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第1話
始まり(5)
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「この子はフェアリー族のパラァ。彼女の兄は──魔族の手に落ちた」
全員が息を呑む。すでに魔族の被害者がいたのだ。
フェアリー族の少女──パラァは俯きながら静かに語り始めた。
「数日前のことよ。わたしたちフェアリー族が暮らしていた森が、人間に襲われたの」
「なんと……」
「だがそれ自体は魔族とは関係がない。私があとから聞いた話によると、襲ったのは森の近くの町に住む若い男たち三人。町の住人が言うには男たちはろくに働きもせず遊び回り、かなり金に困っていたらしい。そこで男たちは、フェアリー族の翅を売り払い大金を儲けようと計画を立てていたのだそうだ」
ドルクが補足を入れるとデフトンが眉をひそめて不快感を露わにした。
「バカな。たしかにフェアリー族の翅は高額で取引されているという話は聞く。だがそんなものは根も葉もない風聞でしかない。それを真に受けるなど」
「住人たちも同じことを言っていた。酒の勢いで出た与太話だろうと思っていたらしい。だが、悲劇は起きてしまった」
俯いていたパラァはしだいに肩が小さく震え、桃色の瞳が潤み始めていた。
「あっという間だったわ。家族も友達も、次々と人間たちに殺されていった。そして最後に……森に火を放った」
「ひどい……」
アーチは口に手を当てて絶句した。あまりにも酷い。
「わたしとお兄ちゃん……兄のピポイは運よく人間には見つからなかった。でもわたしは火の煙を吸って動けなくなっちゃって。そこに──」
そこにその人物は現れたのだという。
「顔はよく見えなかったけど、たぶん人間の男だったと思う。そいつは兄と話をしていたわ」
──力が欲しいのでしょう?
──人間に復讐したいのでしょう?
──私ならあなたに力を与えてあげられます。
──我々魔族に協力して頂けるのならね。
──私は魔族の使い。
──魔族はあなたを歓迎します。
薄れゆく意識の中で、パラァは謎の男がそう話すのを聞いていた。
「そのあとわたしは意識を失った。そして目を覚ましたら……わたしの前から、ピポイは……お兄ちゃんが、いなくなっちゃった……」
堪えていたものが決壊し、パラァの目から涙が溢れ出てきた。止めどなく流れるそれを自らの小さな手で拭う。
アーチは想像してみる。自分が生まれ育った故郷が焼かれる光景。デフトンやロウル、村の子供も大人もみな目の前で無惨に殺されていく。少し想像しただけでも、アーチは胸が締め付けられる思いだった。
母が病気で亡くなったときもしばらく何もできないくらいの失意に苛まれたのだ。もし家族も故郷も何もかも奪われたら、アーチは立ち直れる自信がない。
パラァはその悲劇を実際に目の当たりしたのだ。それに加え、唯一生き残った兄に置いて行かれた。本当はふたりで寄り添い、悲しみを分かち合いながら、支え合って生きていきたかったに違いない。なのに兄は自分を置いて消えてしまった。その悲しみは計り知れない。少女の小さな体には、いったいどれほど大きな悲しみと失意が圧し掛かっているのだろう。それを考えたら、立っているだけでも奇跡的だった。
強いんだ、この子は──アーチはそう思った。
涙で話せなくなってしまったパラァに代わり、ドルクが言葉を引き継ぐ。
「そのとき私は森に向かっている最中だった。微弱ながら、魔族の邪悪な力を感じ取ったのだ。私が駆け付けた頃にはすでに森は焼き尽くされ、焼け跡の中でただひとり息のあるパラァを保護した。破壊された魔石が捨てられていたのも、この森だった」
「なんでそんなところに?」
「挑発のつもりか、或いは宣戦布告か、そんなところだろう。魔族の使いも近付いてくる私の気配に気付いてそうしたに違いない。魔石の破壊と、意識を取り戻したパラァから先程の話を聞いた私は、魔族の封印が解けかかっているのを悟った」
「魔族の使いとやらはどうしてこの子のお兄さんを連れて行ったのでしょう」
ロウルが尋ねる。
「おそらく魔族は協力者を集めている。ピポイくんの前に現れたのも、人間に対する憎悪の感情に素質を見出したからだろう。奴らはこの世界に舞い戻るために、魔族に賛同する者の協力を得ようとしている。目的は、復活の障害となるものの排除だ」
