月読の塔の姫君

舘野寧依

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第六章:魅惑の姫君と幻惑の魔術師

第75話 罪と決意

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 わたしはシェリーに付いてきてもらってカディスの執務室に向かった。
 執務室の前にはマーティンが警護に当たっていて、わたしは彼に取り次ぎを頼んだ。

「──イルーシャ」

 カディスは執務室に入ってきたわたしの顔を見てほっとしたように息をついた。……昨日はかなり取り乱してしまったし、彼にもかなり心配をかけたのだろう。

「もう、気分は落ち着いたのか?」

 わたしに応接セットの椅子を勧めながら、カディスが窺うように言ってくる。

「気分は落ち着いたというか、もっと悪いことを聞いたのだけれど」
「あの子供の処遇か」

 わたしが無表情で言うと、カディスは少し顔を歪めた。

「ええ、そうよ。あんな子供を晒し首にするなんてどうかしてると思うわ。それに操りの紋があったのよ? それでどうしてそんな酷いことをあなたはしたの?」

 責める口調でカディスを問いつめると、彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「……仕方あるまい。あの子供は王族のおまえを殺めようとした。それに操りの紋があっても、あの子供がおまえを殺したいと思っていたのは間違いないことだ」
「でもあの子がわたしを殺したいと思っても仕方のないことだわ。……あなたに報告が行っているかは分からないけれど、わたしのせいであの子の姉は死んだのよ。この場合憎むなと言う方が無理な話だと思うわ」

 わたしがそう言うと、カディスは思ってもいなかったことを言われたようにその瞳を見開いた。

「だ、だが、あの子供は平民で……、王族のおまえを恨むなど身分的に許されないことだ」
「人の気持ちに王族も平民もないわ。人の心はその人のものだもの。誰かが干渉できるものではないわ。……たとえ王のあなたでも」

 わたしが真っ直ぐにカディスを見つめると、なぜか彼はたじろいだ。

「おまえはそう言うところは本当に古の王妃らしくなったな。今までのおまえなら泣いて俺に懇願しているところだ」

 ……確かにカディスの言う通り、多少は物怖じしなくなったかもしれない。でも……。

「けれど、昨日は随分と取り乱してしまったわ。わたしは出来れば彼の姉の分まで幸せになってほしいと思っていたから……」

 そこまで言って、わたしは侍女に出された紅茶のカップを取り喉を潤す。

「そうか……。しかし、やってしまったことは元には戻せない。俺は大罪人としてあの子供を扱ってしまったからな」

 カディスが苦しげに顔を歪ませる。

「今からでも遅くはないわ。勝手を言ってるのは分かっているけれど、彼を丁重に弔ってあげてほしいの。……なんだったら、わたしが刑場まで行って彼の首を引き取ってくるわ」

 わたしがそう言った途端、カディスはぎょっとしたように目を剥いた。

「それは駄目だ! あんな場所におまえを行かせるわけにはいかん。それに首を回収だと。馬鹿なことを申すな」
「いいえ、わたしは真剣に言っているわよ」

 この城の大体の間取りは、五百年前の王妃教育で把握してある。長い年月で王宮自体は改装や改築を繰り返していると言っても、不浄の場所である刑場の位置をそうそう変えることは出来ないだろう。
 あくまでも真摯にカディスを見つめていたら、やがて彼は根負けしたように溜息をついた。

「……分かった。あの子供の首は回収させる。その遺体も併せて丁重に弔わせる。これでいいか」

 わたしはカディスの譲歩に頷きかけたけれど、ふと彼の姉の埋葬の時の不遇な扱いについて思い出した。
 確かリューシャは、村の厄介者とでも言うようにかなり日当たりの悪い所に埋葬されていたはずだった。

「あの……、これはわたしの我が儘なのだけれど、トリア村で彼の姉と一緒に埋葬してあげてほしいの。そして、出来れば今埋葬されている場所をもう少し良い場所に変えて欲しいのだけれど」

 カディスはそう言うわたしの顔をまじまじと見つめると、やがて大きな溜息をついた。

「……分かった。しかし、俺も相当甘いな」
「……ごめんなさい」

 彼の気持ちに付け込んでいるのは充分分かっている。わたし、かなり計算高い酷い女だわ。
 それでわたしが少し落ち込んでいると、カディスはこう言ってきた。

「その代わりと言ってはなんだが……。イルーシャ、俺の願いも叶えてくれないか」

 その言葉にわたしは思わず身構えてしまう。
 まさか、カディスの妃になれとか言われたらどうしたらいいのだろう。
 わたしはアークを喪ってまだ間もないし、キースに昨夜汚された身でもある。
 そんなわたしが彼の妃になんて、どうあっても受け入れることは出来ない。
 するとカディスはわたしのそんな気持ちに感づいたのか、苦笑してきた。

