月読の塔の姫君

舘野寧依

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第一章:伝説の姫君と王と魔術師

第7話 望郷と喪失

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 それから後の授業は、散々だった。
 カディスが残していった言葉が気になってつい上の空になってしまって、先生に叱られるし。
 ひょっとして、あれはわたしをからかっただけだったりして。
 ……そうだとしたらカディスめ、どうしてくれる。せっかくまじめに勉強しようとしてるのに。
 ぐたっとして長椅子に寄りかかっていると、リイナさんがキースからの伝言を伝えてきた。
 今日の夕食をカディスとキースで一緒にどうかとのお誘い。
 体は鉛のように重くて正直疲れていたけど、わたしはキースの誘いを受けることにした。
 この間の晩餐会は途中で退席しちゃったし、わたしも彼らに確認したいことは山ほどあるしね。



 というわけで、わたしは今ガルディア国王カディス・ディーン・ディレグ・ガルディア陛下と、同じくガルディア王国魔術師師団長キース・ルグラン・レグ・アレギリアとの晩餐会に参加中だ。
 キースは前国王の弟であるアレギリア公爵の嫡男なんだって。
 ちなみに魔術師としては、百年に一人出るか出ないかの逸材だとか。どんだけ天は人に二物も三物も与えるんだ。

「すごいなあ。わたしも魔法とか使ってみたいな」
「よかったら教えようか。魔力はありそうだし、簡単なものなら使えるんじゃないかな」
「本当!? じゃ、教えて」
「うん、いいよ」

 やったあ。言ってみるもんだね。

「おい」

 キースに約束を取り付けてにこにこしてると、不機嫌そうな声が前の席から響いた。

「さっきから、なぜキースの方ばかりみて話すんだ、おまえは」
「え、ええ……? な、なぜかな?」

 カディスに声をかけられて、つい挙動不審になるわたし。
 ついさっきのことで、非常に気まずいんだけど。

「いきなりせまられれば、それは避けられても仕方ないと思うよ」

 ひいっ、キースってばそんな核心を突くようなことをっ。
 なんでカディスがあんなことしたのか聞きたいけど、なぜだか聞いたら後悔しそうな気がするんだよね。
 うう、おかげでせっかくの食事の味がよく分からなくてもったいない。

「口づけたかったんだから、しようがないだろう」
「な……っ」

 カディスの爆弾発言に、わたしは思わず持っていたナイフとフォークを皿に落としてしまった。

「なんってこと、あっさり言うのよーっ!」
「本当だね、我慢というものを知らないことを公言するなんて獣と一緒だね。危ないから近くに寄らない方がいいよ」
「正直に話しただけだろう。むしろキース、おまえのような腹に一物ありげなのが一番たちが悪いんじゃないか?」
「……君は僕に喧嘩を売っているのかな?」

 うわあ、なんだか剣呑な雰囲気だ!
 わたしは慌てて話題を変えることにした。

「ねえ、昼間先生に教わったんだけど、ここって結構大きな国なんだよね?」
「ああ、この大陸では一番大きいぞ」
「ここの気候ってどんな感じなの? 今は春みたいだけど」
「この国の気候は一年中こんな感じだよ。他の国に行くとこうはいかないみたいだね。暑かったり寒かったり色々だよ」

 ……一年中春……。私の頭に某漫画が浮かんだ。

「じゃあ、常春の国ってこと?」
「常春の国か、いい表現だね」
「思っていたが、おまえ、わりに学があるな」

 ……元ネタがギャグ漫画だということは言わないでおこうとわたしは心に決めた。

「……日本には九年間の義務教育があるから。わたしはそれから三年間高校に通ったけど」

 それで結局フリーターやってたんだけどね。学校の勉強が役に立ったと思ったことってあんまりないなあ。

「九年の教育が義務なんだ。すごいね」
「え、そうなの?」

 当たり前すぎて、そのすごさがいまいち分からない。

「ああ、すごいぞ。この国も三年の教育を推奨してはいるが。それも義務ではないしな」
「へえ……、実は日本ってすごかったんだねえ。そういえば、日本語の識字率はほぼ百パーセント……ほぼ完璧らしいよ」
「それは民間人も含めて? ニホンって国はどのくらいの人口なの?」
「日本人全般でだよ。人口は一億二千万人超えてる」

