月読の塔の姫君

舘野寧依

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第三章:傾国の姫君

第39話 城への帰還

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 わたしがロアディールの頬を打つと、かなり小気味よい音がした。

「イルーシャ……」

 呆然とするロアディールにわたしはここぞとばかりに言ってやる。

「本当は跳び蹴りして回し蹴りして、ボッコボコのギッタギタにしてやりたいけど、それはいろいろ問題があるからやめておく」

 ロアディールを指さしながらそう宣言すると、カディスからすかさずつっこみが入る。

「姫が跳び蹴りに回し蹴りなどするな」
「しないよ。そもそもドレスじゃ無理だし」
「イルーシャはじゃじゃ馬ですね」

 ロアディールがおかしそうに笑った。

「だから言ったじゃない。わたしはたおやかな姫じゃないって」

 彼にされたことを思えば、今更認識を改められても困るんだけどね。

「それでも、もちろんわたしはあなたのことが大好きですよ。普通の姫らしくないところがまたいいですね」
「……あのねえ……」

 なんというかとてつもない脱力感が襲ってきた。
 ロアディールって、一応敗戦国の王なんだよね? それがなに、この余裕、っていうか、こんな泰然としているの?

「あ、あのね、わたしあなたに文句言いたいことはいろいろあるけど、なにがムカつくって、問題山積みにしといて、なに勝手に自害なんかしようとしてるのよ。王なら、そこのところ責任取らなきゃ駄目でしょうが」
「……そうですね、わたしは王失格ですね。あなたに忘れられたくなくて、一番有効そうな手段を選んでしまった」

 ロアディールが寂しそうに笑う。……そんな笑い方されると、なんかわたしにも責任の一端がある気がして落ち着かない。

「あのね! 目の前で自害なんかされたら困るのよ。第一目覚めが悪いじゃない。自分勝手も程々にしてよね」
「……まあ、自害されて困るのもこちらだしな。最高責任者のいない状態では、話し合いにも困るからな」

 ロアディールとの会話にカディスも入ってくる。

「……カディス王は、イルーシャ救出の為に、王自身がわざわざ危険を冒してまで来られたのですね。それほど彼女が大事ということですか」
「……まあな、惚れた弱みだ。本人は鈍すぎる上に、そういうことに不慣れだから、大事にしていたんだがな。……そうしていたら今回の事だ。ハーメイ国王、この責任はしっかりと取って貰うぞ」
「……仕方ありませんね。元より覚悟は出来ていますよ」
「え……、ちょっと。責任を取るって、命を取るって事じゃないよね? 出来ればそれはやめてほしいんだけど」
「イルーシャ、おまえがこの男になにをされたか我々は知っているんだぞ?」

 厳しい表情のカディスのその言葉に、わたしはかっと赤くなると、慌てて言った。

「え、えーと、でもそれは呪いのせいだし。それを言うなら、一番悪いのはウィルローじゃない? 実際、ロアディールは最初わたしに手を出さないって言ってくれてたし」
「……イルーシャ、おまえ、人が良すぎるぞ」

 カディスが呆れたように言う。……そうかなあ?

「そんなことないよ、さっきボコボコにしたいって言ったじゃない。それに、わたしのせいで人が死ぬなんて嫌だよ。それよりロアディールには生きて王としての責任を取らせた方がいいんじゃないかな。たとえば、金銭面での賠償責任とか。ハーメイの国民からは当然非難受けるだろうけど」
「……おまえがそう言うなら仕方ないが」

 カディスは苦虫を噛み潰したように言うと、ロアディールに向き直った。

「当のイルーシャがこう言っているんだ。我々も譲歩しよう。……イルーシャに感謝するんだな」
「はい、イルーシャ、ありがとうございます」
「べ、別にわたしはお礼を言われることは言ってないよ」

 赤くなる頬を押さえて、わたしはそっぽを向く。

「……イルーシャはここで照れるから、ものすごく思わせぶりなんだよね」

 離れた場所で、話を聞いていたキースが溜息をつく。
 思わせぶりって、ええー!? わたし、そんなつもりはまったくないよ!

「わ、わたし、そんなに思わせぶり?」
「うん」「ああ」「はい」

 みんなから速攻で返事が来てわたしは撃沈した。

「う、分かった。なるべく照れないように努力するよ」
「無理だな」「無理だね」「無理じゃないですか」

 せっかくの決意に、またしてもみんなから速攻で無情な返事が来た。ど、どうしろと……?

