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カーライルの独白4
ここからが正念場
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重ねてモーリス嬢に礼を言って屋敷を辞し、待たせてあった馬車の席に着いた瞬間、肺の中の空気が全部抜けたのではと思うほど長い息が漏れた。
ホワイトリー嬢に二度目の告白をし、リーゼの祝日のデートの約束を取り付けた。
それはつまり、俺の気持ちを受け入れてくれたということになる。
正直なところ、狂喜乱舞しておかしなことを叫び出しかねない異常なテンションなのだが、予想よりもことがうまく運び過ぎて、心のどこかでまだこれが現実だと認識していいのか疑っている自分がいる。
――彼女があの暗黙のルールを知らなかっただろうする?
彼女の話を聞く限り、ホワイトリー子爵領はあまり拓けていない土地柄のようだし、リーゼの祝日に馴染みがあるかどうかは微妙だ。俺と一緒に出掛けたいという気持ちに嘘はなくても、ただ異性とデートがしたかっただけとか、マクレイン邸の茶会の詫びのつもりだったとか、そういう可能性だってなくはない。
だが、俺のデートの誘いに対して真剣に答えを考えてくれていたみたいだし、あの可愛らしい反応――手の甲にキスした時に見せたあの真っ赤な顔は、きっと俺を特別な異性だと思ってくれている証拠だ。
そうでなければ、あの顔を見ただけで不埒なことが際限なく思い浮かんできたりしない。公爵家と繋がりたいジード家を説得し、マクレイン嬢との関係を断ち切った数々の苦労も、あの一瞬で報われた気持ちになった。
……そのせいでつい魔が差しそうになったが、頑張って自重した。
まだ正式に交際や婚約を申し込んだわけではないし、もし次のデートで失敗すれば愛想を尽かされることだってあり得る。『やらかした責任を取って結婚する』なんて、ホワイトリー嬢の評判に傷がつきかねない。俺の評判は地に落ちているからどうでもいいが。
それにしても、ここに至るまでは本当に大変だった。
特にマクレイン嬢と決別する時には大いに揉めたものだ――と、ゆっくりスピードを上げていく馬車の中、俺は遠い目をしながら過去を追想する。
*****
「カーライル様……どうしてわたくしではダメなのですか?」
「……マクレイン嬢には申し訳ないが、俺はあなたと婚約する気はまったくない。そのことは繰り返し言ってきたことだし、公爵ともそう話をつけている」
王宮の応接室にて。
マクレイン嬢は今日も周囲にあてつけるように水色のドレスをまとい、両親である公爵夫妻の間に腰かけ、上目遣いに対面に座る俺を涙に濡れたアメシストの瞳で見つめる。普通の男ならそれだけでほだされてしまうだろうが、生憎と俺の心は微塵も動かない。
自分でも驚くくらい精神は安定していて、以前なら見られるだけで頭の中がかき乱されそうになるような不快感があったが、制帽を被らず直視しても一切感じない。
何故なら、俺にはこの女とは比べ物にならないくらい愛しい人がいるからであり、俺の傍らには信頼するフロリアンとモーリス嬢がいるからだ。
「だというのに、美人局まがいのことをしてまで俺に取り入ろうとするなど、我が国の淑女としてあるまじきことだ。本来なら王族としてあなたを不敬罪に処すところだが、忠臣であるマクレイン公爵家の名誉を傷つけるのは本意ではない。よって、今後一切俺との私的な関わりを持つことを禁じることを条件に、不問に付す方向だ」
この席が設けられるよりも前に、彼女には好意を持っていないと単刀直入に断りを入れているし、不必要に付きまとうなと忠告もした。それも何度もだ。
それでも彼女は諦めることなく、前にもまして粘着質に俺に絡んできた。人目も憚らず体のあちこちを擦り寄せてくるばかりか、人を使って誰もいない個室に俺を引き込んで既成事実を作ろうとまでした。
