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第六章:魅惑の姫君と幻惑の魔術師
第81話 一つの答え
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「──それでだな、イルーシャ」
憎くてたまらない魔術師のことを思い返していると、ふいにカディスに声をかけられた。
それにわたしははっとして彼の顔を見た。
「……ああ、ごめんなさい。ぼんやりしていて」
「いや、まだなにも言っていないから気にするな。──俺が言いたかったのはな、おまえに俺の妃になるつもりはないかとのことなんだが」
わたしは心の中でなるべく避けていたそれをカディスに直接告げられて、言葉を失った。
思えばこういうことを彼に言われても少しも不思議ではなかったのだった。
先の国民への顔見せで、カディスとの婚礼を民から望まれているのは、既に承知していた。それに──
「おまえが俺の妃になれば、いくらトゥルティエールとて黙るしかないだろう。少なくともそのことでおまえが振り回されることもなくなる」
確かにウィルローがちょっかいをかけてきているのは、未だにわたしに決まった相手がいないからだ。
「……でも、わたしは──」
視界の端にキースの姿が映る。
彼の表情までは分からないけれど、きっとあの冷たい瞳でわたしを見ていることだろう。
「わたしは彼を忘れられないの。それに、わたしは汚れてしまっているし……」
「構わない。おまえが誰を愛していようが、身の清らかさなど今更気にしない。俺はおまえを手に入れたい」
それは求婚のものとしては最上級の言葉だろう。
ここまでカディスが言ってくれているのなら、わたしはこの国の王族として、ガルディアのために彼と結婚すべきなんだろう。
けれど──
キースへの想いは、未だに諦め切れずにわたしの中で渦巻いている。
そんな気持ちをわたしは吹っ切ってカディスと結ばれることが果たしてできるのかしら。……それに、当のキースもいずれ妻を娶ることになるだろう。
そんなことになったら、わたしはきっと取り乱してしまうような、そんな気がする。
そんなわたしはカディスの王妃になんてふさわしくない。
カディスにも、祝ってくれるだろう国民にも失礼だわ。
「……ごめんなさい、カディス。わたしにそこまで言って貰えるのは嬉しいわ。それに、あなたの妃に収まることが一番国益になるだろうことも分かっているけれど……」
そこまで言ってわたしは顔を伏せた。
本当にわたしは酷い女だ。
カディスはわたしが王家の系譜を書き換えようとしていた大罪人なのを知っていてここまで言ってくれているのに、わたしは結ばれるはずのないキースのことばかり気にしている。
「……まあ、いきなりそう言われてもイルーシャは困るだけだろう。それに他の求婚者がこのまま黙っているとも思えないし」
「そうか。……そうだな」
キースのその言葉にカディスが難しい顔をして呻いた。
それを目にしてわたしは自責の念に駆られる。
──本当にごめんなさい。
わたしはきっと誰も選べない。
わたしの心の中には既にキースが巣くっていて、もう誰も入ることはできない。
「カディス、こんな面倒な女は本当に幽閉してしまって。わたしはこれ以上迷惑をかけたくないの」
以前訴えて却下されてしまったことを再び口にする。
すると、カディスが目の色を変えて厳しい口調で言ってきた。
「馬鹿なことを申すな。俺はそのことは断ったはずだぞ。それに伝説の姫君を幽閉など、国民になんと釈明すればいいのだ」
「そう……。そうよね」
わたしを幽閉などしたら、カディスに国民の批判が集まってしまうだろう。
さんざん世話になっておきながら、彼をそんな目に遭わせるのは忍びない。
「ごめんなさい。今のは忘れて」
ふと、まだ使用していないナイフが目に入る。
──これを胸に突き刺したら、この苦しい生に終止符を打つことができるかしら。
そんな考えが脳裏によぎる。
でもそんなことができるわけはない。
わたしが自ら命を絶てば、それはきっとガルディアの醜聞になるだろう。
それを考えたら、そんなことができる訳がなかった。
……それにそれを実行する前に、キースや警護の者に止められる可能性がかなり高い。
……いっそ壊れてしまえたらいいのに。
そうすれば、カディス達はきっとわたしを見放すだろう。
そんなことを考えていたら、どうにも体が重くなってきて、食事をしているのもつらくなってきた。
「……イルーシャ?」
心配そうに二人がわたしを見てくる。
