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一章

あなたのためなら、この命。

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吐かせるのはもう、十分なはずだ。
胃の中身は全て吐き出せたようで、もう胃液しか戻していなかったから。
だから今度は、水を飲ませて毒を薄めなければ。
浅い知識で何とかそれを実行させるべく、私は少しずつ彼に水を飲ませていった。

どれくらいの時間が経過しただろうか。
恐ろしく長いように感じたし、一瞬だったようにも感じる。
ただただ、私は必死だった。
いつ、彼の心臓が止まってしまうかわからない。

彼は致死量ではないと言ったが、確証は無いのだ。
私が泣いても意味は無いとわかっているのに、いつしか私はぼろぼろと涙を零していた。

弱い自分が嫌になる。
ここで、泣いてしまう自分が、本当に本当に──心から、憎い。

泣くな。泣いてどうにかなるわけではない。
泣いても、意味が無い。

それを分かっているのに、理解しているはずなのに。
涙は止まらない。収まらない。
次から次に溢れて、自分のことなのにあまりの制御の無さに、自嘲する。

ほんの少し、呼吸が穏やかになったように見えた。それでも予断は許されなくて、祈るように解毒薬の到着を待つ。

少しして、扉が叩かれた。
ハッとしてそちらを見ると、白衣を着た男性が部屋に入ってきた。
ビジョン・ファルオニー。
五大公爵家のひとつ、ファルオニー家の次期当主。薄い茶色の髪に灰の目は、私に安心感を抱かせる。
彼はロディアス陛下を見ると、眉を寄せ、険しい顔のままこちらに歩いてきた。

「どれくらい経過しましたか」

毒を口にしてからの時間を聞かれているのだと、すぐに気がついた。

「一……時間も経っていないと思います」

「そうですか。ぎりぎりかな……」

ビジョンが呟いて、白衣のポケットから包み紙を取り出した。開くと、中には粉薬が載っている。
彼はそれをロディアス陛下に飲ませようとして──思わず、その手首を掴んでいた。
ビジョンがこちらを見る。
黒縁メガネの奥から、胡乱げな視線が突き刺さる。何故とめた、そう言いたげな目。

「……それは、本当に安全なのですか」

「私が、陛下に毒を盛ると?」

「そうではないと、言いきれますか?」

「…………」

ビジョンは、私を見てため息を吐いた。
うんざりとしたような、愚か者を見る目だ。
それにひやりと、怯みそうになったが、何とか堪えて彼の瞳を見返した。

「では、どうします?これは毒かもしれない。だから、陛下には飲ませないと?」

苛立ちを含んだ声。
彼はきっと、ロディアス陛下に毒を飲ませないだろう。
五大公爵家の人間として、ロディアス陛下が失われるようなことは彼もまた、避けたいはずだ。

──でも、もし、彼が五大公爵家を裏切っていたら?

彼は、宰相の縁戚だ。
そして宰相は、反五大派の人間。
ビジョンが、ファルオニー家が、ロディアス陛下を裏切っていないと、なぜ言いきれる。

私は、彼の手首を掴んだまま、言った。
情けないことに声は震え、手も震えてしまったが。

「……私も、飲みます。その半分の量を」

「……は?」

意を決して顔を上げる。
そして、じっと彼の灰の瞳を強く見つめた。
決して引かない。
そんな思いを込めて。

「もしそれが毒であれば、半分の量なら死ぬことはありません。そして正しく解毒薬であるのなら、半分でも摂取すれば、陛下のご容態は良くなるはずです」

既に粘膜から吸収されてしまったとはいえ、口にした分は吐き出している。
解毒薬を半分でも口にすれば、意識の回復くらいは見込めるだろう。
もし、意識が戻らなくとも、私が口にしてから少し時間を空け、その安全性が確認されてから飲ませればいい。
決して引かない。
その思いでビジョンを見ていると、彼は眉を寄せ、少し悩んだ後──深くため息を吐いた。

「……陛下が口にされた量を考えるに、必要な解毒薬はこの包み紙の半分程度で足りるかと思います。シアン化合物は、猛毒です。致死量であったなら、もう命は無いはずだ」

「……陛下もそう仰っていました」

「そうですか。では、この粉薬を半分、王妃陛下も口になされてください。副作用として吐き気、頭痛を感じるかもしれません」

「分かりました」

ビジョンから粉薬を受け取る。
そのまま、言われた量を一息に呷ると彼が驚いたように言った。

「少しは躊躇わないんですか」

「陛下が口にされるものを、私が躊躇ってどうします?……このまま、陛下にも飲ませます」

水で流し込んだとはいえ、口内には苦味が残る。
眉を顰めてしまうほどの苦さだが、今はそんなことを言っていられない。
少なくとも、飲み込んですぐに現れる異常はなかった。
私は毒の知識に乏しいが、ヒ素やシアン化合物と言った、毒殺によく使用される毒物は、口に含むとすぐに症状が出るということくらいは知っている。
そっとくちびるを合わせ、粉薬を流し込む。

未だ、ロディアス陛下の顔は青白くて、胸が軋むように痛んだ。

どうか、どうか神様──。
このひとが、損なわれませんように。

死後の国にいる、お母様。
どうか、力を貸して。
私に魔女の力はない。
魔女になりそこなった私には、彼を救うだけの力はない。
無力な私はただ、祈ることしかできない。

(どうか、どうか……)

薬が効いて、また無事な姿が見れますように。
私の全ての人生を彼に捧げるから、だから。

この国のために。
レーベルトの人民のために。
日々を過ごし、命を賭し、人生を捧げている彼を──助けてください。

何も出来ない、何も成せない、私の何かを捧げることで、彼を救えるなら。
それで構わない。
それでいいから。

だから、だから──。
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