I don't like you.

広瀬 晶

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   四谷琉聖に抱き殺されそうになった日から、一週間が経とうとしていた。あの夜、他の男としようなんて思わないくらい、と告げた彼は、言葉の通りに僕を抱いた。無理やりに近かったのは最初だけで、後は自分から彼を欲しがっていた。
    思い出すと死にたくなるような醜態。次にどんな顔をして彼に会えばいいのかと思うと、気が重くて仕方がなかった。
    仕事が忙しいのか、ここのところ四谷からの連絡はない。こちらの気持ちが落ち着くまで忙しくしていてくれればいいと、そんなことを願いながら僕は会社から駅に向かって歩き出した。

    駅構内は、帰宅途中と思しき人たちで満たされている。このまま電車に乗ってまっすぐ自宅に帰るか、何か駅前で食べてから帰るか。どちらにしようか考えつつ、時計に視線を落としかけたとき。
「あれ……雪下?」
    前方から名前を呼ばれ、僕は反射的に顔を上げた。スーツを着た、同年代くらいの男性と視線がぶつかる。高速で記憶を遡る僕を見て、彼は表情を和らげた。
「覚えてないかな。高校で一年のとき一緒のクラスだった……」
「もしかして、宮城?」
「そうそう。うわ、懐かしいな」
    記憶の中の彼は、もっとふっくらした輪郭をしていたが、笑ったときの目の形はあの頃のままだった。
「雪下も、今仕事終わったとこ?」
「うん」
「時間ある? せっかくだし、飯でもどう?」
    時間ならある。訳もなく四谷のことを考えて過ごすよりは、旧交を温めた方が何倍も有意義な気がした。

    彼の提案に頷いた数分後、僕は駅前の居酒屋の中にいた。
「お疲れ」
「お疲れさま」
    居酒屋の個室に向かい合って座り、互いのジョッキの縁を軽くぶつけ合う。高校生のときは二人とも地味で真面目なグループに属していたので、当然飲酒などしたことがなかった。彼とこうして酒を酌み交わしていることに年月の経過を感じ、ささやかな感慨を覚える。
「雪下、仕事は何してんの?」
「文房具の、営業」
「雪下が営業……」
「似合わないかな?」
「いや、案外合ってるかも」
    どうかな、と僕は笑った。終着点のない、他愛ない話が楽しかった。
「そっちは?」
「俺? 俺は一応銀行勤め」
「え……すごいね」
「すごくないって。大した給料もらってないし。あ、そういえば、四谷って覚えてる?」
    急に四谷の名前を出され、僕は内心たじろいだ。動揺を抑えるために、ゆっくりと長く息を吐く。
「四谷……四谷琉聖?」
「そう。俺、四谷と大学が同じで」
「そうなんだ……」
「学部も一緒だったんだよ。経済学部。まあ、向こうは俺のこととか知らないと思うけど。四谷はほら、目立つし」
「大学でも目立ってたんだ」
「そうそう。見た目があれだし、女関係の噂とかもすごかったし」
    へー、と返す声が、ひどく冷たいものになってしまった気がする。取り繕うように僕は言葉を重ねた。
「噂って?」
「高校のときとそんな変わんないと思うけど。誰々と付き合ってる、って話が出たかと思ったら、すぐ別れてたり。身体だけ、みたいな相手が常に何人かキープされてる、って話も聞いたな」
「それ、ただの噂だったりしない?」
「いや、本当らしいよ。サークルに四谷の元カノがいて、愚痴を聞かされたこととかあるし。まあ、一週間しか付き合ってないらしいから、元カノって言っていいのか分かんないけど」
    苛立ち、焦燥、不安。いくつもの思いが、僕の内側に立ち込めていく。それは、本当に過去の話なのだろうか。今もなお、彼が求めているものが身体の関係だけだということはないだろうか。
「雪下?」
    宮城が、僕の顔を覗き込む。
「どうかした?」
    何でもない、と僕はアルコールを口に含んだ。
「何か、すごいなと思って……」
「だよな。あれは真似できないなって思うよ」
    宮城の苦笑いに僕も同じ表情で応えたが、ぽたりぽたりと、胸の内に黒い雫が落ちていくのが分かった。
「あ、それと、高田って覚えてる? 野球部の。あいつ来年結婚するらしいよ」
「へえ……」
 高校の同級生の近況に耳を傾けるが、正直ほとんど頭に入ってこなかった。四谷に会いたくて仕方ない気持ちと、真逆の気持ちとが、同時に沸き起こる。
 彼の恋人になると決めた夜。身体だけの関係でも構わないと、想いが伴わなくてもいいから手に入れたいと、僕は自分に嘘をついた。僕がもっと上手に自分を偽れていたなら、四谷が過去に何人の女性と付き合っていようと、身体だけの関係を結んでいようと、気にせずに済んだのだろう。
 
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