キースのそれは演技だとしても、今のわたしには嬉しい。だけど、哀しくもあった。
「ごめんなさい。晩餐の途中で悪いけれど、わたしはこれで失礼していいかしら」
「あ、ああ。おまえにはつらい選択を押しつけたようで悪かった。……しかし、おまえはほとんど食事に手をつけていないじゃないか。なんなら後で部屋になにか運ばせるが」
ああ、これほどまでに心を砕いてもらっているのに、なぜわたしはカディスを愛せないのかしら。
そんなわたしが、思い切れずに愛しているのはわたしを嫌っている人──そして弄ぶ対象でしかわたしを見ていない人だった。
「いいえ、いらないわ。気にしてもらって申し訳ないけれど、あまり食欲がないの。……ごめんなさい」
それ以上この場にいるのがつらくて、わたしは席を立った。このままここにいたら、きっと泣いてしまいそうな気がした。
わたしは挨拶もそこそこにリイナを連れて自分の部屋に戻った。
とにかく疲れていたし、もう眠ってしまいたかった。
ただ、キースが夜中にまた訪ねてくるかもしれないので、湯殿で磨き上げてもらうのは忘れなかった。
……憎まれているのに、こんなことをして馬鹿みたいだわ。さっさと湯にだけ浸かって済ませればいいだけなのに。
わたしは寝間着を着せられて、寝室に一人になると皮肉な笑みを浮かべた。
……それにしても、先程から本当に体の調子がおかしいみたい。
怠いし、ベッドの端に座っているのもつらい。
それでわたしは、少しベッドに横になることにした。
もしキースが訪ねてきても、きっと起こしてくれるだろう。
「……ルーシャ、イルーシャ」
わたしは誰かに抱き起こされて、気怠く瞳を開けた。
すると、目の前にキースがいて、眉を顰めてわたしを見ていた。
「具合が悪いのなら、言えばいいのに。熱もかなりあるし」
「……熱?」
そう、この怠さは熱のせいなのね。
ぼうっとキースの顔を見つめてそう思っていると、彼はわたしの前に薬湯の入った器を差し出してきた。
「飲んで」
わたしは彼に促されるままにそれを飲む。
その様子を見守るように、キースが見てくる。
……ひょっとして心配してくれているのかしら。
「……少し、治癒魔法を行使しすぎたみたいだ。それで君の免疫力が低下したんだろう」
キースのその言葉で、ふと浮かんだわたしの考えをすぐに否定された。
キースはただ、自分のせいでわたしが体調を崩したのに対して責任を感じているだけだわ。
そして薬湯を飲み終わった器を受け取ると、キースはそれを片づけ、わたしをそっとベッドに横たえた。
「今夜はゆっくり休んだ方がいいよ」
優しくわたしの髪を撫でると、キースはわたしの額に口づけた。
それはまるで恋人にするような仕草で、わたしは思わず泣きたくなる。
──本当にキースは残酷だわ。
わたしはあなたのことを諦めたいのに、これじゃできないじゃない。
お願いだから、もうこんなふうに優しくしないで。わたしのことは放っておいて。
そんなことを思っている内に、眠気が襲ってきて、わたしは意識を手放してしまった。
──清々しい朝。
わたしはアークを喪ってから、久しぶりにすっきりした気分で目覚めた。
わたしは呼び鈴で侍女を呼び出すと、さっそくシェリーが現れた。
「まあっ、イルーシャ様、お目覚めになられて本当に良かったですわ。あなた様は三日も眠られておられたのですよ」
「……三日も?」
そんなに眠っていたつもりはなかったわたしは、驚いた。
喜んだシェリーはリイナやユーニスを呼び出すと、わたしを湯殿に押し込め、念入りに支度をした。
「陛下やキース様に早速お知らせしませんと」
浮き足立つ彼女達の言葉にわたしの知らない名前があったので首を傾げる。
陛下というのは、カディスのことよね。──今のガルディア国王。でも……。
そのうちに二人の男性がわたしの部屋に入室してきた。
「イルーシャ、驚いたぞ。あまり心配をかけるな」
そう言って、抱きしめようとするカディスをわたしはやんわりと拒絶する。
「ごめんなさい。気が付いたら随分と日がたっていたようで、心配をかけて悪かったわ」
カディスの後ろでわたしをじっと見つめていた金髪の青年が口を開いた。
「イルーシャ、君の体調が戻って本当に良かった」
気安くそう言ってくるということは、多分親しい知り合いのはず。
けれど、わたしはどうしてもこの人のことが思い出せなかった。
だから、失礼かと思いつつも口にしてしまう。
「……どなた?」
わたしの言葉に周りにいた人達が驚いたように見てくる。
そして、目の前のこの人も。
それでわたしは、自分の今の言葉がとても非常識なことだと知った。