「それって」
「そう……私だ」
英雄が告げるとロウルの目に理解の色が広がる。
「じゃあさっきの魔獣は」
「私を狙ったものに違いない」
ドルクの来訪と魔獣の襲撃は繋がっていた。
「通常、村や国の領土の周辺には魔獣除けのマジェットが設置されている。何者かの介入がない限り、魔獣の意思で村に侵入することは本来なら不可能に近い」
「手引きした誰かがいる、と」
ロウル確認にドルクはゆっくりと頷いた。
「そいつは間違いなく魔族の協力者だ」
魔獣の襲撃は魔族の手先が関係していた。となると、アーチは魔族の暗躍に巻き込まれたも同然だ。遠い昔話に感じていたものが急速に身近なものへと距離を詰めてきた。アーチは魔族による被害のただ中にいつの間にか放り込まれていた。
「大体の話はなんとなくわかったけどさ。結局、何のためにお父さんに会いにに来たの? このことを知らせに来ただけじゃないんでしょ?」
ドルクが村を訪れたのには理由がある。デフトンはそう言っていた。ドルクは自分が狙われているのを知っていたのなら、村が巻き込まれる可能性があることもわかっていたはずだ。それでもなおここに訪れた理由とはなんなのか。
ドルクは「うむ」と頷くとおもむろに立ち上がり、壁に掛けられていた剣を手に取った。
「私のかつての相棒〈聖剣ヴァーエイル〉。これを受け取りに来たのだ」
英雄の手の中で、剣の刀身がキラリと煌めいた。
アーチが物心ついた頃から道場に飾られていた剣。黄金の柄にやや刀身が太めの直剣。鍔の部分に妙なくぼみがあって、変な剣だなと幼い頃から思っていた。それがまさか英雄が使っていたものだったとは。
「聖剣? それって飾りの模造品じゃなかったんだ」
「そんなもんわざわざ道場に飾らんわ」
「大戦が終わったあと、この剣の強大な力を他人に悪用されぬよう、本体と魔石を分離して保管することにしたのだ。本体はこの道場に寄贈し、力の源となる魔石は私が」
ドルクはローブの中から丸い翡翠色の魔石を取り出した。偶然にもアーチの瞳の色と似ていた。
「ヴァーエイルさえ私の手元に戻れば、恐れるものは何もない。あとは魔族を再び封印してやるだけだ」
手中に収まる剣と魔石を見つめるドルク。決意に引き締められた相貌は急激に若さが戻ったようにも見えた。
「英雄の復活だ……!」
ロウルが羨望の眼差しで見上げる。普段のほほんとしていて思考の読めない幼馴染は、意外にも少年らしい憧れを持っていた。
「大変です!」
外から慌てた声が響く。道場に息を切らした村人の男が駆け込んできた。
「どうした」
「大変です! さっきの魔獣が、また!」
「なんだとっ!」
村の危機はまだ去ってはいなかった。
全員が息を呑む。すでに魔族の被害者がいたのだ。
フェアリー族の少女──パラァは俯きながら静かに語り始めた。
「数日前のことよ。わたしたちフェアリー族が暮らしていた森が、人間に襲われたの」
「なんと……」
「だがそれ自体は魔族とは関係がない。私があとから聞いた話によると、襲ったのは森の近くの町に住む若い男たち三人。町の住人が言うには男たちはろくに働きもせず遊び回り、かなり金に困っていたらしい。そこで男たちは、フェアリー族の翅を売り払い大金を儲けようと計画を立てていたのだそうだ」
ドルクが補足を入れるとデフトンが眉をひそめて不快感を露わにした。
「バカな。たしかにフェアリー族の翅は高額で取引されているという話は聞く。だがそんなものは根も葉もない風聞でしかない。それを真に受けるなど」
「住人たちも同じことを言っていた。酒の勢いで出た与太話だろうと思っていたらしい。だが、悲劇は起きてしまった」
俯いていたパラァはしだいに肩が小さく震え、桃色の瞳が潤み始めていた。
「あっという間だったわ。家族も友達も、次々と人間たちに殺されていった。そして最後に……森に火を放った」
「ひどい……」
アーチは口に手を当てて絶句した。あまりにも酷い。
「わたしとお兄ちゃん……兄のピポイは運よく人間には見つからなかった。でもわたしは火の煙を吸って動けなくなっちゃって。そこに──」
そこにその人物は現れたのだという。
「顔はよく見えなかったけど、たぶん人間の男だったと思う。そいつは兄と話をしていたわ」
──力が欲しいのでしょう?
──人間に復讐したいのでしょう?
