める。一夜の相手に過ぎない僕にも、四谷は優しかった。あの頃の強引さが嘘みたいに、キスを繰り返しながら腰を進めていく。長く息を吐いて、押し広げられる違和感を必死で逃がす。一定のところまで埋め尽くされてしまえば、それは耐えられないというほどの感覚ではなかった。誰よりも深く、いちばん奥で繋がっている。好きなひととするということは、こういうことだったのかと思うと。
「りゅうせい……」
    気持ちが溢れて苦しくて。気づいたときには、名前を呼んでいた。こんなはずではなかったのに。慣れたふりをして男を誘って、抱かれて。高校生の自分と、決別するつもりだったのに。
「っと……」
「ユキ?」
「もっと、して」    
 欲しくて仕方がなかった。ひとつになっても、まだ、もっと欲しい。恋しいという言葉の意味を、僕はこのとき初めて知った。


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