いくら男が女に比べて性的誘惑に弱いといっても、好きでもない女の見え透いた手練手管に乗るほど愚かではないし、むしろ逆効果でしかない。どんなに輝く美貌を持っていても、交際もしていない相手と閨を共にしようとするなど軽蔑しか感じない。
「そんな……わたくしにとって、カーライル様がすべてです。あなた様のお傍にいられないのであれば、生きている価値はありません。もはやわたくしには自害する道しか――」
「ま、待ちなさい、クラリッサ! いくら見目がいいとはいえ、所詮は王族の恥さらしだ! お前にはもっとふさわしい男を探してやるから、早まるんじゃない!」
「そうですよ! このような男にうつつを抜かしていては、マクレイン家の名折れです! この家を背負って立つ唯一の子として、盲目的な恋から脱却しなさい!」
「……お父様? お母様?」
両親から厳しく叱責され、マクレイン嬢は目をしばたかせて驚いている。
彼女は公爵家の一人娘として大事に育てられ、随分甘やかされてきたとニコルから聞いた。その表情から察するに、今まで叱られたことなどなかったのだろう。箱入りの令嬢にはよくあることだ。
ただ、二人が娘にこのような物言いをしたのは俺に対する侮蔑というわけではなく、事前に王太子から直々に彼女の行動について苦情をつけたことが大きい。
夫妻はマクレイン嬢が破廉恥なアピールで俺を誘惑していると知り、「娘にはよく言って聞かせますから」と平伏していたが、彼女の様子からやはり愛娘に強く出ることができず、ロクに注意しなかったのだろう。
こんなことなら公爵の女癖の悪さをネタに脅せばよかったが……そこまでやってはこちらが悪役になりかねない。
だが、すっかり悲劇のヒロインの役に染まったマクレイン嬢は、つぶらな瞳からポロポロと大粒の涙をこぼしてすすり泣く。
「お、お二人までわたくしを責めるのですか……? わたくしはただ、愛しい殿方に振り向いて欲しかっただけなのです。その方法は淑女として正しいことではなかったかもしれませんが、それほどまでにただこのお方を愛しているだけなのです。それがいけないことなのでしょうか?」
「いや、悪いでしょう。どう考えても」
涙で濡れる妖しげな紫の瞳で見つめられ、夫妻はあからさまにたじろいで宥めるが、それをフロリアンが一蹴した。
「愛情表現は人それぞれとはいえ、相手の望まないことをするのは愛じゃない。君のしたことは……ただのエゴの押し付けだ。君に兄上はふさわしくないよ。クラリッサ」
「で、殿下……」
鋭い視線で射すくめられ、さしものマクレイン嬢も息を飲む。
彼女も公爵令嬢としてそれなりの格の高さを感じるが、やはり国の未来を担う王太子の威厳には遠く及ばない。
加えて元々温和そうな外面をしているからこそ、冷徹な表情がより冴え冴えと突き刺さってダメージが大きい。
それでもくじけずマクレイン嬢は泣き落としにかかるが、フロリアンは表情一つ動かさず悠然とした態度を崩さない。そのことに苛立ったのか一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに取り繕って次にモーリス嬢へと視線を移す。
「セシリアさんなら、わたくしの乙女心を分かってくださいますわよね?」
「乙女心で犯罪が許されるなら、司法は必要ありませんわね」
広げた羽扇で口元を覆い、バッサリと切り捨てるモーリス嬢。
正面から正論をぶつけられて表情も涙も引っ込んだマクレイン嬢は、まだ突き崩す余地のある両親を交互に見ながら懸命に訴えた。
「ねえ、お父様、お母様。わたくし、恋するがゆえにカーライル様を求めているだけではございません。この方は素晴らしいお人なのよ。若くして小隊長を任されるほどですし、部下の方々からの人望も厚いんですのよ。わたくしと共に、きっとマクレイン家を今以上に盛り立ててくれますわ」
「う、うむ……」