──私ならあなたに力を与えてあげられます。
──我々魔族に協力して頂けるのならね。
──私は魔族の使い。
──魔族はあなたを歓迎します。
薄れゆく意識の中で、パラァは謎の男がそう話すのを聞いていた。
「そのあとわたしは意識を失った。そして目を覚ましたら……わたしの前から、ピポイは……お兄ちゃんが、いなくなっちゃった……」
堪えていたものが決壊し、パラァの目から涙が溢れ出てきた。止めどなく流れるそれを自らの小さな手で拭う。
アーチは想像してみる。自分が生まれ育った故郷が焼かれる光景。デフトンやロウル、村の子供も大人もみな目の前で無惨に殺されていく。少し想像しただけでも、アーチは胸が締め付けられる思いだった。
母が病気で亡くなったときもしばらく何もできないくらいの失意に苛まれたのだ。もし家族も故郷も何もかも奪われたら、アーチは立ち直れる自信がない。
パラァはその悲劇を実際に目の当たりしたのだ。それに加え、唯一生き残った兄に置いて行かれた。本当はふたりで寄り添い、悲しみを分かち合いながら、支え合って生きていきたかったに違いない。なのに兄は自分を置いて消えてしまった。その悲しみは計り知れない。少女の小さな体には、いったいどれほど大きな悲しみと失意が圧し掛かっているのだろう。それを考えたら、立っているだけでも奇跡的だった。
強いんだ、この子は──アーチはそう思った。
涙で話せなくなってしまったパラァに代わり、ドルクが言葉を引き継ぐ。
「そのとき私は森に向かっている最中だった。微弱ながら、魔族の邪悪な力を感じ取ったのだ。私が駆け付けた頃にはすでに森は焼き尽くされ、焼け跡の中でただひとり息のあるパラァを保護した。破壊された魔石が捨てられていたのも、この森だった」
「なんでそんなところに?」
「挑発のつもりか、或いは宣戦布告か、そんなところだろう。魔族の使いも近付いてくる私の気配に気付いてそうしたに違いない。魔石の破壊と、意識を取り戻したパラァから先程の話を聞いた私は、魔族の封印が解けかかっているのを悟った」
「魔族の使いとやらはどうしてこの子のお兄さんを連れて行ったのでしょう」
ロウルが尋ねる。
「おそらく魔族は協力者を集めている。ピポイくんの前に現れたのも、人間に対する憎悪の感情に素質を見出したからだろう。奴らはこの世界に舞い戻るために、魔族に賛同する者の協力を得ようとしている。目的は、復活の障害となるものの排除だ」
「それって」
「そう……私だ」
英雄が告げるとロウルの目に理解の色が広がる。
「じゃあさっきの魔獣は」
「私を狙ったものに違いない」
ドルクの来訪と魔獣の襲撃は繋がっていた。
「通常、村や国の領土の周辺には魔獣除けのマジェットが設置されている。何者かの介入がない限り、魔獣の意思で村に侵入することは本来なら不可能に近い」
「手引きした誰かがいる、と」
ロウル確認にドルクはゆっくりと頷いた。
「そいつは間違いなく魔族の協力者だ」
魔獣の襲撃は魔族の手先が関係していた。となると、アーチは魔族の暗躍に巻き込まれたも同然だ。遠い昔話に感じていたものが急速に身近なものへと距離を詰めてきた。アーチは魔族による被害のただ中にいつの間にか放り込まれていた。
「大体の話はなんとなくわかったけどさ。結局、何のためにお父さんに会いにに来たの? このことを知らせに来ただけじゃないんでしょ?」
ドルクが村を訪れたのには理由がある。デフトンはそう言っていた。ドルクは自分が狙われているのを知っていたのなら、村が巻き込まれる可能性があることもわかっていたはずだ。それでもなおここに訪れた理由とはなんなのか。
ドルクは「うむ」と頷くとおもむろに立ち上がり、壁に掛けられていた剣を手に取った。
「私のかつての相棒〈聖剣ヴァーエイル〉。これを受け取りに来たのだ」
英雄の手の中で、剣の刀身がキラリと煌めいた。
アーチが物心ついた頃から道場に飾られていた剣。黄金の柄にやや刀身が太めの直剣。鍔の部分に妙なくぼみがあって、変な剣だなと幼い頃から思っていた。それがまさか英雄が使っていたものだったとは。
「聖剣? それって飾りの模造品じゃなかったんだ」
「そんなもんわざわざ道場に飾らんわ」
「大戦が終わったあと、この剣の強大な力を他人に悪用されぬよう、本体と魔石を分離して保管することにしたのだ。本体はこの道場に寄贈し、力の源となる魔石は私が」
ドルクはローブの中から丸い翡翠色の魔石を取り出した。偶然にもアーチの瞳の色と似ていた。
「ヴァーエイルさえ私の手元に戻れば、恐れるものは何もない。あとは魔族を再び封印してやるだけだ」
手中に収まる剣と魔石を見つめるドルク。決意に引き締められた相貌は急激に若さが戻ったようにも見えた。
「英雄の復活だ……!」
ロウルが羨望の眼差しで見上げる。普段のほほんとしていて思考の読めない幼馴染は、意外にも少年らしい憧れを持っていた。
「大変です!」
外から慌てた声が響く。道場に息を切らした村人の男が駆け込んできた。
「どうした」
「大変です! さっきの魔獣が、また!」
「なんだとっ!」
村の危機はまだ去ってはいなかった。
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