恋詠花

舘野寧依

文字の大きさ
31 / 36
第四章:対決

第31話 煩悶

 アイシャが自ら死を図ろうとしたことは、ルドガーにとってこの上ない衝撃だった。

 今回のことで彼が理解したのは、アイシャを失ったらきっと正気ではいられないほどに彼女を愛しているということだった。
 ……いや、もう正気ではないのかもしれない。
 ハーメイの民を人質として、アイシャを縛り付ける己は狂気の域だろうとルドガーは苦く笑った。


 ──ここまで愛していると分かっていたならば、初めからカルラートのものになどさせなかったものを。


 何度もした自答。
 だが、全ては遅すぎた。

 ルドガーがカルラートからアイシャを奪い、己のものとしたことで、事態はますます悪い方へと向かっている。
 城の者は口には出さないが、国民の不満もかなりのものになるだろう。

 ハーメイは元はトゥルティエール領の一部だった。
 そのため、両国民同士はかなり友好的だったのを今回のことでルドガーが壊してしまったのだ。


 ──これでは自分は愚王ではないか。


 今までトゥルティエールのために心血を注いでいたものを己は全部無駄にしようとしている。

 いっそのこと、血の近い者に王位を譲ってしまおうかとも考えたが、そうしてしまえばアイシャはハーメイ、いやカルラートの元へ間違いなく戻るだろう。
 そう考えると、退位もできない。
 嫉妬にかられ戦乱を引き起こす王など、ルドガーが当事者でなければ絶対に糾弾しただろう。

 それに、今回はハーメイだけでなく大陸一の戦力を誇るガルディアまでが出てきている。
 実際にハーメイ国境での戦いでは、ガルディアの国力の前に撤退せざるを得なかったことはルドガーに焦りを生じさせた。

 このままではガルディアとも戦になってしまうかもしれない。
 今はハーメイの要請で出てきているだけだが、この状態が続けば最悪の事態が待っているだろうこともルドガーは分かっていた。


 ……じきに貴族達から己自身が糾弾される日も近いかもしれないな。
 実際に昨夜己を暗殺しようとした鼠が忍び込み、始末したところだ。どうやら、どこぞの貴族が寄越したものらしい。
 ルドガーは重い溜息をつくと、控えさせていたライサに尋ねた。

「……アイシャはどうしている?」
「今は落ち着いておられます。ただ、だいぶご無理をしておられるようにもお見受けしましたが」
「……そうか」

 かつて母が命を絶った場所で、それにならおうとしたアイシャ。
 どうにかハーメイとの争いを収めたいとの願いからの行動だったらしいが、ハーメイの民を人質にしても彼女がまた同じような行動にでないとも限らない。

 そこでルドガーはアイシャの周辺の警護を更に増やすことにした。
 そうすることで、彼女が自ら命を絶つことも彼女が暗殺されるという危惧もなくしたのだ。


 ただ、ルドガー自身もだがアイシャの悪評も既に立ち始めている。
 ルドガーは一刻も早くこの戦いを収束させなければならない事態に徐々にだが追いつめられていた。


 ──いっそのこと、アイシャをこの手にかけ、自らも命を絶つか。


 そうすれば、アイシャは誰にも奪われない。永遠にルドガーのものだ。
 そんな狂気にも似た思いにふと取り憑かれたルドガーはふらりとアイシャの居室へと向かった。

「……陛下?」

 ライサが訝しげに声をかけたが、ルドガーはそれには答えなかった。



「陛下……? どうなさったのです、お顔の色が優れませんが」

 突然部屋に現れたルドガーにアイシャは一瞬息をのんだ後、長椅子から立ち上がり、彼を気遣うような言葉を発した。
 心身共にアイシャを蹂躙していたというのに、そんな彼の心配をするアイシャが愛しく、ルドガーは彼女を抱きすくめた。

「へ、いか……」
「アイシャ、アイシャ。愛している」

 きっとアイシャは己を憎んでいるだろう。
 アイシャがルドガーに愛を返すことはない。
 だがそれでも、ルドガーは言わずにはいられなかった。

 そして、これから彼が言うことはアイシャにとっては恐怖でしかないだろう。


「アイシャ、愛している。どうかわたしと共に死んでくれないか」

 アイシャの肩を掴みルドガーはどこか夢心地で言う。


 ──アイシャ、おまえはわたしのもの。


「なにを陛下……っ!」

 ルドガーの後をついてきたライサを含む侍女達が悲鳴のような声を上げる。

「皆、黙って」

 ただ一人、アイシャだけが凛とした声でその場にいた者を黙らせた。

「……わたしを手にかけられるのは一向に構いません。けれど、陛下にはこの戦乱を収める義務がございます。今それを放棄されるのは無責任が過ぎます」

 強い瞳でそういうアイシャにルドガーは苦く笑った。
 つまりルドガーと一緒に死ぬのはごめんだということらしい。

「……おまえはわたしに優しくないな」
「それは陛下の自業自得ですわ」

 ルドガーはアイシャの肩から手を退かすと、片手で顔を覆って笑った。

「自業自得か。……そうだな」

 今の事態は全て己が引き起こしたことだ。
 せめてガルディアだけでもなんとかしないとまずい。
 アイシャの言葉で我に返ったルドガーは、愛しそうに彼女の髪に触れた。

「一時の気の迷いだった。すまない。……わたしは執務に戻る」
「……そうしてください」

 堅い表情で告げるアイシャの髪から手を離すとルドガーは再び執務室へと足を運ぼうとした。


 その時だった。
 突然、その場にライノスが現れ叫んだ。

「陛下、一大事でございます! 城門前にガルディアの魔術師団と白百合騎士団が突如現れて……、魔術師団師団長が王代理として陛下に面会を希望しております。その中には、ハーメイ国王カルラートもいる模様です!」
「……なんだと!」