……けれど、どうしてもわたしにはこの中性的な風貌の青年のことが思い出せなかったのだった。
憎くてたまらない魔術師のことを思い返していると、ふいにカディスに声をかけられた。
それにわたしははっとして彼の顔を見た。
「……ああ、ごめんなさい。ぼんやりしていて」
「いや、まだなにも言っていないから気にするな。──俺が言いたかったのはな、おまえに俺の妃になるつもりはないかとのことなんだが」
わたしは心の中でなるべく避けていたそれをカディスに直接告げられて、言葉を失った。
思えばこういうことを彼に言われても少しも不思議ではなかったのだった。
先の国民への顔見せで、カディスとの婚礼を民から望まれているのは、既に承知していた。それに──
「おまえが俺の妃になれば、いくらトゥルティエールとて黙るしかないだろう。少なくともそのことでおまえが振り回されることもなくなる」
確かにウィルローがちょっかいをかけてきているのは、未だにわたしに決まった相手がいないからだ。
「……でも、わたしは──」
視界の端にキースの姿が映る。
彼の表情までは分からないけれど、きっとあの冷たい瞳でわたしを見ていることだろう。
「わたしは彼を忘れられないの。それに、わたしは汚れてしまっているし……」
「構わない。おまえが誰を愛していようが、身の清らかさなど今更気にしない。俺はおまえを手に入れたい」
それは求婚のものとしては最上級の言葉だろう。
ここまでカディスが言ってくれているのなら、わたしはこの国の王族として、ガルディアのために彼と結婚すべきなんだろう。
けれど──
キースへの想いは、未だに諦め切れずにわたしの中で渦巻いている。
そんな気持ちをわたしは吹っ切ってカディスと結ばれることが果たしてできるのかしら。……それに、当のキースもいずれ妻を娶ることになるだろう。
そんなことになったら、わたしはきっと取り乱してしまうような、そんな気がする。
そんなわたしはカディスの王妃になんてふさわしくない。
カディスにも、祝ってくれるだろう国民にも失礼だわ。
「……ごめんなさい、カディス。わたしにそこまで言って貰えるのは嬉しいわ。それに、あなたの妃に収まることが一番国益になるだろうことも分かっているけれど……」
そこまで言ってわたしは顔を伏せた。
本当にわたしは酷い女だ。
カディスはわたしが王家の系譜を書き換えようとしていた大罪人なのを知っていてここまで言ってくれているのに、わたしは結ばれるはずのないキースのことばかり気にしている。
「……まあ、いきなりそう言われてもイルーシャは困るだけだろう。それに他の求婚者がこのまま黙っているとも思えないし」
「そうか。……そうだな」
キースのその言葉にカディスが難しい顔をして呻いた。
それを目にしてわたしは自責の念に駆られる。
──本当にごめんなさい。
わたしはきっと誰も選べない。
わたしの心の中には既にキースが巣くっていて、もう誰も入ることはできない。
「カディス、こんな面倒な女は本当に幽閉してしまって。わたしはこれ以上迷惑をかけたくないの」
以前訴えて却下されてしまったことを再び口にする。
すると、カディスが目の色を変えて厳しい口調で言ってきた。
「馬鹿なことを申すな。俺はそのことは断ったはずだぞ。それに伝説の姫君を幽閉など、国民になんと釈明すればいいのだ」
「そう……。そうよね」
わたしを幽閉などしたら、カディスに国民の批判が集まってしまうだろう。
さんざん世話になっておきながら、彼をそんな目に遭わせるのは忍びない。
「ごめんなさい。今のは忘れて」
ふと、まだ使用していないナイフが目に入る。
──これを胸に突き刺したら、この苦しい生に終止符を打つことができるかしら。
そんな考えが脳裏によぎる。
でもそんなことができるわけはない。
わたしが自ら命を絶てば、それはきっとガルディアの醜聞になるだろう。
それを考えたら、そんなことができる訳がなかった。
……それにそれを実行する前に、キースや警護の者に止められる可能性がかなり高い。
……いっそ壊れてしまえたらいいのに。
そうすれば、カディス達はきっとわたしを見放すだろう。
そんなことを考えていたら、どうにも体が重くなってきて、食事をしているのもつらくなってきた。
「……イルーシャ?」
心配そうに二人がわたしを見てくる。
キースのそれは演技だとしても、今のわたしには嬉しい。だけど、哀しくもあった。
「ごめんなさい。晩餐の途中で悪いけれど、わたしはこれで失礼していいかしら」
