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一章
苛烈なふたり
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「ルエイン様、ですか?」
ラディールの驚きを含んだ声に、頷いて答える。
あれから、数日が経過した。
陛下の経過は良好で、後遺症も残らなかった。
彼の言っていた通り、盛られた毒は致死量ではなかったのだろう。
ただ、彼に忠告するために。
あるいは、なにかメッセージを伝えるために。
致死量には及ばない、少量の毒を忍ばせた。
それにはなにか、政治的な意味合いがあったのだろう。
私にはその意味まで分からないが、彼の命に別状がないと知った時、心から安堵した。
知らず知らずのうちに、とても不安に思っていたのだろう。
そして、数日が経過して、ふと私は思ったのだろう。
私は、あまりにもこの国──レーベルトについて知らなすぎる、と。
そして、レーベルトの社交界に詳しくない。
つい最近、レーベルトに来たばかりの私では、知っている情報も少ない。
だからこそ、ラディールに尋ねたのだ。
ルエイン様は、どのような方なのかしら、と。
ラディールは少し考えた素振りを見せた後、口を開いた。
やや重そうに、言葉を選ぶようにして彼女は言う。
「ルエイン様は、天上の華、と呼ばれていますね」
「……天上の、華?」
首を傾げると、彼女は私の髪を梳きながら言葉を重ねた。
「ええ。手折ることのできない、高嶺の花。ルエイン様はあの美貌で、公爵家のご令嬢ですから、縁談が引きも切らずと有名ですわ」
「…………」
予想はしていた。
彼女は庇護欲をくすぐるような甘い顔立ちに、華奢な肩、まるみを帯びた胸元、細い腰、さらには眩い金髪、と魅力的な容姿をしている。
さらには彼女は公爵家の令嬢でもあるのだ。
そこまで揃えば、彼女を妻に、と求める男性も多いに違いないだろう。
ランフルアで持て余されていた自分とは、対象的である。
それを思うと、自然、視線が下がった。
ラディールは私の髪を器用に編み込みながら続けた。
「ですが……ご令嬢がたとは、あまり仲がよろしくないようですね」
「……あの方にも、苦手なひとがいらっしゃるのね」
ぽつり、呟く。
以前見た彼女からは圧倒的な自信を感じた。
そんな彼女が苦手とする相手。
一体、誰だろう。
そう思って尋ねると、ラディールは軽く頷いて見せた。
「苦手……といいますか、苦手とされている、といいますか」
「彼女が?」
「ええ。……あくまで噂話の範疇を出ませんし、こんなお話を王妃陛下のお耳に入れること自体、よろしくないことなのかもしれませんが……。王妃陛下が求められているのでしたら、申し上げます。私の知るところですと、ステファニー家のご令嬢は、特にメンデル家のご令嬢──今はアリアン公爵家子息の奥様ですね──と、ラズレイン家のご令嬢。その御二方と特に折り合いが悪いと聞いたことがございます」
「メンデル家のご令嬢と、ラズレイン家のご令嬢……」
どちらも五大公爵家の一家である。
反五大派のステファニー家と仲が悪いのも頷ける。
「特に、メンデル公爵家のご令嬢、メリューエル様は、婚約者であらせられたミュチュスカ様をとても愛していらっしゃいますから……」
ラディールは静かに続けた。
ミュチュスカは、陛下の側近の男でもある。
冷え冷えとした印象を覚える彼の妻が、メンデル公爵家の令嬢であったことを、今、思い出した。
メンデル家の令嬢、メリューエルとは顔を合わせたことがない。
私がレーベルトに来た時、彼女は既に子を宿していて、長らく社交界に現れていないとのことだった。
「ステファニー家のご令嬢は……言葉は悪いですが、ミュチュスカ様に気のある素振りを見せたことがございまして」
「……ミュチュスカを愛していたというの?」
以前目にしたルエイン様は、ひと目でロディアス陛下を慕っていると分かる顔をしていた。
だけど以前は違ったのだろうか。
そう思ったのだが、ラディールは難しそうな声を出した。
会話をしながらでも、彼女の手は流れるように動き、私の長い髪がするすると編み込み、ピンで止められていく。
「それは……分かりかねますが……。気のある素振り、と言いましてもあからさまに誘惑していたわけではなく、ただ親しげに振る舞っておられた、といいますか……。そう、ですね。同性の友人に対するような振る舞いであったかと思います」
「……そう」
同性の友人。
ラディールはそう例えたが、生憎私には同性どころか、そもそも友人がいない。
そのため、ルエイン様の様子を具体的に思い描けなかった。
「ですが、それがメリューエル様の気に障ったのでしょうね。とある夜会で、痛烈な嫌味を言われ、睨まれ、それから御二方の仲は宜しくないと聞きます」
「い、嫌味……?」
それも、痛烈な?