「それに、適齢期のご令息のほとんどはすでに婚約済みです。まさかわたくしに、残り物や傷物の殿方を宛がおうなどとお思いですか? それこそ、マクレイン家を汚す行為ではありませんの?」
「それは……」
「ならばもう答えは出ているではありませんか! わたくしの想いを叶え、マクレイン家に益をもたらすことができるのは、このカーライル様だけなのです! お二人のお力添えがあれば、ジード家など容易く説得することができます! それですべてが丸く収まるのですよ! さあ、わたくしのために、マクレイン家のために、カーライル様との婚約を取り付けてくださいませ!」
マクレイン嬢は大きな身振り手振りを用い、もっともらしい高説を垂れ流す。アメシストの瞳はいつもにもまして妖しく煌めき、公爵夫妻はそれを呆けたように見つめていて、今にも彼女の言いなりになりそうだ。
体裁を重んじる貴族の性質を利用し、自分に有利なように両親を唆そうとするその様子は、まるで民衆を扇動するカリスマ独裁者のようだ。
だが、フロリアンがパンパンと手を打つと、夫妻は我に返ったように目をしばたかせる。こうしてみると、まるで彼女の瞳には不可思議な魔力があるように見えるが……そんなおとぎ話じみたことがあるわけがないか。
「……これ以上の話し合いは無駄だね」
氷のごとくと表現してもなお足りない、絶対零度というべきまなざしをマクレイン嬢に向ける。
「フロリアン・アイザック・フォーレンの名において命じる。クラリッサ・マクレインと我が兄カーライル・ジードとの私的な交友の一切を禁じる。それが破られた場合、マクレイン家より汝を廃嫡する」
王者にふさわしい威厳をもってそう宣言したフロリアンは、傍に控えていた侍従に手で合図すると、数枚の書類と羽ペンが刺さったインク壺をローテーブルの上に置かせた。
これはマクレイン嬢と縁を切るための公的な書類で、口約束だけでは心ともないとわざわざ用意してくれたものだ。
「こ、これは……こんな、こんな紙切れ一枚で、わたくしが縛れるとお思いですの!? わたくしは公爵令嬢ですのよ! こんなもの――っ!」
子供のような癇癪を起こし、書類を破り捨てようとしたマクレイン嬢だが、すぐさまモーリス嬢の羽扇が飛んできて手首に当たり、痛みでひるんだ隙に両親に取り押さえられる。
「クラリッサ、落ち着きなさい!」
「離してくださいまし! どうしてわたくしが何故……このような辱めを受けなければならないのですか!?」
「辱め? むしろ、寛大すぎる温情だよ。ここは紙切れ一枚で済んだことを喜ぶべきで……そして、公爵令嬢を自負するなら、もっと慎みと節度を持った行動をするべきだった。そうすれば、君の言う辱めを受けずに済んだんだよ」
自業自得だ、とフロリアンは冷たく言い放ち、書類の上を指先でコツコツ叩く。
「これ以上喚くなら、僕に対する不敬罪とする。それが嫌なら、ここにサインして」
王太子に対する不敬罪となれば、一介の王族である俺の時よりもはるかに厳しく重い裁きになるだろう。それはさすがのマクレイン嬢も避けたいのか、女神のごとき美貌を憤懣やるかたないと言わんばかりにしわくちゃにしながらも、流麗な筆跡で署名した。
*****
ガタン、と車輪が石か何かに乗り上げた振動で、過去から今に意識が引き戻された。
あのあと、当事者の俺だけでなく、立会人としてフロリアンとモーリス嬢も署名し、公爵夫妻も娘の行動を監視する立場として書類に署名させられた。
これで一件落着だ。
もちろん、マクレイン嬢がまだ何かを企んでいないとも限らないが、夫妻の采配で領地に缶詰めになっているようなので当分は安心だ。
最大の脅威が消えた今、考えるべきは件のデートである。
だが、よく思い返してみなくても、俺はその手のことはまったくと言っていいほど経験がない。リーゼの祝日までまだ時間があるとはいえ、悠長に構えていてはあっという間に当日になる。
前回と同じ轍を踏まないためにも、早急に対策を練らなければいけないが……恥を忍んでニコルに相談するか?
