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アデライン・アシュトンの矜恃 〈前編〉
3.愛ある結婚
しおりを挟む機会は思いがけずすぐに訪れた。
先日、私はアンドリューの叔母の頼みで登城していた。
何でも、叔母様は彼に届け物があったらしい。
だけど、私は途中で体調不良になり、帰宅した──ということになっている。
届け物は、警備の兵に渡したので無事、アンドリューには渡っているだろう。
警備兵と叔母様から話を聞いたのだと思う。
後日、アンドリューが私の体調を心配して、というメッセージカードを寄越した。
心配なので会いたい、という文面を見て、その紙を指でなぞる。
彼はこれを、どんな気持ちで書いたのだろう?
いつもは心が温まるメッセージカードも、今は私の心を酷くざわつかせるだけだった。
☆
そして、その日。
いつも彼を案内するサロンに向かう。
顔を合わせたアンドリューは、ホッとした様子を見せた。
私に、王女との逢瀬の場を見られとも知らずに。
「良かった。元気そうだね、アデル」
愛称で呼ばれることが、こんなに苦痛だとは思わなかった。
「ごきげんよう、アンドリュー」
私は、挨拶もそこそこに彼の対面に座る。
メイドが紅茶を運んできてすぐ、私は口火を切った。
「先日、王女殿下と逢引をしていらした?」
ここはあえて、単刀直入に。
迂遠な物言いだと、誤魔化される可能性が高いから。
いきなり本題に入った私に、アンドリューは噎せた。
「ッ……げほ、ごほ。何を言うんだよ?仕事のことか?そりゃあ、僕は王女殿下の騎士だからね。そばにいることも多い」
「抱き合っておられましたわね」
「何の話?」
なぜか、アンドリューは剣呑な眼差しで私を見た。
その瞳は、私を責めているようだ。
(……どうして、そんな目をするの?)
責められるべくは、あなたなのではなくて?
私は、さらに口を開いた。
本当は、言い争いなんてしたくない。
穏やかに、落ち着いた話だけをしていたい。
口論することは、争うことは、酷く疲弊するから。
だけど、これは私のために必要なことだ。
問題から目を逸らして、その場しのぎの安定を求めたところで、それは薄氷でできたもの。いずれ、瓦解するに決まっているのだから。
「抱き合って、キスしておられた」
(……嘘だけど)
話を盛って言えば、アンドリューが息を飲む。
その反応に、私は絶句した。
(……嘘でしょ?キス、も!?キスも、してたの?)
呆気に取られそうになったけれど、私はハッと我に返って彼を睨みつけた。
「弁論をお聞きしますわ」
「……何を吹き込まれたのか知らないけど。僕はそんな覚えはないよ」
この期に及んで嘘を吐こうとする様子に、私は冷笑した。
「そのまま、それ以上の行為にも、もつれ込んでおられたようですが?」
本音を引き出すため、淑女の物言いとは思えない言葉も口にした。
もう、この際だ。
全部、全部、暴いてしまおう。
この、燻った恋心を殺すためにも。
アンドリューは目を見開いた。
そして、荒々しくテーブルに手をついた。
テーブルの上の食器が、かしゃん、と音を鳴らす。
「何言ってるんだ!?そんなことするわけな……!!だいたい、外では人目があ──」
「──」
それに、息を飲んだのも、またしても私。
嘘でしょう?
笑ってしまいたいくらい。
どうやら、私の婚約者は王女殿下と深い仲だったよう。
瞬間、私の感情はひとつのものに収束した。
それは、失望。
アンドリューに対してはもちろん、彼の見せかけの優しさに騙された、自分にも。
情けない。
(どうして、私はこんな嘘を見抜けなかったのかしら)
初恋に浮かれた頭では、何も見えていなかった?
『僕は、魔法に一生懸命なきみが素敵だと思う』
その言葉に──心を、許してしまった。
そう、あの一言が、きっかけだった。
沈黙が漂う。
アンドリューは罰が悪そうに私から目を逸らした。
「王女殿下のは、ただの遊びだよ」
「不敬ではありませんの?」
「違う。向こうが、っていう話だ。僕は、彼女の遊び相手の1人に過ぎない」
「それは、問題なのでは?なぜ、閣下にご相談なされないのですか」
「自分の仕える王女が異性関係に奔放さで目に余る、って?アデル。あなたは知らないかもしれないけどね。世の中には暗黙の了解ってものがあるんだよ」
「閣下も、陛下もこのことはご存知だと」
「そう取ってもらって構わない。陛下は、唯一の王女が可愛くて仕方ないらしい」
「──」
あまりのことに絶句する。
王女ジェニファー殿下は、市井出身だ。
彼女の母は王妃ではなく、国王が一夜過ごしたことのある、踊り子だという。
彼女の母は産後の肥立ちが悪く、彼女を出産してすぐ儚くなったらしい。
母を失ったジェニファー殿下の面倒を見ていたのが、彼女の母の友人。
だけどその女性も、流行病に倒れた。
その女性は自身の命が残り僅かなことを悟ると、一縷の望みをかけて王宮に出向いたという。
そこで、王は初めて自身に娘がいることを知った。
王には王子しかいない。
突然現れた王女の存在に、王は心を奪われたのだろう。
なぜなら、ジェニファー殿下は彼女の母にそっくりな見目をしている……らしい。
王がジェニファー殿下を溺愛しているのは周知の事実だった。
だけど、それでも。いくらなんでも。
火遊びを──一国の王女が?
呆然とする私に、アンドリューはやれやれ、と言わんばかりに肩を竦めた。
「それに、ジェニファー王女殿下は【聖女の生まれ変わり】だ。多少のおイタは目を瞑ろう、とそういうことだろう」
「獣王が封印されて、今年で五百年。言い伝え通りなら、今年、その封印は解かれる。聖女の生まれ変わりであるジェニファー王女殿下が再び封印を施す聖女だと言われている。……でも、そんなの誰も信じていないわ」
ジェニファー殿下は、聖女の生まれ変わりだと言われている。
その桃色の髪は、五百年前の聖女と同じらしい。
しかし、その話は御伽噺のようなもの。曖昧模糊で、現実味の薄い、夢物語。
本気にしている人間なんて、ほんの少数だ。
私の言葉に、アンドリューは苦笑した。
まるで、困ったように。
「だろうな。それでも、そっちの方が体裁がいい。王が溺愛するあまり火遊びを許している、と思われるより、聖女の生まれ変わりだから見逃してる、と思われた方がまだいいということなのさ。それに、アデル」
「王女殿下が咎められない理由は分かりました。だけど、アンドリュー。それは、あなたが彼女を受け入れる理由にはならなかったはずよ。あなたは、どうして王女殿下を受け入れたの?」
「……あのね、アデル」
アンドリューは、鼻で笑った。
利かん気の子を見るように。
「こんなことは貴族にはよくある話だろ?まさかあなたは、伯爵家の娘ともあろう者なのに、愛ある結婚なんてものを夢見ていた?」
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