「とにかく、イルーシャはガルディアに戻ってて。ああ、マーティンが付いててくれるかな」
「はい」
「みんなはどうするの?」
「まだ事後処理があるから、ここに残るよ。イルーシャは部屋でゆっくりしていて。……うろうろしないでね」

 うう、またうろうろするなって言われたよ……。

「うん、分かったよ。おとなしくしてる」

 わたしはキースに頷くと、マーティンが守るために傍に寄ってきた。

「──イルーシャ」

 わたしはロアディールに声をかけられてそちらを向く。

「もうこれでお会いすることもないかもしれませんが、わたしはあなたを愛しています」
「そう、でもわたしはあなたが大嫌い」

 一刀両断にすると、ロアディールが苦笑いする。

「相変わらず、あなたはつれないですね」
「……イルーシャ、そろそろ送るよ」
「うん」

 ロアディールとの会話を眺めていたキースに言われて、わたしは頷く。
 ああ、やっとガルディアに帰れるんだ。……やっぱり、いろいろあったからちょっと帰りにくいけど。
 キースはわたしに掌を向けると、短い詠唱の後、手を振った。次の瞬間、わたしとマーティンはわたしの部屋にいた。



「イルーシャ様!」

 部屋には、リイナさんや、シェリー、ユーニスが控えていて、わたしは彼女達に駆け寄られた。

「お帰りなさいませ、イルーシャ様」

 リイナさんがいつも通り上品に迎えてくれる。

「イルーシャ様、とても心配しましたわ」
「とてもお辛い目に遭いましたね」

 シェリーとユーニスが涙を浮かべながらわたしに抱きついてくる。
 あー……、この調子だと、彼女等にもわたしがどんな目に遭っていたか知られているんだろうな。

「マーティン、イルーシャ様のお支度をしますから出ていなさい」
「は、はい」

 リイナさんに厳しく言われて、マーティンが慌てて出ていく。……うーん、ちょっと可哀想かも。

「イルーシャ様、大体の事情は知らされています。これは避妊薬ですわ。お飲みください」
「うん、一応ハーメイでもコリーンさんって人に貰ってたんだけど、飲んでおくね」
「まあ、敵国で薬を飲むなんて、毒薬だったらどうするんですか」
「うーん、わたしもちょっと疑ったけど、結局避妊薬だったみたいだし。無表情だったけど、結構いい人だったのかも」

 言いながらリイナさんに貰った薬の包みを開けて、わたしはシェリーに注いで貰った水で飲む。うん、とくに味がしないのは一緒だ。
 避妊薬を飲み終わった後は、お風呂に連れていかれて、全身に付けられたキスマークを披露する羽目になってしまった。……うう、恥ずかしい。
 バラとハーブのお風呂に浸かりながらわたしは息を付く。

「あー、本当に帰ってきたなあって感じがするね」
「イルーシャ様、今までいろいろありすぎたんですもの。これからは少しゆっくりされるといいですわ」

 シェリーの気遣う言葉にわたしは頷いた。

「うん、そうする」

 キースにもおとなしくするって言ったしね。
 空いた時間をこの国の勉強や過去視の訓練に当てるのもいいかもしれない。
 わたしはお風呂から上がってドレスを着付けされると、長椅子に座ってカードを使って過去視の訓練をしていた。

「イルーシャ様、随分と熱心ですわね」

 ユーニスがさっぱりしたお茶を出してくれながら感心したように言う。

「うん、今のところわたしの唯一の能力だからね。なんとか役に立つように頑張らないと」

 だんだん的中率はアップしてきたけど、そのうち完璧に的中出来るようにしたいな。
 そんなことを思いながら出されたお茶を飲んでると、映像が浮かんできた。
 うわ、寝てない状態での過去視は初めてだ。
 内心わくわくしながらその映像に集中してると、それはルディア市内の映像らしかった。

「……それは、本当のことなのかい? 今回の戦にイルーシャ様が絡んでるなんて」

 果物屋らしき店頭で、魔術師と思わしき人物が品物を物色していた。
 ──ウィルロー! よくものうのうと、ガルディアに!
 ウィルローは林檎を一つ取ると、代金を女将さんに支払った。

「ええ、本当です。ハーメイに攫われた姫君は、かの国の王とよろしくやっていたようですよ。その様子を聞いた者もいたとか」

 よろしくやっていたってなんだ! こっちはあんたのかけた呪いで酷い目に遭ったっていうのに!

「……あたしゃ信じられないよ。姫様がそんなことをするわけないさね」

 果物屋の女将さんが憤慨したように腰に手を当てる。

「しかし、ハーメイに軍を動かしたのは本当らしいぞ。もし攫われたのが本当だとしたら、あの美貌だ、手を出されない訳がない」

 常連客らしい男性が女将さんに言うと、見る見る彼女は顔色をなくした。

「そんな……、信じられないよ姫様が……」



「イルーシャ様? お顔の色が悪いようですが、もしかしてお疲れなのでは?」

 ユーニスが心配そうにわたしの顔を窺ってくる。

「あ……、うん。ちょっと疲れたかも」
「まあ、それでしたら、少しお休みになるといいですわ」
「う、うん。そうする」

 わたしは今度は寝間着に着替えさせられると、ベッドに横になった。

「それではおやすみなさいませ」
「うん、おやすみ」

 目を閉じると、またウィルローが出てきた。今度は別の場所で同じような会話を繰り返している。

「……」

 わたしは起きあがると、顔を覆った。
 ウィルローがわたしの評判を落とそうとガルディア内で暗躍している。
 キースに知らせようにも、ウィルローに腕輪を壊されているわたしは彼を呼び出すことも出来ない。
 わたしは嫌なことが起こりそうな予感がして、眠ることも出来ず、次々と浮かぶ映像に不安を募らせるだけだった。
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