月読の塔の姫君

舘野寧依

文字の大きさ
63 / 108
第五章:銀の王と月読の塔の姫君

第62話 隣国からの使者

しおりを挟む
「イルーシャ、どうしたんだ」

 あまりの遅さにわざわざ迎えに来たらしいアークが、泣きじゃくるわたしを見て驚いたように言った。

「アーク」

 それまでエレーンにしがみついていたわたしは、今度はアークに腕を伸ばして抱きついた。
 ──いや、アークと離れたくない。
 こんなに愛しているのに、どうして別れなければならないの。
 わたしはアークの胸に顔を埋めながら、幾筋も涙を流した。

「……かなり強い魔力──そこに誰かいたのか、イルーシャ」

 わたしからは見えないけれど、たぶんアークはキースがいた場所を見ているのだろう。
 泣きじゃくるわたしの背を宥めるように優しく撫でながら、アークが尋ねてくる。
 わたしはそれになんとか答えようとして、涙を流しながらも彼から体を起こして口を開いた。

「え、ええ、そう。そこにいるはずのない……がいたの」

 わたしはキースの名前を告げたはずなのに、なぜか彼の名をアークに教えることが出来なかった。

「イルーシャ、誰がいたというんだ」
「……よ、わたしが世話になった」

 アークに聞かれても、わたしは相変わらずキースの名を呼ぶことが出来ない。
 それでアークは目を瞠るとそうか、と呟いた。

「……イルーシャから名を封じたのか。随分と用意周到なことだ」

 よく分からないけれど、キースがわたしに名を呼ばせないようにしたのは未来のことが知られてしまうだけではなくて、魔術的な意味もあるのかもしれない。

「イルーシャ、世話になったと言ったな。それはおまえが以前世話になったと言っていた魔術師か」
「ええ、そうよ。それがどうやってここに来れたのかは分からないけれど」

 そのころになってようやく涙を収めたわたしは、アークに頷いた。
 それに対してアークは考え込むように顎に手を当てている。

「過去の亡霊か……。いや、それにしてはこの魔力は鮮烈過ぎる」
「アーク……」

 わたしが不安を隠せずに彼を見ると、それに気付いたアークはわたしの額に口づけてきた。

「その魔術師の存在は気にはなるが、とりあえず食事にしよう。イルーシャ、移動するぞ」

 それで、わたしとアーク、そしてエレーンは共同の間まで彼の魔法で移動した。



「イルーシャ、さっきからほとんど食事に手をつけてないじゃないか」
「あ、ごめんなさい」

 心配そうにアークに見られて、わたしは慌ててスープを口にする。
 アークにあの伝承のことを知られたらいけない。そんなことを言ったら、きっと彼の心労を増やすだけだ。
 そんなことにならないためにも、わたしは普段通りにしていなくてはならない。

「あの魔術師のことを気にしているのか? それならおまえの部屋に結界を張るようにするから安心するがいい」
「……結界……。そうね、それなら安心ね」

 気遣うような彼の言葉にわたしは微笑んだ。
 ……でもあまり考えたくはないけれど、稀代の魔術師と言われたキースがそれを破るのはそう難しくないかもしれない。
 だけれど、アークがこう言ってくれているのだし、その好意を無にするようなことをしてはいけない。
 それでわたしは、頭の中から無理矢理キースの事を追いやり、アークとの昼食に集中することにした。



「イルーシャ、その魔術師の名を紙に書いてみろ」

 食事が終わって、わたしは応接セットでアークとゆっくりお茶を飲んでいたら、彼にそう言われた。
 あ、言葉には出来なくても紙には書けるかもしれないものね。
 わたしはなんだかほっとしながら、エレーンが持ってきた紙にペンでキースの名前を書こうとした。
 ……けど、わたしの手はそこでいきなりこわばったように動かなくなった。

「……これでもだめか」
「ごめんなさい」

 溜息をつくアークに、わたしは申し訳なくて謝った。

「謝らなくてもいい。おまえにはどうしようもないことだからな」
「アーク」

 謝罪の言葉の代わりに、わたしは彼にしがみついた。
 それに対してアークもしっかりとわたしを抱きしめてくれる。
 ──ああ。この温もりを失いたくない。
 わたしがアークの背に腕を回すと、彼は強くわたしを抱きしめてくれた。
 そんなわたし達の邪魔をするかのように、トゥルティエールからの使者の来訪が告げられた。

「是非ともイルーシャ様にお会いしたいとのことですわ」

 メルアリータにそう言われて、わたしはグローグ伯爵の一件を思い出した。
 出来れば会いたくないけれど、一国の王妃という立場上、拒否することは出来ないだろう。

「分かったわ」
「……いいのか? 無理に会うこともないのだぞ」

 心配そうにアークが覗きこんできたけれど、わたしはそれにこくりと頷いた。

「あの国がなにを考えてるのかは図りかねるけれど、この国の王妃として一応会うぐらいはしておいた方がいいと思うの」
「……そうか」

 その答えを聞いて、アークは優しい笑顔になって、わたしの髪を愛しそうに梳いてくれた。



 トゥルティエールからの使者は、グローグ伯爵の件で暗躍していたレーゼスだった。
 それで思わずわたしは謁見の間の王妃の席で、その身を堅くしてしまった。
 そんなわたしの手をアークは安心させるように握ってくれた。

「本当に噂通りにお美しい方でいらっしゃいますね。イルーシャ様の前ではどんな花も霞んで見えることでしょう」
「……それはありがとうございます」

 レーゼスから発せられるわたしへの美辞麗句も、グローグ伯爵の一件が引っかかって素直に喜べない。

「本日はイルーシャ様に我が王からの贈呈の品をお持ち致しました。どうぞお納めください」

 グローグの傍にいたもう一人の使者が傍目にも美しい淡い青紫色の首飾りを載せた台をずい、と恭しくわたしに差し出してくる。
 これは、この首飾りを手に取れということなのかしら。確かに綺麗な首飾りだけれど。
 わたしがそれに手を伸ばしかけた途端、アークから厳しい制止の声がかかった。

「待て、それを取るなイルーシャ」

 それに対して、一瞬レーゼスが舌打ちせんばかりの顔になるのをわたしは見逃さなかった。
 あ……、なにか罠でもしかけてあったのかしら。うっかり手に取らなくてよかった。

「──召還魔法か。こうも公然と王妃を攫おうとするなど、随分とガルディアも舐められたものだな」

 今度ははっきりとレーゼスが舌打ちすると、短い詠唱でわたしのすぐ傍に移動してきた。

「イルーシャ!」

 焦ったようなアークの声が酷く遠くに聞こえる。
 ──ああ、わたしはまた他の国へ連れ去られてしまうのかしら。
 そう嘆く間もなく、いきなりわたしの目の前にキースが現れてレーゼスを弾き飛ばした。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~

涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

【本編完結】伯爵令嬢に転生して命拾いしたけどお嬢様に興味ありません!

ななのん
恋愛
早川梅乃、享年25才。お祭りの日に通り魔に刺されて死亡…したはずだった。死後の世界と思いしや目が覚めたらシルキア伯爵の一人娘、クリスティナに転生!きらきら~もふわふわ~もまったく興味がなく本ばかり読んでいるクリスティナだが幼い頃のお茶会での暴走で王子に気に入られ婚約者候補にされてしまう。つまらない生活ということ以外は伯爵令嬢として不自由ない毎日を送っていたが、シルキア家に養女が来た時からクリスティナの知らぬところで運命が動き出す。気がついた時には退学処分、伯爵家追放、婚約者候補からの除外…―― それでもクリスティナはやっと人生が楽しくなってきた!と前を向いて生きていく。 ※本編完結してます。たまに番外編などを更新してます。

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。

なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。 本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

目覚めたら魔法の国で、令嬢の中の人でした

エス
恋愛
転生JK×イケメン公爵様の異世界スローラブ 女子高生・高野みつきは、ある日突然、異世界のお嬢様シャルロットになっていた。 過保護すぎる伯爵パパに泣かれ、無愛想なイケメン公爵レオンといきなりお見合いさせられ……あれよあれよとレオンの婚約者に。 公爵家のクセ強ファミリーに囲まれて、能天気王太子リオに振り回されながらも、みつきは少しずつ異世界での居場所を見つけていく。 けれど心の奥では、「本当にシャルロットとして生きていいのか」と悩む日々。そんな彼女の夢に現れた“本物のシャルロット”が、みつきに大切なメッセージを託す──。 これは、異世界でシャルロットとして生きることを託された1人の少女の、葛藤と成長の物語。 イケメン公爵様とのラブも……気づけばちゃんと育ってます(たぶん) ※他サイトに投稿していたものを、改稿しています。 ※他サイトにも投稿しています。

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

処理中です...