聖女になれない私。

一章

欲しい欲しいと希う

思わず顔を上げた。
変わらず綺麗な顔だ。
彼の星屑を散りばめたような瞳は、私を意図も簡単に捕えた。その瞳が欲に、熱に、烟る様を見てみたい。そう思う。
呆然としていると、彼が内ポケットをさぐり、ハンカチを取りだした。私の目元に当てられる。びくりと異常なほど敏感に私の肩が跳ねる。ミュチュスカが眉を寄せた。
熱い息を、必死で押えた。

「それと、私はまだ聖女様の護衛騎士ではない。護衛騎士は聖女様が選ばれる。相手は私では──」

「今そんな話はしてないの！」

かな切り声だ。ヒステリーな声だ。
ああ、これだから私は嫌われるのだ。
内心自嘲する。

「問題はあなたが聖女のそばを離れたこと！これで……あれ……あの酒を聖女が飲んでたらどうなってると思う！？あなたはそんな馬鹿じゃないでしょう！ミュチュスカ・アリアン！」

滂沱の涙を流しながらミュチュスカを睨みつけた。口内に血の味がする。
ああ、さっききつく唇を噛んだから。

「っ……出ていって。今すぐ、この部屋を出ていって」

暗い声になった。
鼻をすすり、視界が滲む。化粧などとっくに落ちていることだろう。
ああ、なんてみっともない。
これが公爵令嬢なんて笑わせる。

「……いえ、婚約者のあなたをひとりにするわけにはいかない。先程の手合いがまた現れるとも限らない」

「ミュチュスカ！」

「何を怒ってるんだ？あなたはいつも、私を求めていただろ。きみらしくないな」

訝しげな、確かめるような声だった。
彼の声は冷静だ。そりゃそうよね。彼は酒を──恐らくなにか混ぜ物がされたあれを飲んでない。発情して、苦しんでいるのは私だけ。
突如、浮遊感が宙を包んだ。見れば、ミュチュスカが私を抱き上げている。
シトラスの清潔で爽やかな香りがする。ミュチュスカの香りだ。
彼の色っぽい首筋が目に入る。長い髪を無造作に、邪魔そうに後ろに流し、金色の髪が肌に絡みついている。赤い紅の後をつければそれはどれほど映えるだろうか。
気がつけば、私はベッドに寝かされていた。
熱っぽくミュチュスカを見る。


「あ……」

愛して欲しい、という言葉は既の所で呑み込んだ。その代わり、歯ぎしりするほどきつく唇を閉じ、ほかの言葉を探した。

ぎしり。
ミュチュスカが私の横に座る。

「今、医者を呼ぶ。なにか飲まされたのか？酒か、薬か。意識はあるな、メリューエル」

「……出ていって」

「……きみは、俺が弱った婚約者を放置して夜会に戻るような常識のない人間に見えるか？」

僅かに尖った声を出す彼に、私も腹が立つ。
いや、腹が立つどころではない。
なぜだか面白くて、変な笑いが込み上げてきた。

「ミュチュスカ、今の状態を分かってるの？媚薬に侵された女と、女が執着的に愛してる男。ねえ、あなた、今の自分の立ち位置を理解して？」

そっと彼の太ももをなで上げる。
そのままするりと手を上げていけば──掴まれた。ミュチュスカは眉を寄せ、難しい顔をしている。

「俺がきみを抱けば、きみは満足か？」

「そうよ。苦しくて苦しくて仕方ないの。あの薬がどれくらい作用するのか私にも分からない。あなたの精力を根こそぎ奪い取り、あなたの呼吸すら奪ってしまうような、そんな交配を求めているのかもれない。ねえ、ミュチュスカ。あなたそれでいいの？」

嫌いな女に喰われて、彼はそれでいいのだろうか？
そんなわけない。彼が私を嫌っているのは、私がよく知っている。
彼に距離を取られるようになった私は、ますます彼を強く欲した。無理に彼を自室に招き、媚薬を彼に飲ませたこともある。
残念なことに、ミュチュスカは媚薬に耐性がありすぐに混ぜ物に気がついてしまったけど。

もちろん、その件以降さらにミュチュスカが私を軽蔑するようになったのは言わずもがな。

「私と今、ここで子作りする？あなた似の子供が生まれたら、きっとすごく可愛らしいでしょうね。あなたは女顔だもの。国一番の美少女になるわ」

ミュチュスカが嫌そうに眉を寄せた。
私の言葉に嫌悪感を抱いているのはもちろん、彼は中性的で女性的な優美な自身の顔を苦々しく思っている。彼は顔を褒められることを嫌がった。私が、彼の顔に執着しているから。

「メリューエル。きみはそんな──そんな、女性だったか」

疑問に満ちた声だった。
何を、今更。今度こそ私は声を上げて笑った。

「私があなたを欲しいと思っていること？それともあなたの容姿に執着していること？そんなの、昔から知ってるでしょ。ミュチュスカ。私はあなたを愛してるのよ」

いまさら知らなかったとは言わせない。
私がヒステリックに笑っていると、彼は私をじっと眺めた後、ため息をついた。

「そうじゃない。今のきみはまるで──玩具を取り上げられた幼子のようだ」

目を見開いた。