37 / 40
第六章――⑥
しおりを挟む
「これくらいなら許容範囲だろう?」
「ま、まあ……いいんじゃない?」
そもそも密室で男女二人きりという時点で倫理的にアウトだが……細かいことは気にしてはいけない。
それから私たちは、触れ合った肩と指から伝わる温もりを感じながら、穏やかな沈黙に身を委ねていた。話したいことはいくらでもあるが、これ以上口を開いたらとめどなく未練と涙が溢れ出てきそうで、唇を引き結ぶしかなかった。
どれくらいそうしていたのか、その沈黙を破ってポツリとユマがつぶやく。
「俺はこれまで数え切れないほどの聖女を育てて見送ってきたが、使命に関係なく守りたいと思ったのはハリだけだ。どんな手段を用いても傍にいたい、身も心も全部俺のものにしたいと思うのも、ハリだけだ。なのに、手放さないといけないなんて……」
「ユマ……」
悔しさと愛しさで強く絡められた指に胸が痛んだと同時に、視界が二重三重にブレて体が急に重くなり、そのまま床に倒れ込みそうになるところをユマに支えられた。
「ハリ!? まさか、もう……」
「た、多分……」
女神様が何かしてくれたのか、さっきのような激痛は感じなかったが、その代わり瞬く間に四肢の感覚がなくなっていって、ユマの腕の中にいるのにその感触も温もりも分からなくなっていく。
それが怖くてギュッと縋りつくのに、まるで雲でも掴んでいるような反発のなさにゾッとした。これが肉体と魂が分離するということなのか。
「い、嫌、離れたく、ない。ユマと、一緒……」
「……心配するな。離れるのは一時だけだ。必ずハリに会いに行く。どれだけ時間がかかっても、必ず。だから、向こうで待っていてくれ」
ぼやけた視界の中で、忠誠を誓う騎士のようにユマが私の手を取って甲にキスを落とした。
この肌はもう何も感じないはずなのに、唇が触れたところだけは妙に熱いような気がしたのを最後に――パチンと電源が落ちるように意識がブラックアウトした。
その後すぐに……かどうかは分からないが、私は夜明けと共に小さな病室で目を覚ました。
会社の近くにある総合病院のようだ。
医者の話を聞くと、傷自体は深く出血多量だったが臓器に目立った損傷はなく、術後の経過も順調だったに関わらず、私は丸三か月も意識不明だったらしい。
異世界で過ごしたのはひと月ほどだったと思うのだが、向こうとこちらとでは時間の流れが違うのかもしれない。
そんなことを寝起きの頭でぼんやり考えていると、私の意識が戻ったと聞いて真っ先にやって来たのは家族ではなく、警察と検察と弁護士だった。
事件関係者に対する事情聴取という奴である。
といっても、形式的なことを聞かれるだけで、どれもものの十分と経たずに終わった。
犯人はその場で警備員に取り押さえられご用となり、すでに送検されているおかげだ。
私の生死如何で罪状が傷害罪から殺人罪に替わる恐れがあり、正式な裁判はまだ始まっていないようだが、これで無事開廷となるだろう。ただ、被告人が薬物乱用による心神耗弱状態だったことから、まともな刑罰は適用されないのではという見方が強い。
となると、私が民事で損害賠償を請求しても勝ち目は薄そうだ。
まあ、面倒だし別に訴えるつもりはないけど。
司法関係者の来客を次々と捌き、時々うたた寝しつつ養生していると、ノックのあとに看護師さんが顔を覗かせて満面の笑みを浮かべた。
「横山さん、カレシさんが面会に来てますよー」
「は!?」
「スッピンは恥ずかしいかもしれませんけど、毎日のように来られててもう飽きるほど見られているので、気にしちゃダメですよ」
「うえあ!?」
カレシ!? 三十年の人生の中でそんなもん、一度もできたことありませんが!?
しかも毎日来るってストーカーの間違いじゃありませんか?
そんな心当たりないですけども、それ以外に考えらえるとしたら、まさか新手の詐欺? 私なんか騙しても大した金は出てこないぞ? いやむしろ“カレシ”とかいうのは人名と考えるべき? つってもそんな知り合いいないけど。
などと混乱する私をよそに、カレシさんとやらが入室してきた。
どこの誰だ――とこぶしを握り締め身構えたのは一瞬のこと。
「ユ、ユマ……?」
パーカーとジーンズというラフな格好をしているし、心なしか歳を重ねたようにも見えるが、間違いなくついさっき(個人的感覚)別れたばかりのユマにしか見えない。
一応両想いだから恋人だし、カレシと言っても問題はないけど……なんでここにユマが?
