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2.捨てたのか、捨てられたのか
勝利の民よ、ここにその証を
しおりを挟む『……仕掛けられたな』
ローレンス殿下の呟きを聞いた私は、空を見上げた。
枝葉に覆われてよく見えないが、微かに光が差し込んできている。
私には、この空を見て陽の強さを判別することは無理だが、どうやら彼らにはわかるようだった。
「どういう仕組みなのかしら……」
思わず、呟いた。
この森の中は、時間が止まっていると、そういうことなのだろうか。
すると、懐中時計をぱたん、と閉じたローレンス殿下が言った。
「恐らく、俺たちは魔素が効かないから、外側から攻めることにしたんだろう」
「この森自体に、意思があるということですか?」
「森自体……そうだね。そうかもしれない」
ローレンス殿下は、曖昧な返答をした。
おそらく彼もはっきりとは分かっていないのだろう。
ローレンス殿下がちらりと私を見た。
「内と外で時間軸が狂っている。一度森を出るか?」
「外は今、昼の十二時……。だけどこの森の中は、時が止まっているということでしょうか?」
「時が止まっているか、あるいは限りなく遅らせているか……。どちらにせよ、外の世界とは時間軸が解離している」
「こんなこと、今まで報告にはありませんでした」
「そうだろうな。今回は、特別だ。俺達には森の魔素が効かない。俺達を狂わせることはできない」
「…………。森の目的は何なのでしょう?侵入を防止している?」
「さあ。それは、行ってみないとわからない。最奥に向かうと墓標のようなものが立っている。そこが、森の深層部だ。そこには、魔力の渦なようなものがある。一般人が触れたら、すぐ魔素に汚染されるだろうね」
森を歩いていて、やはり魔素は感じない。
ローレンス殿下に予め言われていなかったら、私は聖力を使うことなくこの森に足を踏み入れていたことだろう。
私は、少し考えてからローレンス殿下を見上げて言った。
「このまま、進みます。一度後退して、ふたたびここに戻った時。今度はどんな細工をされるかわかりませんから」
答えると、彼はまつ毛を伏せて、微かに頷いた。
「……わかった。森の最奥まであと数時間ほどで到着すると思う。ルイス、これはきみにやる」
ローレンス殿下はルイスを呼ぶと突然、何かを放り投げた。
ルイスがしっかりとそれを受け取る。
見れば、それは懐中時計だった。
それも、アルカーナの国章が刻まれた、アルカーナ帝国の皇族しか持つことを許されない品。
受け取ったルイスは、こころなしか顔を強ばらせ、ローレンス殿下を見た。
「これは」
「それはきみが持っているといい。時間をしっかりと確認しておいて。今、この森において空の色は当てにならないと分かったはずだ。見ていると惑わされるそ。判断基準は、それにするように」
「……かしこまりました」
色々言いたいことや聞きたいことはあるだろうに、それを堪えてルイスは懐中時計を受け取り、それをジャケットの内ポケットにしまった。
そして、私たち三人はそのまま歩き進め──数時間後。
森の最奥部へと思わしき場所に辿り着いた。
そこは、想像していたよりもすと長閑で、落ち着いた景色が広がっていた。
鬱蒼とした木々に囲まれるようにして、大きな泉がある。泉の周りには色とりどりのちいさな花が咲き乱れ、春爛漫といった様子だ。
どこかで、鳥の鳴く声が聞こえる、けど──。
この森には、動物がいないはず。眉を寄せた私に、ローレンス殿下が解説するように言った。
「幻聴だ」
「幻聴…………」
「俺が言っていた魔力の渦は、あれだ」
ローレンス殿下が指し示した先には、泉の中にぽつんと、ひとつの墓石のようなものが立てられていた。墓石までは砂浜のようなもので道が作られている。何から何まで、異様な景色だった。
「……魔力は感じるか?救世の聖女」
「……今、そう呼ぶのですね。あなたは」
私は、引き攣りそうになりながらも、ローレンス殿下に笑って見せた。
ここからでは、魔力は確認できない。
だけど、明らかにあれがおかしいことはわかる。
森の最奥に置かれた石。
石の前には、森の中なのに砂浜のようなもので道が出来ている。
それを守るように花々が囲み──さらに、木々がそれらを覆い隠している。
私はぐ、と息を呑むと意を決して泉へと向かった。
ローレンス殿下と、ルイスも共に私の後に続く。
砂浜を歩き、墓石──のような石の前に、立つ。
そこには、短い文章が文字として刻まれていた。
【勝利の民よ、ここにその証を】
「……勝利の民」
ぽつり、その言葉を呟いた。
「読めるのか?」
隣で、ローレンス殿下が私に尋ねた。
そうか。これはヴィクトワール古語だから、アルカーナ帝国の皇族であるローレンス殿下は読めないのだろう。
ヴィクトワール古語は、ヴィクトワールの民であっても読むことのできる者は限られる。
古の時代の言語、今はまったく使われることの無い言葉。
学ぶのは過去の文献を研究している学者がほとんどだ。
私は、公爵家の娘として、いずれ王妃になるのだからと教養のため学ばされた。
だから、読めるのだ。
私は、ローレンス殿下と──その後ろに控えるルイスに、石に刻まれている文章を伝えた。
「【勝利の民よ、ここにその証を】……そう、刻まれています」
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