月読の塔の姫君

舘野寧依

文字の大きさ
82 / 108
第六章:魅惑の姫君と幻惑の魔術師

第81話 一つの答え

しおりを挟む
「──それでだな、イルーシャ」

 憎くてたまらない魔術師のことを思い返していると、ふいにカディスに声をかけられた。
 それにわたしははっとして彼の顔を見た。

「……ああ、ごめんなさい。ぼんやりしていて」
「いや、まだなにも言っていないから気にするな。──俺が言いたかったのはな、おまえに俺の妃になるつもりはないかとのことなんだが」

 わたしは心の中でなるべく避けていたそれをカディスに直接告げられて、言葉を失った。
 思えばこういうことを彼に言われても少しも不思議ではなかったのだった。
 先の国民への顔見せで、カディスとの婚礼を民から望まれているのは、既に承知していた。それに──

「おまえが俺の妃になれば、いくらトゥルティエールとて黙るしかないだろう。少なくともそのことでおまえが振り回されることもなくなる」

 確かにウィルローがちょっかいをかけてきているのは、未だにわたしに決まった相手がいないからだ。

「……でも、わたしは──」

 視界の端にキースの姿が映る。
 彼の表情までは分からないけれど、きっとあの冷たい瞳でわたしを見ていることだろう。

「わたしは彼を忘れられないの。それに、わたしは汚れてしまっているし……」
「構わない。おまえが誰を愛していようが、身の清らかさなど今更気にしない。俺はおまえを手に入れたい」

 それは求婚のものとしては最上級の言葉だろう。
 ここまでカディスが言ってくれているのなら、わたしはこの国の王族として、ガルディアのために彼と結婚すべきなんだろう。
 けれど──
 キースへの想いは、未だに諦め切れずにわたしの中で渦巻いている。
 そんな気持ちをわたしは吹っ切ってカディスと結ばれることが果たしてできるのかしら。……それに、当のキースもいずれ妻を娶ることになるだろう。
 そんなことになったら、わたしはきっと取り乱してしまうような、そんな気がする。
 そんなわたしはカディスの王妃になんてふさわしくない。
 カディスにも、祝ってくれるだろう国民にも失礼だわ。

「……ごめんなさい、カディス。わたしにそこまで言って貰えるのは嬉しいわ。それに、あなたの妃に収まることが一番国益になるだろうことも分かっているけれど……」

 そこまで言ってわたしは顔を伏せた。
 本当にわたしは酷い女だ。
 カディスはわたしが王家の系譜を書き換えようとしていた大罪人なのを知っていてここまで言ってくれているのに、わたしは結ばれるはずのないキースのことばかり気にしている。

「……まあ、いきなりそう言われてもイルーシャは困るだけだろう。それに他の求婚者がこのまま黙っているとも思えないし」
「そうか。……そうだな」

 キースのその言葉にカディスが難しい顔をして呻いた。
 それを目にしてわたしは自責の念に駆られる。

 ──本当にごめんなさい。
 わたしはきっと誰も選べない。
 わたしの心の中には既にキースが巣くっていて、もう誰も入ることはできない。

「カディス、こんな面倒な女は本当に幽閉してしまって。わたしはこれ以上迷惑をかけたくないの」

 以前訴えて却下されてしまったことを再び口にする。
 すると、カディスが目の色を変えて厳しい口調で言ってきた。

「馬鹿なことを申すな。俺はそのことは断ったはずだぞ。それに伝説の姫君を幽閉など、国民になんと釈明すればいいのだ」
「そう……。そうよね」

 わたしを幽閉などしたら、カディスに国民の批判が集まってしまうだろう。
 さんざん世話になっておきながら、彼をそんな目に遭わせるのは忍びない。

「ごめんなさい。今のは忘れて」

 ふと、まだ使用していないナイフが目に入る。
 ──これを胸に突き刺したら、この苦しい生に終止符を打つことができるかしら。
 そんな考えが脳裏によぎる。
 でもそんなことができるわけはない。
 わたしが自ら命を絶てば、それはきっとガルディアの醜聞になるだろう。
 それを考えたら、そんなことができる訳がなかった。
 ……それにそれを実行する前に、キースや警護の者に止められる可能性がかなり高い。

 ……いっそ壊れてしまえたらいいのに。
 そうすれば、カディス達はきっとわたしを見放すだろう。

 そんなことを考えていたら、どうにも体が重くなってきて、食事をしているのもつらくなってきた。

「……イルーシャ?」

 心配そうに二人がわたしを見てくる。
 キースのそれは演技だとしても、今のわたしには嬉しい。だけど、哀しくもあった。

「ごめんなさい。晩餐の途中で悪いけれど、わたしはこれで失礼していいかしら」
「あ、ああ。おまえにはつらい選択を押しつけたようで悪かった。……しかし、おまえはほとんど食事に手をつけていないじゃないか。なんなら後で部屋になにか運ばせるが」

 ああ、これほどまでに心を砕いてもらっているのに、なぜわたしはカディスを愛せないのかしら。
 そんなわたしが、思い切れずに愛しているのはわたしを嫌っている人──そして弄ぶ対象でしかわたしを見ていない人だった。

「いいえ、いらないわ。気にしてもらって申し訳ないけれど、あまり食欲がないの。……ごめんなさい」

 それ以上この場にいるのがつらくて、わたしは席を立った。このままここにいたら、きっと泣いてしまいそうな気がした。
 わたしは挨拶もそこそこにリイナを連れて自分の部屋に戻った。
 とにかく疲れていたし、もう眠ってしまいたかった。
 ただ、キースが夜中にまた訪ねてくるかもしれないので、湯殿で磨き上げてもらうのは忘れなかった。

