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第三章:傾国の姫君
第40話 王命
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結局寝ることが出来なかったわたしは、起き出してユーニスを呼び出してしまった。
「ごめん、やっぱり寝られないや。それと、キースに至急伝言頼めるかな? 『ウィルローがガルディア国内にいる』って」
「かしこまりました。マーティン様から魔術師経由で伝えていただくように手配しますわ」
ウィルローは既に国内では手配書が回っている罪人だ。
ユーニスは顔を引き締めると、マーティンにわたしの言づてに行った。
その間もわたしの過去視は続いていた。
ウィルローは髪と瞳の色を変え、各地で今回の戦の原因はわたしだと主張していた。酷いものでは、わたしが求婚者全員と体の関係があり、ハーメイでも男を誘惑して何人とも寝ていたというのもあった。
……ちょっと、いい加減にしてほしい。
ベッドの端に腰掛けながら、わたしは次々と浮かぶ映像に目眩を起こしかけていた。
「イルーシャ様、お伝えしましたわ。お起きになられますか?」
「うん、起きる。せっかく着替えたばかりだっていうのにごめんね」
わたしが謝ると、ユーニスは首を横に振って心配そうに言ってきた。
「いえ、それは構いませんが……。イルーシャ様、やはりお顔の色がよくありませんわ。寝ておられていたほうがよろしいのでは?」
「うん、でもキースが来るかもしれないから部屋で待ってるよ」
それになにか過去視の様子が変だ。キースならこの状態のこと、なにか分かるかもしれない。
「……そうでございますか? イルーシャ様、あまりご無理はされないでくださいね」
「うん、ありがと」
わたしはユーニスに悪いなあと思いつつもまたドレスに着替えさせてもらった。
ユーニスに目眩を起こしてることを悟らせないようにわたしは私室の長椅子に腰を下ろすと、肘掛けに寄りかかった。……やっぱり調子が悪い。これはたぶん映像酔いみたいになってるせいだろう。
目を瞑っていてもぐらぐらするのを堪えていると、ふいに声をかけられた。
「イルーシャ、大丈夫?」
──ああ、キースだ。
肩に軽く触れられると、浮かんでいた映像は綺麗に消えた。
「……キース」
わたしが顔を上げると、キースが心配そうにこちらを見つめていた。
「魔力が暴走しかけてたから、制御させてもらったよ。随分辛かったろう?」
「ありがとう、キース。……映像が次々と浮かんで消えなくて困ってたんだ。助かった」
いくぶん調子が良くなってきて、わたしは少しだけ笑みを浮かべた。
「君に触れたときに少し映像が見えたけど、ウィルローはかなり悪辣なことしてるね。……ちょっと待ってて、少し懲らしめてみる」
キースはそう言って目を閉じて詠唱し始める。しばらくして彼は目を開けて、大きく息を付きながらくしゃりと前髪を掻きあげた。
「……なにをしたの?」
まだ目眩は続いていたけれど、キースの取った行動に興味が湧いて聞いてみる。
「追尾魔法と風の刃の魔法を使った。今頃ウィルローを切り裂いている頃だと思う。……もっとも致命傷にはならないだろうけれどね」
「……そんなことができるんだ。キース、すごいね」
あの鬼畜魔術師にそんな方法で一泡吹かせられるなんて、本当にキースはすごいな。それに比べて、わたしは呪いを受けたり、悪評ばらまかれたりして全然いいとこない。
「そんなことないよ。……イルーシャ、具合悪そうだけど、大丈夫?」
「うん、さっきよりはだいぶ良くなってきたよ。……あ、貰った腕輪、ウィルローに壊されちゃったんだ、ごめんね」
頭を下げるとまだくらくらする。キースはそれを察したようで、治癒魔法を使ってくれた。それでかなりわたしの調子もよくなってきた。
「うん、分かってる。明日新しい物を渡すよ。あと、魔力制御の指輪も。イルーシャ、君は僕が思ってたよりも魔力があるよ。さっきもそれで暴走しかけてたみたいだ」