あのルエイン様にそんなことを言う人が──過去に言った人がいるとは想像もつかず、目を白黒させる。それに、ラディールが苦笑した。
「はい。有名な話ですよ。『やはり、格式が足りないとこうも品のない振る舞いをなされるのですね。淑女教育をやり直されたらいかが?』──と。夜会の、衆目環視の中でそう仰られたようですから……もうそれからしばらくの間は、どこもかしこもその話で持ち切りでしたよ。ステファニー家のご令嬢は、顔を真っ赤にさせて扇を壊れんばかりに握りしめておられたとか……」
「そ、そうなの……」
思った以上に痛烈だった。
ラディールの驚きを含んだ声に、頷いて答える。
あれから、数日が経過した。
陛下の経過は良好で、後遺症も残らなかった。
彼の言っていた通り、盛られた毒は致死量ではなかったのだろう。
ただ、彼に忠告するために。
あるいは、なにかメッセージを伝えるために。
致死量には及ばない、少量の毒を忍ばせた。
それにはなにか、政治的な意味合いがあったのだろう。
私にはその意味まで分からないが、彼の命に別状がないと知った時、心から安堵した。
知らず知らずのうちに、とても不安に思っていたのだろう。
そして、数日が経過して、ふと私は思ったのだろう。
私は、あまりにもこの国──レーベルトについて知らなすぎる、と。
そして、レーベルトの社交界に詳しくない。
つい最近、レーベルトに来たばかりの私では、知っている情報も少ない。
だからこそ、ラディールに尋ねたのだ。
ルエイン様は、どのような方なのかしら、と。
ラディールは少し考えた素振りを見せた後、口を開いた。
やや重そうに、言葉を選ぶようにして彼女は言う。
「ルエイン様は、天上の華、と呼ばれていますね」
「……天上の、華?」
首を傾げると、彼女は私の髪を梳きながら言葉を重ねた。
「ええ。手折ることのできない、高嶺の花。ルエイン様はあの美貌で、公爵家のご令嬢ですから、縁談が引きも切らずと有名ですわ」
「…………」
予想はしていた。
彼女は庇護欲をくすぐるような甘い顔立ちに、華奢な肩、まるみを帯びた胸元、細い腰、さらには眩い金髪、と魅力的な容姿をしている。
さらには彼女は公爵家の令嬢でもあるのだ。
そこまで揃えば、彼女を妻に、と求める男性も多いに違いないだろう。
ランフルアで持て余されていた自分とは、対象的である。
それを思うと、自然、視線が下がった。
ラディールは私の髪を器用に編み込みながら続けた。
「ですが……ご令嬢がたとは、あまり仲がよろしくないようですね」
「……あの方にも、苦手なひとがいらっしゃるのね」
ぽつり、呟く。
以前見た彼女からは圧倒的な自信を感じた。
そんな彼女が苦手とする相手。
一体、誰だろう。
そう思って尋ねると、ラディールは軽く頷いて見せた。
「苦手……といいますか、苦手とされている、といいますか」
「彼女が?」
「ええ。……あくまで噂話の範疇を出ませんし、こんなお話を王妃陛下のお耳に入れること自体、よろしくないことなのかもしれませんが……。王妃陛下が求められているのでしたら、申し上げます。私の知るところですと、ステファニー家のご令嬢は、特にメンデル家のご令嬢──今はアリアン公爵家子息の奥様ですね──と、ラズレイン家のご令嬢。その御二方と特に折り合いが悪いと聞いたことがございます」
「メンデル家のご令嬢と、ラズレイン家のご令嬢……」
どちらも五大公爵家の一家である。
反五大派のステファニー家と仲が悪いのも頷ける。
「特に、メンデル公爵家のご令嬢、メリューエル様は、婚約者であらせられたミュチュスカ様をとても愛していらっしゃいますから……」
ラディールは静かに続けた。
ミュチュスカは、陛下の側近の男でもある。
冷え冷えとした印象を覚える彼の妻が、メンデル公爵家の令嬢であったことを、今、思い出した。
メンデル家の令嬢、メリューエルとは顔を合わせたことがない。
私がレーベルトに来た時、彼女は既に子を宿していて、長らく社交界に現れていないとのことだった。
「ステファニー家のご令嬢は……言葉は悪いですが、ミュチュスカ様に気のある素振りを見せたことがございまして」
「……ミュチュスカを愛していたというの?」
以前目にしたルエイン様は、ひと目でロディアス陛下を慕っていると分かる顔をしていた。
だけど以前は違ったのだろうか。
そう思ったのだが、ラディールは難しそうな声を出した。
会話をしながらでも、彼女の手は流れるように動き、私の長い髪がするすると編み込み、ピンで止められていく。
「それは……分かりかねますが……。気のある素振り、と言いましてもあからさまに誘惑していたわけではなく、ただ親しげに振る舞っておられた、といいますか……。そう、ですね。同性の友人に対するような振る舞いであったかと思います」
「……そう」
同性の友人。
ラディールはそう例えたが、生憎私には同性どころか、そもそも友人がいない。
そのため、ルエイン様の様子を具体的に思い描けなかった。
「ですが、それがメリューエル様の気に障ったのでしょうね。とある夜会で、痛烈な嫌味を言われ、睨まれ、それから御二方の仲は宜しくないと聞きます」
「い、嫌味……?」
それも、痛烈な?
あのルエイン様にそんなことを言う人が──過去に言った人がいるとは想像もつかず、目を白黒させる。それに、ラディールが苦笑した。
「はい。有名な話ですよ。『やはり、格式が足りないとこうも品のない振る舞いをなされるのですね。淑女教育をやり直されたらいかが?』──と。夜会の、衆目環視の中でそう仰られたようですから……もうそれからしばらくの間は、どこもかしこもその話で持ち切りでしたよ。ステファニー家のご令嬢は、顔を真っ赤にさせて扇を壊れんばかりに握りしめておられたとか……」
「そ、そうなの……」
思った以上に痛烈だった。
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