「あ、ああ。おまえにはつらい選択を押しつけたようで悪かった。……しかし、おまえはほとんど食事に手をつけていないじゃないか。なんなら後で部屋になにか運ばせるが」
ああ、これほどまでに心を砕いてもらっているのに、なぜわたしはカディスを愛せないのかしら。
そんなわたしが、思い切れずに愛しているのはわたしを嫌っている人──そして弄ぶ対象でしかわたしを見ていない人だった。
「いいえ、いらないわ。気にしてもらって申し訳ないけれど、あまり食欲がないの。……ごめんなさい」
それ以上この場にいるのがつらくて、わたしは席を立った。このままここにいたら、きっと泣いてしまいそうな気がした。
わたしは挨拶もそこそこにリイナを連れて自分の部屋に戻った。
とにかく疲れていたし、もう眠ってしまいたかった。
ただ、キースが夜中にまた訪ねてくるかもしれないので、湯殿で磨き上げてもらうのは忘れなかった。
……憎まれているのに、こんなことをして馬鹿みたいだわ。さっさと湯にだけ浸かって済ませればいいだけなのに。
わたしは寝間着を着せられて、寝室に一人になると皮肉な笑みを浮かべた。
……それにしても、先程から本当に体の調子がおかしいみたい。
怠いし、ベッドの端に座っているのもつらい。
それでわたしは、少しベッドに横になることにした。
もしキースが訪ねてきても、きっと起こしてくれるだろう。
「……ルーシャ、イルーシャ」
わたしは誰かに抱き起こされて、気怠く瞳を開けた。
すると、目の前にキースがいて、眉を顰めてわたしを見ていた。
「具合が悪いのなら、言えばいいのに。熱もかなりあるし」
「……熱?」
そう、この怠さは熱のせいなのね。
ぼうっとキースの顔を見つめてそう思っていると、彼はわたしの前に薬湯の入った器を差し出してきた。
「飲んで」
わたしは彼に促されるままにそれを飲む。
その様子を見守るように、キースが見てくる。
……ひょっとして心配してくれているのかしら。
「……少し、治癒魔法を行使しすぎたみたいだ。それで君の免疫力が低下したんだろう」
キースのその言葉で、ふと浮かんだわたしの考えをすぐに否定された。
キースはただ、自分のせいでわたしが体調を崩したのに対して責任を感じているだけだわ。
そして薬湯を飲み終わった器を受け取ると、キースはそれを片づけ、わたしをそっとベッドに横たえた。
「今夜はゆっくり休んだ方がいいよ」
優しくわたしの髪を撫でると、キースはわたしの額に口づけた。
それはまるで恋人にするような仕草で、わたしは思わず泣きたくなる。
──本当にキースは残酷だわ。
わたしはあなたのことを諦めたいのに、これじゃできないじゃない。
お願いだから、もうこんなふうに優しくしないで。わたしのことは放っておいて。
そんなことを思っている内に、眠気が襲ってきて、わたしは意識を手放してしまった。
──清々しい朝。
わたしはアークを喪ってから、久しぶりにすっきりした気分で目覚めた。
わたしは呼び鈴で侍女を呼び出すと、さっそくシェリーが現れた。
「まあっ、イルーシャ様、お目覚めになられて本当に良かったですわ。あなた様は三日も眠られておられたのですよ」
「……三日も?」
そんなに眠っていたつもりはなかったわたしは、驚いた。
喜んだシェリーはリイナやユーニスを呼び出すと、わたしを湯殿に押し込め、念入りに支度をした。
「陛下やキース様に早速お知らせしませんと」
浮き足立つ彼女達の言葉にわたしの知らない名前があったので首を傾げる。
陛下というのは、カディスのことよね。──今のガルディア国王。でも……。
そのうちに二人の男性がわたしの部屋に入室してきた。
「イルーシャ、驚いたぞ。あまり心配をかけるな」
そう言って、抱きしめようとするカディスをわたしはやんわりと拒絶する。
「ごめんなさい。気が付いたら随分と日がたっていたようで、心配をかけて悪かったわ」
カディスの後ろでわたしをじっと見つめていた金髪の青年が口を開いた。
「イルーシャ、君の体調が戻って本当に良かった」
気安くそう言ってくるということは、多分親しい知り合いのはず。
けれど、わたしはどうしてもこの人のことが思い出せなかった。
だから、失礼かと思いつつも口にしてしまう。
「……どなた?」
わたしの言葉に周りにいた人達が驚いたように見てくる。
そして、目の前のこの人も。
それでわたしは、自分の今の言葉がとても非常識なことだと知った。
……けれど、どうしてもわたしにはこの中性的な風貌の青年のことが思い出せなかったのだった。
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