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一章
交わらないこころ
しおりを挟む晩餐後、彼に伴われて中庭へと足を運んだ。
レーベルトは、ランフルアよりも北方に位置する国だからか、夏であっても涼しい。
レーベルトに隣接する国は、三国。
私の母国であるランフルアは、レーベルトより南西に位置している。
そして、レーベルトから見て、東南に位置する国がエルブレムであり、レーベルトと同じように海に面したドゥランは、真隣の国だ。
ドゥランは、レーベルトと同じように北方に位置する国なので、あの国も夏は涼しいのだろう。
そう思いながら、森林が続く中庭に足を進めた。
陽が落ちた中庭は、かなり薄暗い。
手にした燭台がなければ、足元も危ういほどだ。
少し歩いてから、彼がふと私に言った。
「そろそろ火を消そうか」
「え……?ですが、消したら危ないのでは無いですか?」
尋ねると、彼はふわりと笑った。
それを見て、また胸が切なく締め付けられた。
恋とは、こうも厄介なものなのだろうか。
微笑みひとつで、容易に胸が苦しくなる。
そんな私の気持ちになど、一切気がついていないのだろう。
彼は視線を遠くに投げて言った。
「ここは昔からよく知る庭だから、灯りがないくらい問題は無い。むしろ、灯りを持ったまま進んだら蛍が驚いて逃げてしまうかもしれないから。……僕を信じてくれる?」
そう尋ねた彼が、私を覗き込む。
夜の空気は、不思議だ。
ひっそりとした闇は、まるで世界に私と彼しかいないような錯覚を覚えさせる。
その闇に呑まれないように。
雰囲気に惑わされ、秘めた思いを零さないよう気をつけながら、私は怖々頷いた。
私を見て、ロディアス陛下が微笑んだ。
ふ、と彼が息をふきかけて火を消した。
途端、周囲が闇に包まれて、彼がいるとわかっていても、足はすくんだ。
「ここは王家が有する庭だからね。危険な動物はいないし、足元に気をつければほかと変わらないよ」
彼の手が、私に差し出される。
「お手をどうぞ、お妃様」
「ありがとうございます」
恐る恐る差し出された手に指を伸ばすと、すぐに掴まれた。
軽く握られて、彼は「うん」と頷くと、そのまま歩き出す。
「足元には気をつけてね」
彼に手を握られて、歩く。
それは初めてのことだった。
いつも、エスコートと言えば彼の腕に手を添えて歩く、というもので、手を繋ぐ、ということはしない。
必要でないことは、彼はしない。
彼に手を引かれて、言われた通り足元に気をつけながら歩き出す。
静かな沈黙が広がる。
だけどそれは、広々とした山のような庭に囲まれているからか、重苦しいものではなかった。
暗闇に慣れてきたのか、少しだけ周りを見渡せるようになった。
暗いので、枝の形がぼんやりとわかる程度だ。
私はそれを眺めながら、ロディアス陛下に声をかけた。
「もうお体は大丈夫なのですか?」
言ってから、体に異常があれば彼は誘わないだろうということに気がついた。
彼に誘われた時点で、きっと何の問題もないのだ。分かってはいたが、彼の言葉で聞きたかった。
私の言葉に、彼が薄く笑った気配がした。
「大丈夫だよ。心配かけたね」
「……ご無理を、されているのでは──」
「うーん。どこからが"無理"のラインなのか、定義がはっきりしないから何とも言えないけど、でもあえて答えるなら、これくらいの無理なら、必要だし、慣れてる。人間、誰しもが生きていれば、ある程度の無理はしているでしょう?何の苦労もせずに生きている方が珍しい」
彼はやはり理屈的だ、と思った。
それと同時に彼にそう言われてしまえばもう私は何も言えなくなる。
私が押し黙ると、彼はまた笑ったようだった。
空気が、優しく揺れる。
「心配してくれてる?」
「……大事なお体ですから」
好きな人のことだ。
心配しないはずがない。
気にならないはずがない。
だけど、私はそれを隠し、妃として、国の人間として、案じているということにした。
小さな、嘘。
また、嘘を積み重ねてしまった。
私の言葉に彼が苦笑した。
「ありがとう、優しいね。エレメンデールは」
彼はどこまで気がついているのだろう。
どこまで知っていて、何を知らないのだろう。
私のこの、淡い感情には気づいているのだろうか。知っていて、彼は知らないことを選んでいるのだろうか。
苦しい、と思った。
彼の心がどこにあるか分からないから、だから苦しい。
だけどそれ以上に、彼の力になりたいとも思うのだ。
私が彼の妃で──この国の正妃という地位を戴いているのだから、それにふさわしい、私にしかできないこともまた、あるはずだ、と。
彼の想いが私に向いていないのなら、せめて、その地位に見合った役割だけは果たしたいと、そう思った。
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