対価が肉だけでなく俺の黒歴史も根こそぎ持っていかれるのは必至だが、ホワイトリー嬢に愛想を尽かされることと比べれば些末なことだ。
――このチャンスを不意にすれば次はない。
俺は一人拳を握り締めて気合を入れ直した。
ホワイトリー嬢に二度目の告白をし、リーゼの祝日のデートの約束を取り付けた。
それはつまり、俺の気持ちを受け入れてくれたということになる。
正直なところ、狂喜乱舞しておかしなことを叫び出しかねない異常なテンションなのだが、予想よりもことがうまく運び過ぎて、心のどこかでまだこれが現実だと認識していいのか疑っている自分がいる。
――彼女があの暗黙のルールを知らなかっただろうする?
彼女の話を聞く限り、ホワイトリー子爵領はあまり拓けていない土地柄のようだし、リーゼの祝日に馴染みがあるかどうかは微妙だ。俺と一緒に出掛けたいという気持ちに嘘はなくても、ただ異性とデートがしたかっただけとか、マクレイン邸の茶会の詫びのつもりだったとか、そういう可能性だってなくはない。
だが、俺のデートの誘いに対して真剣に答えを考えてくれていたみたいだし、あの可愛らしい反応――手の甲にキスした時に見せたあの真っ赤な顔は、きっと俺を特別な異性だと思ってくれている証拠だ。
そうでなければ、あの顔を見ただけで不埒なことが際限なく思い浮かんできたりしない。公爵家と繋がりたいジード家を説得し、マクレイン嬢との関係を断ち切った数々の苦労も、あの一瞬で報われた気持ちになった。
……そのせいでつい魔が差しそうになったが、頑張って自重した。
まだ正式に交際や婚約を申し込んだわけではないし、もし次のデートで失敗すれば愛想を尽かされることだってあり得る。『やらかした責任を取って結婚する』なんて、ホワイトリー嬢の評判に傷がつきかねない。俺の評判は地に落ちているからどうでもいいが。
それにしても、ここに至るまでは本当に大変だった。
特にマクレイン嬢と決別する時には大いに揉めたものだ――と、ゆっくりスピードを上げていく馬車の中、俺は遠い目をしながら過去を追想する。
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「カーライル様……どうしてわたくしではダメなのですか?」
「……マクレイン嬢には申し訳ないが、俺はあなたと婚約する気はまったくない。そのことは繰り返し言ってきたことだし、公爵ともそう話をつけている」
王宮の応接室にて。
マクレイン嬢は今日も周囲にあてつけるように水色のドレスをまとい、両親である公爵夫妻の間に腰かけ、上目遣いに対面に座る俺を涙に濡れたアメシストの瞳で見つめる。普通の男ならそれだけでほだされてしまうだろうが、生憎と俺の心は微塵も動かない。
自分でも驚くくらい精神は安定していて、以前なら見られるだけで頭の中がかき乱されそうになるような不快感があったが、制帽を被らず直視しても一切感じない。
何故なら、俺にはこの女とは比べ物にならないくらい愛しい人がいるからであり、俺の傍らには信頼するフロリアンとモーリス嬢がいるからだ。
「だというのに、美人局まがいのことをしてまで俺に取り入ろうとするなど、我が国の淑女としてあるまじきことだ。本来なら王族としてあなたを不敬罪に処すところだが、忠臣であるマクレイン公爵家の名誉を傷つけるのは本意ではない。よって、今後一切俺との私的な関わりを持つことを禁じることを条件に、不問に付す方向だ」
この席が設けられるよりも前に、彼女には好意を持っていないと単刀直入に断りを入れているし、不必要に付きまとうなと忠告もした。それも何度もだ。
それでも彼女は諦めることなく、前にもまして粘着質に俺に絡んできた。人目も憚らず体のあちこちを擦り寄せてくるばかりか、人を使って誰もいない個室に俺を引き込んで既成事実を作ろうとまでした。
いくら男が女に比べて性的誘惑に弱いといっても、好きでもない女の見え透いた手練手管に乗るほど愚かではないし、むしろ逆効果でしかない。どんなに輝く美貌を持っていても、交際もしていない相手と閨を共にしようとするなど軽蔑しか感じない。