「え、魔力があって呪いにかかるの?」
「呪いを直接受ける分には魔力はあまり関係ないんだ。間接的に影響を受けないことに有効なだけだよ」
「……そうなんだ。睡蓮の呪いを弱めることには使えそうかな?」
わたしに施された呪いは、今はあくまでも封印されているだけであって、呪いの驚異はなくなった訳じゃないんだよね。
キースが呪いを弱めるためにわたしに魔力を注入したことは記憶に新しい。これができれば最後には呪いをなくすことができるんじゃないかな。
「うん、できるよ。やり方は僕が君に教える。あと、ヒューイにも。なにがあるか分からないし、念の為にね」
「うん、ありがとキース。よろしくね」
「うん」
その時、ドアがノックされて、マーティンからカディスの来訪が告げられた。
「カディス、お帰りなさい」
「ああ。……イルーシャ、顔色が悪いな。疲れが出たのか?」
立ち上がってカディスを迎えたわたしの顔を見て、彼は少し眉を顰めた。
さっきのキースの治癒魔法でだいぶ具合良くなったんだけど、まだ心配されるほど顔色悪いんだろうか。
「それもあるだろうけど、ついさっきまでイルーシャの魔力が暴走しかけてたんだ。それでかなり具合悪そうだったから治癒魔法を使ったんだけど、確かにまだ顔色は良くないね」
そう言うと、心配そうにキースがわたしを見てくる。
「魔力が暴走しかけたとはどういうことだ」
カディスが不思議そうに聞いてくる。
「過去視の訓練をしてたら、ガルディア国内の映像が次々と浮かんできて止まらなくなったの。キースが制御してくれたから助かった」
「確かおまえの能力は今までは眠っている状態でないと発現しなかったな」
「うん、それが急に起きてても見えるようになったから喜んでたんだけど、今度は制御できなくなっちゃって」
「たぶん、能力が急激に伸びたことによって、それに引きずられる形で眠っていた魔力が暴走したんだと思う。明日にでも魔力制御の指輪を渡すつもりだよ」
わたしの言葉を引き取って、キースが補足してくれる。
「そうか、それでイルーシャは過去視でウィルローがガルディアにいるのを見たわけだな?」
その言葉で、カディスもキースへのわたしの伝言を聞いてたんだなと分かった。
「僕もその映像を見たけど、イルーシャの酷い噂をばらまいてたよ。今回の戦の原因はイルーシャだとか、イルーシャは求婚者全員と関係があるとか、ハーメイで王含む複数と関係を持ったとか」
うああ、他人の口から直接聞くとまた違った破壊力だわ。
わたしが真っ赤になって顔を覆ってると、カディスが舌打ちをした。
「ウィルロー……、あいつだけは許さん。見つけ次第殺せ」
「分かった」
カディスの言葉にキースが頷く。
できれば人が死ぬのは見たくないけれどウィルローは罪を重ねすぎた。だからわたしはカディスの言葉に特に反対はしない。
……ううん違うな、わたしもきっとウィルローを殺したいほど憎んでるんだと思う。
わたしに呪いをかけてロアディールに汚させ、伝説の姫君の名を地に堕とそうとしているウィルローを。
カディスはどさりとわたしの前の長椅子に腰を下ろすと、わたしを凝視した。
「な、なに? カディス」
「本当に大事にしていたのにな」
「カディス、その話題は……」
キースがカディスにそれ以上言うなというように首を横に振る。
カディスの『大事にしていた』というのは、わたしが汚されたことを言っているんだろう。わたしは居たたまれなくて俯いた。
「おまえの望み通り、ロアディールの命は取らない。砦とトリア村の損害賠償を支払うことと特産品の織物と金細工の搬入課税率を上げることで話はついた」
「そ、そうなんだ」
損害賠償金はともかく、織物と金細工の職人さんは大変だよね。そこのところ、これからどうするんだろ。
「だが、ロアディールはおまえを王妃にしたいと言っている」
「ええっ、わたしロアディールにははっきり嫌いだって言ったよ?」
わたしが驚いて顔を上げると、カディスと視線が合った。
「できればという前置きだったがな。ふざけたことに、おまえが忘れられないと言っていた」