 わたしがそう言うと、二人は絶句した。

「……一応確認するけど、桁を間違えてるわけじゃないよね?」
「間違えてないよ。一億二千万人で合ってる」
「おまえがいた国は島国と言っていたが、実は大陸の間違いじゃないのか?」
「ううん、島国で合ってるよ。南北に細長くて国土は狭い……山が多くて平地が少ないんだよね」
「それでよく一億二千万も人間が住めるな」

 見るとカディスが不思議そうな顔をしている。

「マンション……っていうか、こっちで言うところの塔が無数に立ってて、都市近郊の人はそこに住んでることが多いから」
「塔か、それは考えたね」

 キースが感嘆したように言う。

「日本は土地代が高いから。それでも都市部のマンション……部屋を買うのも目玉が飛び出しそうな金額だけどね」
「……それで住みにくくないのかい? 所得が多くなければ都市部に住めなそうだ」

 キースが感嘆したような溜息をつく。

「そんなことないよ。郊外ならいくらか土地は安いし一軒家を建てられるよ。都市部には郊外から電車で通勤する人が多いし」
「電車?」

 二人して不思議そうな顔をして聞かれて、わたしはちょっと考え込む。

「うーん、イメージとしては鉄で出来た部屋がいくつも連なった感じかな。それが高速で動くの」
「……なんだか、とてつもない話だね。とても想像がつかない」
「そんなに驚かれるようなことかなあ。わたしにとっては、魔法とか、ここに四季がないことの方が驚きなんだけど」

 春は満開の桜。夏は雨に濡れる紫陽花。空に浮かぶ入道雲。秋には紅葉。冬はいちめんの雪景色。
 ああ、なんて綺麗な光景なんだろう。
 こうやって思い出してみると、日本って捨てたもんじゃないよね。

 その後もわたしは二人の質問を受けて、時々しどろもどろになりながら受け答えをした。



「……うあー、疲れたぁー」

 ……このセリフ、昨日も言ってたような気がするな。
 お風呂に入って寝間着に着替えたわたしはふかふかのベッドに沈んだ。

「わたしに専門的なこと聞かれても、分かるわけないじゃない……」

 まさかの質問責めにたじたじになりながら晩餐会を退散したわたしは、溜息をつくしかなかった。
 質問してくる二人は完全に施政者の目だったよ。……お願いだから、一般庶民に多くを求めないでほしい。
 ああ、でもわたしって日本で結構恵まれた生活してたんだな。……こんなふうに失ってから分かることってあるんだね。
 ふいに涙腺が崩壊しかけて、わたしは無理矢理目を擦る。

 ──もう寝よう。そうしよう。

 疲れた体を休めるために、わたしは眠る。……それで真実を知ってしまうことになるとも知らずに。



 目に入ってきたのは、いちめんの白い菊と百合の花。
 泣いているお父さんとお母さん。
 うちは共働きだったから、あまり構ってもらった記憶はない。だから放任だとばかり思ってた。
 けれど──

 祭壇の前には、棺。
 その中に誰かの遺体が安置されている。
 綺麗に化粧された青白い顔。
 棺に入れられているのは……わたし?

「──それではお別れです」

 無情に響く葬儀を取り仕切る人の声。
 わたしを入れた棺は狭くて暗い穴の中に入っていく。

 なにするの、やめて。
 わたしは生きてる。ここに、今ここにいるのに。

 お願い、待って。
 だって、わたしはまだ。

 その願いも届かずに、わたしの体は炎に包まれる。

 燃えてしまう。
 わたしのからだ、わたしの体が。

 ──無くなってしまう!



「やだあぁっ!!」

 感じるはずのない熱さを感じた気がして、思わずわたしは飛び起きた。
 視野に入ってきたのは、未だ慣れない豪華な内装。

「あ……」

 ……嫌な夢。
 よりによって、あんな──

 ぱたぱたと手元のシーツに水滴が落ちる。
 薄暗い部屋の中、わたしは流れる涙を拭うこともできずに、ただただ泣き続けていた。



「イルーシャ様……」

 翌朝、わたしの顔を見たリイナさんは驚いたように瞳を見開いた後、冷たいタオルを持ってきてくれた。

「イルーシャ様、いったいなにがあったんですの?」

 冷たいタオルをわたしの目に当てながら、心配そうにリイナさんが聞いてくる。……よっぽど酷い顔してたんだろうな。

「なんでもないんです。……ただ、少し思い出してしまっただけで」
「まあ……イルーシャ様、いろいろとお疲れなんですわ。今日はお勉強を取りやめるように陛下に申し上げてきますわ」
「……ごめんなさい。お願いします」