幻覚? いや、それなら看護師さんに見えるわけないし、どういうこと?
念のため頬をつねって現実かどうか確かめた。
しっかり痛かったので夢ではなさそうだ。
三十路がどんな原始的な確認の仕方をするのだと自分でも呆れるが、それくらい非現実的なことだったのだ。
「……何してるんだ?」
「いや、その、夢オチかなーっと……」
仕方ないじゃないか、もう会えないことを覚悟していたのに、こんなにあっさり再会を果たすなんてご都合主義がそう転がっているわけがない。
これが夢じゃないなんて、この痛みをもってしても正直信じられない。
ユマは私の奇行に呆れ顔をしながら近くの丸椅子に腰かけてつねった頬に触れる。
あの時と同じ感触と温もりに、心拍数が一気に上がった。
「言っただろう。必ず会いに行くって」
「え、あ、言ってたけど……でもあれは……」
「その場しのぎの嘘だと思ったのか? 心外だな」
「だって、そんな話全然現実的じゃないし……ていうか、何がどうしてこうなったの?」
説明を求める私に、ユマは不服そうに口元を歪める。
なんだか少し見ない間に表情が豊かになって、嬉しいような寂しいような……と思考が横道にそれていると、ずいっと顔が近づいて来た。
「話してもいいが、その前にキスがしたい」
「は、はい?」
「ま、まあ……いいんじゃない?」
そもそも密室で男女二人きりという時点で倫理的にアウトだが……細かいことは気にしてはいけない。
それから私たちは、触れ合った肩と指から伝わる温もりを感じながら、穏やかな沈黙に身を委ねていた。話したいことはいくらでもあるが、これ以上口を開いたらとめどなく未練と涙が溢れ出てきそうで、唇を引き結ぶしかなかった。
どれくらいそうしていたのか、その沈黙を破ってポツリとユマがつぶやく。
「俺はこれまで数え切れないほどの聖女を育てて見送ってきたが、使命に関係なく守りたいと思ったのはハリだけだ。どんな手段を用いても傍にいたい、身も心も全部俺のものにしたいと思うのも、ハリだけだ。なのに、手放さないといけないなんて……」
「ユマ……」
悔しさと愛しさで強く絡められた指に胸が痛んだと同時に、視界が二重三重にブレて体が急に重くなり、そのまま床に倒れ込みそうになるところをユマに支えられた。
「ハリ!? まさか、もう……」
「た、多分……」
女神様が何かしてくれたのか、さっきのような激痛は感じなかったが、その代わり瞬く間に四肢の感覚がなくなっていって、ユマの腕の中にいるのにその感触も温もりも分からなくなっていく。
それが怖くてギュッと縋りつくのに、まるで雲でも掴んでいるような反発のなさにゾッとした。これが肉体と魂が分離するということなのか。
「い、嫌、離れたく、ない。ユマと、一緒……」
「……心配するな。離れるのは一時だけだ。必ずハリに会いに行く。どれだけ時間がかかっても、必ず。だから、向こうで待っていてくれ」
ぼやけた視界の中で、忠誠を誓う騎士のようにユマが私の手を取って甲にキスを落とした。
この肌はもう何も感じないはずなのに、唇が触れたところだけは妙に熱いような気がしたのを最後に――パチンと電源が落ちるように意識がブラックアウトした。
その後すぐに……かどうかは分からないが、私は夜明けと共に小さな病室で目を覚ました。
会社の近くにある総合病院のようだ。
医者の話を聞くと、傷自体は深く出血多量だったが臓器に目立った損傷はなく、術後の経過も順調だったに関わらず、私は丸三か月も意識不明だったらしい。
異世界で過ごしたのはひと月ほどだったと思うのだが、向こうとこちらとでは時間の流れが違うのかもしれない。
そんなことを寝起きの頭でぼんやり考えていると、私の意識が戻ったと聞いて真っ先にやって来たのは家族ではなく、警察と検察と弁護士だった。
事件関係者に対する事情聴取という奴である。
といっても、形式的なことを聞かれるだけで、どれもものの十分と経たずに終わった。
犯人はその場で警備員に取り押さえられご用となり、すでに送検されているおかげだ。
私の生死如何で罪状が傷害罪から殺人罪に替わる恐れがあり、正式な裁判はまだ始まっていないようだが、これで無事開廷となるだろう。ただ、被告人が薬物乱用による心神耗弱状態だったことから、まともな刑罰は適用されないのではという見方が強い。
となると、私が民事で損害賠償を請求しても勝ち目は薄そうだ。
まあ、面倒だし別に訴えるつもりはないけど。
司法関係者の来客を次々と捌き、時々うたた寝しつつ養生していると、ノックのあとに看護師さんが顔を覗かせて満面の笑みを浮かべた。
「横山さん、カレシさんが面会に来てますよー」
「は!?」
「スッピンは恥ずかしいかもしれませんけど、毎日のように来られててもう飽きるほど見られているので、気にしちゃダメですよ」
「うえあ!?」
カレシ!? 三十年の人生の中でそんなもん、一度もできたことありませんが!?