「そんな……わたくしにとって、カーライル様がすべてです。あなた様のお傍にいられないのであれば、生きている価値はありません。もはやわたくしには自害する道しか――」
「ま、待ちなさい、クラリッサ! いくら見目がいいとはいえ、所詮は王族の恥さらしだ! お前にはもっとふさわしい男を探してやるから、早まるんじゃない!」
「そうですよ! このような男にうつつを抜かしていては、マクレイン家の名折れです! この家を背負って立つ唯一の子として、盲目的な恋から脱却しなさい!」
「……お父様? お母様?」
両親から厳しく叱責され、マクレイン嬢は目をしばたかせて驚いている。
彼女は公爵家の一人娘として大事に育てられ、随分甘やかされてきたとニコルから聞いた。その表情から察するに、今まで叱られたことなどなかったのだろう。箱入りの令嬢にはよくあることだ。
ただ、二人が娘にこのような物言いをしたのは俺に対する侮蔑というわけではなく、事前に王太子から直々に彼女の行動について苦情をつけたことが大きい。
夫妻はマクレイン嬢が破廉恥なアピールで俺を誘惑していると知り、「娘にはよく言って聞かせますから」と平伏していたが、彼女の様子からやはり愛娘に強く出ることができず、ロクに注意しなかったのだろう。
こんなことなら公爵の女癖の悪さをネタに脅せばよかったが……そこまでやってはこちらが悪役になりかねない。
だが、すっかり悲劇のヒロインの役に染まったマクレイン嬢は、つぶらな瞳からポロポロと大粒の涙をこぼしてすすり泣く。
「お、お二人までわたくしを責めるのですか……? わたくしはただ、愛しい殿方に振り向いて欲しかっただけなのです。その方法は淑女として正しいことではなかったかもしれませんが、それほどまでにただこのお方を愛しているだけなのです。それがいけないことなのでしょうか?」
「いや、悪いでしょう。どう考えても」
涙で濡れる妖しげな紫の瞳で見つめられ、夫妻はあからさまにたじろいで宥めるが、それをフロリアンが一蹴した。
「愛情表現は人それぞれとはいえ、相手の望まないことをするのは愛じゃない。君のしたことは……ただのエゴの押し付けだ。君に兄上はふさわしくないよ。クラリッサ」
「で、殿下……」
鋭い視線で射すくめられ、さしものマクレイン嬢も息を飲む。
彼女も公爵令嬢としてそれなりの格の高さを感じるが、やはり国の未来を担う王太子の威厳には遠く及ばない。
加えて元々温和そうな外面をしているからこそ、冷徹な表情がより冴え冴えと突き刺さってダメージが大きい。
それでもくじけずマクレイン嬢は泣き落としにかかるが、フロリアンは表情一つ動かさず悠然とした態度を崩さない。そのことに苛立ったのか一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに取り繕って次にモーリス嬢へと視線を移す。
「セシリアさんなら、わたくしの乙女心を分かってくださいますわよね?」
「乙女心で犯罪が許されるなら、司法は必要ありませんわね」
広げた羽扇で口元を覆い、バッサリと切り捨てるモーリス嬢。
正面から正論をぶつけられて表情も涙も引っ込んだマクレイン嬢は、まだ突き崩す余地のある両親を交互に見ながら懸命に訴えた。
「ねえ、お父様、お母様。わたくし、恋するがゆえにカーライル様を求めているだけではございません。この方は素晴らしいお人なのよ。若くして小隊長を任されるほどですし、部下の方々からの人望も厚いんですのよ。わたくしと共に、きっとマクレイン家を今以上に盛り立ててくれますわ」
「う、うむ……」
「それに、適齢期のご令息のほとんどはすでに婚約済みです。まさかわたくしに、残り物や傷物の殿方を宛がおうなどとお思いですか? それこそ、マクレイン家を汚す行為ではありませんの?」
「それは……」
