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現在
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しおりを挟む宮城と別れた後、僕は「仕事が忙しくてしばらく会えない」という旨のメッセージを四谷に送った。
もしも、と僕は考える。もしも誰かを抱きたくなったら、四谷は他の誰かのところに行くのだろうか。僕以外の誰かに甘い声を上げさせて、限界まで追い詰めて、腕に抱いて眠るのだろうか──
自分から距離を置こうとしているのに、四谷の側に自分以外の人間が来ることを不快に感じる。自分は、どうしようもなく屈折しているのだと思った。
翌日から本当に仕事が忙しくなり始め、四谷に会う時間が取れなくなった。納期のことを考えると休日出勤もやむを得ない状況で、土日休み、かつ終業時間の遅い四谷とはタイミングが合わなくなってしまった。
ひとりで家にいるとき、何度も四谷のことを考えた。もう、仕事は終わったかな。今、何してるのかな。誰かと、一緒にいるのかな……。女々しいことばかり考えて眠りに就く、そんな夜が増えた。
何度か、自分から四谷に連絡してみようかと思った。しかし電話したところで、会う時間が取れるわけでもない。特に用がないのに、電話して何を話せばいいのか分からなかった。声が聞きたかっただけだと言ったら、四谷は何て言うのだろうか。頭がおかしくなったと思われて終わりかもしれない。
近々、月が替わる。十一月は、僕の誕生月だ。去年の誕生日は、以前連れて行かれたことのあるバーで食事をした後、彼の部屋に泊まった。僕の好きな料理に、お酒。小さなバースデーケーキ。プレゼントには、時計と香水。
一昨年の誕生日のときにも思ったが、どこまで甘やかすのかと思うくらい甘かった。
もし、今年も四谷が側にいてくれるのなら。一度くらい、素直になってみてもいいかもしれない。
横断歩道の先に、カーキ色のアウターを着た小柄な女性の姿を見つける。僕は信号を渡り、手を振る彼女に駆け寄った。
「久し振り。ごめんね、待たせた?」
「ううん。そんな待ってないよ」
小一時間残業したので、時刻は七時前。夕食は食べたのか尋ねると、彼女は首を横に振った。
「わかちゃんと食べようと思って」
「そっか。何食べたい?」
「ラーメン」
「そんなんでいいんだ」
「うん。ラーメン、おいしいよ」
昔から小柄な割によく食べる子だったな、と懐かしく思い出す。
「桃ちゃん、前行ったとこでいい?」
彼女の了承を得て、僕は行き慣れたラーメン屋に向かって歩き出した。
四谷と最後に会った日から、二週間後の金曜日。会社の最寄り駅前で待ち合わせた相手は、従姉妹の桃ちゃんだった。小さな頃から知っているので不思議な感じだが、今年二十五歳、すっかり大人の女性といった雰囲気だ。
「緑君は、仕事?」
「そう。緑も今忙しいみたいで。年末あたり改めてごはんでも、って言ってたよ。わかちゃん、年末は実家の方に帰ってくるんでしょう?」
「そうだね」
「あたしたちも大晦日かその前日くらいに帰省するから。ごはん、行こうね」
「うん、分かった」
話しているうちに店の前に着いた。店員に案内され、テーブル席に向かい合って座る。とりあえず注文を済ませ、一息つくと。
「わかちゃん、これ」
バッグの中から、濃いブルーの包みを取り出す桃ちゃん。袋の口は、赤いリボンでかわいらしく結ばれている。
「あたしと緑から」
「うわ、ありがとう」
中から出てきたのは、ダークブラウンの手袋。これからの季節にちょうどよい贈り物だった。思わず、表情が緩む。
「わかちゃんは、相変わらず美人さんだね。笑顔が、綺麗」
「何言ってるんだか……」
「ちょっと早いけど、お誕生日、おめでとう」
「ありがとう。嬉しい」
ふいに、四谷のことを思い出す。四谷以外のひとにだったら、お礼を告げることも、気持ちを表すことも、別に難しくはない。彼の前でだけ、唐突にいろんなことが難しくなる。
「……そういえば、緑がね」
話を振った段階で既に笑い始めている彼女に、僕は先を促した。
「緑君が、どうしたの?」
「最近、お見合いさせられそうになったんだよ」
お見合い。緑君が。
「え……ほんとに?」
二十五歳。適齢期といえば適齢期なのかもしれないが、やはり早いような気がしてしまう。
「それ聞いたときには、思わず笑っちゃったよ」
そのお見合いの話を持ってきたのは、桃ちゃんと緑君の父方の叔母さんだったそうで。同じ習い事をしていて親しくなった女性から、娘の相手に誰かいいひとでもいたら紹介してほしいと頼まれ、緑君に思い至ったのだとか。
「叔母さんが携帯に入ってた緑の写真を見せたら、そのお友達が乗り気になって、一度会ってみないかって話になったらしいよ」
「へー……」
「結局、その話は断ってもらったみたいだけど」
「そうなんだ」
「今はまだ、お見合いで一生の相手を決める気になれなかったんだと思うよ」
先のことは分からないけど、と補足して桃ちゃんは笑った。そう、先のことは分からない。分からないのだが、それでも僕は。両親には申し訳ないが、僕が結婚することはないと思う。男としか付き合ったことのない自分が、今さら女性を相手にできるとは思えない。それに──
「わかちゃんは?」
「え? あ、何?」
「わかちゃんは、結婚とか考えたりする?」
首を振り、脳裏に浮かんだ顔を打ち消す。「今のところ、全く」
「そうなんだ。彼女は……?」
「いないよ」
「彼女」は、いない。僕の側にいるのは、そんなかわいいものではない。
そうこうしているうちにラーメンがやってきた。いただきます、と手を合わせて食事に入る。一、二分ほど、二人とも無言でラーメンをすすった。
「……でもさ、いろいろ考えちゃうな」
「考える?」
「結婚、とか。そういう、これからのこと。何がなんでも結婚がしたい、とは思わないんだけど。ずっと一緒に生きていこうと思える相手がいるっていうのは、すごいよね」
「そう、だね」
僕はまた、四谷のことを考えた。四谷とずっと一緒にいたら……? 怒っている自分しか、想像ができない。
ぷはっ、と息を吐いて桃ちゃんが笑った。
「わかちゃん、やっぱり彼女いるんでしょう」
「え?」
「今、すごくかわいい顔してた。好きなひとのことを考えてますって顔」
「し、してない……」
落ち着いたら紹介してね、と桃ちゃんはやわらかく微笑んだ。
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