しかも毎日来るってストーカーの間違いじゃありませんか?
そんな心当たりないですけども、それ以外に考えらえるとしたら、まさか新手の詐欺? 私なんか騙しても大した金は出てこないぞ? いやむしろ“カレシ”とかいうのは人名と考えるべき? つってもそんな知り合いいないけど。
などと混乱する私をよそに、カレシさんとやらが入室してきた。
どこの誰だ――とこぶしを握り締め身構えたのは一瞬のこと。
「ユ、ユマ……?」
パーカーとジーンズというラフな格好をしているし、心なしか歳を重ねたようにも見えるが、間違いなくついさっき(個人的感覚)別れたばかりのユマにしか見えない。
一応両想いだから恋人だし、カレシと言っても問題はないけど……なんでここにユマが?
幻覚? いや、それなら看護師さんに見えるわけないし、どういうこと?
念のため頬をつねって現実かどうか確かめた。
しっかり痛かったので夢ではなさそうだ。
三十路がどんな原始的な確認の仕方をするのだと自分でも呆れるが、それくらい非現実的なことだったのだ。
「……何してるんだ?」
「いや、その、夢オチかなーっと……」
仕方ないじゃないか、もう会えないことを覚悟していたのに、こんなにあっさり再会を果たすなんてご都合主義がそう転がっているわけがない。
これが夢じゃないなんて、この痛みをもってしても正直信じられない。
ユマは私の奇行に呆れ顔をしながら近くの丸椅子に腰かけてつねった頬に触れる。
あの時と同じ感触と温もりに、心拍数が一気に上がった。
「言っただろう。必ず会いに行くって」
「え、あ、言ってたけど……でもあれは……」
「その場しのぎの嘘だと思ったのか? 心外だな」
「だって、そんな話全然現実的じゃないし……ていうか、何がどうしてこうなったの?」
説明を求める私に、ユマは不服そうに口元を歪める。
なんだか少し見ない間に表情が豊かになって、嬉しいような寂しいような……と思考が横道にそれていると、ずいっと顔が近づいて来た。
「話してもいいが、その前にキスがしたい」
「は、はい?」
0
あなたにおすすめの小説
ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる
街風
ファンタジー
「お前を追放する!」
ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。
しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
蔑ろにされましたが実は聖女でした ー できない、やめておけ、あなたには無理という言葉は全て覆させていただきます! ー
みーしゃ
ファンタジー
生まれつきMPが1しかないカテリーナは、義母や義妹たちからイジメられ、ないがしろにされた生活を送っていた。しかし、本をきっかけに女神への信仰と勉強を始め、イケメンで優秀な兄の力も借りて、宮廷大学への入学を目指す。
魔法が使えなくても、何かできる事はあるはず。
人生を変え、自分にできることを探すため、カテリーナの挑戦が始まる。
そして、カテリーナの行動により、周囲の認識は彼女を聖女へと変えていくのだった。
物語は、後期ビザンツ帝国時代に似た、魔物や魔法が存在する異世界です。だんだんと逆ハーレムな展開になっていきます。
神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。
国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。
悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
【完結】人々に魔女と呼ばれていた私が実は聖女でした。聖女様治療して下さい?誰がんな事すっかバーカ!
隣のカキ
ファンタジー
私は魔法が使える。そのせいで故郷の村では魔女と迫害され、悲しい思いをたくさんした。でも、村を出てからは聖女となり活躍しています。私の唯一の味方であったお母さん。またすぐに会いに行きますからね。あと村人、テメぇらはブッ叩く。
※三章からバトル多めです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる