I don't like you.

広瀬 晶

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 十月、オフィスの窓から見える街路樹は銀杏。その色づきに、秋を感じる。来月になれば枝にはイルミネーション用の電灯が飾りつけられ、光の花が街を彩っていく。
    退社の予定時刻を少し過ぎた頃、窓の外の季節に思いを馳せていると。
「雪下さん、受付にお客様がいらしているようなのですが……」
    外線を取ったなっちゃんが、僕にそう告げた。
「相手のお名前は?」
「四谷様です」
「……今、行くって伝えて」
「はい」
    低い声で伝言を頼むと、彼女は僕とは対照的な顔で笑った。


    四谷と「付き合い」出してから、季節は二度巡り、付き合いは三年目に入っていた。月に二、三回程度、四谷の家に泊まる。仕事の後に食事をし、身体を重ねる。そうした関係が緩やかに続いていた。
「わたし、四谷さんのお顔を拝んでから帰ります」
    そう言ってなっちゃんは僕と同じエレベーターに乗り込んだ。四谷が僕のクライアントになってすぐの頃、二回目の打ち合わせに来た四谷を偶然見かけた彼女は、以来四谷が来る度に彼を「観賞」している。
「雪下さんがうらやましいです」
「そう……?」
「四谷さんのようなひとが同じ高校にいたとか。イケメンの水準が高過ぎます」
    四谷が僕の高校のときの同級生だったということは、既に彼女には話してあった。
「まあ、雪下さん自体が高水準ですけど」
「……気を遣ってくれてる?」
    先輩を立ててくれたのだろう。なっちゃんは優しい子だ。そう思った矢先に、違います、と否定される。
「この数年、全然見た目変わらないじゃないですか。三十四には、とても見えません。独身の女性社員にどれだけ狙われてるか、知らないんですか」
「知らない……」
「今落ち着いてるのは、この前四谷さんが、雪下さんに恋人がいるってリークしたからですよ」
    僕は思わず息を呑んだ。
「なっちゃん、今何て……」
「この前四谷さんがいらしたとき、雪下さん、デザイナーさんとお電話中だったでしょう? あのとき、四谷さんと事務の子とわたしとで世間話してたんですけど」
    確か、先々週のことだ。電話を終え急いで下に降りると、四谷が普通に社員と会話していた。
「事務の子が四谷さんに、雪下さんに恋人がいるかどうか尋ねたら、『いるよ』って言ってました」
「……」
「雪下さんからそういう話聞いたことなかったので、驚きました。今度、詳しく教えて下さいね」
    四谷、なっちゃんに余計なことを……。恨み言を考えているうちに、エレベーターの扉が開いた。ホールを出て自動ドアを潜ると、長身の男と目が合う。
「お疲れ」
    確かに僕は疲労を感じていた。目の前の男のせいで。
    しかしここは職場で、相手はお得意様だ。僕は営業スマイルで四谷に微笑みかけた。
「四谷様、今日はどういったご用件でしょうか」
    仕事でもプライベートでも、会う約束はしていない。四谷は、持ち前の端整な顔で笑みを返す。
「近くまで来たので。ついでに、ノートの追加発注をお願いしておこうと思って」
    発注は、基本的にFAXでやりとりしている。ついでとはいえ、あえて足を運ぶ必要はない。
「そうですか。ではあちらで用紙の記入を……」
    彼の手元を見て、僕はその先の言葉が意味を持たないことに気づく。見慣れた発注用紙には、必要事項が既に記入されていた。
「記入しておいたのを鞄に入れたままにしてあったので」
「……ありがとうございます」
    なっちゃんが側にいなかったら、さっき考えていた恨み言をそのままぶつけていたかもしれない。話の流れを見守っていたなっちゃんが、僕の陰から顔を出して四谷にぺこりと頭を下げる。
「お疲れさまです。今日はお休みですか?」
「ええ。先週日曜に出た分の代休で。中村さんは今帰り?」
    名前を急に呼ばれ、なっちゃんは頬を赤く染めた。
「あ……はい。そうです」
「雪下も?」
「僕は」
「はい。さっきちょうど帰り支度をされてましたよ」
    さらりと、なっちゃんが僕の逃げ道を塞ぐ。いや、彼女は悪くない。悪いのは、アポなしでやってくるこの男だ。
「雪下、鞄と上着持ってきて」
「いえ、僕は」
「送ってく」
「今日は……」
    耳元に唇を寄せて、彼は吐息混じりの声を僕の内側に流し込む。
──今すぐここでキスされるのと、大人しくうちに来るのと、どっちがいい?
    ささやくようなそれは、僕以外には聞こえはしなかっただろう。
「……分かりました。少々お待ちください」
    かき消すように声を張り、なっちゃんに「お疲れさま」と挨拶をして、僕は即座に踵を返した。
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