「……いい加減諦めてくれればいいのに」
カディスから視線を逸らそうと横を向いたら、今度はカディスの隣に座っていたキースと目が合った。な、なんか気まずい。
それで結局わたしはまた俯くしかなかった。
「……おまえには伝えてはいなかったが、トゥルティエールもおまえを第三王妃に迎えたいと言ってきている」
トゥルティエールって北の大国だよね。第三王妃って、妾妃みたいなものだろうか。
「……それ、断ってくれたんだよね?」
「ああ。だが、向こうはまだ諦めてないようだ。催促の書簡が先程また届いていた」
「トゥルティエールの王様ってどんな人なの?」
「歳は三十前半だったか。婚礼はかなり早くて確か王太子がいたはずだ」
「なにそれ、わたし必要ないじゃない」
わたしは思わず呆れてしまった。
この世界では通常成人した王子が王太子に立っていたはずだ。そう考えると、その王にはもう十五歳以上の王子がいることになる。
「向こうの物言いによると、おまえの絵姿に目を奪われたらしいがな。実際に披露式典でおまえを目にしたあちらの大臣も絶賛していたぞ」
「そんな猫かぶりの時の姿を絶賛されてもねえ……」
こちらの感覚では当たり前のことなのかもしれないけれど、わたしとしたら、もううんざりするしかない。
「他の国からも妾妃やら王子妃やらで打診が来ているぞ」
「……みんな見た目に騙されすぎ」
「一目惚れしてから更に実物に会って忘れられなくなったロアディールのような例もあるがな」
「忘れたいのに名前出さないでよ」
わたしが唸るように言うと、カディスは一瞬黙り込んだ。
「……おまえのその美貌ならどの国でも欲しがる。それこそロアディールのようにな」
「カディス!」
これは絶対わざとだ。
わたしは思わずむっとして声を荒げる。
「こんな事態になる前に、さっさと俺のものにしてしまわなかったのが悔やまれるな」
「カディス」
キースがカディスを諫めるように名を呼んだ。けれどカディスは気にした風もない。
「イルーシャ、おまえは呪いがなくても傾国の姫君だ。おまえのその美貌は争いの種になる。国内でも水面下でおまえに近づこうとする貴族が大勢いたのをおまえは知らないだろう」
「え……」
確かにそれは初耳だった。
「それはおまえに見せず、聞かせず我々が守っていたからだ。おまえの能力はこんなところには発現しなかったようだがな」
「だから、わたしにあんなにうろうろするなって言ってたの?」
わたしがキースに聞くと、彼は仕方なさそうに頷いた。
「そうだよ。君には窮屈だったろうけど、君を守るにはそう言うしかなかった」
……そうなの?
「早く妃にしておけば、おめおめとロアディールなどにおまえを奪われたりしなかった。おまえの意思を尊重した結果がこれだ。……だがまだ間に合う。イルーシャ、おまえは俺の子を産め」
「カディス、なに言って……」
あまりのことにわたしは瞳を見開くしかなかった。
「おまえがどんなに泣こうが嫌がろうが知らん。俺はいずれおまえを抱く」
「やだよ、そんなの!」
わたしは思わず立ち上がって叫んでいた。涙で視界が歪む。
「異論は認めん。イルーシャ、これは王としての命令だ。おとなしく俺に抱かれろ」
「カディス、やだ、それだけは許して……っ」
友達だと思っていたのに、いきなりこんなのって──
溢れる涙を拭うこともできずに、わたしはカディスに懇願する。
「──ロアディールの下でも、そうやって懇願していたのか? イルーシャ」
カディスのその言葉に生々しい記憶が甦り、わたしは思わずびくりと体を震わせて彼を見る。
カディスは不愉快そうに眉を顰めると、長椅子から立ち上がった。
「今日のところは帰る。……だが、覚悟しておけ、イルーシャ」
「……イルーシャ……」
「キース、戻るぞ」
キースが気遣わしげにわたしを見たけれど、カディスに厳しい口調で声をかけられて諦めたように口を噤む。
やがて二人が出ていって、わたしはその場にくずおれた。
──イルーシャ、おまえは傾国の姫君だ──
カディスの残していった言葉が胸に突き刺さり、わたしは顔を覆って嗚咽を漏らす。
わたしだけしかいない部屋の中、わたしはこれから起こることを思い、ただただ泣くだけだった。
「ごめん、やっぱり寝られないや。それと、キースに至急伝言頼めるかな? 『ウィルローがガルディア国内にいる』って」
「かしこまりました。マーティン様から魔術師経由で伝えていただくように手配しますわ」
ウィルローは既に国内では手配書が回っている罪人だ。
ユーニスは顔を引き締めると、マーティンにわたしの言づてに行った。
その間もわたしの過去視は続いていた。
ウィルローは髪と瞳の色を変え、各地で今回の戦の原因はわたしだと主張していた。酷いものでは、わたしが求婚者全員と体の関係があり、ハーメイでも男を誘惑して何人とも寝ていたというのもあった。
……ちょっと、いい加減にしてほしい。
ベッドの端に腰掛けながら、わたしは次々と浮かぶ映像に目眩を起こしかけていた。
「イルーシャ様、お伝えしましたわ。お起きになられますか?」
「うん、起きる。せっかく着替えたばかりだっていうのにごめんね」
わたしが謝ると、ユーニスは首を横に振って心配そうに言ってきた。
「いえ、それは構いませんが……。イルーシャ様、やはりお顔の色がよくありませんわ。寝ておられていたほうがよろしいのでは?」
「うん、でもキースが来るかもしれないから部屋で待ってるよ」
それになにか過去視の様子が変だ。キースならこの状態のこと、なにか分かるかもしれない。
「……そうでございますか? イルーシャ様、あまりご無理はされないでくださいね」
「うん、ありがと」
わたしはユーニスに悪いなあと思いつつもまたドレスに着替えさせてもらった。
ユーニスに目眩を起こしてることを悟らせないようにわたしは私室の長椅子に腰を下ろすと、肘掛けに寄りかかった。……やっぱり調子が悪い。これはたぶん映像酔いみたいになってるせいだろう。
目を瞑っていてもぐらぐらするのを堪えていると、ふいに声をかけられた。
「イルーシャ、大丈夫?」
──ああ、キースだ。
肩に軽く触れられると、浮かんでいた映像は綺麗に消えた。
「……キース」
わたしが顔を上げると、キースが心配そうにこちらを見つめていた。
「魔力が暴走しかけてたから、制御させてもらったよ。随分辛かったろう?」
「ありがとう、キース。……映像が次々と浮かんで消えなくて困ってたんだ。助かった」
いくぶん調子が良くなってきて、わたしは少しだけ笑みを浮かべた。
「君に触れたときに少し映像が見えたけど、ウィルローはかなり悪辣なことしてるね。……ちょっと待ってて、少し懲らしめてみる」
キースはそう言って目を閉じて詠唱し始める。しばらくして彼は目を開けて、大きく息を付きながらくしゃりと前髪を掻きあげた。
「……なにをしたの?」
まだ目眩は続いていたけれど、キースの取った行動に興味が湧いて聞いてみる。
「追尾魔法と風の刃の魔法を使った。今頃ウィルローを切り裂いている頃だと思う。……もっとも致命傷にはならないだろうけれどね」
「……そんなことができるんだ。キース、すごいね」
あの鬼畜魔術師にそんな方法で一泡吹かせられるなんて、本当にキースはすごいな。それに比べて、わたしは呪いを受けたり、悪評ばらまかれたりして全然いいとこない。
「そんなことないよ。……イルーシャ、具合悪そうだけど、大丈夫?」
「うん、さっきよりはだいぶ良くなってきたよ。……あ、貰った腕輪、ウィルローに壊されちゃったんだ、ごめんね」
頭を下げるとまだくらくらする。キースはそれを察したようで、治癒魔法を使ってくれた。それでかなりわたしの調子もよくなってきた。
「うん、分かってる。明日新しい物を渡すよ。あと、魔力制御の指輪も。イルーシャ、君は僕が思ってたよりも魔力があるよ。さっきもそれで暴走しかけてたみたいだ」
「え、魔力があって呪いにかかるの?」
「呪いを直接受ける分には魔力はあまり関係ないんだ。間接的に影響を受けないことに有効なだけだよ」
「……そうなんだ。睡蓮の呪いを弱めることには使えそうかな?」
