乙女ゲームの転生ヒロインは、悪役令嬢のザマァフラグを回避したい

悪役令嬢ＶＳヒロイン

捕らわれたヒロイン

　真っ暗な視界の中、ガラガラと規則正しい車輪の回転音だけが聞こえる。

　現在、私は手足を縛られた上麻袋を頭から被らされ、馬車の座席下に転がされている。粗悪な馬車なのか、ちゃんと座席に座っていないせいか、ガタガタと尋常じゃなく揺れたり跳ねたりして、そのたびに全身のあちこちを打ち付けて痛い。絶対に青痣だらけだ。

　どうしてこんなことになっているのかといえば、話はおよそ三十分前にさかのぼる。

　カーライル様と別れてそのまま馬車に揺られていたが、急に王都警備隊の軍服姿の男たちが私たちの行く手を阻み、「乗車している令嬢を引き渡せ」と馭者に要求したのだ。

　理由を聞いても軍人たちは答えることはなく、馭者が仕方なくカーライル様の名前を出して私の身元を保証し、どうにか彼らを下がらせようとしたが、効く耳を持たないばかりか腕づくで従わせようとする音が聞こえたので、戸を開けるなという言いつけを破って私は彼らの元に下った。

　人目がある間は『騒動に巻き込まれて帰れなくなった憐れな令嬢を送る心優しい軍人』という風体だったが、人気のない路地に止めてあった荷馬車の前まで来ると豹変し、そこで現在のように拘束されて車内の床に転がっている、というオチだ。

　……というか、なんで私がこんな目に遭ってるんだろう？
　これって誘拐だよね？

　攫われるのはヒロインの宿命とはいえ、このゲームで別にそんなイベントはなかったはずだし、雑すぎる扱いはとてもヒロインっぽくないんだけど……まあ、誘拐されててこんなに冷静でいるヒロインはヒロインでないな、うん。
　
　だが、誘拐の現場にはしっかりと目撃者がいた。あの馭者は軽い怪我はしていたが五体満足だったようだし、このことをカーライル様に伝えてくれているはず。

　助けがくる可能性はまだある。
　そう信じて、とにかく生き延びる道を模索しなければ――などと考えているうちに馬車のスピードが落ちて停まる。

　うう、やっと停まった。もう体中が痛くてたまらないんですけど。

　一度も止まらず一定のスピードでここまで来たし、これまでの経験から十数はキロ走ったと推測される。大通りを一直線に行けば王都を出る可能性もある距離だが、城門を通った感じはしなかったので、少なくとも王都からは出ていないとみていい。とはいえ、現在地は不明なので自力での脱出は難しいだろう。

　ガタン、と荷台の戸が開き、うっすらと外の明かりが麻袋越しに感じると、やっぱり荷物のように持ち上げられてどこかに運び出された。

　カサカサと草や落ち葉を踏む音と共に、のどかな小鳥のさえずりが聞こえる。腐葉土のようなにおいも感じるし、まるで森の中にいるみたいだ。
　王都に緑があるとすれば今日行く予定だった緑地公園だと思うが、確か多くの催し物がやっているはずで、もっと賑やかなはず。それとも、街中のあの騒ぎのせいで中止になったのだろうか。

　などと思考を巡らせている間に立て付けの悪そうなドアが開く音がして、再び薄暗い中に私を転がして麻袋をはぎ取った。そして、一旦手首に巻かれた縄を解いたのち、天井の梁からぶら下がっていた縄で縛り直す。

　宙づりではなく上半身だけ起こして座っている形ではあるが、腕がずっと上がりっぱなしの状態はしんどいし、なによりちょっと動くだけで縄の摩擦が生じ、普通に縛られているよりもはるかに痛い。

　文句を言ってやりたいところだが奥歯を噛みしめて我慢し、睨みつけることで苦痛を訴えたが、軍服を着た男たちの癇に障った様子もなく、むしろ私に用などないとばかりにさっさと出て行ってしまった。

　彼らは私を運ぶのが役割で、私に用があるのは別の奴、ということだろうか。

「はぁ、一体なんなの……？」
　
　誰もいなくなった空間でひとりごちながら周囲を見渡す。

　小さなランプがぽつんと置かれただけの室内は、麻袋越しでなくとも少々暗いが、目が慣れてくるにつれていろいろなものが見えてくる。無造作に置かれた木箱や園芸用具から察するに物置小屋だろうか。目につく建材の劣化と反比例して驚くほど清潔に保たれており、害虫の一匹の気配もない。

　私を連れてこさせた何者かが先にここを掃除したのだとしたら、かなり計画的な犯行と考えていい。しかし、こうまでして誘拐される理由にまったく心当たりはない。

　ついこの前まで我が家が負債を抱えていたのは少し調べれば分かることで、身代金目当てとは思えないし、ボンクラではあるがよくも悪くも毒気を抜かれるタイプの父が、ここまでの恨みを買うとも思えない。

　ロックスが舞踏会の件で逆恨みをして私に報復する、というのもなくはないが、それにしては時間が経ちすぎているし、噂によれば彼は現在お父上の秘書として働いていて、社交に精を出す暇もないくらい忙しいと聞く。噂通りなら私にちょっかいを出す暇もないはずだ。