「いや、俺の妃になれとまでは言わない。たまにおまえが国民の顔見せの時のような装いをしているのが見てみたい」

 それを聞いて、わたしは体中の力が抜けるのを感じた。

「え……、そんなことでいいの?」

 わたしが信じられない気持ちでカディスを見返すと彼は頷いた。

「ああ、おまえを妃にしたいのはやまやまだがそれで我慢する。……イルーシャ、答えは」

 わたしは彼の意図が掴めず戸惑いながらも頷いた。そんなことでわたしの願いが叶うのなら易いものだ。

「決まりだな。俺はおまえの約束を守るし、イルーシャおまえも俺の約束を守るということで契約成立だ」

 そこで彼が滅多に見せない全開の笑顔で快活に言った。
 ……これはかなりカディスなりに譲歩してくれているのだろうな、とわたしは察した。
 思えばアデルの一件も、カディスなりにわたしのことを思って行ってしまったことなのだ。
 そんなカディスの気持ちにどうあっても応えられないわたしは、どうしようもなく胸が痛んだ。
 泣きそうな顔をしているわたしを気遣ったのか、カディスは出されたケーキを食べろと勧めてきた。それで遠慮なくわたしがそれに口を付けると、彼は安心したかのように優しく微笑んできた。
 それはかつて、カディスがわたしを大切にしたいと思っていた時のような笑顔だった。
 わたしは、そんなカディスの顔を見ていられず、目の前のケーキに集中することにした。
 うん、スポンジも生クリームも美味しいし、挟んであるのと飾ってあるフルーツもその味を殺してなくてとても美味しいわ。
 わたしがそれで笑顔になると、カディスも嬉しそうにケーキを突つきながら微笑んだ。

「おまえはそういうところは変わってないな」

 ……それは、わたしの食い意地が張っているということかしら。
 断じてそんなことはないとカディスに反論しようとしたら、その時マーティンからキースの訪れが報告された。
 わたしはそれでつい動揺してしまい、カップを倒してしまった。

「あ……、ごめんなさい」

 わたしの粗相に、素早く控えていたシェリーや侍女達がテーブルを布巾で拭いてくれた。

「ありがとう」

 内心の動揺を隠すためにわたしはにこやかに彼女達にお礼を言う。……これでカディスに感づかれないといいのだけれど。
 そっと彼を窺ったら、特に気にしている様子もないようなのでわたしは安心する。

「やあ、カディス。報告書を持ってきたよ」

 食えない笑顔で執務室に入ってきたキースにわたしの心臓が跳ね上がる。

「またおまえはイルーシャとの時間を邪魔しに来て本当に嫌な奴だな」
「……なんのことだい? 僕は自分の役目を全うしているだけだよ」

 唸るように言うカディスに飄々と返すキースの様子を見ながらわたしは彼らに気づかれないように深呼吸を繰り返す。
 ──いけない。少しは落ち着かなくては。
 でもなんとなく逃げ出したい気持ちの方が上で、わたしは立ち上がりかけようとしてあることを思い出した。

「あ、カディス。それで、あの子のことなのだけれど、遺体を棺に収めたら一度わたし彼に会いたいの」

 そう言ったら、なぜか今までの話を聞いていないはずのキースまで顔をしかめた。……でも彼のことだからどこかで今までのやりとりを聞いていた可能性もある。

「棺に花を供えたいし、お別れに彼に謝りたいこともあるから」

 わたしがカディスを真剣に見つめながらそう言うと、やがて彼は溜息をついた。

「本当におまえは我が儘だ。だが、それを断れない俺にも問題はあるがな。……分かった、対処しよう」
「ありがとう」

 わたしはカディスの寛大な処置に心からの笑みを漏らした。
 そんなわたし達をなにを考えているか分からない表情でキースが静かに見つめていた。



 そしてカディスは約束を守ってくれた。
 わたしは簡素ではあるけれど、兵士達などの遺体安置所らしい場所にカディス同伴でキースに連れて行かれ、アデルと対面した。
 棺の中のアデルは首と胴体を魔法でくっつけたらしく、きちんと繋がっている。
 それにわたしはほっとしながらも、既に棺の中に埋まっている白い花を見つめながら、不意に由希として自分が死んだ時のことを思い出していた。

 ──今度は後悔しないように生きるよ。

 そうカディスとキースの前で言ったのが随分前のことに思える。
 けれど、わたしは生きられなかった彼らの分まで生きなければならない。それがどんなに苦しい選択だとしても、わたしはそう決意してしまったのだから。

「アデル、ごめんなさい」

 わたしは自分の罪深さに涙を堪えながらも、青を基調とした花束から花を抜き取り献花する。そしてリューシャの時のように彼の来世の幸せを願った。
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