わたしに施された呪いは、今はあくまでも封印されているだけであって、呪いの驚異はなくなった訳じゃないんだよね。
キースが呪いを弱めるためにわたしに魔力を注入したことは記憶に新しい。これができれば最後には呪いをなくすことができるんじゃないかな。
「うん、できるよ。やり方は僕が君に教える。あと、ヒューイにも。なにがあるか分からないし、念の為にね」
「うん、ありがとキース。よろしくね」
「うん」
その時、ドアがノックされて、マーティンからカディスの来訪が告げられた。
「カディス、お帰りなさい」
「ああ。……イルーシャ、顔色が悪いな。疲れが出たのか?」
立ち上がってカディスを迎えたわたしの顔を見て、彼は少し眉を顰めた。
さっきのキースの治癒魔法でだいぶ具合良くなったんだけど、まだ心配されるほど顔色悪いんだろうか。
「それもあるだろうけど、ついさっきまでイルーシャの魔力が暴走しかけてたんだ。それでかなり具合悪そうだったから治癒魔法を使ったんだけど、確かにまだ顔色は良くないね」
そう言うと、心配そうにキースがわたしを見てくる。
「魔力が暴走しかけたとはどういうことだ」
カディスが不思議そうに聞いてくる。
「過去視の訓練をしてたら、ガルディア国内の映像が次々と浮かんできて止まらなくなったの。キースが制御してくれたから助かった」
「確かおまえの能力は今までは眠っている状態でないと発現しなかったな」
「うん、それが急に起きてても見えるようになったから喜んでたんだけど、今度は制御できなくなっちゃって」
「たぶん、能力が急激に伸びたことによって、それに引きずられる形で眠っていた魔力が暴走したんだと思う。明日にでも魔力制御の指輪を渡すつもりだよ」
わたしの言葉を引き取って、キースが補足してくれる。
「そうか、それでイルーシャは過去視でウィルローがガルディアにいるのを見たわけだな?」
その言葉で、カディスもキースへのわたしの伝言を聞いてたんだなと分かった。
「僕もその映像を見たけど、イルーシャの酷い噂をばらまいてたよ。今回の戦の原因はイルーシャだとか、イルーシャは求婚者全員と関係があるとか、ハーメイで王含む複数と関係を持ったとか」
うああ、他人の口から直接聞くとまた違った破壊力だわ。
わたしが真っ赤になって顔を覆ってると、カディスが舌打ちをした。
「ウィルロー……、あいつだけは許さん。見つけ次第殺せ」
「分かった」
カディスの言葉にキースが頷く。
できれば人が死ぬのは見たくないけれどウィルローは罪を重ねすぎた。だからわたしはカディスの言葉に特に反対はしない。
……ううん違うな、わたしもきっとウィルローを殺したいほど憎んでるんだと思う。
わたしに呪いをかけてロアディールに汚させ、伝説の姫君の名を地に堕とそうとしているウィルローを。
カディスはどさりとわたしの前の長椅子に腰を下ろすと、わたしを凝視した。
「な、なに? カディス」
「本当に大事にしていたのにな」
「カディス、その話題は……」
キースがカディスにそれ以上言うなというように首を横に振る。
カディスの『大事にしていた』というのは、わたしが汚されたことを言っているんだろう。わたしは居たたまれなくて俯いた。
「おまえの望み通り、ロアディールの命は取らない。砦とトリア村の損害賠償を支払うことと特産品の織物と金細工の搬入課税率を上げることで話はついた」
「そ、そうなんだ」
損害賠償金はともかく、織物と金細工の職人さんは大変だよね。そこのところ、これからどうするんだろ。
「だが、ロアディールはおまえを王妃にしたいと言っている」
「ええっ、わたしロアディールにははっきり嫌いだって言ったよ?」
わたしが驚いて顔を上げると、カディスと視線が合った。
「できればという前置きだったがな。ふざけたことに、おまえが忘れられないと言っていた」
「……いい加減諦めてくれればいいのに」
カディスから視線を逸らそうと横を向いたら、今度はカディスの隣に座っていたキースと目が合った。な、なんか気まずい。
それで結局わたしはまた俯くしかなかった。
「……おまえには伝えてはいなかったが、トゥルティエールもおまえを第三王妃に迎えたいと言ってきている」
トゥルティエールって北の大国だよね。第三王妃って、妾妃みたいなものだろうか。
「……それ、断ってくれたんだよね?」
「ああ。だが、向こうはまだ諦めてないようだ。催促の書簡が先程また届いていた」
「トゥルティエールの王様ってどんな人なの?」
「歳は三十前半だったか。婚礼はかなり早くて確か王太子がいたはずだ」
「なにそれ、わたし必要ないじゃない」
わたしは思わず呆れてしまった。
この世界では通常成人した王子が王太子に立っていたはずだ。そう考えると、その王にはもう十五歳以上の王子がいることになる。
「向こうの物言いによると、おまえの絵姿に目を奪われたらしいがな。実際に披露式典でおまえを目にしたあちらの大臣も絶賛していたぞ」
「そんな猫かぶりの時の姿を絶賛されてもねえ……」
こちらの感覚では当たり前のことなのかもしれないけれど、わたしとしたら、もううんざりするしかない。
「他の国からも妾妃やら王子妃やらで打診が来ているぞ」
「……みんな見た目に騙されすぎ」
「一目惚れしてから更に実物に会って忘れられなくなったロアディールのような例もあるがな」
「忘れたいのに名前出さないでよ」
わたしが唸るように言うと、カディスは一瞬黙り込んだ。
「……おまえのその美貌ならどの国でも欲しがる。それこそロアディールのようにな」
「カディス!」
これは絶対わざとだ。
わたしは思わずむっとして声を荒げる。
「こんな事態になる前に、さっさと俺のものにしてしまわなかったのが悔やまれるな」
「カディス」
キースがカディスを諫めるように名を呼んだ。けれどカディスは気にした風もない。
「イルーシャ、おまえは呪いがなくても傾国の姫君だ。おまえのその美貌は争いの種になる。国内でも水面下でおまえに近づこうとする貴族が大勢いたのをおまえは知らないだろう」
「え……」
確かにそれは初耳だった。
「それはおまえに見せず、聞かせず我々が守っていたからだ。おまえの能力はこんなところには発現しなかったようだがな」
「だから、わたしにあんなにうろうろするなって言ってたの?」
わたしがキースに聞くと、彼は仕方なさそうに頷いた。
「そうだよ。君には窮屈だったろうけど、君を守るにはそう言うしかなかった」
……そうなの?
「早く妃にしておけば、おめおめとロアディールなどにおまえを奪われたりしなかった。おまえの意思を尊重した結果がこれだ。……だがまだ間に合う。イルーシャ、おまえは俺の子を産め」
「カディス、なに言って……」
あまりのことにわたしは瞳を見開くしかなかった。
「おまえがどんなに泣こうが嫌がろうが知らん。俺はいずれおまえを抱く」
「やだよ、そんなの!」
わたしは思わず立ち上がって叫んでいた。涙で視界が歪む。
「異論は認めん。イルーシャ、これは王としての命令だ。おとなしく俺に抱かれろ」
「カディス、やだ、それだけは許して……っ」
友達だと思っていたのに、いきなりこんなのって──
溢れる涙を拭うこともできずに、わたしはカディスに懇願する。
「──ロアディールの下でも、そうやって懇願していたのか? イルーシャ」
カディスのその言葉に生々しい記憶が甦り、わたしは思わずびくりと体を震わせて彼を見る。
カディスは不愉快そうに眉を顰めると、長椅子から立ち上がった。
「今日のところは帰る。……だが、覚悟しておけ、イルーシャ」
「……イルーシャ……」
「キース、戻るぞ」
キースが気遣わしげにわたしを見たけれど、カディスに厳しい口調で声をかけられて諦めたように口を噤む。
やがて二人が出ていって、わたしはその場にくずおれた。
──イルーシャ、おまえは傾国の姫君だ──
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わたしだけしかいない部屋の中、わたしはこれから起こることを思い、ただただ泣くだけだった。
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