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二章

悪女は聖女にはなれない

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呼び出したのに私がなかなか来なければ、きっとミュチュスカは私を探しに来る。私の部屋にミュチュスカが来れば、聖女はようやくベッドの下から出てくるだろう。そこで私が身代わりになった事実が発覚すればいい。

ああ、どうしたって私は──
私は、聖女アカネになれない。

聖女は泣くだろう。
私を犠牲にしてしまったことを悔やみ、苦しんでミュチュスカに抱きつくかもしれない。そんな彼女に、ミュチュスカは何を言うだろう?

あなたのせいではない?
メリューエルは立派に貴族の義務を──ノブレス・オブリージュを果たした、と。
あなたは悪くない、と。

あの声で聖女を慰めるのだろうか。
肩を抱くのだろうか。

だから泣き止んで、と言うのか。

紙に記したミュチュスカのセリフを思い出した。

『泣かないで。あなたに泣かれると、私はどうしようもなく苦しいんだ』

また、そのようなことを言うのだろう。
抱きしめて慰めたいけれど、婚約者わたしがいる手前、それも出来ない、というジレンマと切なさを抱えて。

あの紙は、今日を迎える前に既に暖炉に放って処分している。大丈夫。誰にも気づかれることは無い。気を失ったと思っている彼らは、私を馬車に無造作に放り込むと、そのまま馬車を走らせた。
一緒にアーベルトも乗り込んだが、アーベルトは聖女に全く興味がないのか一切こちらを見ない。
いや、興味が無いのではなく下手に手を出してディミアンの怒りを買うことを恐れているのかもしれなかった。
薄目を開けると、アーベルトは窓の外をじっと見ていた。窓の外は、一面雪景色。私の銀髪のような色合いが広がっている。

ディミアンは聖女を処分するつもりは無いだろう。彼もまた、ローベルトの人間だ。聖女がいなければ儀式を行うことはできず、儀式を行わなければ春は訪れない。
今代の聖女が亡くなれば、また百年、次の聖女が訪れるまで人々は冬に耐え忍ばなければならない。
それはディミアンも分かっているだろう。
だからこそ、ディミアンは聖女を孕ませようとしている。子を孕ませてしまえば、聖女は自分のものになる。聖女がこの国に残ることを決め、ディミアンが聖女の夫となれば彼の立場は今以上に強くなるだろう。
聖女に選ばれた栄えある王族として、王よりも玉座にふさわしいと言われるかもしれなかった。
ディミアンの狙いは恐らくそこだ。
アーベルトの話を聞くに、ただ聖女を気に入っている、という理由もあるだろうが。
どちらにせよこのままでは監禁のち、陵辱される。好きでもない男の子を宿すなど死んでもごめんである。
今はまだ、その時ではない。
何より、馬車にはアーベルトも同乗している。
機を誤れば、二度目はない。
私は目を閉じて、馬車の振動をただ感じていた。





体感にして一時間ほどだろうか。
馬車が停止した。アーベルトは私を起こすことなく、事務的に抱き上げると馬車から降りた。顔をじっくり見ていないためか、私がメリューエルであることはまだ気づかれていないらしい。今気づかれたとしても口封じのために処分されるだけだろう。いや、アーベルトは私に手を出そうとしてきた。そのことを考えるに、相手がディミアンからアーベルトに代わるだけかもしれなかった。
人の話し声が聞こえる。
だけどそれは、私を起こさないようにするためか必要最低限で、アーベルトは静かに歩き進め、時に階段を登り、目的地に辿り着いたようだった。
扉を開ける音がする。ふ、と瞼の裏からでも室内が暗いことが分かる。
陽も沈んだというのに、灯りは小さなランタンのみのようだった。
部屋全体が薄暗いので目を開けても、アーベルトに気づかれることはない。慎重に室内を探る。木製の調度品は、ひと目で高価だと分かる意匠が施されていた。この部屋の持ち主は、好きな職人でもいるのか、同じ人物のみに造らせているようだ。その職人の作品であるサインが調度品には掘られていた。
ここはどうやら寝室のようだった。
シーツにそっと降ろされて、私はまた目を閉じる。
アーベルトは私を一度見ると、すぐに踵を返した。ぱたん、と扉を閉める音が聞こえた。

その音を聞いてからむくりと体を起こす。
薄暗い室内だが、だんだんと目が慣れてきた。

「………」

手探りで触れたそれは、変わらず巾着の中に入っていた。
聖女が武器になるものを持っているとは全く思っていないのか、持ち物検査のひとつもなかった。
もし、この巾着の中のこれに気がついていれば、恐らく取り上げられていたことだろう。

私はぐるりと周りを見渡した。
サイドチェストの上には、白の手巾が一枚。ほかには水が入った桶、錠剤が詰め込まれた小瓶が置いてある。今から何をするのか、ひと目で理解出来る品揃えだ。

それを見て鼻で笑う。
そのうちの小瓶の蓋を開けた。
中には星屑を象った砂糖菓子のような錠剤。
これが錠剤だと知っているのは社交界で度々話題に上がるからだ。
砂糖菓子に見えるが、実際は処女も娼婦にしてしまうほど強い媚薬だ、と。
依存性が高い違法薬物としても知られているこの錠剤の名前は『黒夢の幻』。
以前ディミアンが聖女に盛り、私が口にした薬だ。

話には聞いていたが、本当にただの砂糖菓子に見える。
足音が聞こえてくる。部屋の外から聞こえてくるそれは、だんだんとこちらに近づいてきているようだ。

私はそちらを見ると、巾着から目的のものを取り出した。
ひとつは、ミュチュスカに貰ったすみれの砂糖漬け。
そしてもうひとつは──ヒ素が含まれた、カプセル。

父が用意したものだから、およそひとの致死量0.3グラムを大幅に超える量が含まれているのだろう。

私は最後の賭けに出ることにした。
勝てば尊厳は失われない。
負ければ、私は死してなお辱められることになるだろう。



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