「ならばもう答えは出ているではありませんか! わたくしの想いを叶え、マクレイン家に益をもたらすことができるのは、このカーライル様だけなのです! お二人のお力添えがあれば、ジード家など容易く説得することができます! それですべてが丸く収まるのですよ! さあ、わたくしのために、マクレイン家のために、カーライル様との婚約を取り付けてくださいませ!」
マクレイン嬢は大きな身振り手振りを用い、もっともらしい高説を垂れ流す。アメシストの瞳はいつもにもまして妖しく煌めき、公爵夫妻はそれを呆けたように見つめていて、今にも彼女の言いなりになりそうだ。
体裁を重んじる貴族の性質を利用し、自分に有利なように両親を唆そうとするその様子は、まるで民衆を扇動するカリスマ独裁者のようだ。
だが、フロリアンがパンパンと手を打つと、夫妻は我に返ったように目をしばたかせる。こうしてみると、まるで彼女の瞳には不可思議な魔力があるように見えるが……そんなおとぎ話じみたことがあるわけがないか。
「……これ以上の話し合いは無駄だね」
氷のごとくと表現してもなお足りない、絶対零度というべきまなざしをマクレイン嬢に向ける。
「フロリアン・アイザック・フォーレンの名において命じる。クラリッサ・マクレインと我が兄カーライル・ジードとの私的な交友の一切を禁じる。それが破られた場合、マクレイン家より汝を廃嫡する」
王者にふさわしい威厳をもってそう宣言したフロリアンは、傍に控えていた侍従に手で合図すると、数枚の書類と羽ペンが刺さったインク壺をローテーブルの上に置かせた。
これはマクレイン嬢と縁を切るための公的な書類で、口約束だけでは心ともないとわざわざ用意してくれたものだ。
「こ、これは……こんな、こんな紙切れ一枚で、わたくしが縛れるとお思いですの!? わたくしは公爵令嬢ですのよ! こんなもの――っ!」
子供のような癇癪を起こし、書類を破り捨てようとしたマクレイン嬢だが、すぐさまモーリス嬢の羽扇が飛んできて手首に当たり、痛みでひるんだ隙に両親に取り押さえられる。
「クラリッサ、落ち着きなさい!」
「離してくださいまし! どうしてわたくしが何故……このような辱めを受けなければならないのですか!?」
「辱め? むしろ、寛大すぎる温情だよ。ここは紙切れ一枚で済んだことを喜ぶべきで……そして、公爵令嬢を自負するなら、もっと慎みと節度を持った行動をするべきだった。そうすれば、君の言う辱めを受けずに済んだんだよ」
自業自得だ、とフロリアンは冷たく言い放ち、書類の上を指先でコツコツ叩く。
「これ以上喚くなら、僕に対する不敬罪とする。それが嫌なら、ここにサインして」
王太子に対する不敬罪となれば、一介の王族である俺の時よりもはるかに厳しく重い裁きになるだろう。それはさすがのマクレイン嬢も避けたいのか、女神のごとき美貌を憤懣やるかたないと言わんばかりにしわくちゃにしながらも、流麗な筆跡で署名した。
*****
ガタン、と車輪が石か何かに乗り上げた振動で、過去から今に意識が引き戻された。
あのあと、当事者の俺だけでなく、立会人としてフロリアンとモーリス嬢も署名し、公爵夫妻も娘の行動を監視する立場として書類に署名させられた。
これで一件落着だ。
もちろん、マクレイン嬢がまだ何かを企んでいないとも限らないが、夫妻の采配で領地に缶詰めになっているようなので当分は安心だ。
最大の脅威が消えた今、考えるべきは件のデートである。
だが、よく思い返してみなくても、俺はその手のことはまったくと言っていいほど経験がない。リーゼの祝日までまだ時間があるとはいえ、悠長に構えていてはあっという間に当日になる。
前回と同じ轍を踏まないためにも、早急に対策を練らなければいけないが……恥を忍んでニコルに相談するか?
対価が肉だけでなく俺の黒歴史も根こそぎ持っていかれるのは必至だが、ホワイトリー嬢に愛想を尽かされることと比べれば些末なことだ。
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