 ……憎まれているのに、こんなことをして馬鹿みたいだわ。さっさと湯にだけ浸かって済ませればいいだけなのに。
 わたしは寝間着を着せられて、寝室に一人になると皮肉な笑みを浮かべた。
 ……それにしても、先程から本当に体の調子がおかしいみたい。
 怠いし、ベッドの端に座っているのもつらい。
 それでわたしは、少しベッドに横になることにした。
 もしキースが訪ねてきても、きっと起こしてくれるだろう。



「……ルーシャ、イルーシャ」

 わたしは誰かに抱き起こされて、気怠く瞳を開けた。
 すると、目の前にキースがいて、眉を顰めてわたしを見ていた。

「具合が悪いのなら、言えばいいのに。熱もかなりあるし」
「……熱?」

 そう、この怠さは熱のせいなのね。
 ぼうっとキースの顔を見つめてそう思っていると、彼はわたしの前に薬湯の入った器を差し出してきた。

「飲んで」

 わたしは彼に促されるままにそれを飲む。
 その様子を見守るように、キースが見てくる。
 ……ひょっとして心配してくれているのかしら。

「……少し、治癒魔法を行使しすぎたみたいだ。それで君の免疫力が低下したんだろう」

 キースのその言葉で、ふと浮かんだわたしの考えをすぐに否定された。
 キースはただ、自分のせいでわたしが体調を崩したのに対して責任を感じているだけだわ。
 そして薬湯を飲み終わった器を受け取ると、キースはそれを片づけ、わたしをそっとベッドに横たえた。

「今夜はゆっくり休んだ方がいいよ」

 優しくわたしの髪を撫でると、キースはわたしの額に口づけた。
 それはまるで恋人にするような仕草で、わたしは思わず泣きたくなる。

 ──本当にキースは残酷だわ。
 わたしはあなたのことを諦めたいのに、これじゃできないじゃない。
 お願いだから、もうこんなふうに優しくしないで。わたしのことは放っておいて。

 そんなことを思っている内に、眠気が襲ってきて、わたしは意識を手放してしまった。



 ──清々しい朝。
 わたしはアークを喪ってから、久しぶりにすっきりした気分で目覚めた。
 わたしは呼び鈴で侍女を呼び出すと、さっそくシェリーが現れた。

「まあっ、イルーシャ様、お目覚めになられて本当に良かったですわ。あなた様は三日も眠られておられたのですよ」
「……三日も?」

 そんなに眠っていたつもりはなかったわたしは、驚いた。
 喜んだシェリーはリイナやユーニスを呼び出すと、わたしを湯殿に押し込め、念入りに支度をした。

「陛下やキース様に早速お知らせしませんと」

 浮き足立つ彼女達の言葉にわたしの知らない名前があったので首を傾げる。
 陛下というのは、カディスのことよね。──今のガルディア国王。でも……。

 そのうちに二人の男性がわたしの部屋に入室してきた。

「イルーシャ、驚いたぞ。あまり心配をかけるな」

 そう言って、抱きしめようとするカディスをわたしはやんわりと拒絶する。

「ごめんなさい。気が付いたら随分と日がたっていたようで、心配をかけて悪かったわ」

 カディスの後ろでわたしをじっと見つめていた金髪の青年が口を開いた。

「イルーシャ、君の体調が戻って本当に良かった」

 気安くそう言ってくるということは、多分親しい知り合いのはず。
 けれど、わたしはどうしてもこの人のことが思い出せなかった。
 だから、失礼かと思いつつも口にしてしまう。

「……どなた?」

 わたしの言葉に周りにいた人達が驚いたように見てくる。
 そして、目の前のこの人も。
 それでわたしは、自分の今の言葉がとても非常識なことだと知った。
 ……けれど、どうしてもわたしにはこの中性的な風貌の青年のことが思い出せなかったのだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

【本編完結】伯爵令嬢に転生して命拾いしたけどお嬢様に興味ありません!

ななのん
恋愛
早川梅乃、享年25才。お祭りの日に通り魔に刺されて死亡…したはずだった。死後の世界と思いしや目が覚めたらシルキア伯爵の一人娘、クリスティナに転生!きらきら~もふわふわ~もまったく興味がなく本ばかり読んでいるクリスティナだが幼い頃のお茶会での暴走で王子に気に入られ婚約者候補にされてしまう。つまらない生活ということ以外は伯爵令嬢として不自由ない毎日を送っていたが、シルキア家に養女が来た時からクリスティナの知らぬところで運命が動き出す。気がついた時には退学処分、伯爵家追放、婚約者候補からの除外…―― それでもクリスティナはやっと人生が楽しくなってきた!と前を向いて生きていく。 ※本編完結してます。たまに番外編などを更新してます。

目覚めたら魔法の国で、令嬢の中の人でした

エス
恋愛
転生JK×イケメン公爵様の異世界スローラブ 女子高生・高野みつきは、ある日突然、異世界のお嬢様シャルロットになっていた。 過保護すぎる伯爵パパに泣かれ、無愛想なイケメン公爵レオンといきなりお見合いさせられ……あれよあれよとレオンの婚約者に。 公爵家のクセ強ファミリーに囲まれて、能天気王太子リオに振り回されながらも、みつきは少しずつ異世界での居場所を見つけていく。 けれど心の奥では、「本当にシャルロットとして生きていいのか」と悩む日々。そんな彼女の夢に現れた“本物のシャルロット”が、みつきに大切なメッセージを託す──。 これは、異世界でシャルロットとして生きることを託された1人の少女の、葛藤と成長の物語。 イケメン公爵様とのラブも……気づけばちゃんと育ってます(たぶん) ※他サイトに投稿していたものを、改稿しています。 ※他サイトにも投稿しています。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。

なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。 本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

処理中です...