 自分でもかなり打ちのめされているのが分かってたから、リイナさんの申し出は正直とてもありがたかった。
 その後、リイナさんはわたしを薔薇の花びらを浮かべたお風呂に入れて、明るい色のドレスを選んで着替えさせてくれた。

「今日一日、ゆっくりされたらいいと思いますわ。……ああ、そうですわ、庭園をご覧になられると良いかと。こちらの庭園は花がとても綺麗ですの。イルーシャ様もきっと楽しめますわ」

 わたしはリイナさんの提案に従って、軽く朝食をとった後、庭園を散策することにした。

「それでは、わたくしはこちらに控えておりますので。ごゆっくりどうぞ」

 リイナさんのありがたい申し出に頷きながら、わたしはリイナさんを庭園のテーブルに残してゆっくりと歩きだした。

「本当に綺麗……」

 きちんと管理されている庭園は、色とりどりの花に彩られていて、わたしは思わず感嘆の溜息をつく。

「ここは管理が行き届いてるからな」

 聞き覚えのある声がして振り向くと、そこにはなぜかカディスが立っていた。

「どうして、ここに」
「リイナに言われた。おまえが沈んでいるようだから、慰めてこいと」

 リイナさん……、もしかして仲良くなったというカディスの言葉を本気にしてる?

「……昨日あの後、泣いていたのか?」
「泣いてないよ」
「昨日俺達がニホンのことをあれこれ聞いたから、おまえは故郷を思い出したんだろう?」

 ──今はそのことに触れてほしくなかったのに。
 わたしはカディスから顔を背けると、また溢れてきそうな涙を堪えた。

「ユーキ」

 カディスがわたしのことを名前で呼んだのは初めてじゃないだろうか。
 ……でもやっぱりユーキになるんだね。
 もう、わたしの名前を正しく呼んでくれる人はいないのかも。
 手を引かれて無理矢理カディスへと向かされたわたしは、みっともない泣き顔を晒してしまった。

「ユーキ、泣くな」

 カディスは苦しげに顔を歪ませると、私を抱きしめた。

「……無理だよ」
「ユーキ」
「そんな呼び方しないで。わたしはユーキじゃない。由希、原田由希だよ。ちゃんと呼んでよ」
「……すまない、俺にはユーキが言うようには呼べない」

 わたしの無理な要求に、カディスが謝った。あの俺様なカディスが。
 わたしはカディスに抱きしめられたまま、ぼうっと思う。

「おまえが一人で知らない場所に放り出されて不安だろうと言うことに気がつけなくて悪かった。今もさぞ、心細いだろう。……それでも、俺はおまえがここに来てくれたことをよかったと思っている」

 ……今、カディスはなんて言ったんだろう。
 ──わたしがここに来てくれて良かった?

 わたしはカディスの胸に腕を突っぱねて、カディスから距離を取る。

「いくらなんでもそれは酷いよ、わたしは元の世界に帰りたいのに」
「ユーキ、おまえを傷つけるつもりで言ったのではない。……俺は、おまえが好きなんだ」
「──嘘」
「嘘じゃない」
「……嘘だよ。好きなら、なんでこんな酷いこと言うの」

 あまりのことに涙がこぼれる。
 ひどい、酷いよ、カディスは酷い。

「……確かに、俺は酷いな。だが、おまえが傷つくと分かっていても、おまえを帰したくはないのだ」
「それは、わたしに利用価値があるからでしょ。だから、そんな言葉でごまかそうとしてるんだ」
「ユーキ、それは違う」

 伸びてくるカディスの腕をわたしは避ける。

「なにが違うの、傷つくのが分かってて言うなんて……」

 泣きながら、わたしはじりじりと後ろに下がる。
 今はカディスの顔を見たくなかった。
 だから言ってしまった。ただの八つ当たりだと分かっていながら。

「カディスなんて、大っ嫌いっ!」

 わたしは身を翻すと、カディスから少しでも遠ざかるために走り出した。
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