 ルドガーは驚愕を抑えきれずに怒鳴った。

 ガルディアは最強故、侮ってはならぬと幼き頃から先王に叩き込まれていたが、まさか城を覆う結界をどうにかしていきなりここまで来るとは。
 しかもカルラートまで同行しているとはどういうことだ。

「……カルラートが……」

 アイシャが恋敵の名を口にしたことで、ルドガーは我に返った。

「アイシャ、来い!」

 ルドガーはアイシャの手を無理矢理掴むと、ライノスに謁見の間まで移動させるよう命じた。


 あの男は花嫁を奪い返しにとうとうここまできた──


 それはルドガーのかつての危惧通りで、ルドガーはアイシャを掻き抱いた。


 ──だが、奪わせるものか。


 もはや執念とも思わせる恋情に身を焦がし、ルドガーは思う。
 そしてその心情を表すように、ルドガーはガルディアの王代理が謁見の間に現れる直前までアイシャを抱きしめていた。
感想 4

あなたにおすすめの小説

愛とオルゴール

夜宮
恋愛
 ジェシカは怒っていた。  父親が、同腹の弟ではなく妾の子を跡継ぎにしようとしていることを知ったからだ。  それに、ジェシカの恋人に横恋慕する伯爵令嬢が現れて……。  絡み合った過去と現在。  ジェシカは無事、弟を跡継ぎの座につけ、愛する人との未来を手にすることができるのだろうか。

〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音
恋愛
過去、使用人に悪戯をされそうになった事がきっかけとなり、分厚い眼鏡とひっつめた髪を編み帽で覆い、自身の容姿を隠すようになった女性・カレン。 その事情を知りながらも夫ローランは、奇妙で地味な姿の妻を厭い目を逸らし続けた。 婚姻してからわずか三日後の朝。彼は赴任先の北の地へと旅立ちその後、カレンの元へと帰省してきたのは、片手で数えるほどだった。 孤独な結婚生活を送る中。 ある冬の日に、ローランの上官であり北の地を治める領主ハルシオン公爵が、カレン夫妻の邸にやってきた。 始まりは、部下の家族を想う上司としての気遣いだった。 他愛もない会話と、節度を守ったやり取り。ほんの僅かな時間を重ねていく。 そのうちに、お互いに灯り始めた小さな心の想い。 だが二人は、それを決して明かさず語ることはなかった。 それから一年ほどたった冬の夜。 カレンから届いた手紙に、たった一度だけハルシオンは返事を書く。 そこには彼の想いが書かれてあった。 月日は流れ、カレンとローランが婚姻して三年目の冬の日。 カレンはひとつの決意と想いを胸に、北へ向かう汽車に乗った。 ※微さまぁか、もしくはざまぁになっていないかもしれないです。 ※舞台は近世・産業革命初頭を基にした架空世界だと思っていただけましたら有難いです。 稚拙な作品ではありますがご覧くださいましたら凄く嬉しいです。よろしくお願い致します。

笑い方を忘れた令嬢

Blue
恋愛
 お母様が天国へと旅立ってから10年の月日が流れた。大好きなお父様と二人で過ごす日々に突然終止符が打たれる。突然やって来た新しい家族。病で倒れてしまったお父様。私を嫌な目つきで見てくる伯父様。どうしたらいいの?誰か、助けて。

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

次こそあなたと幸せになると決めたのに…中々うまくいきません

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のシャレルは、第二王子のジョーンによって無実の罪で投獄されてしまう。絶望の中彼女を救ってくれたのは、ずっと嫌われていると思っていた相手、婚約者で王太子のダーウィンだった。 逃亡生活を送る中、お互い思い合っていたのにすれ違っていた事に気が付く2人。すれ違った時間を取り戻すかのように、一気に距離を縮めていく。 全てを失い絶望の淵にいたシャレルだったが、ダーウィンとの逃避行の時間は、今まで感じた事のないほど、幸せな時間だった。 新天地マーラル王国で、ダーウィンとの幸せな未来を思い描きながら、逃避行は続く。 そしていよいよ、あと少しでマーラル国というところまで来たある日、彼らの前にジョーンが現れたのだ。 天国から地獄に叩き落されたシャレルは、絶望の中生涯の幕を下ろしたはずだったが… ひょんなことから、ダーウィンと婚約を結んだ8歳の時に、戻っていた。 2度目の人生は、絶対にダーウィンと幸せになってみせる、そう決意したシャレルだったが、そううまくはいかず、次第に追い詰められていくのだった。 ※シャレルとダーウィンが幸せを掴むかでのお話しです。 ご都合主義全開ですが、どうぞよろしくお願いします。 カクヨムでも同時投稿しています。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

初恋の還る路

みん
恋愛
女神によって異世界から2人の男女が召喚された。それによって、魔導師ミューの置き忘れた時間が動き出した。 初めて投稿します。メンタルが木綿豆腐以下なので、暖かい気持ちで読んでもらえるとうれしいです。 毎日更新できるように頑張ります。