　では、カーライル様を狙ったいた令嬢が私に手を引くように脅すためとか？
　公爵令嬢であるクラリッサ相手では喧嘩を売るのは不可能でも、子爵令嬢ならガツンと痛い目に遭わせたら勝てると思ってる？

　うーん、それならこんなまどろっこしい手を取らなくても、カーライル様の出席しないお茶会や夜会で私に恥をかかせるなり、こっそり金を積んで手を引かせるなり、もっと手軽で簡単な方法はある。

　考えれば考えるほど謎は深まるばかりで、天井の染みを見上げながらため息をついていると、錆びた音を立てて小屋のドアが開いた。

　主犯の登場か、と気合を入れたのも束の間。

「ごきげんよう、プリエラさん」

　聞き覚えのある、鈴を転がすような可愛らしい声。
　まさか、と目を見張る私の前に現れたのは、優美に妖艶に微笑む一人の少女。

　いつもの贅を尽くしたドレスではなく質素な綿のワンピースに身を包み、長かった黒髪は肩口までばっさりと切り落とされている。化粧っ気のない顔は青白くどこかやつれたような、それどころか重度に病んでいるとさえ感じる雰囲気ではあるが、美しくも妖しく輝く紫の瞳だけは健在だった。

「クラリッサ……様？」
「ええ。ご覧の通り、クラリッサ・マクレインです。お久しぶりですわね」

　あまりご覧の通りとは言えないくらいの変わり様は、カーライル様と絶縁されたことが原因なのだろうか。
　一方的な片想いとはいえ、失恋のショックは大きかったはずだ。そのことには同情するが、こんなことをしでかすまで思いつめるなんて誰が予想しただろうか。

　いやでも、まだ彼女が主犯と決まったわけではない。
　まずは現状を確認することが先だと切り替え、質問を投げる。

「……ここは？」
「そんなこと、わたくしから愛するカーライル様を奪った泥棒猫さんに、教える義理はありませんわ」

　え、奪う？
　カーライル様と結婚できなかったばかりか縁を切られてしまったのは、全部私のせいだって思いこんでるの？

　そりゃあ確かに、私にその原因の一端はあったかもしれないけど、カーライル様を振り向かせられなかったのはクラリッサ自身なんだし、絶縁を言い渡されるほど嫌われる原因を作ったのもそっちの責任だ。

「お言葉ですが、クラリッサ様から奪ったつもりなど毛頭ありません。恐れ多いことに、カーライル様が私を望んでくださっただけです」
「嘘おっしゃい。どうせあなたが卑猥な手段であの方に取り入り、既成事実を作って婚約を強要したのでしょう？　そうでなければ、カーライル様がわたくしとの婚約を望まないなんて、あり得ないことですわ」
「そんな事実ありません！」

　私とカーライル様であらぬ妄想を展開させるのも許せないが、絶対選ばれるという自信がどこから湧くのかさっぱり理解できない。

　もちろん、最近までずっと二人が相思相愛だと誤認していた私が言えた義理ではないが、相手から好かれているかどうかくらい肌で感じないのだろうか？　それとも恋する乙女フィルターを通せば、嫌よ嫌よもなんとやらになるのか？　だとしたら、相当お花畑な頭じゃないか。

　とにかく、一旦下手に出て弁明するか。誤解が解けるかどうかは怪しいけど。

「……クラリッサ様がカーライル様をお慕いしているのは、存じ上げておりました。しかし、お二人の仲を裂こうと思ったことも、ましてやあなたを陥れようなどと考えたこともございませ――ぐぅっ」
「そのような言い訳が通じるとお思いなんですの？　愚かですわね」

　やつれた顔に冷酷な笑みを浮かべたクラリッサが私の鳩尾あたりを踏み付け、重い痛みと共に息が止まった。
　急所を突かれると呼吸困難になると聞いたことがあるが、それを我が身をもって体験するとは思いもしなかった。

「ゴホッ……ゲホッ……」

　必死に肺に酸素を送り込んだ甲斐があったのか、そのうちに正常な呼吸が戻り、新鮮な空気を吸い込んでほっとしたのも束の間。
　彼女は私の首にかかったネックレスを見つけると一瞬にして表情が消え、それを引きちぎるように奪って床に投げ捨てた。

「このようなつまらない小道具で婚約者気取りをして……」

　取られただけならまだしも、床に落ちたそれを靴底でゴリゴリと踏みつけられ、カッと頭に血が上る。彼女のしていることは、カーライル様の想いを文字通り踏みにじる行動だ。到底黙っていられるはずがない。

「つ、つまらない？　私に宝石の価値は分かりませんが、それはカーライル様本人からいただいたものです！　返してください！」

「まあ、随分と都合のいい妄想に取り憑かれているのですね。カーライル様が愛しているのはわたくしだけ。ご自分の色を贈るのもわたくしだけ。そんな簡単なことも分からないなんて、なんと愚かなのでしょう」

　妄想に囚われてるのはそっちの方だ！

「人のものを勝手に取り上げ、あまつさえ踏みにじるなど、淑女としても人としてもあまりにも道に外れた行いです！　愚かなのは私ではなく、あなたの方ではありませんか!?」